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ナイスネイチャ

ないすねいちゃ

平成初期に活躍した日本中央競馬会(JRA)所属の競走馬・種牡馬(1988-2023)。主な勝ち鞍は1991年の京都新聞杯・鳴尾記念・小倉記念、1994年の高松宮杯。
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現役時代は41戦7勝の成績を残したが、3着の割合が多くブロンズコレクター」「ミスター3着」と呼ばれた。

中でも有馬記念では1991年から1993年まで3年連続で3着という珍記録を作り、これがナイスネイチャの代名詞となっている。


※現役時代の馬齢・競走名は2000年までの旧表記で記載する。

※当馬をモデルとするウマ娘については、「ナイスネイチャ(ウマ娘)」を参照。


プロフィール編集

生年月日1988年4月16日
没年月日2023年5月30日
英字表記Nice Nature
性別牡→セン
毛色鹿毛
ナイスダンサー
ウラカワミユキ
母の父ハビトニー
5代内のインブリードなし
競走成績41戦7勝
管理調教師松永善晴
生産渡辺牧場
馬主豊嶌正雄→豊蔦泰三

経歴編集

デビューまで編集

1988年4月16日北海道浦河町の渡辺牧場に生まれる。

父はナイスダンサー、母はウラカワミユキ(1981-2017)。


1990年に松永善晴厩舎に入厩。主戦騎手は松永の娘婿である松永昌博(現調教師)。

馬名は「素晴らしい素質」(nice nature)を意味する。

入厩直後の印象について、担当の馬場秀輝厩務員は「体ができていなくて、馬格はあるけどどん詰まりみたいな感じ」「調教をしていく段階で、多分この馬はある程度のところまではイケるやろな、と」と語っている。


1990年(3歳)編集

1990年12月2日京都競馬場3歳新馬戦(芝1200m)でデビュー。後方から猛烈に追い込んだものの、距離が短すぎたかクビ差届かず2着惜敗。

中1週あけ、12月15日の3歳新馬戦(ダート1400m)ではミュージアムの競りかけに対して終始先頭を譲らず、完勝で初勝利。


1991年(4歳)編集

年が明けた1月5日の500万下「福寿草特別」(京都 芝2000m)は後の桜花賞馬シスタートウショウの6着。後方から直線で猛烈に追い上げたが、エンジンがかかるのが少々遅すぎた。


1月19日のオープン特別「若駒ステークス」(京都 芝2000m)で初めて3着に入った。

なお、このレースの勝者は、あのトウカイテイオーである。ネイチャは道中でテイオーとほぼ同じ位置を走っていたが、直線のテイオーの伸びについていくことが出来なかった。


レースの後で橈骨のあたりを痛がる素振りを見せるようになった。診断は骨膜炎(ソエ)。ネイチャは春のクラシックを諦め、半年間休養となる。この放牧の間にネイチャは見違えるように成長。馬体がしっかり出来上がり、厩舎に帰ってきた時にはまるで別の馬のようだった。馬場厩務員は「これで、今年は有馬記念を貰えた」とまで思ったという。


復帰戦となった7月6日の500万下「なでしこ賞」(中京 芝1800m)は大外から一気に先頭を狙うが、シロキタテイオーの粘り腰でクビ差届かず2着。


ここから小倉競馬場で3連戦。中2週挟んだ7月28日の500万下「不知火特別」(芝1800m)では1番人気に推される。初の古馬との対戦となったが、内ラチ沿いを1頭だけ別次元の差し脚で駆け上がり、新馬戦以来の勝利。


続く8月10日の900万下「はづき賞」(芝1800m)でも単勝2.0倍の1番人気に応え、第4コーナーを大外ぶんまわしで先頭に立つと、直線で後続を千切り捨てて圧勝。


8月25日のGⅢ「小倉記念」(芝2000m)で初めて重賞に挑戦。イクノディクタスヌエボトウショウら古馬の重賞馬も出走する中、ネイチャは1番人気に推された。

レースは好位につけ、直線で先頭のイクノディクタスを差し切り、大外から追ってくるヌエボトウショウも振り切って堂々重賞初勝利を果たした。4歳馬の小倉記念勝利は13年ぶりの快挙。


小倉で3連勝と調子を上げてきたことで、陣営はクラシック最終戦「菊花賞」を目指すことになった。

菊花賞トライアルのGⅡ京都新聞杯(京都 芝2200m)では、前年の3歳GⅠ阪神3歳ステークスを制した1番人気イブキマイカグラ(リアルシャダイ産駒)、皐月賞2着の3番人気シャコーグレイド三冠馬ミスターシービーの産駒)ら同期のライバルらと激突。

最終直線でイブキマイカグラ、シャコーグレイド、マチカネヒオドシの3頭が激しく叩き合う中、ネイチャは残り100m地点から猛然と追い込み、外から差し切って4連勝。

その末脚に、実況の杉本清アナは「溜めに溜めていたナイスネイチャ、ゴール前一気に差し切りました。4連勝です、すご~い!」と唸った。


そして11月3日、最初で最後のクラシックレースとなる「菊花賞」(京都 芝3000m)でGⅠ初出走。春の無敗二冠馬トウカイテイオーが骨折で出られないこともあって混沌とした雰囲気の中、夏の上がり馬ナイスネイチャはイブキマイカグラに次ぐ2番人気に推された。レースは終始団子状態のスローペースで進み、日本ダービー2着の3番人気レオダーバンが上がりタイム2位の脚で抜け出して勝利。

ネイチャは追い込んだものの、初めての長い距離のせいか伸びきれず、4着に終わった。


その後、12月8日の鳴尾記念(当時GⅡ 芝2500m)に出走。

単勝1.9倍という圧倒的一番人気に応え、先行策でグイグイ飛ばしながら終いも上がり最速タイムで古豪ミスターシクレノンらを千切り、ゴール前では力を抜く程の余裕を見せる圧勝で重賞3勝目を挙げた。


4歳最終戦はGⅠ「有馬記念」(中山 芝2500m)。

メジロマックイーンをはじめとするスターホースが顔を揃える中、ナイスネイチャは2番人気に推された。

レースはツインターボプレクラスニーダイタクヘリオスら逃げ馬が飛ばし、最下位14番人気の「これはビックリ」ダイユウサクがマックイーンを振り切ってまさかまさかのレコード勝利。

そんな大波乱のレースの中、ナイスネイチャも大外から追い込んで見事3着に入った。


こうして、1991年は10戦5勝の成績で終えた。(5-1-2-2)

1992年(5歳)編集

古馬となったナイスネイチャだったが、ここまで12戦も走り続けてきた代償か、年明けから持病の骨膜炎が悪化し、春競馬を全休。最も脂の乗ったこの時期に痛恨の長期休養となってしまった。


復帰は10月までずれ込み、5歳初戦は秋の天皇賞のステップレースとしてGⅡ毎日王冠が選ばれた。

結果はダイタクヘリオスイクノディクタスに次ぐ3着

天皇賞(秋)は、トウカイテイオーが出走していたが、メジロパーマーとダイタクヘリオスがペースを吊り上げたことで荒れたレースとなり、勝ったのは11番人気のレッツゴーターキン。ナイスネイチャは惜しくも4着に敗れた。


マイルチャンピオンシップ(GⅠ)はダイタクヘリオスが連覇を達成し、ナイスネイチャはまたも3着

そして、2度目の出走となった有馬記念は、メジロパーマーがダイタクヘリオスとともに大逃げをうち、猛追するレガシーワールドをハナ差凌いでまんまと逃げ切って春秋グランプリ連覇を達成。

ナイスネイチャはというと、レガシーワールドと並んでパーマーを追ったが届かず、それでも2年連続の3着に入った。


こうして、1992年は天皇賞を除く3回が3着という結果に終わった。


1993年(6歳)編集

1993年は日経新春杯(GⅡ)からスタート。しかし、エルカーサリバーに敗れて2着。

続く阪神大賞典(GⅡ)は1番人気に推されるもメジロパーマーに敗れて3着(この1戦のみ南井克己が騎乗している)。

産経大阪杯(GⅡ)は、メジロマックイーンに5馬身離された2着。

その後、副官骨を骨折。前年に続いて春シーズンは休養で終えた。


秋は前年に続いて毎日王冠に出場したが、シンコウラブリイセキテイリュウオーに続いて2年連続の3着

2度目となる秋の天皇賞は2番人気だったが、ハナを切ったツインターボが玉砕したと共に17頭立ての15着と惨敗。初めて10位以下に落ちてしまう。

ジャパンカップは天皇賞での大負けが響いて15番人気で、結果は7着。


そして、3度目の出場となった第38回有馬記念は、前2走での惨敗もあって10番人気。

トウカイテイオーが奇跡の復活を飾った裏で、ネイチャは上がり最速タイムで猛烈に追い込んできたマチカネタンホイザをアタマ差で抑えて3着を死守。

これにより、ナイスネイチャは有馬記念3年連続で3着という史上唯一の大“異”業を達成。

最低人気馬による追込レコード決着、ブービー人気大逃亡劇、本命2頭の熾烈な叩き合いと、全く展開の違う3レースでいずれも3着というなんとも不思議な記録であり、これがナイスネイチャの代名詞にもなった。


1993年は7戦で3着が3回。この年の有馬記念が結果として最後の3着となった。(0-2-3-2)


1994年(7歳)編集

1994年はアメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)から始動。しかし、マチカネタンホイザに敗れて7着。

産経大阪杯はネーハイシーザーに敗れて惜しくも2着。

初めて出走した「春の天皇賞」はビワハヤヒデに敗れる4着。

続く初の夏のグランプリ「宝塚記念」もビワハヤヒデに敗れて4着と、なかなか勝てないレースが続いた。


7月10日、当時夏競馬最大のビッグレースだったGⅡ「第24回高松宮杯」(中京 芝2000m※)に出走。この日はダービー馬ウイニングチケットの復帰戦ということも有り、中京競馬場としてはハイセイコーが出走した1974年に次ぐ史上2番目の観客動員数(65159人)を記録した。

1番人気は勿論ウイニングチケット。以下スターバレリーナアイルトンシンボリマーベラスクラウンと続き、ナイスネイチャは5番人気。この日、初めてメンコを外して素顔でレースに挑んだ。

逃げ馬不在のレースは終始団子状態で進み、最終コーナーでウイニングチケットが遅れる中、ネイチャは外からスパート。先行するスターバレリーナ、アイルトンシンボリと激しく叩き合い、最後は粘るスターバレリーナを振り切って先頭でゴールを駆け抜けた。

ナイスネイチャ、実に鳴尾記念以来2年7ヶ月ぶりの勝利。中京競馬場に集まった大観衆はさながらGⅠの勝者を讃えるかのように、惜しみない歓声と拍手を送った。

実況の吉村功アナはレース後「やっと勝った…という感じがしましたが、どっこいナイスネイチャは死んでませんでした」と語っている。

※高松宮杯は1996年より5月のスプリントGⅠに変更。98年より現行の3月開催「高松宮記念」となっている。


そして、これがナイスネイチャ最後の勝利となった。


3か月の休養を挟んで3度目の毎日王冠に臨むが、6着に大敗。

3度目の天皇賞(秋)は1番人気のビワハヤヒデが馬群に消える中で7着。

ジャパンカップはいいところなく8着で、騸馬マーベラスクラウンが勝利。レガシーワールドに続いて2年連続で騸馬が勝利した。


4年連続の出走となった有馬記念は、この年に三冠馬となったナリタブライアンが優勝。2着にヒシアマゾンが入るも、ナイスネイチャは5着。

3着に入ったのはライスシャワーで、ミホノブルボンの三冠・メジロマックイーンの天皇賞3連覇に続いて、ナイスネイチャの4年連続有馬記念3着を阻んだのだった。


こうして1994年は久しぶりに勝利するも、着外が増え始めてきた。(1-1-0-7)


1995年(8歳)編集

8歳となった1995年、馬主の豊蔦正雄氏が死去。それに伴い、ナイスネイチャには売却の話も出ていた。

しかし95年初戦のGⅡ京都記念ワコーチカコに惜敗の2着と好走したことで、正雄氏の息子・豊蔦泰三氏がナイスネイチャを引き継ぐことになった。


その後、産経大阪杯に向けての調整中に左前脚を骨折し、またまた長期休養で春競馬を棒に振ることに。


8ヶ月間の休養後に復帰した京都大賞典(GⅡ)は、ヒシアマゾンの8着に敗れた。

ジャパンカップでは、見せ場がまったくないまま13着と惨敗。

5年連続の出走となった有馬記念は唯一の8歳馬として出走するも9着に終わる。


1995年は世代交代の荒波に押されていったが、翌年も現役を続行することとなった。(0-1-0-3)


1996年(9歳)編集

最後のシーズンとなった1996年は中京記念(GⅢ)に出走して4着。これが最後の掲示板入り(5着以内)となった。

続くダービー卿チャレンジ(GⅢ)は10番人気の6着。京阪杯(GⅢ)は8着。


5か月の休養後、2年ぶり4度目の天皇賞(秋)で、通算40戦目となった。結果は並み居る古馬たちを押しのけて、4歳馬のバブルガムフェローが勝利。

ナイスネイチャは10着に終わった。

そして、最後の競走となるアルゼンチン共和国杯(GⅡ)はエルウェーウィン復活勝利の陰で15着に終わった。


陣営は6年連続有馬記念の出走を目指そうとするも、厩務員の馬場秀輝の意見によって出走を取り止め、この年限りで引退となった。(0-0-0-5)


引退後編集

引退後は1997年から2001年まで種牡馬として過ごす。重賞勝ち馬は輩出できなかったが、産駒のうちの一頭であるセイントネイチャーが中央で3勝を上げた。


1999年ワイド馬券が発売になると、宣伝用のマスコットとして登場。

馬券宣伝のポスターではメイン画像にある通り、「ワイド」と書かれた紙を咥えている。


種牡馬を引退した現在は、生まれ故郷である北海道の渡辺牧場で穏やかな余生を送っている。

牧場では自身の産駒であるセイントネイチャーやナイスゴールドもともに余生を送っており、どちらも軽度の蹄葉炎を患っているが、手厚いケアを受けて元気に過ごしている。

ナイスゴールドはネイチャと相性が悪くないようで、初対面でも喧嘩になること無く、むしろネイチャが気にかける様子を見せていた。

特にメテオシャワーとは仲が良く、一緒にいる姿が関係者によって確認されている。


2011年からは引退馬の支援を目的としたNPO法人「引退馬協会」のフォスターホースとなり、広報部長を務めている。同団体にはタイキシャトルメイショウドトウといったGⅠホースも籍を置いている。

2018年に競走馬としては長寿の30歳になったことを記念して、支援キャンペーンが開催された。


また引退馬達が活躍(?)するソフト競馬にも参加。2017年の「第2回 天柔賞・春」でハルウララ、2018年「第3回第二有馬記念」ではハルウララやキョウエイボーガンと一緒に元気な姿を見せた。


トウカイテイオーやヤマニンゼファー、スカーレットブーケなど同世代の仲間達が次々この世を去っていく中で、数少なくなった在命中の昭和生まれの競走馬である。

2021年1月にはマイネルダビテが死去したことで存命牡馬ではJRA重賞勝ち馬の最長寿となり(重賞勝ち馬の歴代ではマイネルダビテの36歳8か月、歴代最長寿記録はシャルロットの40歳2か月20日)、2021年8月19日に34歳のラビットボール(牝馬、GIII勝ち有)が死去したことで、重賞勝利馬としては存命長寿馬となる。『昭和生まれ最後の〇〇馬』としての記録としては「牡馬」「牡馬の重賞勝ち」「GII勝利」「GI出走」などがある。


こうして引退してからナイスネイチャはついに新たな伝説を作ったのである。ちなみに30越えの馬は人間で言えば90近いが、2023年になっても元気だったというのだからその健康っぷりは凄まじい。

更に言えば同年4月16日には35歳(人間でいうところの100歳超!)の誕生日を無事に迎えた。


ちなみに母のウラカワミユキは2017年に36歳でこの世を去った。先の長生きした馬達もそうだが、彼女も競走馬の平均年齢25歳に+10歳と長寿であり、元サラブレッド牝馬としては最高齢記録を残した馬であった。ナイスネイチャの長命も血筋によるものと思われる。


しかし、2023年の誕生日を迎えてから5月に入ったあたりで体調を崩し始める。

食が細くなり飼葉を食べることができなくなったり、発熱もし始め、牧場の関係者はビタミン剤や抗生物質などの薬品の投与や電気鍼などで献身的な介護を続けた。

熱が引き始め、食欲も戻ったかのように飼葉や人参を食べることがあったものの、やはり完全には復調せず、栄養のないクローバーなどを咀嚼するにとどまることもあったという。

何も食べられない日が続いたことで次第に体の衰えが目立ち始め、自身の馬体を支えることも難しくなっていったという。

この辺りのことはSNSの公式アカウントでも随時報告がされており、関係者達もファンも、いよいよなのだろうかと徐々に覚悟を決めつつあった。

そうして2023年5月30日、外に出たがるそぶりを見せたナイスネイチャをメテオシャワーと共に放牧地に開放する。

そこでついに限界が来てしまったナイスネイチャは疲れたように横たわった。

何度か立ちあがろうとするもその力は弱々しく、馬は横たわったままだと内臓を圧迫することもあって、苦しむ前にと関係者達による最後の決断が下された。

同日12時40分、鎮静剤と麻酔薬を投与され、牧場スタッフと晩年の友であるメテオシャワー号に看取られる形で息を引き取る。

晴れ渡る青空の下、生まれ故郷の牧場の青草の上に心地よいそよ風に吹かれる中での事だった。

薬品を投与する際も苦しむ様子などもみられず、とても静かで幸せな最期だったという。享年35歳。(旧馬齢36歳)

これにより全ての昭和生まれの競走馬がこの世を去った事になる。(目立った活躍は出来ていないがまだ長生きしている競走馬もいるにはいるが)

ここら辺の詳しいことは牧場関係者のブログにて詳しく記されている。

ファンなら一読してみてもいいかもしれない。

ちなみに長寿の重賞馬でマイネルダビテ(36歳8ヶ月27日)、シンザン(35歳3ヶ月11日)、リキエイカン(35歳2ヶ月28日)、ナイスネイチャ(35歳1ヶ月14日)と、3位とはならなかったもののそれでも没年は4位を記録した。


また、最高齢の重賞勝利馬のバトンはサクラエイコウオーへと渡されたが、そのサクラエイコウオーも同年12月30日に死去。その後エイシンサンサンに渡されるも翌年1月25日にそのエイシンサンサンも死去。同時点での存命最高齢GⅠ馬でもあったフラワーパークに渡されるも約3ヶ月後の4月6日にフラワーパークも死去。現在はタイキフォーチュンに存命最高齢重賞勝利馬およびGⅠ勝利馬の2つのバトンが渡されている。


遺体は火葬ではなく土葬され、両親やセントミサイルの墓がある近くに埋葬された。

他にも土葬されたウマ娘のモデルの馬ではマルゼンスキーナリタブライアンがいる。

なおこの墓地は渡辺牧場の私有地である山中にあり、ヒグマの出没地帯でもあるため勝手に入るのは当然禁止されている。

墓地を訪れる際は正式な手続きを踏んだ上で、許可をもらってからにするように。


ナイスネイチャと戦った馬達編集

長い競走馬生活の中で、幅広い世代の馬達と鎬を削ってきたことも、ナイスネイチャの人気を支える要因である。


太字の競走名はナイスネイチャが先着したレース

※☆はそのレースの1着馬。


3歳上(1985年生まれ)編集

ダイユウサク('91有馬記念☆)

ミスターシクレノン('91鳴尾記念)


2歳上(1986年生まれ)編集

オサイチジョージ('91有馬記念)


1歳上(1987年生まれ)編集

メジロマックイーン('91有馬記念、'93産経大阪杯☆)

メジロライアン('91有馬記念)

メジロパーマー('92天皇賞秋、'92有馬記念☆、'93阪神大賞典☆、'93有馬記念)

ダイタクヘリオス('91有馬記念、'92毎日王冠☆、'92天皇賞秋、'92マイルチャンピオンシップ☆、'92有馬記念)

プレクラスニー('91有馬記念)

レッツゴーターキン('92天皇賞秋☆、'92有馬記念'93阪神大賞典)

イクノディクタス('91小倉記念、'92毎日王冠、'92天皇賞秋'92マイルチャンピオンシップ'92有馬記念'93産経大阪杯'93毎日王冠、'93天皇賞秋)


同世代(1988年生まれ)編集

トウカイテイオー('91若駒ステークス☆、'92天皇賞秋'92有馬記念、'93有馬記念☆)

ヤマニンゼファー('92マイルチャンピオンシップ'93毎日王冠、'93天皇賞秋☆)

レオダーバン('91菊花賞☆、'92有馬記念)

イブキマイカグラ('91京都新聞杯)

シャコーグレイド('91京都新聞杯'91菊花賞'91鳴尾記念)

ツインターボ('91有馬記念'93天皇賞秋、'94AJCC、'94有馬記念)

スカーレットブーケ('92毎日王冠)


1歳下(1989年生まれ)編集

ライスシャワー('92有馬記念、'93天皇賞秋、'93ジャパンカップ'93有馬記念、'94有馬記念、'95京都記念)

サクラバクシンオー('94毎日王冠)

シンコウラブリイ('92マイルチャンピオンシップ、'93毎日王冠☆)

セキテイリュウオー('93毎日王冠、'93天皇賞秋、'94毎日王冠、'94天皇賞秋)

レガシーワールド('92有馬記念、'93ジャパンカップ☆、'93有馬記念'95京都大賞典'96京阪杯)

マチカネタンホイザ('93ジャパンカップ、'93有馬記念、'94AJCC☆、'94毎日王冠、94天皇賞春、'94天皇賞秋、'94ジャパンカップ(除外)'94有馬記念(取消)、'95ジャパンカップ)

アイルトンシンボリ('94宝塚記念、'94高松宮杯、’94有馬記念、'95京都大賞典、'95有馬記念)


2歳下(1990年生まれ)編集

ビワハヤヒデ('93有馬記念、'94天皇賞春☆、'94宝塚記念☆、'94天皇賞秋)

ウイニングチケット('93ジャパンカップ、'93有馬記念'94高松宮杯'94天皇賞秋) ※

ナリタタイシン('94天皇賞春)

ベガ('93有馬記念'94産経大阪杯'94宝塚記念)

ホクトベガ('94毎日王冠)

ネーハイシーザー('94産経大阪杯☆、'94毎日王冠☆、'94天皇賞秋☆、'94有馬記念、'96京阪杯)

エルウェーウィン('93有馬記念、'96アルゼンチン共和国杯☆、'96中京記念)

マーベラスクラウン('94ジャパンカップ☆、'95京都大賞典)

ステージチャンプ('94AJCC、'94天皇賞春'94宝塚記念'94毎日王冠'94天皇賞秋、'95京都大賞典)


※2023年2月に死去するまで存命重賞勝利牡馬としてはナイスネイチャに次ぎ、GⅠ馬としては存命最高齢であった。


3歳下(1991年生まれ)編集

ナリタブライアン('94有馬記念☆、'95ジャパンカップ、'95有馬記念)

ヒシアマゾン('94有馬記念、'95京都大賞典、'95ジャパンカップ、'95有馬記念)

チョウカイキャロル('94有馬記念'95京都記念)

タイキブリザード('95ジャパンカップ、'95有馬記念)

サクラローレル('96天皇賞秋)

ビコーペガサス('96ダービー卿チャレンジ)


4歳下(1992年生まれ)編集

マヤノトップガン('95有馬記念☆、'96天皇賞秋)

マーベラスサンデー('96天皇賞秋)


5歳下(1993年生まれ)編集

バブルガムフェロー('96天皇賞秋☆)


その他編集

  • 「20世紀の名馬ランキング」にはGⅠ未勝利ながら第71位にランクイン。GⅠ未勝利馬では他に第91位のツインターボがいる。(ステイゴールドはランキング発表後の2001年に香港ヴァーズ(GⅠ)を勝利した。)
  • テレビ朝日の人気番組「さんまのナンでもダービー」では、ナイスネイチャンという名前のポニーが登場していた。ちなみに1995年なので、ナイスネイチャはまだ現役だった。
  • 大甥にライスネイチャがいる。

関連タグ編集

競馬 競走馬 91世代


ステイゴールド:シルバーコレクターとして有名。


同一重賞3年連続惜敗の仲間たち

ヤマニンフォックス……GⅢ「愛知杯」で同一重賞3年連続2着(1993-1995年) 同期

ナリタトップロード……GⅠ「天皇賞(春)」で同一GⅠ3年連続3着(2000-2002年)

ワンダーアキュート……GⅠ「ジャパンカップダート」で同一GⅠ3年連続2着(2011-2013年)

クロコスミア……GⅠ「エリザベス女王杯」で同一GⅠ3年連続2着(2017-2019年)

ディープボンド……GⅠ「天皇賞(春)」で同一GⅠ3年連続2着(2021-2023年)

ロサード……GⅢ「北九州記念」で同一重賞3年連続2着(2000-2002年)

ゴーカイ……J・GⅠ「中山大障害」で同一GⅠ3年連続2着(1999-2001年)


吉良吉影:あらゆる競争でも3位に甘んじていたことで有名なキャラ。しかし、こちらは目立ちたくない、かと言って無能とも思われたくないという理由でわざと3位を狙っていた。

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