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稲尾和久

いなおかずひさ

大分県出身の元プロ野球選手、指導者。

概要

1937年6月10日生れ、大分県別府市出身、ポジションは投手、右投げ右打ち。
1956年、大分県立別府緑丘高等学校(現:大分県立芸術緑丘高等学校)から西鉄ライオンズに入団。
1年目に防御率1.06、21勝6敗を記録し、新人王最優秀防御率賞を獲得、高卒1年目にして日本シリーズにも登板した。
1957年には20連勝を記録し、35勝を挙げ、1958年の読売ジャイアンツとの日本シリーズに逆転での日本一に貢献し彼の有名な「神様、仏様、稲尾様」という見出しが生まれた。

1964年以降は不調に陥り、1969年に引退を表明。
引退直後に32歳の若さで西鉄の監督に就任、1974年まで務めた。
1975年からRKB毎日放送解説者となり、1978年から1980年まで中日ドラゴンズの投手コーチを務めた。
1979年には日本航空棒球隊の総監督となる。
1984年に福岡移転を画策していたロッテオリオンズ監督招聘される。
2007年11月13日悪性腫瘍で死去。

2012年6月10日、生誕75周年の年に西鉄の後身・埼玉西武ライオンズによって永久欠番に制定。7月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(西武ドーム)にライオンズの監督・コーチ・選手全員は復刻版ユニフォームに『24』を背負ってプレーした。

愛称は「鉄腕」、「サイちゃん」(サイのように優しい目つきをしていたことから)。
成績のみならず人格面でも評価が高く、杉浦忠の温厚な語り口は、稲尾に触発されて始めたものだったという。
また、自分が投げた後のマウンドをきれいにならし、ロージンバッグを使いやすいところに置いておくなど、相手チームへの気配りも忘れなかった。杉浦もすぐにこれを真似たが、ピンチで焦っている時は忘れてしまうこともあった一方、稲尾は一度もマウンドを荒れた状態で渡すことがなかったという。

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