伊賀流
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いがりゅう
『伊賀流』は伊賀国の地に伝わっていた忍術流派の総称。
伊賀国(現在の三重県)伝わっていた忍術流派で、甲賀流と並んで忍術の中で最も有名な流派の一つ。
訓練法が独特で、体術に優れていると評された。
歴史的には、史料が少ないために伝説の域を脱せないが、鎌倉時代に荘園の中で発生した「悪党」に起源を持つという。彼らは荘園領主に対して奇襲や撹乱などの戦法を駆使したり、修験道と関わりをもっい、そこで山伏の戦法を習得、情報収集をしていった。
室町時代に「地侍」に引き継がれ、戦国時代には「伊賀衆」として登場し、傭兵として出向くこともあった。この頃より、伊賀衆は「忍び」と呼ばれるようになる。
江戸時代は忍びと呼ばれた人々の子孫は「伊賀者」として、参勤交代の際の藩主の護衛役や国内の情報収集にあたったり、または「無足人」という農兵として帯刀を許され、各村の自治を任されたりする一方、忍者を止めて帰農することによって「抜け忍」として処罰を防いだ。
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