ヒカリデユール
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ひかりでゅーる
日本の競走馬・種牡馬。名前は「ヒカリデュール」と読むが、馬名登録当時、拗音(ャ、ュ、ョ)や促音(ッ)を使用することが出来なかったため、登録上の表記はヒカリデユールとなる。
栄光の数よりも、
栄光への道のりが、人生を語る。
母方の血統を辿っていくと、5代前の先祖にオーストラリアから輸入されたバウアーストックに辿り着くが、同馬は輸入時点で血統書がなかったため「多分サラブレッド」という推測を元に、サラブレッド系種(サラ系)として登録された。そのため、バウアーストックの子孫は全てサラ系として登録されている。(なおバウアーストックは後年の研究でサラブレッドでほぼ間違いないということが判明している。もっと早くこの事実が分かっていたら…。)
ヒカリデユールもその1頭で、大井競馬場でデビュー後、短期間で出走回数と賞金を積み重ね、後に公営愛知へと移籍。地方競馬では珍しい芝の重賞競走である東海桜花賞で勝利。これまでの戦績を引っ提げて中央競馬へと参戦する。
中央競馬へと移籍したのは1982年のこと。朝日チャレンジカップを中央の初戦とし、最高峰から差し切り勝ちし、移籍初戦で重賞制覇を果たした。次走の天皇賞・秋ではメジロティターンの2着となって敗れた。
中央3戦目となった第2回ジャパンカップは強豪揃いの外国馬を前に日本馬は出走回避が相次ぎ、15頭中5頭しか日本馬が居なかった。ヒカリデユールは同レースで優勝したハーフアイストから0.3秒差の5着。日本馬としては最高順位となった。
年末の有馬記念ではスタート直後に他馬に挟まれ、鞍上の河内洋も勝利を諦めかけたが、最後の直線で一気に追い込み始め、アンバーシャダイをゴール直前でアタマ差かわして優勝した。
83年も現役を続行し、平場オープン戦を3着、大阪杯で1着後、春の天皇賞へと出走。しかし2周目の向正面手前で故障を発生し、予後不良は回避したものの競走能力喪失と判断され、現役を引退した。
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