曖昧さ回避
当競走馬をモチーフとした『ウマ娘プリティーダービー』のキャラクターについては、メジロライアン(ウマ娘)を参照。
競走馬メジロライアン号
本当の強さは、誰も知らない。
皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞3着……。
4歳クラシックは、いつもあと一歩のところで勝利に届かなかった。
しかし、ゴール前必ず追い込んでくる豪脚に、ファンの期待はさらに膨らみ続けた。
そして迎えた5歳の春、宝塚記念で強敵メジロマックイーンを倒し、
ファンの熱い声援に応えるとともに念願のGⅠタイトルを手中にする。
それは大器晩成を実証する第一章に過ぎないはずであったが、しかし、慢性の脚部不安のため、
メジロライアンはそれ以降ついに完成された真の実力をみせることなくターフを去る。
そして、底知れぬ強さを予見させた未完の大器として、
記録よりも記憶に残るヒーローとなった。
- ヒーロー列伝No.33
プロフィール
生年月日 | 1987年4月11日 |
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死没 | 2016年3月17日 |
英字表記 | Mejiro Ryan |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | アンバーシャダイ |
母 | メジロチエイサー |
母の父 | メジロサンマン |
5代内のインブリード | Lady Angela5×4(父内)/Bull Lea5×5(父内)/Nearco5×5/Hyperion5×5×5 |
競走成績 | 19戦7勝 |
管理調教師 | 奥平真治 |
生産・馬主 | メジロ牧場 |
概要
名前の由来は冠名のメジロとメジャーリーガーのノーラン・ライアンから。
1989年デビュー、8戦目で弥生賞を制覇しクラシックの有力馬に浮上。
しかし皐月賞はハクタイセイの3着・日本ダービーはアイネスフウジンの2着・菊花賞はメジロマックイーンの3着といずれも勝てず、有馬記念もオグリキャップの2着・春の天皇賞でも4着とシルバーコレクター・ブロンズコレクターに成り掛けていたが、宝塚記念において鞍上の一皮剥けた騎乗ぶりでメジロマックイーンを破り遂にGⅠ初制覇。
種牡馬になった当初は「内国産の2代目は大成しない」という通説や不景気などによりシンジケートを組んでもなかなか埋まらなかった。しかしメジロドーベル、メジロブライトなどを輩出し、1990年代前半までの父内国産種牡馬で殆ど唯一と言ってもいい大活躍を見せた。
2016年3月、老衰のため29歳で永眠。晩年はメジロ牧場で功労馬として繋養された他、メジロ牧場の閉鎖後も設備を引き継いだレイクヴィラファームで繋養されていた。
遺骨は横山騎手の資金提供によってレイクヴィラファーム内に建立された墓に納められている。
その後、強大なライバルを破り悲願のGI初制覇というドラマはメイショウドトウに引き継がれ、いつもは追い込むあの馬があっと驚く先行策で悲願のGI初制覇というドラマはハーツクライに引き継がれていった。
余談
- メジロ牧場の同期のメジロマックイーンとは1勝3敗だった。
- ホクトベガと共に横山典弘騎手に多大な影響を与えた馬の1頭。メジロライアンを任される事となった横山はあまりにも良い馬だったため「3つ(三冠)全部行ける」と発言したが、フラグになってしまった。
- 横山は若手人気騎手ながら問題児としても知られていたが、自身の騎乗ミスなどもありメジロライアンの実力を十分発揮させる事が出来なかったことを悔い、素行を改めた。
- 2007年・2008年・2010年の3度、函館競馬場に来場しキャンターを披露した。
- 競馬評論家の大川慶次郎氏はメジロライアンを特に気に入っており、父・アンバーシャダイが有していなかった立派な体格を持つライアンを「アンバーシャダイの理想型」と見ていた。更に闘病中気分が落ち込んでいたところをライアンが弥生賞に勝った光景を見たことで落ち込みから回復したというエピソードが残る。また、産駒のメジロブライト、メジロドーベルも応援していた(大川氏の記事も参照のこと)。
- 好物は大根。