概要
敗走している武将や兵士達(いわゆる「落ち武者」)を対象に略奪・殺戮を目的とした行為。
史実
落ち武者狩りの対象となった者達の大半は、主に身に着けている鎧や武器、金品等の強奪を目的に命を狙われる。この為、狩られる側は少しでも素早く逃げ延びられるよう、身体が重くなる鎧は脱ぎ捨て、最低限の護身用の武器や食料だけを持って逃走する事が多い。
戦において勝者側にとって最も重要となるのは「敵の武将を討ち取るに至ったか否か」であり、それ故に敗戦の末に逃走した武将には、敵対した武将により賞金首として莫大な懸賞金が掛けられる。勿論、懸賞金を掛けられた武将を孤立させて追い詰めるべく、仕えていた家臣や兵士達もターゲットであった。
賞金首の武将が複数の国を支配下に置いていた程の大物等であった場合は、本人かどうかの確認の為になるべく「生け捕り」にする事が求められる傾向にあるが、生きたまま捕らえるのが不可能であったならば、殺害して首だけを持っていくのも認められている。
現代人の我々から見れば、敗走した敵に懸賞金を掛けてまで追い打ちを行おうとするのは「人権を無視した非道な行い」と見えるかもしれないが、当時は戦や政争に敗れて島流しにあうような人間は法律による保護を失った「法外人」と見なされていた。よって殺して金品を奪ったり、首を刎ねて懸賞金を掛けた武将に献上する事はむしろ当たり前、常識となっていたのだ。
というか敗走者を下手に逃がそうものなら、勝者側から「敵に荷担した」と見なされて殺されるリスクもあったため、その点でも落ち武者は仕留めておくべき存在であった。
酷いケースだと、戦に敗れるまでは忠誠を誓っていた家臣が、敗戦した主君である武将を裏切る形で殺害し、その首を献上する形で許しを得ようとする「主君殺し」まであったとされる。
兵士達による落ち武者狩りも容赦は無かったが、百姓や農民達による落ち武者狩りは、より苛烈で手段を選ばないやり方であったとされており、敗走している武将や兵士達が飢えと渇きで苦しみ体力が落ちていくよう、井戸や川の中に人間や動物の死体、糞や尿等を投げ込んで水を汚染させてしまう事さえあったという(当然そんな水を飲んでしまったら伝染病に罹患し、下痢や嘔吐に苦しめられた末に野垂れ死ぬ事になる)。
豊臣秀吉によって惣無事令の制定や刀狩りが実行される前までは、農村は「惣村」と呼ばれ、山賊程度なら返り討ちに出来るだけの武力を持ち合わせていた。その為、かなりの戦力が整っている状態でもない限り、敗走している武将や兵士達にとって、落ち武者狩りはほとんど太刀打ち出来ない程の脅威になっていたと言える。
実際に落ち武者狩りにあった武将の代表格は徳川家康であり、本能寺の変にて織田信長が自害した後、謀反を起こした明智光秀が懸賞金を掛ける形で落ち武者狩りの標的にされたが、家康は伊賀流の忍者の支配役である服部半蔵の護衛による「伊賀越え」の敢行によって難を逃れている(ただし、同行していた穴山梅雪は、途中で家康から離れて別行動を取った結果、落ち武者狩りに遭って殺されている)。その後、逃走中の信長派の武将達に懸賞金を掛けていた光秀自身もまた、山崎の戦いで秀吉に敗戦した後に、落ち武者狩りに遭う形で致命傷を負い、死亡したとされている。
また、関ヶ原の戦いでは、西軍に与し敗走した島津義弘の軍も、関ヶ原の本戦よりも九州への撤退中に遭遇した落ち武者狩りの方に苦しめられていたとされている。
フィクションでは
近年では、ファンタジー系作品や世紀末系のSF等においても落ち武者狩り同然の光景が描かれる事があり、敗走した軍に対し、盗賊や海賊、悪徳冒険者等が襲撃を行って、兵士達を殺害したり、金品の強奪を行ったりもしている。
特にダークファンタジー系の場合だと、女性兵士への集団強姦等、より凄惨な光景が描かれる事になっている。
関連タグ
乱妨取り(乱取り):戦勝側が村や町を荒らし回り、強奪や誘拐、その他乱暴狼藉とやりたい放題していた行為。まさに世紀末の様な阿鼻叫喚の惨状ながら、これは兵士たちへの褒美という意味もあり、戦国の世では落ち武者狩り共々「必要悪」であった。