レオダーバン
れおだーばん
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
1990年(3歳)
1988年、「スーパーカー」と賞された優駿マルゼンスキーの子として、北海道新冠町の早田牧場で誕生。
1990年12月、美浦トレーニングセンター奥平真治厩舎からデビュー。新馬戦を逃げ切りで軽々と勝利するも、2戦目を4着に敗れたあとソエ(骨膜炎、骨の完成しきっていない若馬が脚に強い負荷を受けることで発症する炎症)が判明して休養を余儀なくされる。
1991年(4歳)
1991年3月の500万円下戦で復帰、これも逃げ切りで快勝して2勝目。
続いて挑んだのは日本ダービーのトライアル競走である青葉賞(当時はオープン競走、現在はGⅡ)。3着以内に入れば日本ダービーへの道が開けるこのレースで、レオダーバンはスタートに出遅れ最終コーナーまで最後方集団も、東京競馬場の長い直線を上がり最速で駆け抜けごぼう抜きの勝利。このレース内容から、一躍皐月賞馬トウカイテイオーのライバルと目されるようになった。
迎えた5月26日の日本ダービー、レオダーバンはトウカイテイオー(1.6倍)に次ぐ2番人気(6.1倍)に推された。このレースでは先行策を採り、最終コーナーを抜け馬群が横に広がっての叩き合いとなる中、末脚を繰り出したレオダーバンが一時先頭に立ったかに見えた。
しかし、そのレオダーバンを外からスッと抜き去っていったのがトウカイテイオーである。レオダーバンは2着に入ったが、テイオーには3馬身差をつけられた。
秋はGⅡ・セントライト記念から始動。敗れたとはいえダービー2着馬、このレースでは単勝1.3倍の圧倒的一番人気であり、単枠指定の措置が採られた。
(※単枠指定…当時存在した、事前に圧倒的な馬券人気が見込まれる馬を1頭のみでひと枠に入れる制度。このレースの2週間後に馬連方式の馬券が発売開始されると同時に単枠指定制度は廃止され、レオダーバンは最後の単枠指定を受けた馬となった。)
ところがレースではハナを切って逃げまくったツインターボと、これを追走し最後に差し切って勝利したストロングカイザーを捉えることができず、3着に敗れた。
この敗戦から11月3日の菊花賞ではイブキマイカグラ(3.9倍)、ナイスネイチャ(5.2倍)に次ぐ3番人気(5.6倍)に評価を下げる。だが、先行集団でレースを進めたレオダーバンは最終直線で得意の末脚を発揮。フジヤマケンザンをかわして先頭に立つと、追い込んできたイブキマイカグラに1馬身半差をつけ、この年のクラシック戦線最後の一冠を勝ち取った。
フジテレビ実況の杉本清アナは、このレース直前に2年連続の日本一を決めていた西武ライオンズにひっかけ、「馬の世界でもレオ!」の名実況を残した。
しかし有馬記念を目指しての調整中に屈腱炎を発症、長期の治療休養を強いられることになる。
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16818180 の書き直しを決意した時にどうしてもやりたかったリオナタールとツルマルツヨシの絡みです。 リオナタールの元馬のレオダーバンを調べて貰えるきっかけにもなってくれたら幸いです。 ツルマルツヨシの作品がもっと増えてほしいのでhttps://www.pixiv.net/users/15065571 ななせ様主催の『ウマケット2022夏』に出走させていただきました。4,283文字pixiv小説作品 - セイウンスカイとノリの軽いトレーナー
セイウンスカイとリオナタールのミライ
ウマ娘アニメ二期の第2話、トウカイテイオーがケガで出走できなかった菊花賞を勝った「リオナタール」というウマ娘を覚えていますでしょうか。 競馬好きの方はご存知でしょう、リオナタールのモデルとなったのはレオダーバンという競走馬です。 レオダーバンは菊花賞でGⅠを勝ち取ったウマであるにもかかわらず、ケガと馬主の不祥事、また産駒の活躍もなかったせいもあり、“消息不明”というGⅠ馬なのにあんまりな最期を辿ってしまいます。 そしたらレオダーバンのデビュー戦と最期のレースに騎乗していたのが私の大好きな「あの方」だと知りまして、ついノリで書いてしまったお話です。ウマ娘世界なら幸せになったっていいじゃない! ※実はアプリリース前から書き始めていたお話で、ゲーム内の設定はほとんど反映されていませんのでご了承ください。14,792文字pixiv小説作品