経歴
1956年に騎手見習いとなり、1959年3月橋田俊三厩舎よりデビュー。翌月に京都で初勝利を上げる。
2年目は障害競走にも騎乗し、障害3勝・平地3勝を上げる。11月の秋の京都大障害で重賞初騎乗を果たす(6頭立ての5着)
3年目は22勝を上げ、桜花賞でクインハクビに騎乗して出走したことでGI級レース・八大競走初騎乗を果たす。同年の阪神大賞典ではモトイチに騎乗し、重賞初制覇を上げた。
1974年に騎手を引退。調教師に転向し、1976年3月に厩舎を開業する。初出走は同月の阪神第9レース淡路特別・カレントビクトリー、初勝利は翌4月の京都第6レース淀障害ステークス・ファンドリナイロ。77年にはファンドリナイロが春の京都大障害を制し、開業2年目で重賞初制覇を達成した。
2011年2月28日を以て定年のために調教師を引退。
親族
息子は元騎手・調教師の須貝尚介、弟は元騎手・元評論家の須貝四郎。なお四郎は1994年7月に45歳の若さで此の世を去っている。
エピソード
タイテエムの天皇賞
騎手時代にタイテエムで天皇賞(春)を制覇している。これは息子の須貝尚介氏に影響を与え、調教師の道に進んだ須貝尚介氏は1番勝ちたいレースとして天皇賞制覇を目指すことになる。そして厩舎開業3年目にやって来たジャスタウェイが天皇賞(秋)を、ゴールドシップが天皇賞(春)をそれぞれ勝利し、騎手と調教師、立場は異なるが親子二代での天皇賞制覇を達成する。
フランス遠征での災難
ゴールドシップとジャスタウェイの調教師として凱旋門賞に挑む息子の雄姿を見届けるべく、2014年10月、初めてフランスを訪問。しかし、3日にパリに到着するなり、財布をスられるという災難に遭った。「25万なくなってしまった」とのこと…
関連タグ
須貝尚介:息子
タイテエム:騎手として騎乗
ポイントフラッグ:調教師としての管理馬