概要
彼らは武装して徒党を組んでいるだけであり、言うなれば当時の無頼の徒である。多くは農民出身で、武士階級の出身者もいたが武士としては認識されなかった。
主に山野に暮らし、普段は狩猟や耕作などで自給自足。戦があれば戦国大名に雇われて足軽として戦闘に参加したり、混乱に乗じて略奪や「落武者狩り」を行うなどのやくざな暮らしをしていた。
また、南北朝・室町時代の武装した農民集団「野伏」のことも指す。
「のぶせり」とも言い、落武者が落ち延びて行くのを近隣の百姓が略奪し、殺害した。落ち武者狩りは農民にとっては重要な収入で、幕府や大名からの命令で行われる事もあった。被害者としては明智光秀が有名。
いずれも安土桃山時代に行われた豊臣秀吉の刀狩で武器を取り上げられ、農民に戻るか足軽として特定の主人に仕えることになった。
野武士軍団
- 1950年代、三原脩監督の率いる西鉄ライオンズは“青バット“大下弘、“怪童“中西太、“サムライ“豊田泰光、“鉄腕“稲尾和久といった個性が強く管理を嫌う選手が活躍し、荒々しい立ち振る舞いから「野武士軍団」と呼ばれた。
- 1980年代、中日ドラゴンズは監督に就任した近藤貞雄の「名古屋を支配したのは公家でも武家でもない。野武士の文化だ。だから何をやってくるかわからない野武士野球が合う」という持論から「野武士軍団」と呼ばれた。
- 1980年代、西本幸雄監督の率いる近鉄バファローズは長打力を重視した布陣を敷く「いてまえ打線」で知られ、豪快な試合運びから「野武士軍団」と呼ばれ、大阪近鉄バファローズの消滅まで愛称として使われた。
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