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概要編集

モンテプリンス(1977年4月1日~2002年8月29日)


1980年代にJRAで活躍した競走馬

父:シーホーク 母:モンテオーカン(母父:ヒンドスタン)。


道悪を苦手とし、通算24戦7勝に対して2着7回と惜敗が多く、「シルバーコレクターが悲願の八大競走初制覇」というドラマの先駆けとなった。

主戦を務めた吉永正人騎手のミスターシービー以前の代表的騎乗馬。


ヒーロー列伝編集

太陽の帝王

惜敗のたびにお前は強くなった。

 ヒーロー列伝No.9


略歴編集

1977年

4月1日、杵臼斉藤牧場(浦河町)で誕生。毛利喜八が馬主となる。毛利は銀座の高級キャバレー「モンテカルロ」の経営者として知られていた。


1979年

松山吉三郎厩舎に入厩する。

8月26日、函館競馬場の新馬戦(芝1000m)で竹原啓二騎手を鞍上にデビューし2着。

9月16日、函館競馬場の新馬戦(芝1000m)で2着。

11月3日、吉永正人騎手に乗り替わり、東京競馬場の未勝利戦(芝1400m)で初勝利を挙げる。

12月16日、葉牡丹賞(400万下)で1着。


1980年

2月10日、東京4歳ステークスに出走するが発熱明けで体調が戻っておらず、6着。

3月2日、弥生賞(重)で4着。

3月23日、スプリングステークス(不良)で3着。

4月13日、皐月賞ハワイアンイメージの4着。豪雨に見舞われた中山競馬場は泥田のような不良馬場であった。

5月4日、ダービー・トライアルのNHK杯では2着に7馬身差を付けて1着。

5月25日、東京優駿オペックホースにクビ差の2着。秋まで休養に入る。

9月28日、セントライト記念で1着。

10月19日、京都新聞杯(不良)で5着。

11月9日、菊花賞ノースガストに首差の2着。クラシック・シーズンを無冠で終えた。


1981年

4月5日、中山競馬場のオープン戦(ダート1800m、稍重)で2着。血行障害で秋まで休養。

10月4日、毎日王冠で復帰。暴走するハギノトップレディを追ってしまい10着に沈んだ。

10月25日、天皇賞(秋)に出走し、ホウヨウボーイマッチレースの末、ハナ差の2着。

11月22日、第1回となるジャパンカップに出走。日本馬最高の2番人気に支持されたが、外国馬が1~4着を占め、7着に敗れる。

12月20日、有馬記念アンバーシャダイの3着。この年は未勝利に終わった。


1982年

2月7日、東京新聞杯エイティトウショウにハナ差競い勝ち、1着。1年4ヶ月ぶりの勝利を挙げる。

3月14日、中山記念(稍重)でエイティトウショウにハナ差の2着。

4月29日、天皇賞(春)では中団待機からの差しでレコード勝ち。悲願の八大競走初勝利となる。

6月6日、宝塚記念で1着。レース後、繋靭帯炎を発症。秋まで休養となる。

12月26日、ファン投票1位に推され、有馬記念(重)で復帰し11着。このレースを以て引退。年度代表馬候補になっていたが、特別賞の「ドリーム賞」が与えられた(年度代表馬はヒカリデユール)。


引退後編集

1983年1月16日、“白い稲妻”ことシービークロスとの合同引退式が行われた。複数頭での合同引退式は異例。日高農協静内種馬場で種牡馬となる。グレートモンテサークルショウワなどを輩出。


1994年、産駒の成績不振のため廃用寸前になるが、東京大学農学部付属牧場(茨城県笠間市)に移動し研究用種牡馬となる。

種牡馬引退後は西山徳治郎牧場(茨城県稲敷市)に引き取られて余生を過ごした。


2002年8月29日、蹄葉炎により死去。


異名編集

太陽の王子編集

蹄の形から重馬場や不良馬場を苦手する一方、晴れの良馬場なら快走を見せることから、馬名に引っ掛けて「太陽の王子」というニックネームで呼ばれた。

無冠の帝王編集

八大競走では善戦するものの、中々勝ちきることができなかったことから「無冠の帝王」というありがたくない異名を頂戴した。


しかし1981年の天皇賞(春)でとうとう無冠を返上。

(52:36あたりから)


関西テレビ・杉本清アナは“無冠の貴公子”と呼ばれたタイテエムの春天制覇時の実況を引用し、

ようやく!“無冠の貴公子”に春が訪れてから9年目!“無冠のプリンス”にも春が訪れました!

と実況している。


関連タグ編集

競走馬 80世代


ホウヨウボーイ……2つ上のライバル。

タイテエム……「無冠返上」の先輩馬。

テイエムオペラオーメイショウドトウ……モンテプリンスの19年後に合同引退式を行った。

ウィナーズサークルヒシアケボノダンツシアトル…モンテプリンスと同じく引退後東京大学農学部付属牧場に入厩していた時期のある後輩G1馬達。


日本総大将……ジャパンカップの初代日本総大将だった。

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