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ターフを揺るがす、“怒涛”の力。

五度のGI。いつもすぐ前に唯一頭、あの宿敵がいた。

始まりから一年、舞台は初めて脚を交えた地、宝塚。

一段と逞しくなった心と体。滾る気迫。充実を迎えた挑戦者は、

堂々と、力強く、栄光のゴールを駆け抜けた。

メイショウドトウ、GIホースの栄光を携えて。

その雄大なうねりは、さらに力を増してターフを揺るがせる。


いつか振り返れば

やれることはやった

その積み重ねを

振り返るのはよそう

不運を嘆きたくなるから


だが今度も同じだ

やれることをやるだけだ


誰よりも先んじて

後ろに従う者の姿を

振り返りたくなる

そんな日が来ると信じて


誘導

ウマ娘の方に関しては、こちら。→メイショウドトウ(ウマ娘)


データ

生年月日1996年3月25日
英字表記Meisho Doto
性別牡→セン
毛色鹿毛
ビッグストーン
プリンセスリーマ
母の父アファームド
5代内のインブリードNorthern Dancer4×4
競走成績27戦10勝
生涯獲得賞金9億2133万4000円
没年存命中(馬齢27)

“世紀末覇王”テイエムオペラオーの最大のライバルとして鎬を削った、99世代トップクラスの名馬。

アイルランド生まれの外国産馬で、鹿毛の馬体に額から鼻筋に真っすぐ伸びた大流星が特徴。

鼻がピンク色だが、これは毛の色ではなく素肌、鼻先だけ毛が薄い上炎症を起こしてしまう体質な様で痒がって柵などを使って掻いている(この際鼻がブニブニと変形する愛らしい様子も人気)


デビュー前

1996年3月25日、アイルランドに生まれる。

父・ビッグストーンは名マイラーながら種牡馬としてはパッとせず、母・プリンセスリーマも出走経験なしだったこともあって、セールでの取引価格は500万円という安さだった。

母父がナリタトップロードと同じアファームドというのは、なにか運命的なものを感じざるを得ない。


馬主は冠名「メイショウ」の松本好雄氏。ドトウは来日後、北海道浦河町の日進牧場で育成された後、安田伊佐夫厩舎に所属。価格の安さもあって、あまり期待はされていなかったという。


新馬~旧4歳(現3歳)

3歳(現2歳>時にはデビューが間に合わず、年が明けた1999年1月6日の京都競馬場、4歳新馬戦(ダート1800m)でデビュー。騎手は安田調教師の息子・安田康彦(ヤスヤス)で、2着。以降しばらくダート路線を走り、中1週の16日、同レースで初勝利。4戦目のかいどう賞(500万下)で2勝目。

同世代のテイエムオペラオーアドマイヤベガナリタトップロードらがクラシック戦線で激しい戦いを繰り広げる中、ドトウはマル外のためクラシック戦線には絡めなかった…どころかデビューが遅かったためNHKマイルカップにもでられない有り様。5戦目でダートのオープン戦に格上挑戦するも8着惨敗。

6戦目から芝に転向すると成績は徐々に上向きはじめ、7戦目4着、8戦目2着、そして9~10戦目を連勝してオープン入りする。4歳最後のレースとなった11戦目は、芝のオープン初挑戦で1番人気となったものの、11着と惨敗した。

古馬時代

2000年の初戦は初の重賞挑戦となるGⅡ日経新春杯。前走の大敗の影響もあってか鞍上は武幸四郎にかわり、ドトウはゴール近くでマーベラスタイマーに差されたものの2着と好走。ヤスヤスに屋根を戻した次走のGⅢ中京記念では軽ハンデ54kgということもあって、2位に3馬身差をつける圧勝で重賞初制覇を果たした。


次走の日経賞は3位、オープン特別の勝利を挟んで挑んだGⅡ金鯱賞では、この後の天皇賞(春)でオペ、トプロと並んで3強と称されたラスカルスズカ、菊花賞馬マチカネフクキタルらを強い競馬で破り、重賞2勝目。


上り調子のメイショウドトウ、次はいよいよGⅠ初挑戦と、宝塚記念にエントリー。この後、競馬ファンの誰もがメイショウドトウの名前と強さを知ることになる。そして同時に、ドトウと安田騎手の長い苦悩も始まった。

オペラオーが倒せない

やっとのことでたどり着いたGⅠレースの舞台。ヤスヤスが騎乗停止のため河内洋を鞍上に迎えたドトウは最後の直線、上がり2位タイの末脚でコース中央を突っ切ってハナに立つが、ゴールを目前にして上がり最速で突っ込んできたテイエムオペラオーと激しい叩き合いの末にクビ差でかわされ、2着に終わった。とはいえあのグラスワンダーに先着し、初GⅠで初連対と、上出来といえば上出来ではあった。


秋の天皇賞に向けたステップレース・GⅡオールカマーは鞍上を的場均に替え、1番人気に応えて危なげなく勝利。


そして本番の秋天。再び的場とのコンビで挑んだドトウだったが、「一番人気は秋の天皇賞で勝てない」と言うジンクスすらぶち破ったオペラオーに2馬身半をつけられ、またも2位。


続くジャパンカップでは鞍上をヤスヤスに戻し、最後の直線でランフランコ・デットーリ騎乗のファンタスティックライトをハナ差抑えて先着する快走を見せつけたが、叩き合いとなったオペラオーに僅か届かなかった。ほんの僅かな、それでいて絶望的なまでのクビ差がそこにあった


秋古馬最終戦の有馬記念では、レース開始直後から好位置につけるドトウに対し、オペラオーは馬込みに囲まれ、完全に身動きが取れなくなった。最後の直線、外から上がり3位の36.5秒の脚を見せつけて差し切り、こんどこそ完全に勝ったはずのドトウだったが…ゴール版を通過するその瞬間、あの馬込みのどこの隙間を走ったらそんなタイムになるのか、キングヘイローに次ぐ上がり2位36.4秒の豪脚ですっ飛んできたオペラオーが鼻先をにゅっと突き出し、1位をかっさらって秋古馬三冠、古馬王道完全制覇、年間無敗の全てを達成してしまった。


2000年を振り返ればGⅠは4連続2着、ちぎられたのは秋天だけで、あとはクビ差2回にハナ差1回。

本格化した4月以降、テイエムオペラオー以外に前を譲っていない。オペラオーさえいなければ…


明けて新馬齢表記が適用となる2001年は日経賞で始動し、余裕の勝利。


一方でオペラオーはといえば、産経大阪杯であっさり4着に敗れていた。こうした中で迎えた春の天皇賞は、雪辱を果たす絶好の機会。長距離レースは初めてだったが、最後の直線で猛加速して菊花賞馬のナリタトップロードをかわした。しかし、その前を行くオペラオーには僅か半馬身届かず2位。史上初の天皇賞3連覇の偉業を達成したオペラオーに対し、ドトウは00年宝塚記念から連続して全古馬王道連続2位、という“異”業を達成してしまった。

再び宝塚記念、そして…

オペラオーがどうしても倒せず、すっかりシルバーコレクターに成り掛けていたメイショウドトウ。しかし、1年ぶりの宝塚記念で、ついにその日はやってきた。オペラオーが不利を受けて出遅れる中、ドトウは最終コーナーで先頭に立つとそのまま上がり2位のタイムで一気にゴールへと猛進。オペラオーは上がり最速の足で猛追するも届かず、ドトウは悲願のGI初制覇、そしてテイエムオペラオー撃破を達成した。


GI初連対から1年かけての逆転劇。そして、この勝利は松本好雄氏にとっても、馬主生活28年目にして念願の初GÌ勝利だった。


しかし、これがメイショウドトウ最後の勝利となった。秋の天皇賞ではアグネスデジタルがオペラオーを破り、ドトウは3着と約1年半ぶりに連対を外してしまう。更にジャパンカップでは5着に終わる。

ラストランとなった有馬記念では4着。だが、同じくラストランとなったオペラオーは5着で、オペラオーに対して2度目の先着を果たした。


2002年1月13日、ライバルのテイエムオペラオーと合同の引退式が京都競馬場で行われた。安田康彦騎手は最後に「競馬を教えてもらいました。あんまり役に立てなかったみたいですけど、その辺がちょっと残念です。これから良い子供出してほしいですね」と語った。

合同引退式の開催はモンテプリンスシービークロス以来、19年ぶりだった。


生涯成績、27戦10勝(重賞5勝、GⅠ1勝)。生涯獲得賞金は9億2133万4000円で、幼駒時代の自身の価格の約180倍を稼ぎ出した。

テイエムオペラオーとの直接対戦成績、2勝7敗。オペラオーとのワンツーフィニッシュ、連続6回。


00年4月29日から01年6月24日まで1年以上に渡り、オペラオー以外全ての馬をねじ伏せ続けた。その中にはグラスワンダーファンタスティックライトナリタトップロードと言った錚々たる名馬も含まれており、オペラオーさえいなければ、間違いなく歴史的名馬として競馬史に名を刻んでいただろう。


引退後の馬生

引退後、イーストスタッドで種牡馬となるが、残念ながら活躍馬は少なかった。なお、種付けが大好きで種付けの際には別馬のように豹変したという。特に牝馬の好みはなく、牝馬なら誰でもウェルカムとのこと。多くの新種牡馬が直面する疲労蓄積や食欲減退とも無縁であり、種付けも早く終わることからスタッフとしては理想的な種牡馬だったという。また、種牡馬時代はボス馬気質になっており、スタッフからは「人間には従順、他馬には厳しいという、ボスとしての資質を備えている」と評された。

2017年、NPO法人「引退馬協会」に譲渡され、フォスターホースとなる。翌2018年に「功労馬繋養展示事業」の助成対象となってからはヴェルサイユファームへ移り、その後2021年6月にタイキシャトルと共にノーザンレイクに引っ越し。現在(2023年10月現在)も引退馬協会の顔として余生を過ごしている。


とてもおっとりとした人懐っこい性格で、カメラを向けると駆け寄ってくるためドトウが映る写真は基本ドアップである。

同居仲間のタイキシャトルとも仲良しで、ヴェルサイユファーム時代はヤギ達とも同じ放牧地で昼間過ごしていたが、仔ヤギが脚元をちょろちょろしても邪険にすることなく接していた。馬房に野生のエゾタヌキが入り込んできた際も、特に気にすることもなく、しばらく住まわせていたという。


また、ノーザンレイクファームの牧場猫・メトにも興味をしめしており、初めは近づこうとする度に逃げられたりと警戒されていたが、徐々に馬房の柵に乗ったりと警戒心は薄れていったようで、最近になってついに背中に乗られるほどまでになった。メトからはだいぶ親しまれてるらしく尻で爪とぎされたりされている。


いっぽう、タイキシャトル存命のころ撮られた動画では、おやつタイム終了を諦めきれず粘る一面も。→おしまいでーす

ほかにも、放牧地でタイキシャトルと共用のエサの入ったバケツを独占したり、ヤギのおやつをちょろまかそうとしていた説が出たりと、食いしん坊な一面があるようだ。

一方ブドウはお気に召さなかった模様で、一口食べたら後は要らないとばかりに拒否していたとのこと。→外部リンク

ちなみに相方のタイキシャトルは普通に食べていた様子。


去勢されたものの、牝馬好きなのは相変わらずであり、隣の放牧地に牝馬が入ったことで興奮し、牧柵を蹴ってしまい、怪我をしたこともあった。


ちなみに今でも『オペラオー』という名前を聞くと拗ねてお尻を向けてしまうらしい。

現役時代にいつもいつも自分の前を走っていた栗毛のあんちきしょうとは合同引退式では特に仲は悪くなく、種牡馬時代に同じ牧場で生活していた時期はお互いに無関心だったので、本人(馬)の名前がオペラオーとは気付いてなかったのかもしれない。

こうした諸要素から鑑みると、ドトウ的には「テイエムオペラオー=いろんなGIレースで自分が後塵を拝していたあの栗毛の馬」という紐づけ認識ができていたわけではなく、「自分のところへやってきた人間が『オペラオー』/『テイエムオペラオー』という言葉を口に出して悔しそうな、辛そうな顔をする」のを何度も見続けてしまったせいか、「『オペラオー』/『テイエムオペラオー』=自分のところへ来た人間さんが悲しい気持ちになってしまう嫌なフレーズ」という認識なのではないか…とも考察されている。

また、2023年にテイエムオペラオーの主戦であった和田竜二騎手がドトウに会いに行ったのだが、温厚なドトウが珍しく耳を伏せて威嚇した上、腕を軽く噛むという行動を見せたため、「もしかしたら『オペラオー』=『和田竜二』と思っているのでは…?」「『いつも前にいた栗毛くんをビシバシ叩いていた悪い奴』と思われているのでは…?」という話も出ている。

とはいえ、差し出されたニンジンはきっちり食べる辺りはドトウらしいというかなんというか…

その一方で和田騎手の方はドトウとの再会を心から喜び、既に馬としてはかなり高齢となっているにもかかわらず現在のドトウの姿と目を見て「本当に生命力に溢れています」と感心し、安心していた様子だった。また、自分に背を向けるドトウの姿を見ながらかつてレースでオペラオーと共に競っていた頃を思い返して「僕がずっと競馬で見てきた位置」「このアングルが懐かしい感じ」と、当時を懐かしみながらもどこかしんみりと語っていた。


テイエムオペラオーが2018年に天国へと旅立ってしまった為、長寿レースではドトウが勝利、といったところか。

引退後長らく相方であったタイキシャトルも2022年にこの世を去ったが、多くの人と動物に愛されながらメイショウドトウは幸せな余生を送っている。


関連タグ

競走馬

テイエムオペラオー …こいつさえいなければ!

ナリタトップロード ラスカルスズカ …オペラオー被害者の会

ナイスネイチャ タイキシャトル タイキフォーチュン …引退馬協会のフォスターホース仲間

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