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タイテエム

たいてえむ

1970年代に活躍した日本の競走馬。1972年「最強世代」と言われた中心角の一頭だった。
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いつの日か、いつの日か、タイトルを。

この祈りにも似た叫びをどれほど繰り返しお前に投げかけたことだろう。

クラシックに勝つことはなかった。悲運の名馬という形容さえもらった。


だがタイテエム、お前は信じ続けてくれた。

どんな哀しみも、やがては歓びに変わる瞬間があることを。

そして、忘れもしない昭和48年。

“四白流星、無冠の貴公子に春が訪れます”


あの天皇賞1着こそはタイテエム、

私達の悲願のゴールインでもあったのだ。


概要編集

タイテエムとは、日本産の競走馬。


持込馬ではあるものの、クラシック5大競走及び天皇賞への出走規制が敷かれる直前の母馬輸入・出産であったため、クラシック・天皇賞へ出走することが出来ている。

四白流星(四肢の先が白く、顔に流星が入る)の毛色と、その血統の良さから「貴公子」と呼ばれた優駿である。


プロフィール編集

名前タイテエム
欧字表記Tai Tehm
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
誕生日1969年4月14日
死没日1994年10月23日(享年25)
セントクレスピン
テーシルダ
母の父ヴェンチア
5代内のインブリードNeocracy2×4/Pharos4×5
産地北海道浦河町
管理調教師橋田俊三(栗東)
生産地出口留雄
馬主(有)名鯛興業

経歴編集

デビュー前編集

1969年4月14日。北海道浦河町において、四肢の足先が白く染まった四白流星の華やかな馬体の仔馬が誕生した。


父は1959年の凱旋門賞覇者セントクレスピン

母であるテーシルダはイギリスで交配され、後にタイテエムとなる仔を受胎した状態で日本にやってきた。

そのため、タイテエムはのちの時代のエイシンフラッシュなどと同じ持込馬となる。

母父は、イギリスでセントジェームズパレスステークスなどを制したヴェンチア。父、母父ともに申し分ない良血馬だった。


タイテエムが誕生した頃の競馬界には、あるジンクスがあった。

「見かけの派手な馬は大成しない」

というものである。

前述の通り、タイテエムは四白流星の派手な馬体だったためになかなか買い手がつかず、牧場に訪れた関西調教師界の大御所、武田文吾も敬遠するような状態だった。

その後、武田と入れ替わりでやってきた橋田俊三調教師(サイレンススズカ等の調教師・橋田満の父)に見いだされ、買い手が見つかることになる。


デビュー~2歳編集

栗東の橋田俊三厩舎に入厩し、1971年10月に鞍上へ楠孝志を迎えてデビュー。単勝1番人気に推されるも8着と惨敗。

初年は3戦1勝で休養入りし、鍼治療の施術を受けることになった。


3歳時編集

1972年は鍼治療の効果もあってか調子が好転し、弱かった腰も良好な具合に仕上がっていた。

楠に代わって須貝四郎(ゴールドシップ等の調教師、須貝尚介の叔父)を鞍上に向かえると、休養明けにさわらび賞やまぶき賞を制し、早速2連勝。

当時は馬インフルエンザ流行の関係で春の競走スケジュールに遅れが生じており、クラシックへの出走を見越して東上。スプリングステークスでは阪神3歳ステークスヒデハヤテを破って一躍クラシック有力候補となる。

皐月賞編集

そして迎えた皐月賞

レースにはタイテエムのほかに、当時無敗で「重戦車」の異名を持つロングエースも出走登録を行っており、タイテエムとロングエースの一騎打ちが期待されていた。

ゲートが開くと、タイテエムは中団付近を追走し、大外に持ち出して直線で先頭に立つが、背後から吸収してきたランドプリンスに差されたのち、後退して掲示板外に敗北。

勝馬は野武士と称されたランドプリンスであった。

日本ダービー編集

続く東京優駿(この年は前述の馬インフルエンザの影響で7月に行われたことから、七夕ダービーと呼ばれた。)では、タイテエム、ロングエース、ランドプリンスの関西三強+皐月賞2着の関東のエース格であったイシノヒカルが集結。

錚々たる面々が東京競馬場にそろうこととなった。

いざ迎えたレースでは逃げるスガノホマレを前に皆がら好位につけ、4コーナーで外からまくって直線で先頭に立ち、ロングエースと競り合いに負け、3着と敗北を喫する。


秋初戦・菊花賞編集

秋は神戸新聞杯から始動。その神戸新聞杯では見事1着をつかみ取り、続く京都新聞杯も勝ち、そのままの勢いで三冠最後の菊花賞へと向かった。

迎えた菊花賞。これまでと同じく好位につけ、3~4コーナーで抜け出したものの、外よりイシノヒカルの強襲を受けて差し切られ2着敗戦、クラシック勝利はかなわなかった。ちなみに勝ったイシノヒカルは続く有馬記念を3歳馬にして勝ち、年度代表馬となっている。


4歳時編集

1973年は京都金杯よりスタートするも4着。レース後は腰を気にする様子があったため休養した。休養明けのマイラーズカップでは、病気により騎乗ができなくなった須貝四郎に代わって兄の須貝彦三(後にゴールドシップやソダシを担当する須貝尚介調教師(元騎手)の父)を鞍上に迎え、不良馬場を克服して勝利。

そのまま春の天皇賞に向かうこととなった。

天皇賞(春)編集

迎えた天皇賞・春。発走直前に豪雨に降られて馬場は重馬場となっていた。

スタートを切ると、タイテエムは再び中団付近に構え、確実に脚を溜めていく。そして、やはり直線付近で仕掛け、大外を回した。白いメンコも勝負服も泥で真っ黒にしながら駆け抜け、先頭でゴールイン。出走馬のスガノホマレが骨折して競走中止になるなどの大乱戦となったが、悲願の天皇賞優勝を果たした。


このレースを実況した関西テレビ杉本清アナウンサーは、


「四白流星、タイテエム、タイテエムだ!タイテエム先頭だ!タイテエム先頭、タイテエム、無冠の貴公子に春が訪れます!タイテエム1着!タイテエム1着!」


とタイテエムの悲願を称えているが、実況中にタイテエムを見失ったという逸話が残っている。


天皇賞後編集

次走となった第14回宝塚記念では、後に競馬界に悪い意味で大衝撃を与えるハマノパレードに逃げ切られて2着。

更にレース直後に鐙が切れ、須貝騎手が振り飛ばされて放馬し、その際に転倒してアキレス腱を故障してしまう。

橋田調教師は有馬記念で復帰させることを目標に療養入りさせるが回復が間に合わず、10月14日に引退を発表した。


引退後編集

引退後は種牡馬入り。シンチェストコーセイなどを輩出し、内国産種牡馬不遇の時代に一定の成績を残した。


1992年に種牡馬から引退。馬主が北海道に用意したメイタイ牧場で余生を送っていたが、満足に歩けなくなるほど老衰が進み、1994年10月23日に老衰で死去した。享年25歳(旧馬齢表記)


余談編集

ウマ娘にオファー編集

2022年1月1日、メイタイ牧場を前身とする「メイタイファーム」が公式Twitterを開設。そこで以下のツイートを投稿した。その内容がこちら。

まさかのタイテエムのウマ娘化オファーツイートだったことで大きな話題を呼んだ。


ちなみに、馬主側から「ウマ娘にしてほしい」というオファーが来たのは、メイケイエールに続いて2例目。

しかし、2023年現在でバリバリ現役のメイケイエールと違い、タイテエムはすでに引退していることから、ウマ娘への実装はさほど難しくないと思われる(メイケイエールの方も、発表時点では現役のデアリングタクトが登場決定しているため、登場の可能性が出てきているが)。

また、現在ウマ娘になっている馬で最年長は、1974年生まれのマルゼンスキー。タイテエムは1969年生まれなのでその歳の差5歳。

ちなみに、ウマ娘に(登場が決まっているものも含めて)最年少は上記のデアリングタクト(デアリングタクト登場決定まではキタサンブラックサトノダイヤモンドが最年少だった。実装済みの中では彼らが最年少となる)。その差なんと50歳(キタサンブラックとサトノダイヤモンドと比べても45歳差)。まごうことなき最年長となる。


須貝調教師の夢編集

前述の通り、タイテエムの天皇賞(春)制覇時の鞍上は須貝尚介調教師の父須貝彦三騎手である。それ故にタイテエムの天皇賞は須貝尚介氏にとって人生で思い出のある天皇賞となり、一番勝ちたいレースとして天皇賞の制覇を目指すようになった。騎手としてはGIに手が届かずに終わった須貝尚介氏であるが、調教師の道に進み、ゴールドシップで春の盾を、ジャスタウェイで秋の盾を手にすることを目指すこととなる。


関連タグ編集

競走馬


テンポイント - タイテエムと同じく「貴公子」の異名を持つ(見事な流星と美しい栗毛から「流星の貴公子」と呼ばれた)。


モンテプリンス - 八大競走で勝ちきれず「無冠の帝王」と呼ばれた。春の天皇賞を制した際、杉本清アナは「“無冠の貴公子”に春が訪れてから9年目、“無冠のプリンス”にも春が訪れました!」と、タイテエム勝利時の実況を引用している。

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