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増沢末夫

ますざわすえお

JRAに所属した騎手。ベテランとなってからの顕著な活躍から「鉄人」と呼ばれた。
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概要編集

本名:増澤末夫(1937年10月20日~)


日本中央競馬会JRA)に所属した騎手調教師

美浦トレーニングセンター所属。


騎手時代は加賀武見武邦彦をライバルとしていた。

道中で巧くペースを落としての逃げ切りを得意とし、671勝を挙げた福島競馬場は「増沢の庭」と呼ばれた。

ベテランとなってからの顕著な活躍から「鉄人」と呼ばれ、44歳で初のリーディングジョッキーを獲得し、50代で年間100勝を達成した。


騎手成績編集

通算成績:12780戦2016勝

GⅠ級:8勝


調教師成績編集

通算成績:3165戦279勝

GⅠ級:1勝


来歴編集

1937年、10月20日に北海道大野村(現在は北斗市)に誕生。幼い頃から農耕馬の世話をして過ごした。

1953年、中学校を卒業し、鈴木勝太郎厩舎東京競馬場)で騎手見習いとなる。

1955年、馬事公苑世田谷区)で第5期騎手養成長期課程を受講。同期には森安重勝矢野進古賀一隆などがいた。


1957年、騎手養成長期課程を卒業し、騎手免許を取得(武平三厩舎の騎手見習だった武邦彦もこの年、試験に合格)。3月10日に騎手デビューし、7月14日に初勝利を挙げた。

1967年、アサデンコウに騎乗して東京優駿(GⅠ)で1着となり、重賞初勝利。以降は関東のトップジョッキーの一人となった。

1973年、大井競馬場から中央に移籍したきたハイセイコーの主戦騎手を務めた。

1975年、増沢の歌う『さらばハイセイコー』(ポリドール)が大ヒット。

1977年、74勝を挙げ、40歳で初の関東リーディングジョッキーとなる。

1981年、96勝を挙げ、44歳で初の全国リーディングジョッキーとなる。

1982年、104勝を挙げ、初の年間100勝を達成。

1984年、通算1340勝を達成し、中央競馬最多勝記録(当時)を更新。

1986年、ダイナガリバーに騎乗して東京優駿で1着となり、史上最年長のダービージョッキー(当時)となり、同年末には通算1万回騎乗を達成。

1991年、鈴木勝太郎が引退したため、息子の鈴木康弘の厩舎に転厩。通算2000勝を達成した。

1992年、2月23日に騎手を引退。調教師免許を取得。


1993年、美浦トレーニングセンターで厩舎を開業。

2005年、管理馬ストロングブラッドかしわ記念(交流GⅠ)で1着。

2008年、2月29日付けで定年により調教師を引退。


関連タグ編集

騎手 JRA ハイセイコー

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