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生涯編集

豊臣秀吉の時代、伊賀国の石川村というところに住んでいた裕福な武士。武芸に優れたが、特に土地柄だろうか忍術を得意としていた。

京都の公家である花山院家と交流があり、家中で起こった盗難事件を忍術でもって解決したこともある。


また彼は地元の名士だった石川五郎太夫という人物と懇意にしており、彼の死後、その遺児である文吾を憐れんで世話をするようになった。文吾に忍術を教えてみるとめきめきと上達して弟子筆頭にまで上り詰めたため、いずれは後継者にしようと考えるようになった。


そのころ三太夫の家には二人の妻がいた。ひとりは正妻で、もうひとりは先述の花山院家から事件解決の褒美として貰い受けた「式部」という名の美女で、三太夫は式部の方を寵愛していた。

しかし三太夫が京都へ出張に出ている間、式部はかつての恋人とともに駆け落ちをするという書き置きを残して失踪してしまう。


実はこの一件は、三太夫から相手にされなくなった正妻と、彼女と不倫関係にあった石川文吾による偽装であった。正妻は三太夫や式部を妬み、二人を亡き者として文吾と再婚しようと考えていたのである。

果たして式部は正妻によって殺され、遺体は井戸に投げ込まれた。そして二人は式部の書き置きを偽造したのだ。

しかし三太夫は式部の書き置きが偽造されたものであると見破る。さらに井戸に女性の遺体が投げ込まれていることにも気づいてしまった。だが遺体の正体が式部であるとは気づいていなかった。


そしてある日、百地家で正妻が暴漢に襲われて重傷を負うという事件が発生する。

事の発端は、正妻が式部の事件が露見することを恐れ、文吾と駆け落ちしようとしたことだった。しかし文吾は正妻に愛想が尽きており、正妻を殺して自分だけ逃亡しようとしたのだ。

三太夫はすぐ現場に駆け付け、下手人が文吾であること、正妻が文吾と駆け落ちしようとしていたこと、二人が式部を殺したことを見破るのだった。

しかし結局正妻は死去し、失意の三太夫はほどなく病気になり、そのまま帰らぬ人になったという。

そして失踪した文吾こそ、後の大盗賊・石川五右衛門なのである……。


解説編集

お察しの通り、以上は歴史上の事実ではなく、江戸時代に作られた物語上のことである。百地三太夫とは石川五右衛門に忍術を授けた人物であり、五右衛門の悪事によって没落する当て馬役でもあった。もちろん実在の人物ではない

モデルとなったのは伊賀に伝わる「式部塚」という伝承で、百地某の正妻が夫の留守中に愛人を殺すという物語である。この伝承は奈良時代ころのものとされているが、このストーリーに石川五右衛門を絡ませて生まれたのが三太夫といえるだろう。


百地丹波という人物編集

上述の通り百地三太夫は物語上のキャラクターに過ぎないが、歴史上の人物として百地丹波(ももち たんば)という人物が存在する。

近年では『信長の野望』シリーズをはじめ、百地三太夫と百地丹波を同一人物とみなす創作などが席巻しており、地元三重県の観光でもそれを肯定しているが、実際のところは苗字が同じという共通点以外は見いだせない。珍名ゆえにごちゃ混ぜにされてしまったのだろう。


彼が歴史上の表に出てくるのは、織田信長軍と伊賀の地侍衆の衝突である「天正伊賀の乱」である。

天正7年(1579年)、信長の次男・織田信雄が伊賀に侵攻した。百地丹波たち伊賀衆は、指揮官の拙い指揮能力にも助けられて織田軍を撃退するという大金星を上げた。


しかしその後、信長は統率の取れた伊賀忍者たちを脅威と考えるようになった。そして天正9年(1581年)、伊賀に対して今度は信長自らが5万の兵を差し伸べて侵攻する事となった。

伊賀衆の必死の抵抗も圧倒的な兵数の前では虚しく、伊賀は完全に織田軍に平定された。百地丹波も籠城戦で織田軍と戦ったが、ついに降伏開城するに至った。


天正伊賀の乱以降は歴史上から姿を消すが、子孫の記録によれば伊賀を脱出し、江戸時代まで存命だったという。意外だが伊賀の乱の際にはまだ20代半ばくらいだったようだ。

なお、プロ格闘ゲーマーのももち氏(本名・百地祐輔)が百地丹波の子孫であることが妻のブログ記事に記されている。


現在では伊賀忍者全体を統率した「伊賀三上忍」の一人などといわれているが、実際にそれほどの大物だったのかは不明。ただし伊賀衆の中ではそれなりの名家だったようだ。

百地三太夫と混同され、かつ誇張されたキャラクターが植え付けられている人物ではあるが、彼を忍者マスターとして崇める人もいたり、創作物においては専ら伝説の忍者扱いである。


なお虎倒流骨法術という古武術には、戦国時代に百地三太夫という人物がいて、その後継者を百地丹波とする伝来がある。その伝来が正しければ百地三太夫もまた実在の人物ということになるが、残念ながらこれもまた上記の物語から取り入れられた「設定」だろう。


創作作品における扱い編集

名前が「三太夫」な事をネタにされており、女体化されることもある。


天外魔境』シリーズ編集

くノ一三姉妹」の事だとされている。

詳しくはこちらを参照


忍者戦隊カクレンジャー編集

同じ名前の忍者が登場する。

詳しくはこちらを参照


戦国無双シリーズ編集

詳しくはこちらを参照


信長の忍び編集

主人公・千鳥の師匠として登場。千鳥を織田家へと仕官させ、のちに彼女と敵対することになる。


どうする家康編集

「百地丹波」の名前で第29回「伊賀を越えろ!」に登場した。演者は嶋田久作氏。

予告で登場するや否や演者の当たり役のイメージもあってネット上では「伊賀は魔界」「生きて帰るの絶対無理」と言われていた。上記の通り史実では数え年27歳で家康より一回りも年下である筈だが、三太夫のイメージも入れたのかかなり老け込んだ風貌をしている。

天正伊賀の乱織田信長を深く恨んでおり、同盟者である家康を捕縛し、信長を本能寺で討った明智光秀に家康の首を差し出そうとした。


関連タグ編集

百地丹波 服部半蔵 藤林長門守

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