概要
父:ファーザーズイメージ、母:ハワイアンドーン、母父:カウアイキング。
半姉にスプリンターズステークスを連覇したメイワキミコ(父:ギャラントマン)、半妹にカブトヤマ記念優勝馬プロメイド(父:マルゼンスキー)がいる。
1979年から1984年まで現役生活を送り、570kgの巨体と重馬場を苦にしないパワーから「重戦車」と呼ばれた。
主な勝鞍は皐月賞(1980年)、ラジオたんぱ賞(1980年)、福島記念(1980年)。
生涯成績:39戦11勝 獲得賞金:2億1544万9500円
略歴
1977年5月22日、新冠町(北海道)の明和牧場で誕生。幼駒の頃から雄大な馬体を誇った。
1979年、鈴木勝太郎厩舎(美浦)に入厩。増沢末夫騎手が主戦となる。12月5日、中山競馬場の新馬戦でデビューし12着。12月15日、2戦目で初勝利。
1980年の春は(ハワイアンイメージにとって)天候に恵まれ、弥生賞(重馬場)3着、スプリングステークス(不良馬場)2着と賞金を稼ぐ。
4月13日、皐月賞に出走。豪雨に見舞われた中山競馬場は泥田のような不良馬場で、オペックホースとのマッチレースの末、クビ差で1着。
5月25日、皐月賞で得た出走権で東京優駿に出走するが14着と大敗。その後はクラシック馬にもかかわらず、福島競馬場へドサ回りに出かける。
6月22日、「増沢の庭」と呼ばれる福島競馬場でラジオたんぱ賞に出走し1着。
11月9日、夏の休養を経て菊花賞と同日に福島競馬場で行われる福島民友カップに出走し1着。
11月22日、福島競馬場で福島記念に出走し1着。
12月20日、ファン投票で選ばれ、有馬記念に出走し7着。
1981年5月23日、東京競馬場でニュージーランドトロフィーに出走し7着。その後は福島競馬場へドサ回りに出かける。
6月24日、福島競馬場の地方競馬招待に出走し1着。
12月20日、ファン投票で選ばれ、有馬記念に出走し12着。
1982年1月31日、東京競馬場でダートのオープン戦(1700m)に出走し1着。
1983年2月13日、東京競馬場でアメジストステークスに出走し1着。
1984年2月5日、東京競馬場で東京新聞杯に出走し15着。
2月18日、東京競馬場でフェブラリーハンディキャップに出走し7着。引退が決まる。
3月4日、中山競馬場で引退式が行われた。引退後は明和牧場に帰り種牡馬となる。
1990年10月14日、転倒して右後脚大腿骨を骨折。安楽死の措置が取られた。