解説
2023年1月8日から12月17日まで放送されていた、NHK大河ドラマの第62作目。全48話。
脚本は、テレビドラマ「コンフィデンスマンJP」、映画「探偵はBARにいる」シリーズなどを手がけた古沢良太が担当。
主演は松本潤。嵐メンバーの大河ドラマ出演は今回の松本が初であり、松本は「嵐という船を一度降りて(中略)、この大きな挑戦をしてみたい」と意気込んでいる(松本へのオファーは嵐時代の2020年11月に既になされていたが、「嵐として2020年いっぱいまでは走り切りたい」として年内の回答を控えており、年明け後の2021年1月に正式にオファーを受理したという)。
ナレーションは寺島しのぶが担当。実在の人物が誰かに教えるように語りかけているという設定であったが、11月27日の「ファン感謝祭」にてその正体が春日局であることが発表された。
本放送前の古沢のインタビューによると、「歴史上の人物だからある程度イメージというものがあると思うけど、それを全部取り外して、『家康からはこう見えていたのではないか』ということを中心に描いていく」がコンセプトであるという。
そのコンセプトの通り、予告映像では山岡荘八の『徳川家康』のような求道者的な家康でも司馬遼太郎の『関ヶ原』のような狡猾な家康像とは違い、弱虫だけど周りの助けを借りつつ、目の前に尽く立ちはだかる壁を前に「どうする?!」と悩みながらも唯ひたすら一生懸命に戦乱の世をなんとか生きて行こうと頑張る、言わば等身大の人間たる家康という人物像が強調されており、安部龍太郎が執筆している『家康』に近いものがあるとされる。
登場人物
徳川家・松平家
詳細は徳川家(どうする家康)の記事を参照。
元康と瀬名の子。
元康と瀬名の娘。
徳川(松平)家の親戚・一族
詳細は徳川家(どうする家康)参照
- 久松勝俊(松平康俊)(演:長尾謙杜)
酒井忠次の妻。史実の碓井姫。
徳川四天王
詳細は徳川家(どうする家康)参照
遠江の豪族・井伊直親の子。
その他徳川家臣団
詳細は徳川家(どうする家康)参照
- 土屋重治(演:田村健太郎)
(※イラスト右側の人物)
- 大鼠(演:千葉哲也)
織田家
信長の父にして織田弾正忠家の先代当主。物語開始時にはすでに亡くなっており、回想シーンでの登場となっている。
当初は人質として預けられた竹千代の首を刎ねようとするが、信長に「俺のおもちゃに勝手なことをされては困ります」「生かしておけば使えるかもしれません」と説得され、呵々大笑して処刑を取りやめにする。
第27回の信長の過去の回想シーンでは当時12歳だった信長に「もっと強く賢くなれ」「たとえ身内であろうと家臣であろうと決して信じるな」「信じられるのは己一人」…と、次代の織田家当主として厳しい指導と教育を科していた事が明らかとなっている。
第28回の回想シーンでは自らの死期を悟り、信長に家督を継ぐように伝える。
そして、「どうしても辛いならば、友を一人だけ作れ。こいつには殺されても構わないと思える友を、一人だけ。」と告げている。
演者の藤岡は、かつて大河ドラマで織田信長を2回演じたことがある。また、『真田丸』では本多忠勝を演じている。
言わずと知れた戦国の風雲児、人呼んで第六天の魔王。織田家の当主として今川家と争う。本作では『麒麟がくる』『利家とまつ』などで描かれた織田弾正忠家継承~尾張統一戦の過程は省略されている。今川義元からは「覇道を征く者」として、王道をもって制すべき相手と看做されていたが、その義元を桶狭間にて討ち果たすという大番狂わせを演じると、その余勢を駆って松平勢の籠もる大高城に攻め寄せ、道すがら義元の首を放り投げ「待ってろよ竹千代、俺の白兎…」という強烈なセリフを残した。
第2回では、織田の人質とされた竹千代(幼少期の家康)との関わりも回想にて描かれており、その竹千代からは「食ってやる」「ほら立てよ、この世は地獄じゃ」と嘯きながら、取り巻き達と共に理不尽なまでの「かわいがり」を受けていたことから、家康からは「あやつは獣じゃ…、飢えた狼じゃ…!」などと恐れられており、信長接近の報を聞いただけで震えが止まらないほどであった。しかし一方で、そうした扱いを通して彼の持つ「虎」としての側面を引き出したのもまた信長であることが、前述の回想においても示されている。
一旦は大高城を囲みながらも、あくまで威圧のみに留め撤兵に及んだ信長であるが、その後の三河を巡る抗争においては、元康の縁者でもある傘下の水野信元に「しかと追い込め、兎を俺の目の前に」と、暗に元康を自陣営に引き込むよう促した。このように、家康相手には何かと威圧的な態度を示す信長であるが、一方では「鷹狩りをしよう」と彼を誘い出した際、三河国内で蠢動していた不穏分子の捕縛の現場を見せつけ、速やかな三河平定を促してみせたり、武田の今川領侵攻の気配を察知した際には信玄と談判に及ぶよう厳命しつつ、その信玄に談判に応じるよう密書を送ってみせたりと、彼なりに家康のことを気にかけている様子も折に触れてみせている。
第13回では家康の上洛を迎え、「もう一人の弟」として市の夫・浅井長政に引き合わせる。その際、「天子様の下、我ら武家がこの世を治め、その武家を束ねるのが将軍様。それこそがこの日ノ本のあるべき姿、ありすがたじゃ。俺はこの乱れた世を本来のありすがたに戻す」と語り、両者に協力を求めた。その後、足利義昭との謁見を終えた家康に朝倉義景討伐に加わるよう命じる。
しかし、その時点で長政は信長を見限っており、続く第14回で朝倉軍の動きを不審に思った家康が裏切りを察知する。そして家康は信長に一時的な退却を進言するが、長政を「義の男」と信じきっていた信長には到底耐えられるものではなく、「お前も俺を信じぬのか!」と激昂するが、「お前を信じられん者もおる!お前の心のうちなどわかるものか!アホたわけ!」と応戦され、涙声で「出ていけ!」と家康を怒鳴り付ける(その後、勝家が家康を取り成している)。
最終的に家康の読みが当たり、長政が信長を裏切った際には「乱世を終わらせるのは誰だ?」と忠告し、家康の左耳をかじる。この後、長政からの密書により織田・浅井のどちらにつくか葛藤した挙げ句織田方についた家康の心中を察し、「これからも判断を間違えるなよ」と釘を刺す。
やがて、家康と武田信玄がぶつかることになった際には、「あれほど信玄を怒らせるなと言っただろ」と窘めつつも、「俺とお前は一心同体だ」と言い、3000の軍勢を貸すことを約束する。
その後、家康を打ち破った武田軍に鞍替えした足利義昭を京から追放。
浅井長政・朝倉義景との戦にも決着をつけ、三好康長をも屈服させ畿内における勢力を拡大。そして武田勝頼に対しても長篠・設楽原の戦いで勝利。その際、(伊勢長島・越前の一向一揆などへの対応もあってか)家康への援軍派遣に手間取り、事情を知らない家康から「織田と手を切る」と迫られる。一応は援軍を送るが、内心は大変立腹しており、家康と対面した際には織田に臣従しなければ奥平家救援も取り止めるとまで言い出す。しかし、亀姫の説得で鉾を納める。
その後、(恐らくは家康を繋ぎ止めたい一心で)五徳に徳川を監視するように命じる。
第25回で起きた所謂「築山事件」においては、徳川家中で起きた事として自ら口出しはせずに
家康に処遇の全てを一任している。その後、事件の事後報告に来た佐久間信盛を
「何がよかった!?」と一喝し追放。信長なりに一連の事件へ思う所があったようだ。
第26回で武田家との最終決戦に勝利した帰りに家康から豪勢な接待を受ける。
その最中、駿河の統治を今川氏真に一任したいという家康の提案を認めず、更に乱を起こした伊賀者の完全な抹殺を家康に指示するなどしたが、接待自体には大満足だったようで、今度は家康を安土城に招待し、接待する事を約束する。
その後、以前と比べて明らかに従順になった家康を「腹の内を見せなくなった」と評した。
第27回では多くの人々を殺した報いとして誰かに殺されることに人知れず怯え、家康らの供応役を務めた光秀の失態に対し激しい折檻を行う。
その後、家康と二人きりで対談した際に「お前の妻や子を殺したことを謝ってほしいか。下らん」と吐き捨てるように言い、激昂した家康に「他人が抱く恨みや憎しみを背負う覚悟」「平和な世になった後の政の難しさ」を問い、更に「いつか報いを受け、誰かに惨い形で殺される事」を語る。
それでも決心と覚悟の変わらぬ家康に「100名ほどの手勢で京に向かう。討つ覚悟があるならいつでも来い。待っててやるさ」と情報を暴露。
その後、父・信秀が健在だった12歳の頃の回想として「他人を信用するな。信じるのは自分だけ」と教えられ、現在の苛烈な性格になったことを思い出した。更に第28回の回想では、勉学の最中に突如錯乱し暴力沙汰を起こしたこと、そして15歳の時に信秀から「こいつには殺されても構わないと思える友を、一人だけ作れ」と言われたことが判明している。
本能寺が襲撃された際には「ついに家康が来たのか」と期待感を抱き、血まみれになり意識が朦朧としながらも家康を探すが、謀反人が光秀だと知ると「何だ、お前か」と一蹴。そして「やれんのか、キンカン頭ぁ!! お前に俺の代わりがぁ!!」と、まるで光秀のその後を予見するかのような一喝をした後に、燃え盛る本能寺の中へと消えていった。
こうして、戦国の世に燦然と輝いた巨星は一つの時代の終わりを告げるかのように消え去ったのであった。
今までの映像作品では茶筅髷の髪型であることが多い信長だが、本作では江戸時代に見られる折髷と呼ばれる髪型を採用している。第21回からは月代を剃り、髭を生やした姿となる。
今作の信長は(桶狭間の戦いを思いの通り進める頭の良さなど)一見すると通説のような魔王的な人間に見える一方で、先述の通りしばしば家康を気遣う(というよりは執着する)ような言動を取るが、(信秀の教育などに起因する)威圧的な態度のせいでその意図が十分に伝わらない描写が多く見られた。
また、第13回・第14回では朝廷や室町幕府を重視する保守的な姿勢を見せており、旧来の信長像と最新の研究で明かされた信長像を折衷したようなキャラクターになっている。
岡田氏は『軍師官兵衛』で主演を務めて以来9年振りの大河出演となる。
信長の娘。のちに家康の嫡男・信康に嫁ぐ。
夫婦とはいえまだ幼いがゆえに、夫であるはずの信康とは何かと夫婦喧嘩が絶えない。しかも、自身が不利な状況になると口癖のように「父上に言おうかな…。」「父上に言います!」と、義父である家康を脅すような素振りに出ては詫びの品をせがんでいるため、家康と瀬名を悩ませている。
第19回では瀬名に浜松入りを提案。義父である家康に「悪い虫がつくのでは?」と心配する素振りをみせる。
第20回では負傷者の手当てを手伝わず、しかも彼らを軽視侮辱する発言をした事で瀬名に叱責されるが、「我は織田信長の娘じゃ!無礼者!」と反論する。
その後、反乱を企てた大岡弥四郎らの発言に怒り「この事は仔細包み隠さず父上に報告するので、信康様はこの者達を即刻処断する様に。それこそ最も惨いやり方で…」と父親譲りの冷酷さを見せている。
第22回では、徳川家の急成長を見た信長から徳川家の監視を命じられた。その際、信長に顔を掴まれた際にはかなり怯えた表情をしていた。(ちなみに、放送終了後に久保と岡田がCMで再共演することになった際、岡田が久保の顔を掴んだ行動を「アイアンクロー」と自虐している。)
その後、織田・徳川の板挟みに苦しむこととなる。
第24回では家康から築山への同行を許され、瀬名の謀である「慈愛の国」に賛同。信康に最後までついて行く覚悟を決めた。
第25回で起きた所謂「築山事件」においては、最後まで瀬名と信康について行こうとしたが、瀬名に「そなたには二人の娘を育て上げる務めがあろう」と諭されて、結果的に信康と今生の別れを迎える事になる。なお、彼女が「築山事件」において信長に提出した「十二ヶ条の訴状」は、本作においては瀬名が執筆を指示したものという事になっている。
史実では、事件後は娘2人を徳川家に残して信長の下に戻り、信長死後は信雄・次いで秀吉の保護下に入った。
第36話では信康との祝言の際に「鯉」に纏わる出来事があったことが家康の口から語られたが、余程面白かったのか家康が笑い転げて詳しい内容は明かされなかった…が、最終回にてその顛末が語られた。
第46回では大坂から片桐且元と共に逃げて来た兄・信雄を匿い、伏見まで逃がしたことが阿茶局により語られた。
その後、家康の天下一統を見届けた五徳は1636年に78年で天寿を全うした。
信長の長男で、五徳と信雄の兄。第26回で名前のみ登場している。婚約者は武田信玄の六女・松姫。だが、武田と織田が敵対したことにより婚約は破綻。
武田家との最終決戦では総大将を務め、義兄となるはずだった勝頼に止めを刺した。
第28回の本能寺の変で明智軍に討ち取られたことが語られた。
信長の次男で、信忠の弟で五徳の兄。本能寺の変の時点では伊勢の北畠氏を継いでおり、その様子の一部は『忍びの国』(映画版では知念侑李氏が演じた)で描写されている。
第30回の清須会議では当主の座を三法師に譲ることとなるが、その後秀吉の後ろ盾を得る。
しかし第31回で秀吉に蔑ろにされたことで家康側を頼る。自らが調略した池田恒興が秀吉側に付いた際には酷く取り乱すも、家康の一喝で平静を取り戻す。
第32回で小牧・長久手の戦いにおける大勝利に歓喜するも、あくまでこの戦いの総大将が信雄であることを利用した秀吉の策略により、第33回にて家康と手を切り秀吉と単独講和を結んだ。その後、家康と石川数正らの会話の中で秀吉に臣従したことが語られる。
第37回では秀吉からの指示で三河への国替えを命じられるが、それに反発した事により改易されたことが三成の口から語られている。
史実ではその後出家して名を常真と改めており、関ヶ原の戦いでは中立を貫いていたが長男が三成側に属していたため、親子並んで改易処分を受けながらも豊臣家の庇護下にあった。
しかし、第46回で千姫から片桐且元が命を狙われていることを知ると共に大坂から離脱、京にいる妹の五徳を頼り伏見まで逃げ延びている。その際、千姫に「あなたのおじじ様には世話になった、(戦は)やりとうない」と語っている。
抜群の生存本能で乱世を泳ぎ切り、最終的には織田家を大名として太平の世に残した。
- 織田信孝(演:吉田朋弘)
信長の三男で、信忠と五徳の弟。
同年齢の信雄の弟でもあるが、母親の身分差もあって三男にされたとの説もある。
父・信長の後継をめぐって秀吉と対立、同じ理由で秀吉と対立する柴田勝家と叔母・お市の方との間をとりもつことにより後ろ盾となる。しかし、最終的に秀吉に敗れて自害した。
- 三法師(演:濱田碧生)
信忠の嫡子。のちの織田秀信。本能寺の変で祖父と父が討死したため羽柴秀吉に織田家当主に擁立される。しかし、実態は彼の傀儡に過ぎなかった。
1600年時点では岐阜城主であり、石田三成側につくが福島正則らの猛攻を前に降伏した。
織田家臣団
第27回の回想シーンで登場。信秀時代の織田弾正忠家家老であり当時12歳だった信長の傅役を務めた。一般的には内政外交術に長けた穏やかな好々爺として描かれる事が多いが、本作ではヤクザ顔負けの鬼教官となっている。三方ヶ原で戦死した平手汎秀は彼の息子(もしくは孫)とされる。
「鬼柴田」「瓶割り柴田」の異名を持つ織田家重臣。何の落ち度もない藤吉郎の背中を理由もなく蹴り上げる粗暴さを見せる(第30回では「秀吉を恐れていたから」と述懐する)一方で、第14回では信長と喧嘩別れした家康のもとに赴き「徳川様がおられる時だけです、我が殿が機嫌が良いのは…!」と言い、信長と家康との仲を取り持つような行動もとっている。
本作では触れられなかったが、対上杉謙信戦(手取川の戦い)にて大敗した。
第30回では専横を続ける秀吉に対抗するべくお市と結婚。更に三法師を保護した織田信孝を擁立し抵抗を続けるが、調略によって味方が次々と離反。敗北を悟ると茶々達三人の義娘達を秀吉に託してお市と共に自害を果たした。
「退き佐久間」の異名を持つ織田家重臣。第17回では水野信元と共に3000の兵を連れて徳川軍の援軍として参戦するが、状況の悪化に伴い信長の指示を仰ぐべく撤退し平手政秀の子・汎秀を見殺しにした。信元と行動を共にすることが多いが実際には不仲であったとされる。
第22回で信長に「最も恐るべき相手」を問われた時に北条や上杉の名を挙げていたが、「付いてこれぬ者は置いて行くぞ」と一蹴され、秀吉には「猿の脳味噌では到底わからん事で」と謙遜に見せかけてバカにされた事にも気付いていなかった。
第23回では浜松城を訪れ、信長の命として信元の抹殺を家康に指示しているが、この時の仕草が第22回における信長が鉄砲隊に指示を出す動きと同じだった。
第24回では信長に「家康に何かあったら責めを負うのはお前だぞ」と脅されている。
第25回で起きた所謂「築山事件」の事後報告の際に「よかった、よかった」と安堵するが、その事が信長の怒りに触れたのか「何がよかった!?」と一喝され、織田家から追放されている。その際全てを諦めたような表情であった。
前作『鎌倉殿の13人』に登場した和田義盛の子孫とされる。史実では久松長家の長男・信俊が石山合戦の時に自害した件にも関わっているとされる。
「米五郎左」の異名を持つ織田家重臣で、柴田勝家とともに“織田家の双璧”と呼ばれる宿老。
本能寺の変後、織田家の後継者を決める清須会議では三法師をかつぐ秀吉を支持。
織田家の重臣。母が信長の乳母で、再婚して信秀の側室となっているため信長とは乳兄弟であると共に義兄弟の間柄でもあった。同じ織田家重臣・森可成の次男・森長可は娘婿に当たる。初登場時点で出家・入道しているが、これは史実通りの姿である。
本能寺の変後、清須会議にて三法師をかつぐ秀吉を支持。小牧・長久手の戦いでは織田信雄を裏切り、恩賞狙いで秀吉方として参戦するがあくまでも秀吉と同格という態度を取っている。
第32回では三河への中入りを献策し実行、徳川軍を窮地に追い込もうとするが、その戦術が読まれていた事で奇襲を受け戦死した。
本作の恒興(勝入)は『信長協奏曲』(実写版では向井理氏が演じた)などのような忠義に篤い人物ではなく、現実的で軽薄な人物として描かれている。
勝入の死から十年後、次男の輝政に家康の次女・督姫が嫁ぐことになる。
森可成の三男で長可の弟。その聡明さと美貌から信長の近習として台頭する。
第28回の本能寺の変では身を挺して信長を守るが戦死した。
これまでは名前が「蘭丸」と呼称されることが多かったが、主君である信長・信忠父子の書状などに見られる「乱」が正しい呼称で、本作ではこちらが採用されている。
森可成の次男で乱の兄。正室は、池田恒興の娘・せん。
『鬼武蔵』の異名を持つ猛将で、『人間無骨』と銘が掘られた十文字槍を得物とする。
第31回で恒興と共に初登場。尾張羽黒に陣を張っていた所を忠次率いる部隊から強襲を受け、狼狽える兵達に「逃げるなぁ!戦え!!」と叱咤するも、形勢を立て直せずに撤退した。
第32回では恒興が実行した三河への中入りに羽柴秀次・堀秀政らとともに従軍するが、それを読んでいた徳川軍の奇襲を受け秀次・秀政は敗走、長可は恒興共々戦死した。
演者の城田氏は『天地人』で真田幸村を演じて以来14年ぶりの大河ドラマ出演。
明智氏
織田家と室町幕府に両属する武将として登場、家康上洛の際には義昭への取次役としてこれに対応した。
一方で、あくまでも織田や幕府の方が徳川よりも上位であるという態度を取っており、忠勝らが洛中で諍いを起こした際にはその首を差し出すよう迫り、更に家康がコンフェイト(金平糖)を持っているのを見咎めた上で義昭に密告、これを献上させるように仕向けるなど、頭脳明晰な一方で極めて狡猾さが目立つ人物像となっており、秀吉とはまた違った意味の闇を感じさせる人物である。
一方で第29回では香を嗅ぐ描写が見られる。
その後、京を追放された義昭を見限り、改めて信長に忠誠を誓う。
第26回では武田家との戦の後、信長に謁見しに来た家康に武田勝頼の首を見せつけ「好きにして構わない」と言い出すが、思ったような反応が見られずに舌打ちをしている。また、信長と同様に家康の接待を受けたが、家康がえびすくいを披露した際には信長が笑うのを待ってから自身も笑い出した。
第27回では安土城に来訪した家康らの供応役を担当。その際に「徳川殿を暗殺する事も…」と称し、毒薬が内包されているであろう小箱を信長に差し出す。
接待が恙なく進む中、次に用意した「淀の鯉」に不備があったとされ、自らの失言もあって信長から激しい折檻を受け(この時の言い分から、前述した小箱の中身は使用していなかったと思われる)供応役を解任、秀吉の応援として中国攻めへの参加を指示される。
この際、物陰で家康たちを睨み付け「クソ田舎者」呼ばわりしていた。また、家康に謝罪に訪れ、切腹の覚悟も明かすが、家康に「気にされるな」と返され不快感を露わにしていた。(なお、家康は鯉を利用して一芝居打っていたのだが、当然光秀は知る由もない)
第28回では軍を山陽方面ではなく本能寺に向かわせ信長を襲う。
血塗れになった信長に対して「貴公は乱世を鎮めるまでのお方。平穏なる世では無用の長物。そろそろお役御免で……」と話しかけたところで「やれんのか、キンカン頭ぁ!! お前に俺の代わりがぁ!!」と怒鳴られ、激昂して「信長の首を取れ!」と命じる。また、安土城での饗応の件などに起因する家康への激しい憎悪から、家臣や領民に命じて家康を生け捕りにしようとしており、「腐った魚を口に詰めて殺してやる」と息巻いていた。また第29回では「(家康を)煮て食おうか焼いて食おうか」などとも発言していた。
その後惟任日向守を称し天下人宣言、勝家ら他の家臣達が動けないのをいいことに優先的に家康の追討を指示するが、穴山梅雪が身を挺して身代わりになった事で家康は三河へと帰還。
更に中国大返しを敢行した秀吉との対決に敗北、逃亡を図るも落ち武者狩りに遭い落命した。奇しくも信長から浴びせられた罵声と、家康が百地丹波に語った予測の通りになったのである。また、農民らに「自分は光秀ではない」と命乞いする様は梅雪や服部党が家康を庇ったこと、何より家康自身が正直に名乗り出たことと対照的である。
本作での光秀は作中屈指の悪役といっても差し支えない人物として描かれており、『麒麟がくる』における品行方正で高潔な武人として描かれた光秀とは対照的ともいえる(但し、『麒麟』では主人公補正もあった可能性が高いことには留意されたい)。また、義昭や勝頼などは作中で何かしらのフォローがなされたが、光秀にはそれが最後まで一切なかった。
恐らくその人物像はルイス・フロイスの「狡猾で残忍で抜け目がなく計略と策謀の達人」との評価を参考にしており、また人を欺くことが上手いとも評されていたが野心家としての本質は信長も家康も秀吉も誰も気づかず、最後に野心を爆発させ戦国史上最大の事件を引き起こした。また光秀の享年は従来は55歳説が定番だったが(演者の酒向が当時64歳だったこともあり)本作では新説の67歳享年説を取っているのではと言われている。
光秀の家老。後述の福の父。斎藤道三とは別系統である美濃守護代斎藤氏の一族。本作では登場していないが史実では斎藤義龍に与して道三を討ちのち稲葉一鉄を経て光秀に仕えた。山崎の戦いの後、秀吉に処刑された。第29回でナレーションが光秀の首実検をする秀吉のことを「あの男」と憎々しげに呼んでいたことからナレーション=お福説に一層の説得力を持たせた。
豊臣(羽柴)氏
織田信長の家臣として初登場。清州に訪れた家康らの応対を務める。
最初こそ陽気さを見せていたが、勝家に背中を蹴られても「蹴りたい時に蹴ってくだされ」と流しており、おどけた様子と異様に腰の低い様子を見せるなど飄々とした性格と早口じみた軽妙な喋りが目立つかなりアクの強いキャラクターとして描かれている。また、折に触れて下ネタも交えた物言いに走ることも多く、元康(家康)からはその点も含めて良い印象を持たれていない。
一方で、清洲同盟締結に関する元康と信長の交渉の折に、桶狭間の戦いにて「あくまでも敗北したのは今川で、松平は勝っていた」と主張する元康に対し、「信長が大高城を落城寸前に追い込んだのも義元をおびき寄せるための罠だった」と語り、頭の回転の良さも見せている。
第14回では市からの伝言である「おひき候へ」と伝え、そのまま事切れてしまった阿月の遺体の横で、信長から殿を任された事を「ああ、こりゃ死んだ!!」と絶望しながらも「のし上がれる機会が来た」と激しく喜んだ挙句、徳川軍の協力を脅し同然に取り付けた事で「クズじゃな、お主」と罵倒される羽目に。
第15回の姉川の戦いでは、浅井長政の調略を受け逡巡する徳川軍に鉄砲を放ち参戦を催促する。
第19回ではこれまでの功績が認められ「羽柴秀吉」と改名。小谷城に残されたお市と3人の娘達を迎えに行くが、当のお市からは「猿」と罵られている。しかし秀吉は全く動じる様子を見せず、茶々と思われる娘の一人を抱きかかえていった。
第21回では家康に信長が激怒していると忠告する一方で、信長と家康の口論を煽っている。
第22回では鉄砲隊が武田軍を蹂躙する様子を見て「最強の武田軍がバタバタ倒れていきよる!まるで虫けらじゃ!これからは銭の時代じゃ!」と、まるで戦死していく将兵を侮辱するかのような発言をするが、信長から「控えよ猿。古き強者の最期、しかと見届けよ」と窘められている。
第26回では中国攻めの最中でありながら家康と鷹狩を行い、彼の心中を探ろうとしていた。その後、中国に戻った際には弟の秀長に「家康から目を離すな」と忠告している。
第27回では、信長に対する忠誠心は薄れており中国攻めに手こずっていることについて、「信長様からお咎めを喰らうのではないか」と心配する秀長に対して「あーあ…、そろそろおらんくなってくれんかしゃん…。」と愚痴っており、少なからず信長への反感や叛意があることを露にしたが、「安心しや〜、わしゃぁやらんわ。」「やったやつはバカを見る」と呟き、誰かが信長を誅殺すると予測、(家康を仮想敵として)引き返す準備を指示した。
第28回では信長の死の報を中国にて聞き、激しく嘆き悲しむ様子を見せるが涙が全く出ていなかった。当初は家康がやったと早合点するが、秀長の報告で光秀が主犯である事を知ると、予想外の事態に驚く様子を見せつつも即座に毛利家の和睦を進め光秀討伐のために踵を返す用意を進める。
第29回では山崎の戦いで光秀を撃破、光秀の首実検の際に「今までで一番いい顔をしている」と発言していた。
第30回では織田家の後継者を決める清須会議において、信長の嫡孫である三法師を擁立し、信忠の弟である信雄と信孝を軽んじる態度を勝家に批判される。その後、三法師を保護した信孝及び彼を擁立した勝家と全面衝突へ、結果賤ヶ岳の戦いに勝利して柴田家を討滅、三姉妹を保護する。
その際、お市を妻として丁重に迎えるよう秀長に指示したが、彼女が自決したと知ると、「(織田の血筋であれば)誰でもいい」と言い茶々に狙いを定めた、が、秀吉の力を利用して天下取りの野心を見せる茶々の不敵な笑みに一瞬怯んだような顔を見せた。
因みに、本作ではあくまで織田の血筋を得るためにお市を望んでおり、従来のように異性として憧れている様子は特に見られなかった。ただ、お市の自決を知ると「愚かな女」と言いつつどこか悲しげな様子も見せていた。
第31回でついに家康との全面対決を開始。池田恒興勢が犬山城を落とし、その勢いを以て楽田城を制圧、小牧山城に陣を張る徳川軍と対峙する事になる。この頃から本作独自の髪型だったボサボサ頭を改めて月代に茶筅髷姿となった。
第32回では、康政の書いた罵詈雑言を見て驚き、大泣き(今回も涙は出ていなかった)こそしたが挑発に乗るまいと平静を装う。その後恒興の提案に基づき甥の羽柴秀次を大将として三河への中入りを実施するが、徳川軍の夜襲を受けて恒興・長可が共に戦死。
報せを聞いた直後は今までにないほどの怒りを見せていたが、すぐに「言う事を聞かない奴がいなくなったから良かった」と収まる。そして「この戦いの総大将は家康ではない」と、余裕の笑みを浮かべるのであった。
第33回では信雄と講和を結び家康を孤立させる。そして関白に任命され「豊臣」姓を賜る。
更に家康の名代として大坂城を再訪した石川数正に揺さぶりをかけ、最終的に彼に「吉輝」の名を与え臣下の礼を取らせることに成功する。
なお、秀吉の手元には真田昌幸が持っていたのと同じスモモがあり、昌幸が秀吉の派閥についたことが示唆されている。
第34回では天正大地震(現代の尺度でいう震度7クラスの大災害とされる)により畿内全域が被災、特に大垣城(対徳川用の物資積載場)焼失などの甚大な損害を被る。そのため、臨戦態勢から転換し家康の元に妹の旭を正室として嫁がせるなどして懐柔、上洛を急がせる。
第35回では秀長の屋敷に来訪した家康を、謁見の前夜でありながら盛大に歓待。妻の寧々に忠次ら家康の家臣達を紹介し、家康に「わしらはもう、一つの家だわ!」と語るなど狂喜乱舞する。その後疲れ果てて寝てしまうが実は狸寝入りで、それに感づいた家康に話しかけられ起き上がる。
そして家康の「殿下に二度と陣羽織は着させませぬ!」という宣言に感銘を受け、謁見当日にも宣言するよう懇願。実際に当日宣言したことで改めて家康に陣羽織を与える。
それから数日後、家康が帰還する折に「戦なき世」を語ったのに対し、「この世に戦が無くなる事はねぇ。切り取る国は、日ノ本の外にもありゃあね…」と呟き、野心の目を海外にも向けるのであった。
第36回では家康から北条・真田との間で領土問題解決の報告を受けるが、秀吉は北条氏政が自らの意に沿わないことに不快感を感じており、ついに小田原征伐を決心する。
第37回では念願の長男・鶴松が生まれた事に大喜びする中、家康に小田原征伐の先鋒を指示。そして北条家撃破の際にはその所領を全て与えると言い出す。以降、戦後の処遇として家康の家臣達を城持ち大名とすることや家康に江戸へ国替えすることを指示、これを不服とする家康の意向を無視して強引に決定する。
その後氏政らが降伏し、伊達政宗ら奥州の諸大名も服属したことで天下一統を実現した。しかし鶴松が幼くして病死した事で、彼の中で何かが切れるような音が聞こえ、更に「次は何を手に入れようかのう?」と更なる欲望を募らせるのであった。
第38回では名護屋城を拠点に朝鮮出兵、並びに唐入りの指揮を執る。
浅野長政の堂々とした批判に激昂するも、家康の命懸けの説得や名護屋城の客人として来訪していた昌山こと足利義昭の昔話を聞いて頭が冷えたのか、家康に「わしを見捨てるなよ」と悲しげに懇願。更にこの時「生まれてから多くの家臣に囲まれていた家康を羨ましく思っていた」事を語る。そして家康の願い通り、同行させていた茶々を京に送り返す。
その後は明国の使者を伴い帰還した三成らに交渉を任せるが、茶々が第二子を妊娠したと聞き再び狂喜乱舞する(その際、家康や三成ら諸将は誰も喜んでいなかった)。
第39回では大坂城に戻り、新たな子の誕生に歓喜する中、朝鮮・明国との和睦の条件に無理難題(明皇帝の娘を天子に嫁がせるなど)を提示。しかし、三成・行長らにより成立した和睦が偽りであると知り激昂、朝鮮への再出兵を指示する。前後して、第二子である拾(後の秀頼)を溺愛するあまりに関白である秀次を処断するなどの暴走を続け、遂には病に倒れてしまう。
流石に今後の事を憂いたのか、「民の安寧こそが我が望み」と語り三成の提示した新たな政を承認。その後、病床に家康を呼び、幼い秀頼のことを託そうとする。
しかし、その際に前言を反故にし天下人としての責任を放棄する発言をしたことで「こんなメチャクチャにして放り出すのか!?」と家康に激怒される。だが秀吉は一切悪びれず「な~んもかんも放り投げてわしはくたばる」と言い放ち、挙句には狸寝入りまで決め込む始末だった。
しかし、「どうせ天下はおめえに取られるんだろ?」と予見、内心では家康の事を好いていたと打ち明け、改めて「上手くやりなされや」とこの先の秀頼と日ノ本の未来を託す。
その後病はますます悪化、口元や胸元を血に染めながら茶々に近づくが、彼女が「秀頼は、あなたの子だとお思い? (秀頼は)この私の子」「天下は渡さぬ、後は私に任せよ…猿」と毒づいた直後に笑みを浮かべこと切れる(なお、この笑みについては、家康が天下を掌握すると見通せない茶々を嘲笑したとする説や、茶々に対しても家康と同様に「上手くやりなされや」と激励する意図があったとする説がある)。
こうして、一介の農民から立身出世を目指して成り上がり、信長亡き後の新時代を作り上げた男の夢の如き生涯は62年で露と消えたのであった。
当初は『麒麟がくる』など近年の大河ドラマの「どこか腹に一物を抱えた秀吉像」に対し、『おんな太閤記』や『徳川家康』などで見せた旧来の陽気で明るい藤吉郎(秀吉)像に回帰したかのように見えた。しかし、前述の清須同盟締結時の交渉にて、桶狭間の戦いの勝敗に関する「物の見方」を得意げに示し、元康の動揺を誘い愕然とさせる程の切れ者ぶりを見せた。また、第15回で徳川軍に鉄砲を撃ち参戦を促すなどの手段の選ばなさや、その際一切の感情を殺して射撃を命じるなどの冷徹さを見せている。また、本能寺の変以降は前述のように嘘泣きをしばしば見せるようになる。
更に、秀長曰く「自分より格下の相手と話す時こそ本性が現れるから、敢えて訛りを使い下手に出ることで相手の本性を窺う」とのこと、まさに人心掌握のプロである(これは数正も似たようなことを指摘していた)。
以上の描写から、前述した道化師じみた態度とは裏腹に、行動の端々には頭のキレの良さと、光秀とはまた違った意味でのそこはかとない闇の深さとが見え隠れしている。
しかし、天下一統が近づくと自らの欲望を隠さなくなり、秀長や旭の死後は家康や寧の諫言にも耳を貸さず、朝鮮出兵を強行する。しかも茶々に現を抜かし、秀頼誕生後は暴走に拍車がかかる。
第39回では「太閤、くたばる」というサブタイトルに関して視点が誰なのか議論が起こったが、前述のセリフからこれは秀吉自身の視点だったことが明かされた。
秀吉の弟。豊臣政権下において大和郡山に100万石を領す。秀吉が唯一心を許す理解者で、知略策略を駆使して兄の天下一統を手助けする。同時に秀吉を制御できる数少ない人物の一人。
初登場は第26回で、家康が信長に大規模な接待を行った事を秀吉に報告している。
第28回では本能寺の変の報を受け、家康を主犯と見做した秀吉に、光秀が謀反人だと訂正した。
第33回では真田昌幸の調略を行い、味方につけることに成功したことが示唆された。
しかし、第35回で秀吉が海外進出を語った際には流石にドン引きしていた。そして第36回では自分の命が長くないことを家康に語っている。
第37回では病が悪化して小田原征伐には不参加だったが、正則から天下一統がなされたと聞き安堵。「兄がこれ以上何も欲しがらないように」と願っていたが、その願いが叶うことはなかった。
史実では、1591年2月(鶴松夭逝よりも前)に亡くなっている。
秀吉の正室で「北政所」とも称される。
第33回で初登場し、「戦はもうこりごりでございます」と言いつつ数正に奥方宛の櫛を贈呈していた。その後秀吉とともに数正と鍋を迎えている。
第35回では上洛した家康を秀吉らとともに歓待した。
第36回では夫の秀吉を「何でも欲しがる病」と称している。
第37回では鶴松誕生を祝うが、僅か3年で亡くなったことには深く嘆いていた。
第38回では大政所の最期を看取り、最期まで凶行に走る息子を止められなかったことを謝る彼女に代わって、身分を弁えず他者をも巻き込み際限なく欲を満たそうとする夫を一喝した。
第40回では加藤清正ら朝鮮出兵帰りの兵士と対立した石田三成の相談に乗り、三成に対して清正らに謝罪することを提案する。その際三成を「真っ直ぐすぎる」と評しており、同時に「あの人(秀吉)が何もかもわやくちゃにしたまま死んでしもうたせいだわ」と三成を慮る様子を見せた。
第41回では家康に大坂城西の丸を譲ったことが語られた。
第42回では、家康の頼みで大坂での留守を引き受け、阿茶の身柄を保護した。その後第43回では家康と三成の争いに複雑な心境を見せ、徳川と豊臣が一体となるべきと語った。その後、大坂から戻った阿茶に戦闘が終わったことを告げた。
第45回では家康と秀頼の仲介を務め、両者を二条城で引き合わせた。なお、史実では1603年に落飾し「高台院」と称しており、同回でも出家した姿で登場した。
第47回では茶々を「(戦を続けることが)そなたの本心なのか?」と問う。その後、家康達から大坂方との交渉を頼まれるが、「自分の役目は終わった」「(茶々を)説得できるとすれば大御所様自身では?」と語った。
演者は同じく戦国時代を扱った『功名が辻』で帰蝶/濃姫を演じていた。
浅井長政とお市の娘たちである「浅井三姉妹」の長女。後の淀殿。
第13回で家康が上洛した時には既に生まれており、その際家康に抱かれてあやしてもらったことがある。そのことはお市から聞かされていたが、本人は当然覚えていない。第19回の時点で長政が自害して小谷城は落城、以降はお市達と同様に信長の庇護下に入る。
第30回で本格的に登場、幼少時の経験からか妹達と比べると現実主義で冷たい性格をしている。それでも、「自分の父は長政だけである」と言い切り(この台詞から母の再婚相手である勝家との関係も微妙だった可能性が高い)、お市との別れの際に「母上の無念はいつの日か茶々が必ず晴らす」と涙ながらに誓うなど、両親への想いは強い。一方で、お市と違い家康を信用しておらず、家康がお市から救援の書状を送られても静観を貫き援軍に来なかった事から「やはりお見えになりませんでしたな。見て見ぬふり」「徳川様は嘘つきということでございます。茶々はあの方を恨みます」と冷たく言い放ち、家康への敵意と恨みを強める(その真意は後述)。
その後、お市は勝家とともに北ノ庄で自決、妹たちと共に秀吉に保護される。しかし、母を死に追いやった秀吉を逆に利用して浅井の血を天下に残す野心を抱き、馴れ馴れしく自分の頬に触れてきた秀吉に対して敢えて不適な笑みを浮かべ、秀吉を戦慄させた。
第36回で遂に成長した姿を見せる。演者はお市役の北川女史で、彼女の姿を見た家康は「お市…様…?」と驚きの表情を見せた。そして家康に銃口を向けるという衝撃的なラストで締める。
第37回では待望の長男・鶴松を出産。秀吉の小田原攻めにも同行しており、その際秀吉の差配に反発する家康に対し「徳川殿の家臣も殿下の家臣」と言い放つ。
しかし、鶴松が幼くして死去した折には当然ながら泣き崩れた。
第38回では秀吉に連れられて名護屋城に来訪、更に家康と歓談した際に「父親として、お慕いしてもようございますか?」と語るが、すんでのところで阿茶局に止められる。
その後は秀吉の指示で京に帰還。そして念願の第二子を妊娠する。
第39回では秀吉の最期の場にて「秀頼は、あなたの子だとお思い? (秀頼は)この私の子」「天下は渡さぬ、後は私に任せよ…猿」と、織田の血筋を引く者が持つ威圧感と共に毒づく。しかしその直後に秀吉がこと切れた事に気づくと、秀吉を抱きしめ号泣した。
第40回では石田三成に対して、北庄城落城の経験を念頭に「家康は平気で嘘をつくぞ」と助言、家康と三成が袂を分かつ原因を作る。
第41回では、家康に会津征討を促す一方で三成に金品を贈り挙兵を焚きつける。しかし、その裏で「三成が好き勝手をして困っているから助けてほしい」という書状を家康に送りつけ、どちらが勝利しても安泰になるよう仕向ける。なお、この文面にはかつて家康が(事情があったとはいえ)母を助けてくれなかったことへの痛烈な皮肉が含まれていた。
第43回では、出陣の動きを見せない毛利輝元に苛立ちを募らせる。更に阿茶局が「輝元は家康の調略に応じ、西軍の勝ち目はなくなった」ことを理由に秀頼の身柄を徳川に預けることを説得しに来たため激昂、「二度とお見えにならぬがよろしい」「帰り道には気をつけられよ」と言い放つ。
終戦後は、三成へ責任を押し付け居直る輝元に笑顔で近づいたのち、強烈な裏拳での平手打ちをかまし「そなたを頼ったのが間違いだった。去れ!」と怒鳴りつけた。
第44回では、表面上は関ヶ原の戦いに勝利した家康を労うが、「太閤殿下の遺命」として秀忠の娘・千姫を許嫁とすることを迫り、更に秀頼には家康への警戒を怠らないよう教え込んだ。
第45回では、「家康はあくまで秀頼が成長するまでの中継ぎ」と考えており、家康が天下を返上しなかった場合「欲しいものは力ずくで奪う」と、かつて市が家康に語った言葉を発した。その後、家康と秀頼の会見を利用して豊臣家の株を上げる。そして秀頼の成長を見て「(家康が死ぬのを)ただ待つだけなのはつまらぬ」と言い、方広寺の鐘銘に敢えて細工を施し徳川方を挑発する。
そして第46回にて家康の最後通牒を拒絶し大坂冬の陣が勃発。真田信繁ら牢人の奮闘もあり粘り強い抵抗を続けるが、家康は大筒による攻撃を指示。その砲撃によって大坂城の天井が崩落、咄嗟に下敷きになりそうになった千姫を庇う。
第47回ではその後奇跡的に一命を取り留めたことが描かれ、その後は徳川家との和睦に際し、大坂城の本丸以外の堀の取り潰しに応じる。
しかし、召し抱えていた牢人達が京の町を襲撃するという事件が発生。この一件に関する交渉役として徳川家から妹の江と初が来訪し、数十年ぶりの姉妹再会を果たす。
その際に明かされた回想によると、本能寺の変の際に家康の無事を祈っていたことが明かされ、実際は家康こそが天下を納める器であると認めており、自分たちを助けてくれると信じていたが、母を救えなかったことから家康を恨むようになり、「自分の理想の天下人=秀頼」を産むことで家康への復讐を果たそうとしていた。
初と江から話を聞いた家康からの手紙を受け取り、「乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟でございます」という彼の覚悟を思い知る。そして、秀頼に本心を問うも、彼もまた自身と同じように乱世の亡霊に憑りつかれてしまっていた。
その後、家康からの手紙を火鉢の中に捨て「共に行こうぞ、家康…!」と家康と共に乱世の生き残りを引き連れて滅ぶ覚悟を決めるのであった。
最終回では千姫を徳川家に返し、炎上する大坂城にて秀頼や牢人達の死を見届け、乳兄妹である治長の介錯を務めながら、日ノ本が「正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ妬み嘲る。優しくて、卑屈なか弱き者たちの国」になると、あたかも日本の行く末を案じるかのような言葉を残し、秀頼達の後を追うように自害した。
本作の茶々(淀殿)は父母の敵である秀吉すら利用し、家康と対峙し続ける冷酷で狡猾な姿を見せた一方で、秀吉の臨終を深く悲しんだことや千姫を咄嗟に庇ったことなどから他者への愛情や思慕などを持ち合わせた二面性のある人物として描かれている。
秀吉の母。尾張の農民出身でのち「大政所」と呼ばれる。
第35回で初登場。人質として岡崎城に来訪した際、留守を担当していた直政に一目惚れ。挨拶に来た忠世をそっちのけにして彼の事を大層気に入ってしまう。
一方で、我が子である秀吉がトントン拍子に出世し天下人になった事と、そんな彼を世に生み出してしまった事を非常に恐ろしく感じているようで、誰かが彼を制御しないと後々大変な事をするのでは…と、後の出来事への伏線と共に不安を募らせている。
第38回にて息子の凶行を止められなかったことを詫びつつ、寧の見守る中その生涯に幕を閉じた。なお、秀吉が母の死に目に会えなかったのは秀次が報告を躊躇ったからといわれている。
演者は『真田丸』で山手殿(劇中での名前は「薫」)を演じている。
秀吉の妹。副田吉成と結婚していたが離縁させられ、家康の正室(という名の人質)として嫁ぐこととなる。秀吉と同じく元は貧しい農家の出のため礼儀作法に欠けたところがあるものの、明るく朗らかで純朴な心優しい性格であり、家康の母の於大や側室筆頭の於愛とも直ぐに打ち解け仲良くなるが、内心では前夫が消息不明であることに心を痛め相当な無理をしているのであった。
そのことを知った家康は彼女に頭を下げ、「そなたのおかげで我が家中が少しだけ明るくなった」「そなたはわしの、大事な妻じゃ」と礼を述べている。
第37回では病を患って大坂に戻り、家康から看病を受けている。
史実では、1590年2月に亡くなっている。
秀吉最愛の女性・茶々(淀殿)の次男。
秀吉死後に大坂城に入り、第41回では会津に出征する家康を激励する。
第44回終盤で遂に成長した姿を見せ、1611年時点で既に秀吉の身長を抜いていた。因みに、同回では大坂城の柱に秀頼の背丈を刻むことで年月の経過が表現された。
第45回における二条城での会見では、義理の祖父である家康に気を遣ってか上段へ座るように促し、家康の前で跪くなど礼儀正しい様子を見せていた。しかし、この会見をきっかけに「秀頼は立派だが、家康は無礼」「家康は天下の簒奪者、秀頼こそが天下を治めるべき人間」とする声が高まり、大坂へと集う牢人が増加する事態へと発展。家康も「清らかで様子のいい秀吉」と称して、警戒感を露にした。
第46回では遂に大坂の陣が勃発、牢人らを指揮し決死の抵抗を行うが、徳川方の砲撃を受け城内に甚大な被害が及ぶこととなる。
第47回では徳川方との交渉に応じ、家康の真意を知った母から「今後のことはそなたに任せる」と言われる。そして自らの本心を問い続け、「余は戦場でこの命を燃やし尽くしたい」との結論に達する。そして信繁・治長らを前に「徳川を倒す!ともに乱世の夢を見ようぞ!」と宣言した。
最終回では千姫と常高院を逃がした後に炎上する大坂城にて切腹。その短くも鮮烈な生涯に終止符を打った。
『真田丸』など過去作品では成人後も総髪姿で登場することが多かったが、本作では幼少期のみ総髪で成人後は月代を剃っている。
幼少期を演じた重松は長松(徳川秀忠の幼少期)も兼演している。
- 羽柴秀次⇒豊臣秀次(演:山下真人)
秀吉の甥(秀吉の姉・日秀の長男)。
小牧・長久手の戦いにおいて、岡崎城攻略の総大将になるが、家康に手の内を読まれて夜討ちにあい、池田恒興・森長可を喪う大敗を喫してしまう。なお、史実における当時の名前は信吉であり、秀吉が関白に就任してから秀次と改名している。
第38回では秀吉から関白を譲られるが、第39回時点で切腹したことが家康により言及された。
上記の通り本作では非常に影が薄かった(名前すら出なかった千利休よりはマシかもしれないが)。
豊臣家臣団
秀吉子飼いで文武に優れた豊臣家の名将。肥後の北半国19万5千石を領する。
第31回で初登場し、本格的な出番を与えられたのは第32回から。小牧・長久手の戦いで徳川軍と対決し、その強さを実感することとなる。
その後朝鮮出兵では小西行長らとともに先鋒を務めるが、撤退後は三成との対立を強める。
しかし、会津征伐や関ヶ原の戦いには直接参加せず(史実では島津氏との交渉にて家康の不興を買ったともいわれている)、九州において黒田官兵衛らと西軍方諸将の領国を平定した功により、小西行長の旧領・宇土を合わせて肥後52万石を与えられる。
しかし第44回では、覇権を握った家康を警戒するようになり、そして第45回では「片時も離れず秀頼様をお守りします!」と宣誓し、家康と秀頼の会見に同席した(但し正確には、清正は家康にも忠勤を尽くしており、二条城会見でも自身の娘婿となる予定だった家康の十男・徳川頼宣の護衛として参列している)。
その直後に急病に倒れ、熊本にて満49歳で死去した(そのタイミングから毒殺説も根強い)。家督は三男・忠広が継いだが、1632年改易されている。
小姓時代に秀吉から才能を認められた猛将。情に厚く真っすぐな性格。
第31回で初登場し、本格的な出番を与えられたのは第32回から。
第37回では小田原陥落を病床の秀長の元へ報告に行っている。
第42回の小山評定では、他の武将に先駆けて家康支持を表明、長政や一豊らも同調した。その後西進し、織田秀信が守る岐阜城を陥落させた。その際、特大の杯に入った酒をかっ喰らっていた。
第43回の関ヶ原の戦いでは、先陣を切った直政に負けじと出撃、その功績として広島49万8千石を与えられた。しかし、清正同様徐々に家康を警戒するようになる。
史実では家康の死後、秀忠により武家諸法度違反で改易され、信濃高井野藩に移された。その後、1624年7月に64歳で死去。
ちなみに、深水氏は『真田丸』でも同役で出演していた。
才気あふれる、最高の頭脳の持ち主。
あちこちを忙しく駆け回っており、秀長をして「自分達でもめったに会う機会が無い、豊臣家臣の中でも一番の変わり者」とのこと。
第35回で初登場。家康と「南蛮では星の繋がりを神々の話として語らっている」ことや「柄杓の形をした、南蛮では熊に例えられる星の繋がりの話」、この世は丸く繋がっているという話を大いに語り合い「気が合いそうでござるな」と意気投合する。
第37回では関東への国替えに不服を感じる家康の元を訪れ、国替えに反発した信雄が改易された事を伝え、国替えの指示に従うように説得した。
第38回では秀吉の唐入りに家康共々反対の姿勢を見せる。その後撤退を決意した秀吉から明朝の使者との交渉を行うが、その要望が反映されなかったとして秀吉の怒りを買う。
第39回では知恵のある者を中心に政治を行う体制を構想、病床の秀吉から認可されるが、第40回で朝鮮出兵から帰国した清正らと対立。しかも家康が無許可で清正らとの婚姻を取り決めるなど早くも暗礁に乗り上げる。
その後は毛利輝元・上杉景勝や淀殿の発言が尾を引く形で家康への不信感を募らせていく。最終的には清正らの襲撃を受けたことで所領である佐和山での謹慎が決定、家康との断交を宣言する。
第41回では佐和山にて表向きは謹慎していたが、金品を貯め込み再起を図る。そして家康が会津に出征した後、遂に大坂城に入り輝元・秀家らと家康追討の兵を挙げる。
第42回では元忠が守る伏見城を陥落させ、大垣城に入る。その後諸大名宛ての膨大な書状をしたため、家康糾弾を呼び掛けた。そして、家康を関ヶ原に誘導する作戦を取る。
第43回ではその読み通り家康方が関ヶ原に着陣、自らも大垣城を出て笹尾山に布陣する。そして9月15日戦闘に及ぶが、小早川秀秋の裏切りに遭い敗走。その後捕らえられ六条河原で処刑された。
その直前、大津城にて家康と対面。「何がそなたを変えたのか」と家康に問われるが、「私は変わっておりませぬ、私にも戦を望む心があっただけのこと。ご自分にはないとお思いか?自惚れるな!」「戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」と毅然と答えた。
今作では、当初は家康と良好な関係を築く三成像が提示され、視聴者からは「こんなに仲良しなのに、関ヶ原で戦うなんてあり得ない」「いっそ今年は関ヶ原無しになりませんかね?」といった感想が相次いだ。しかし、秀吉死後は上述のように史実通りの経過を辿り、視聴者の願いが叶うことはなかった。なお、松本氏と七之助氏は高校以来の親友であり、今作の家康と三成の関係に反映されたと考えられる(但し、実際に両者はある時期まで協調的だったとする説もある)。
七之助氏は戦国大河では「武田信玄」で太郎(武田義信)を演じて以来35年ぶりの登場となる。また、茶屋四郎次郎役の勘九郎氏は兄にあたる。
元は信長家臣で加賀を治める大大名。秀吉とは織田政権下でしのぎを削り合った友人同士。
第38回で初登場し、明朝との講和交渉を務める三成・吉継・増田らを労った。
第39回では三成の構想する政体に興味を示し、協力を約束する。しかし第40回で三成と清正ら武断派が対立、家康と共に両者の仲裁を行うが病に倒れてしまう。家康が見舞いに来た際には「桶狭間の戦いの年に生まれた三成をはじめ、若い諸大名は家康を『神代の昔のオロチ』の如く密かに恐れている」と語った。その一ヶ月後、病が悪化した事で死去した事が語られた。
なお宅麻氏は『おんな太閤記』では石田三成、『徳川家康』では松平信康、『独眼竜政宗』では家康の孫・徳川家光、『秀吉』では浅井長政を演じている。
- 前田利長 (演:早川剛史)
利家の長男であり、加賀前田家2代目当主。
第40回で初登場、病床に伏せる利家の傍に付き添っていたが、家康を恐れている一人として父に話を振られた時は狼狽した様子を見せた。
しかし第41回では大野治長らに家康暗殺を指示したと語られる。その後、家康は加賀征伐を計画するが、利長は実母の芳春院を人質として江戸に差し出し恭順した。
第42回では家康と三成からの書状を受け取り、家康側に付くことを示唆する発言をしている。
史実では実際に家康方に従い、戦後加賀120万石の領有を認められる。その後1614年5月に53歳で死去。跡を継いだ異母弟の利常に秀忠の娘で千姫の妹・珠姫が嫁いだ。
演者の早川氏は尾張言葉の指導も務めている。
豊臣家家臣、越前敦賀を治める大名で三成の盟友。
第38回で初登場。三成や増田と共に朝鮮出兵の進捗状況を報告した。
第40回の終盤では、顔を白い頬かむりで覆った従来描写されるとおりの姿で登場した。
第41回では佐和山に隠居した三成を見舞い、その様子を家康に報告する。また、会津征伐の際には病身(※)でありながら家康の下に参陣し、三成の三男を加勢させる同意を得る(以上の描写から、吉継が家康にも信頼されている様子が窺える)。
その後吉継は佐和山に立ち寄るが、三成が挙兵を画策していることを知り必死で阻止しようとする。しかしその決意を覆すことはできず、それに折れる形で三成に協力することになる。
第43回の関ヶ原の戦いでは、主戦場よりやや後方で指揮を執る。しかし、秀秋の寝返りに遭い、異変を三成に伝えるかのような描写が見られた。その後、奮戦の末自決した。
なお、忍成氏は『軍師官兵衛』で小西行長を演じている。ウィッグも当時使用していた物と同じ物らしい。
(※)当時吉継はハンセン病にかかっていたとされ、頬かむりをしていたのも病で歪んだ顔を隠すためといわれている(現在では眼病とする説が主流とされている)。なお、三成と吉継の逸話で「吉継の顔から落ちた膿が入ってしまったお茶を三成が平然と飲み干した」というものが有名だが、本作でもこの逸話をオマージュしたと思われる場面が描かれた。
- 大谷吉治(演:東山龍平)
吉継の息子。関ヶ原で戦死した父の無念を晴らすべく第45回で大坂城に入城した。
秀吉の信頼厚い大名の1人で、敬虔なキリシタンでもある。
文禄の役で先鋒を務め、三成らとともに明朝との講和交渉を行う。
しかし、秀吉の要求を隠して交渉を行ったため、秀吉の不興を買う。
第42回では、家康の書状を三成に見せ、工作を怠らないよう忠告した。
第43回では三成が戦闘に及んだことを称えるかのような発言をした。しかし、秀秋の寝返りで三成方は総崩れとなり敗走、その後六条河原にて三成らとともに斬首された。
三成がその才覚にほれ込み、三顧の礼をもって召し抱えた武将。諱は清興。
第40回で初登場。家康が密かに武断派との婚姻を進めている事を三成に報告している。
第42回では伏見城攻略戦に参加、元忠に手持ち大筒の直撃を食らわせた。
第43回の関ヶ原の戦いでは徳川方を相手に奮戦するが、秀秋の裏切りにより三成方は壊滅、行方知れずとなる。
高橋氏は『天地人』で加藤清正を演じている。
秀吉の参謀・黒田官兵衛(※)の嫡男。
朝鮮出兵では三成らによってなされた讒言を蜂須賀・藤堂共々深く恨んでおり、帰国後は朝鮮での戦況も碌に知らない三成から茶会の提案を受け、しかも「戦争での失態は不問とする」という発言に激怒しつかみかかる。その後、家康と婚姻関係を結び(実際には、長政が家康の養女・栄姫(久松長家と於大の孫)と結婚したのは会津征伐の直前)、利家死後には清正・正則らの三成襲撃に加担する。
第41回にて会津征伐に参陣、第42回の小山評定では正則ら同様三成討伐を家康に誓う。その後家康に先駆けて西進した。
第43回では、吉川広家・小早川秀秋らの調略に関わっており、その進捗を家康に報告した。なお、その際の活躍は本作では詳しく描かれなかったが、『軍師官兵衛』にて詳細が描かれている。
史実ではその後福岡52万石を与えられ、その後も家康への忠勤に励む。大坂冬の陣では(元家臣の後藤正親が大坂方に付いたのもあってか)江戸に留まったが、夏の陣では本戦に参加した。
阿部氏は『官兵衛』で加藤清正を演じている。
(※)官兵衛は本作未登場(当初は登場予定だったとのこと)。視聴者からは『軍師官兵衛』で主役の官兵衛を演じた岡田氏の再登板を望む声もあったが、公式ガイドブックにおける三英傑対談で秀吉役のムロ氏も岡田氏の再登板を希望していた。
秀吉の家臣・蜂須賀正勝(小六)の息子で阿波を治める。
第40回では朝鮮出兵における三成との対立から家康との婚姻関係(家政の息子・至鎮に信康と五徳の孫が嫁いだ)を結び、清正・正則らの三成襲撃に加勢する。
武田氏は『真田丸』で大野治房を、『麒麟がくる』で本願寺顕如を演じている。
浅井家・織田家から秀長の家臣を経て秀吉に仕える。
第38回で名前のみ登場、朝鮮出兵で水軍を率いるが李舜臣ら朝鮮水軍に敗北したとの報せが入る。
第40回では、長政ら同様三成を恨み家康に接近、三成襲撃に加わる。
- 山内一豊(演:山丸親也)
遠江国掛川・5万1000石を領する大名。妻・山内千代の内助の功で知られる。
会津征討に従軍しており、小山評定では家康に「内府殿と共に戦いまする!!」と誓約した。
史実ではその功績から土佐20万石を拝領、1605年11月に61歳で死去した。
- 堀秀政(演:小橋川嘉人)
「名人久太郎」と呼ばれた戦上手で小牧・長久手の戦いにおいて羽柴秀次や池田恒興らと岡崎城攻略に出陣するが、家康に手の内を読まれ大敗を喫してしまう。後述の堀秀治は秀政の子。
秀吉の妻・寧々の親戚(寧々の妹の夫)で、昔から秀吉に仕える奉行の中でも古株。
第38回で初登場。秀吉の朝鮮出兵に疑問を抱いており、進捗報告の場でありながら秀吉本人の前で「狐が憑いておる!」と堂々と批判している(実際に狐が取り憑いたと秀吉を批判し、渡航をやめさせたとの逸話が残っている)。
第40回では五奉行の一人として秀吉死後の国政運営に参加する。しかし、第41回では家康暗殺の嫌疑をかけられ、奉行から外されることとなる。
作中には登場しなかったが、史実では秀忠軍に従軍したとされる。その後、1611年4月に65歳で死去。
なお秀吉存命中の諱は「長吉」だが本作では登場当初から「長政」名義である。
元は信長・信忠の家臣で五奉行の筆頭格。「前田玄以」とも。
第40回で初登場し、秀吉死後の国政運営に携わる。
秀長没後の大和郡山城主。五奉行の一人で諸大名との対外交渉を担当。
文禄の役では三成らとともに明朝との戦後交渉を行う。
第40回では秀吉死後の国政に参与する。
元は丹羽長秀の家臣で長秀死後秀吉に仕える。
第40回で初登場し、五奉行の一人として秀吉死後の国政運営に参画する。
史実では本多忠勝の妹・栄子姫を妻に迎えているが、娘の稲姫が嫁いだ真田家と異なり特に絡みは無かった。
秀吉の政治顧問、外交役も務めた臨済宗の僧。
第37回で初登場、信雄と共に家康に小田原攻めを促す。
第41回では上杉景勝と対立する家康を案じ景勝宛てに書状を送るが、このことが会津征伐の引き金を引くこととなる。
史実ではその後、家康に仕え金地院崇伝を紹介している。そして1608年2月に死去。
備前岡山の大名・宇喜多直家の嫡子で秀吉の猶子。
第40回で初登場し、五大老の一人として政権を担う。家康のことはかなり警戒している様子。
第41回では三成の家康追討に参加し、第42回の伏見城攻めで元忠らを討ち取った。
第43回では徳川方を関ヶ原にて迎え撃つが、秀秋の寝返りにより敗北。戦後は八丈島に流された。
寧々の甥で秀吉の養子だったが、秀頼誕生後は小早川隆景の養子となる。
第42回で初登場、当初は三成に加勢し伏見城攻めに加わるが、家康の調略にも応じていた。
第43回では関ヶ原合戦の趨勢を見定め、家康自らが動いたことを知ると「さすが戦巧者じゃ」と家康を賞賛し、大谷勢の陣を強襲。三成方を大いに動揺させることに成功する。
ちなみに、徳川軍の大砲により威嚇された逸話は江戸時代以降の創作である可能性が高いという研究が主流となっているため、本作では内通通り徳川勢に寝返り動いたという説を採用している。
戦後は岡山に55万国を与えられるが、1602年10月18日に22歳で死去したため、無嗣改易となった。なお、その死因はアルコール中毒による内臓疾患とされている。
演者の嘉島氏は『江』で徳川秀忠の幼少期(『どうする』と異なり幼名は「徳川竹千代」)を演じている(当時の芸名は嘉数一星)。
豊臣家直参で、秀吉の死後は秀頼の側近として仕える。
第43回にて高台院の使者として初登場した。
第46回では豊臣と徳川の仲介役として奔走するも、大野治長が方広寺鐘銘事件をわざと仕立てたと見抜き口論へ発展。更には彼が自らの暗殺を企てていることを千姫を通して知った織田信雄から伝えられ大坂を離脱、伏見まで無事に逃げ延びる。その後、大坂の陣では徳川勢として従軍した。
大江広元の実兄である中原親能役を演じた前作『鎌倉殿の13人』から2年連続の大河出演となる。
大野修理の名でも知られる名将。母・大蔵卿局は茶々の乳母にあたり、そのため茶々とは乳兄妹の間柄。
第41回で初登場、家康暗殺計画に携わり流罪となるが、退出時に家康を強く睨みつけ再起の時を図る(なお史実では、関ヶ原の戦いにて福島正則隊に属して活躍した)。
そして第44回では豊臣家重臣として復権を果たし、家康が秀忠に将軍職を譲った際には「太閤殿下との約定違反である!」と厳しく批判していた。
第45回では秀頼と家康の会見に同席、その後秀頼との手合わせで彼の成長を称えている(なお、茶々からは「手加減はしておらぬだろうな?」と言われている)。
第46回では徳川との交渉を務めていた且元を疎んじ暗殺計画を企てるも常真(信雄)の機転により失敗に終わる。その後は真田信繫ら牢人を集め徳川方との戦闘に及ぶ。
第47回では大坂城の堀を勝手に埋める本多正純らを前に「どちらに理があるかはすぐに分かる」旨のことを語っていた。その後は茶々と同様に秀頼に今後のことを一任したが、彼が決戦を決めた際には最後まで従う様子を見せた。
最終回では信繁らと家康本陣を襲撃しあと一歩まで追い詰めるも失敗。炎上する大坂城にて「徳川は汚名を残し、豊臣は人々の心に生き続ける!」と言い残し秀頼を介錯。その後自らも腹を切り、茶々の介錯を以て死去した。
演者の玉山氏は『天地人』で上杉謙信亡き後、家督をめぐって争った二人の養子のうち、北条氏政の弟でもある上杉景虎を演じている(奇しくも『天地人』で養父・謙信を演じたのは本作で武田信玄を演じた阿部寛氏である)。
大野治長の実母にして茶々の乳母。
第47回における阿茶と初の和睦交渉の場に同席している。
演者は…。
因みに戦国時代の過去作品では『徳川家康』で於大の方を、『江』で高台院を演じている。
- 後藤正親(演:蔵原健)
大坂城五人衆の一人。通称は又兵衛。元黒田長政の家臣。本作では『官兵衛』や『真田丸』で用いられた又兵衛表記ではなく諱の正親(従来は「基次」が主流であった)を採用。
- 長宗我部盛親(演:火野蜂三)
大坂城五人衆の一人。元土佐の大名で長宗我部元親の四男。
- 毛利吉政(演:菅原卓磨)
大坂城五人衆の一人。元豊前国小倉の大名だった毛利吉成の子。『真田太平記』や『真田丸』などでは毛利勝永として登場していたが本作では吉政名義で登場。上記の作品と異なり剃髪した姿だが、史実でも正室の死をきっかけに出家している。
- 明石全登(演:小島久人)
大坂城五人衆の一人。元宇喜多秀家の家臣。名前の読みは「てるずみ」となっている。
今川家
駿遠三の三国を治める太守。人質として駿府に抑留された元康(家康)を実子氏真と同等に可愛がっており、元康からも実の父に負けず劣らずの尊敬と思慕の念を向けられていた。
氏真が元康を相手に武芸の稽古をする際、元康が氏真の面目を立てるためにわざと負けていたことも見透かしており、「それは相手へのこの上ない侮辱じゃ。二度と致すな!」と一喝したが、元康と姪の瀬名の結婚が決まり破顔一笑した。
また、桶狭間の戦いでは自陣で中の人の本職とも言える舞を披露し、さらには大高城への兵糧輸送に先んじて松平勢の陣中を見舞い、元康にも「武をもって治めるは覇道、徳をもって治めるは王道」と説いてみせるなど貫禄ある姿を見せていたが、その直後に「覇道」を征く者と看做していた信長の手により、初回で討ち死にを遂げることとなる。
存命中の出番は初回のみであるが、以降も第3回を皮切りに度々元康の夢の中に登場しており、第8回では、かつて駿府にて論語を学んでいた元康に「天下の主とは誰か?」と問いかけ、自分たち武士が民に生かされていること、そして民に見放された時こそ自分たちは死ぬのだと説き、真の天下の主が名もなき民草であることを示していたことが描かれている。
このくだりや、前述した「覇道と王道」に関するやりとりなどからも窺えるように、若き元康にとっての師としての側面が本作では強調されており、従来の大河ドラマにおける太原雪斎のポジションを兼ねているのではないか、と指摘する向きもある。
他方で、氏真に対しては実子にして自らの後継者でもあることから、元康ほど直接的に褒めることは少なかったものの、それでも父として彼を強く気に掛けていたのも確かであった。
尾張への出陣前には従軍を懇願する氏真に「将としての才はない」と突き放しながらも、同時に糸には「天賦の才は持たぬが、武術も学問も強く精進している」と、そして「己を鍛え上げることを惜しまぬ者は、やがて天賦の才を持つ者をも凌ぐ」と、氏真が影の努力家であることを高く評価しており、彼女の願いで凱旋後にその旨を直接氏真に伝えることを約したが、これが果たされることは遂になかった。
義元の教えは家康の天下取りや国家建設に強い影響を与え、第45回にて「王道と覇道」の教えが秀忠にも受け継がれていた。
因みに、萬斎氏は2024年公開予定の映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』で家康役を演じることが発表されている。
義元の嫡男。元康(家康)とは彼が竹千代と呼ばれていた頃から親しい間柄でもあり、彼からも兄のように慕われていた。文武の道のみならず蹴鞠など芸事にも秀でており、武芸の稽古においては元康も常に勝てずにいたほどであった。が、従妹の瀬名を巡る争いにおいて元康に初めての敗北を喫し、さらに義元によって家康が普段からわざと負けていたことを明かされたことが、後々に至るまで心に深い傷を残すこととなってしまう。加えて、元康への対抗心などもあって尾張遠征への従軍を願い出ながらも却下されたこと(義元の項を参照)もまた、内心に横たわる劣等感や承認欲求を燻ぶらせる格好となった。
それでも、元康が無事に岡崎へ帰ったと知った際には主君として喜び、援助をするように命じた。だが、実際は父・義元の討死に伴う戦後処理や上杉謙信(当時は政虎)による関東出兵への対応に忙殺され元康に援軍を送る余裕すらなかった。結果元康は今川からの離反という苦渋の決断を迫られ、その報を知った氏真は狼狽、人質の処刑を命じた。
以降氏真は元康に失望し「不忠の者」として彼を目の敵にするようになる。また、この機会に乗じて瀬名を夜伽役として奉公させるが、彼女の持っていた守り袋の中に木彫りの兎があったのを見て取るや、彼女に血文字で手紙を書かせて元康の元に送りつけ、帰参の脅しをかけてもいる。こうした、暗に元康への執着を示すような描写などから、視聴者の間では「メンヘラを煩わせた横恋慕さんと化してしまった」との声も囁かれている。
もっともこれらの行動の根底には、前述した劣等感や承認欲求、そして突然に父を亡くしたが故の重責を懸命に果たそうとしながらも、巴が指摘した生来の気質(詳細は巴の項を参照)ゆえに元康を始め周囲の者たちが離れていくことへの焦りや苦悩もあったようだ。
第6回での人質交換の交渉においても、(立場ゆえの傲慢さこそあれど)父と同様に元康に目をかけていたという胸中を吐露している。その元康に裏切られたという鬱屈した思いからか、当初は数正を使者とする交渉も突っ撥ねるが、巴と氏純の命を賭した説得に折れ、瀬名と竹千代・亀姫及び数正らを解放する。
ともあれ、その後も国人の離反が相次ぐ中で冷徹な処断に手を染めていたが、武田信玄の駿河侵攻で駿府は陥落、岡部元信からも潔く自刃するよう促された氏真であったが、なおも意地を捨てきれず遠江の懸川城(掛川城)に籠城。およそ4ヶ月にも渡り徳川軍に抗戦するも劣勢は明らかであり、最後は手勢を率いて玉砕する覚悟を固めたが、その直前に糸を脱出させたことが裏目に出て、隠し通路より家康達の城内への進入を許してしまう。
家康との一騎打ちにも敗れ、もはやこれまでと自害を決めるが、家康から落ち延びるよう嘆願されたことや糸から亡き義元の思いを聞かされたことで、戦国乱世の舞台から降りる事を決心、妻と共に北条家に身を寄せることとなる。そしていつかは氏真のように平穏に生きたいと語る家康に「それはならん、そなたはまだ降りるな。そこでまだまだ苦しめ」と、憑き物の落ちたような様子で言い残し、糸と共に懸川を去っていった。
物語では一時退場したが、史実ではのちに家康の庇護を受け長篠・設楽原の戦いでは織田徳川連合軍の一員として参陣し、また家康の遠江平定戦に従軍し諏訪原城主に任じられている。また、都で信長に蹴鞠を披露しており、その様子は『おんな城主直虎』で描写されている。なお、合戦後は出家して宗誾と号しているが、この時点では剃髪せず俗体のままだった。
その後、第24回で再登場。妻の糸と共に築山を訪れ、瀬名の思い描く「慈愛の国」に賛同。助力を約束する誓書を書き記した。
第26回では家康が駿河の統治を彼に一任したいと信長に懇願したが、拒否されていた。
第37回では糸の兄である北条氏政にも瀬名の思想を紹介していたことが氏政本人から語られており、彼自身強く共感していたことが明かされた。
第45回では出家した姿で登場、名を前述の「宗誾」と改め、文化人として妻と悠々自適な暮らしを過ごしていた。
そんな折に家康の元を訪れ、珍しく気弱な姿勢を見せる彼に「お主に救われた命もある事を忘れるな…!もとのお主に戻れる日もきっと来る」と「兄」として励ましの言葉を送った。
その後、1614年12月28日、江戸で死去した。享年77歳。
氏真の死後も今川家は高家として幕末まで家名を存続させた。
氏真の正室で、北条氏康の娘。今川と北条・武田との間に結ばれた同盟を強固なものとすべく、氏真の元へと嫁いできた。
本作独自の脚色として、幼い頃に石段から転倒したことで片足を負傷していると噂されており、その後遺症で足が極めて不自由な身の上として設定されている。そうした事情から、氏真の苦悩を間近で見守りながらも心を通わすことができず、また懸川への道中でも氏真の足枷となってしまい、自身の実家である北条への亡命を提案するも拒否されるなど、正室でありながら氏真との関係は微妙なものがあった。
氏真が最後の攻勢に打って出る際にも、付き従うことを許されず隠し通路からの脱出を促されるが、幸か不幸かその隠し通路を見張っていた康政の手勢に身柄を抑えられ、結果としてこれが家康らの城内への進入、そして氏真の助命に繋がった。そしてその際、皆が自分を嘲笑っていたと自虐する氏真に対し、前述した義元からの評を伝えてこれを否定するとともに、乱世の舞台から降りることを促してみせた。
史実では、その後も氏真と行動を共にし、1613年に氏真に先立ち亡くなった。
今川家臣団
瀬名の父。今川家の一族で有力家臣だったが、義元討死後は自らに対する処遇から新当主・氏真に今川家を再興する力は無いと察し、元康の味方につくことに賛同するが、お田鶴の密告により発覚。その後元康側からの申し入れで鵜殿氏長・氏次兄弟と娘と孫の人質交換が持ちかけられた際、自らは残って責を負うのと引き換えに交渉に応じるよう氏真に嘆願、瀬名たちを救うことに成功する。直接の描写こそないものの、人質交換の後に処刑されたであろうことが示唆されている。
瀬名の母。元々松平家及び三河の地を毛嫌いしており、半蔵達による奪還作戦をお田鶴に報告してしまったため、半蔵達の作戦は失敗に終わってしまった。だが、夫の「私達が氏真様に見限られているんだ」という言葉には反対しておらず、自身も「三河の味噌は好きだ」と言っており、お田鶴に報告してしまったのも「一度お別れを言っておきたかった」という善意によるものであった。
一方で、その後の松平との人質交換の交渉の折には、頑なな態度を示す氏真に対し感情を抑えられずに喚き散らしてしまうという幼い頃からの癖が周囲の離反を招いたのだと、かつて氏真のお守りをしていた立場から毅然と指摘してみせると共に、自らの命と引き換えに交渉に応じるよう嘆願するなど、彼女なりの覚悟も示している。またその際、瀬名に対し「あなたにも命をかける時は必ず来ます」と、瀬名こと築山殿の今後を示唆するような言葉を遺した。ちなみに『おんな城主直虎』では「佐名」名義で登場し宝塚歌劇団の後輩である花總まりが演じていた。
大高城主。長持の子で氏長・氏次の父。瀬名と氏真の従兄でお田鶴の兄でもある。駿河と尾張の国境で織田軍からの猛攻に耐える今川方の将。
兵糧攻めにあい落城寸前だったが、今川本軍から元康軍が兵糧とともに派遣され一息をつく。
桶狭間での敗戦後も傾きつつある今川に忠実に仕えており、お田鶴を通して関口家の動向を逐次監視させ、正信たちの計画が露見した際には、侵入してきた忍び達を待ち伏せて服部党を半壊状態に追い込むなど手強い面を示している。
その後の上ノ郷城攻防戦でも、先手の久松勢を難なく退けているが、自身が虫けらと呼ばわっていた服部党と甲賀衆による夜討ちにあって城は陥落。自身も敵に囲まれながらも「卑しき賊共の手にはかからぬ」と自害、最後まで今川家臣としての誇り高さを保ち続けた。
ノベライズ版では、敵対関係に転じた元康と戦うことへの複雑な胸中も口にしており、ドラマの方でも第10回の回想においてその際の台詞が引用されている。
長照の長男と次男。第6回の上ノ郷城戦で夜討ちに遭い、海へ入水しようとしたが、事前に服部党が鎖を巻き付けていたため生け捕りにされ、人質交換に利用された。作中には登場しなかったが、史実では兄弟とも後に徳川家に仕えており、氏長は人質交換から52年後の大坂夏の陣にも参戦、氏次は同じく37年後に伏見城にて西軍方と干戈を交えている。
氏次役の石田は『真田丸』で幼少期の豊臣秀頼を演じている。
鵜殿長持の娘で長照の妹。瀬名とは今川氏の同族で母同士が義理の姉妹にあたる。従姉の瀬名とは親友であり、いつも一緒に行動していた。一方で武芸の稽古で負けてばかりの元康を軽視しており、親友の瀬名が元康と遊んでいたことを知るや巴や従者を使って無理やり仲を引き裂くという暴挙に出た。もっとも、それも氏真と元康の決闘で元康が勝利したことで破綻してしまった。
その後、長照の命により関口家に揺さぶりをかけ、巴が彼女に半蔵達の作戦を密告したことで、今川家は彼らの奇襲を予見し服部党の一網打尽に貢献した。とはいえ、彼女自身はあくまで瀬名達が計画に乗ったのはほんの気の迷いとして氏真に寛大な処置を乞うているが、程なくそれが軽薄な考えであったと痛感させられることとなる。
その後も第10回にて、夫の達龍が家康と通じていることを氏真に密告、結果として達龍を死に追いやる格好となった。こうした行動の数々の背景には、今川への忠義に留まらずその庇護の元で、親友である瀬名たちと過ごした楽しい日々への強い憧憬の念もあったようで、連龍の死後引間城の女城主として家臣たちと籠城に及び、武田の駿河侵攻に呼応して出陣した家康側からの降伏勧告にも断固拒絶する姿勢を示している。武田による駿府制圧の報せも届く中で、覚悟を決めたお田鶴は城に火を放ち、自ら大将として門から家康陣営に向かって突撃を掛けるも、胸に銃弾を受けて自身が望んでいた「椿」の花びらの如く儚く散っていった。
『おんな城主直虎』には登場しなかったが、史実では井伊直虎の曾祖父・井伊直平を毒殺したとされ、氏真共々井伊家とも因縁深い。また『徳川家康』では亀姫名義で竹下景子が演じたが、家康の初恋の女性であると同時に、後に登場するお愛の方とも瓜二つの風貌の持ち主として描かれている。
曳馬城主。今川傘下の遠江国人の一つ・飯尾氏(漢族系三善朝臣)最後の当主で、お田鶴の夫でもある。第10回にて家康からの調略に応じて協力関係を結び、今川家と松平家の仲介を約束するが、妻・お田鶴からの密告によってそのことを知った氏真から「裏切り者」と看做され、駿府に召還された後誅殺されてしまう。
- たね(演:豊嶋花)
瀬名と命運を共にする女性。服部党の作戦を秘密裏に瀬名に伝える。
三河の名門である吉良氏(東条吉良氏)の当主。元康ととも今川方として織田軍と戦ったが連戦連敗、さらに元康の織田方への寝返りの証として焼き討ちにあう。とはいえその後も復権を諦めておらず、第7回では配下の者が他の勢力と組んで不穏な動きを見せていたことが確認されている。
第8回では一向宗の蜂起を利用して元康に反旗を翻したうえ、一向宗の熱心な信徒である夏目広次を自身の家老に迎えると約束したうえで裏切らせている…のだが、結果として一揆勢が劣勢に転じていったことで再度の没落を余儀なくされた。
矢島氏は『おんな城主直虎』で関口氏経を演じている。
浅井家
浅井家の当主。後にお市の方と政略結婚し、信長と同盟を結ぶ。
第13回ではお市や茶々を伴って上洛、家臣が忠勝と一悶着を起こした際に「武門の誉れ高い本多殿と戦闘の訓練をしていた」と場を取りなす。また家康に対してもその活躍ぶりを高く評しつつ「一度でいいから腹を割って心ゆくまで語り合ってみとうござった」と懐の深い面を示している。
そうした度量の広さや誠実さもあり、信長からも家康と並んで弟同然に信頼を寄せられる存在であったのだが、長政自身は信長のやり方に対して不信感を募らせていく。そして、朝倉攻めに先立って本拠の小谷城に帰還した後、お市に対し信長への叛意を打ち明け、金ヶ崎に駐留する織田・徳川軍を朝倉軍と共に挟撃するが信長には逃げられてしまった。
その後、姉川の戦いでは家康に調略を仕掛けるが、家康が信長の脅しや忠次・数正の説得に折れる形で予定通り織田方として参戦したことで大敗を喫した。
その後、第19回の時点で自害した事が明らかとなっている。
織田信秀の娘。信長の妹。元康とも面識があり、幼少期は「竹殿」と呼んでいた。清須城で元康と再会し、自身の在り方に苦悩する元康を励ます。幼少の頃から兄の後ろについて相撲や水練にも積極的に参加しようとし、長じてからも元康との手合わせで男顔負けの実力の高さを示しているが、それでも「女」であることにコンプレックスを感じており、戦に参加できないことにもどかしさを感じている。
兄・信長の命により、元康との政略結婚が持ち上がった際にはこれを快諾するも、瀬名の身を案じていた元康の気持ちを察して「か弱い男は嫌いじゃ」と縁談を断った。しかしその一方で、幼少の頃から元康に想いを寄せてもおり、彼の優しさや芯の強さを織田家の中で唯一理解している人間でもある。縁談を断ってもなお、元康のことを東からの脅威に対する防波堤であると実利的な見方を示しつつ、「兄の生涯におけるたった一人の理解者」として丁重に扱うよう提言するなど、様々な意味で重要な存在であると認識している様子を見せている。
第10回の時点で、近江の浅井長政の元へ嫁いだことが藤吉郎によって言及されており、後に元康改め家康と京にて再会した折には、長政との間に長女の茶々を設けていた。
第19回では小谷城に落城し長政が自害したため三人の娘達と共に秀吉に保護されるが、下品な態度で気安く接してくる彼に対して「猿」と罵声を浴びせている。
その後、第28回で久しぶりに登場。当時は甥・信忠の居城である岐阜城で暮らしている。三人の娘達を連れて遥々岐阜から堺の町に来ており、家康来訪の噂を聞き、待ち伏せをしていたようだ。
その後、家康との歓談では「兄を今でも恨んでいること」と「兄は家康のたった一人の友であること」を話しており、結果として家康の信長討伐を思いとどまらせるきっかけとなる。
第30回では秀吉の専横に対抗するべく信孝の斡旋で柴田勝家と結婚するが、奮闘虚しく敗退。
娘達を逃がし、勝家とともに自害する。その際、「僅かな間でも兄の真似事ができてよかった」と語っている。
衣装は『麒麟がくる』で川口春奈が演じたお市の義姉である帰蝶と同じ物が使用されている。
浅井三姉妹の次女で京極高次の妻だが第47回時点では既に死別している。
大坂冬の陣の講和交渉を務め、阿茶局からは「おっとりしているようで意外と強か」という旨の評価を与えている。その後は江と共に大坂城にて茶々との交渉を行っている。しかし、秀頼は徳川方との決戦を決意。
最終回で大坂城は陥落、その直前に千姫を連れて脱出した。そして家康と秀忠を罵倒する千姫に「これも姉上と秀頼が決めたこと」と宥めていた。
江曰く、茶々と比べて優しい性格だったとのこと。
鈴木女史は松本潤氏と「金田一少年の事件簿(2001年版)」などで共演している。
- 阿月(演:伊東蒼)
浅井家の侍女。元は越前金ヶ崎出身の貧しい下級武士の娘で、足の速さが取柄であったものの、それを周囲から認めてもらえずに辛い生活を送っていたところをお市に助けられ、彼女の元で仕えるようになる。
長政裏切りの一報を織田方に伝えるために自ら志願して出立。途中で小谷城の門番である兵士から追われ、脚に重い怪我を負いながらも何とか金ヶ崎に到着。京で知り合った家康に、市からの伝言である「おひき候へ」と伝え、そのまま事切れてしまった。そして家康は彼女の遺体を丁重に葬る事を周囲に指示したのであった。
一連の展開から、有名な伝承の1つである「袋の小豆(あづき)」のエピソードを独自解釈で描いたものと推測される。
武田家
清和源氏の一支族で甲斐源氏の主流。「八幡太郎」源義家の弟で新羅三郎こと源義光を祖とし、平安の頃から甲斐を本拠とする戦国大名の中でも屈指の名門である一族。
前作『鎌倉殿の13人』に登場する武田信義の子孫にあたる。
(画像左)
甲斐武田家の当主で、諱は「晴信」。今川とは同盟を結んで(姉の定恵院は義元の正室で氏真の母)協調関係にあり、その今川の傘下にあった当時の元康(家康)から見れば正しく雲の上の存在であった。
実際に第3回にて、主家である今川の頭越しに援軍の要請をしてきた元康を「礼儀を知らない」と一蹴してみせているが、一方では千代からもたらされた「肝が小さいがそのことを誰よりも自認している」という家康評に、並々ならぬ関心を寄せていた。後に三信国境付近にて家康たちと談合に及んだ際、当初彼らに来ないと思わせておいたところで、自身は「肩肘張らず会った方が相手のことをよう分かる」と素性を隠して彼らに近づいており、一通り他愛のない語らいに及んだ後に素性を明かして本題に入り、姿を現さずにいた信玄を揶揄っていた家康の肝を冷やさせるなど、組織の長同時の駆け引きの面でも格上なところを言外に示してみせてもいる。
前述の千代を始めとする複数の歩き巫女や乱破を各地に派遣したり、周辺諸国の国人らの調略にも積極的である面にも言及されており、三河一向一揆についても千代を介して煽動を図っていたことが示唆されている他、家康との談合の折には瀬名の好物である栗を土産に持たせており、面識のないはずの彼女のことまでも熟知しているところからも、家康のごく身近なところにまでも武田の手の者が入り込んでいることが暗示されてもいる。その手練手管は、かつての同盟相手であった今川領への侵攻に際しても遺憾なく発揮されており、出陣からわずか7日ほどで自軍はほぼ無傷で駿府を難なく陥落させたという報せは、家康たちにも動揺を与えている。が、甥の氏真の首を得んとすべく信遠の国境付近へと兵を差し向けたことが災いし、家康の計らいで氏真や北条と和睦したと聞き及んだ際には、約定を違えたとして怒りを顕わにしてもいる。
第16回では重い病気(胃癌とする説が有力である)にかかったことが示唆され、体調の悪さが窺える。また徳川家から人質に来た源三郎を家康が取り戻しに来ると知り、わざと逃がす事を選択。その際に言付けとして「武田家での生活の様子」及び「弱き主君は害悪なり滅ぶが民のためなり」と「最後通告」を家康に話すよう伝える。
そして、世に安寧を齎すため、北条との同盟復活後に信長打倒のために京への上洛を決意。その途上にある徳川領・浜松への侵攻を開始する。
第17回では各地の徳川領を攻め落とし、浜松にいる家康の眼前にまで迫るが、それを無視して進軍を再開。家康が自らを囮として信玄を惹きつける策を見抜き、逆に信玄自身が自らを囮にして家康を惹きつける策を実行。結果的に家康は信玄の計略に嵌り、三方ヶ原にて総攻撃を受けてしまう。
その際、「戦は勝ってからはじめるもの」と語っている。
第18回では勝頼の報告から浜松城が空城の計を実行した事を見抜くも、自らに残された時間を惜しみ徳川打倒を勝頼に託してそのまま進軍を指示するが、その途上で病状が悪化。本拠地である甲斐に引き返す事となる。
第19回冒頭で、勝頼に「自らの死を3年間は隠す事」と「わしの真似はせず、そなたの世を築け」と遺言し、「黄泉にて・・・見守る・・・」と末期の言葉を呟き死亡した
今作の信玄は、家康との密談や駿河侵攻などでは極めて油断ならない人物として描かれ、見方によっては冷酷さをも感じさせる一方で、家康に強い関心を寄せ内心高く評価していた。それは、第26回で家康らが躑躅ヶ崎館を訪れた際、信玄の魂が不動明王像に重なる形で「ようここまで来たな、三河のわっぱ」と家康に語りかける場面にも表れている。
一方の家康も信玄を師と仰ぐ場面が見られ、小牧・長久手の戦いでの演説にて義元・信長と並び信玄の名が語られている。
桶狭間の戦いが終わった後、雨上がりの虹が出た崖で一人でどっしりと座っている初登場シーンは、背景がほぼCGだったこともあってか、視聴者からは「仙人にしか見えない」と言われたり、また中の人の影響もあってか、「これはどう見てもローマ人だ」と評されていた。
阿部氏は『天地人』で信玄の宿敵上杉謙信を演じており、「一人で川中島の戦いができる」とネタにされていた。
信玄の四男。通称は四郎。本作では省略されたが元々は母方の諏訪氏を継ぐ予定だった。しかし長兄の武田義信が今川家や織田家との外交政策で信玄と意見が対立して廃嫡されたため後継者となった。源三郎と共に武田家流の武術鍛錬を受けており、信玄からは後継者として強く期待されている。信玄の上洛にも同行し、父の軍略を間近で目撃する事になる。
第18回では浜松城に逃げ込んだ満身創痍の徳川軍を追討しようとするが、忠次と数正が実行した空城の計を訝しみ、信玄への報告を兼ねて進撃を断念する。
第19回では信玄から全てを託され、徳川家打倒のために岡崎城にいる信康と瀬名に対して謀略を仕掛けるように千代に命令を下す。
第20回では信玄の三回忌を経て、本格的な徳川領侵攻を開始。その圧倒的な力を垣間見た家康から「信玄はまだ生きておるんじゃ」と戦慄させるほどで、岡崎城の信康もその力を決して軽視してはいなかった。
第22回における長篠・設楽原の戦いでは、昌景や梅雪から撤退を進言されるが、父・信玄の「わしの真似はせず、そなたの世を築け」という遺言が尾を引く形で「百の勝を重ねても一の神業には勝てぬ」「だから父上(信玄)は天下を獲れなかった」と結論づけた上で、兵士らを鼓舞し「御旗楯無御照覧あれ」と宣言、突撃を命じた。しかし、信長の策にまんまと嵌ってしまい、昌景ら多くの重臣を失い撤退を余儀なくされた。しかし、信長や家康からは引き続き警戒される。
史実では設楽原での大敗から数か月後に勢力を立て直し、13000の兵を率いて再度徳川領に侵攻し、家康を驚愕させる。さらに上杉謙信と和睦し、後に謙信の後継者・上杉景勝と同盟。さらに毛利輝元とも同盟を締結、上杉・毛利や本願寺顕如などと共に信長包囲網を再構築。所領に関しても武田家の最大版図を築き上げるという大躍進を果たした。
第24回では瀬名の思い描く「慈愛の国」に一時は賛同したものの、武人としてのプライドが許さなかったのか、はたまた本来実行に移していた謀略の最終段階に移行したかった(つまり初めから乗る気はなかった)のか、梅雪や千代の諫言も「おなごのままごと」と一蹴。
各地に瀬名の謀に関する情報を流し、織田と徳川の対立を利用して双方を討つ覚悟を決める。
しかし、第25回で勃発した所謂「築山事件」が瀬名と信康の自害によって終結した事を知り、家康を「とんだ人でなしじゃな」と罵倒した。ただ、このセリフは自分に言い聞かせるように発したようにも見え、人でなしは自分であるという意識もあったのでは、との考察もなされている。逆に、瀬名の「慈愛の国」を否定したのは戦争を生業とする戦国大名であれば真っ当な判断であり、寧ろ(結果的にとはいえ)織田・徳川を決裂させる計画が家康によって破綻したことを受けての発言と捉える向きもある。
その後の第26回で、要衝である高天神城が徳川軍に攻められるも援軍を送ることはできず、結果城は陥落。将兵の離反が相次ぐ中、織田・徳川・北条連合軍に攻め寄せられ、最終的に生き残った将兵を逃がそうとするとするが彼らは勝頼に最後まで付き従う事を選ぶ。そしその将兵たちと共に、本来義弟になるはずだった織田信忠(正確にはその配下の滝川一益)の軍勢と交戦し、戦死。
かつて家康を窮地に陥れた(大名としての)甲斐国の名門・武田家はかくして滅び去ったのであった。しかしその遺臣の多くは家康に配属され、特に井伊直政の率いた赤備えは小牧・長久手の戦いで豊臣軍を戦慄させるなど、その圧倒的な強さは後身に受け継がれた。
今作での勝頼は戦国大名の矜持を前面に押し出したのか冷酷な描写も多く、「真田丸」における人格者としての勝頼とは大きく違う人物造形となった。だが、後者同様寝返る家臣を責めない潔さを持っており、天目山の戦いにおいては自らの名に恥じない勇敢さを発揮した。
武田家臣団
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旧姓は「飯富」でのち山県に改姓。武田四天王の一人。駿河侵攻の直前、武田と徳川による密約の締結に貢献する。長篠・設楽原の戦いにおいて何度も被弾しても動けるほどの生命力を見せつけたが、力尽きて討ち死にした。
彼の没後から7年後に武田は滅亡。かつて昌景が率いた赤備えは家康の軍門に降り、井伊直政の下に配属され、彼の活躍に貢献することになる。
なお、改姓の要因となり義信共々本作未登場の実兄・飯富虎昌も深く関与した義信事件については1988年の『武田信玄』で描かれている。史実では身長140㎝程度の小柄な体格だったとされているが、映像作品では『武田信玄』での篠田三郎(178cm)のように比較的長身の俳優が演じることが多く、本作で演じた橋本も184㎝の高身長である。
信玄の甥にして娘婿。諱は「信君」。駿河侵攻の直前、武田と徳川による密約の締結に貢献した。信玄没後も引き続き義弟・勝頼に仕える。
今作では、唐人医師の減敬は梅雪が瀬名(と信康)に接近するために名乗った名前という設定になっている。千代と共に瀬名の思い描く「慈愛の国」実現のために動くが、勝頼がそれを破棄した事で事態が大きく動き出す。
一方、勝頼に対しては長篠の頃から不信感を持ち始めており、第26話では「武田家と甲斐の領民を守るために拙者が出来ることは何でもいたします。」とは言っていたものの、最終的には家康の元に下る道を選んだ。その一方で「諏訪大社のご加護あらん事を」と勝頼の無事を祈願しており、最後まで勝頼を案じていた節が見られる。
第27回では家康の安土城行きに同行、豪勢な料理に舌鼓を打っている。
第28回にも登場し、本能寺での謀反を断念した家康に堺を堪能したと語るが、同時に「主君を裏切って得た平穏は虚しいものでございますな」と謀反を起こした場合の家康の行く先を暗示する(と同時に今後の梅雪の運命を予感させる)ようなセリフも口にしている。その直後家康とともに信長討死の一報を聞く。
第29回では家康達とは別の道から退却を図り「我こそは徳川家康!」と、家康を守るために明智軍を陽動する行動を取り、戦死。その報は三河に帰還した家康にも伝わった。
なお初登場時点で既に僧形だったが、出家して梅雪と名乗るのは信玄没後の天正8年(1580年)以降である。
田辺は『風林火山』で信玄の家臣・小山田信有(信茂の父)を演じている。
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本證寺に暮らす踊り巫女。寺内町に多数住まう巫女たちの中でも特に空誓とは親しい関係にあるようで、後に発生した三河一向一揆においても中心的な役割を果たすが、家康側の反攻により一揆の失敗を確信すると、一揆勢の前から密かに姿を消した。
その正体は、武田の命令で謀報活動を行う歩き巫女。調略や流言を駆使し、信玄による駿河侵攻に貢献。西上作戦の際も、徳川方が不利になるような噂を流す。また、信康と瀬名に対する謀反を大岡弥四郎に促すも、弥四郎が処刑されたことにより失敗。その後は瀬名を調略し、さらに信康をも味方につけようとする。しかし穴山信君と共に逆に瀬名に調略されてしまい、瀬名の思い描く「慈愛の国」に賛同するが、再考した勝頼に一蹴されてしまった。
その後、第25回で起きた所謂「築山事件」終結後に武田家を去っていく描写が描かれた。
第36回で再登場、予てより家康が千代を捜索していたが、元忠が彼女を匿ったことで騒動となる。最終的には家康が元忠と千代の結婚を承諾したことで落着した。
なお、この一件は「家康が武田家重臣馬場信春の娘を元忠に捜索させたが、その元忠が娘を妻にしてしまった」という逸話に基づいているとの考察が視聴者の間でなされている。
第41回では元忠と共に伏見城の守りに就き、三成らの攻撃に耐えていたが、第42回では最後まで元忠に従い戦死した。その際、「ようやく死に場所を得た」と語った。
元は今川家に代々仕える重臣。作中では描かれていないものの、桶狭間の戦いでは鳴海城において最後まで気炎を上げ、戦後の動揺著しい中にあっても引き続き今川への忠義を尽くしている。一方で、瀬名たちを上ノ郷まで連行する際に「(子どもたちが)歩けなくなったら捨てていけ」と酷薄な言葉を投げつつも、逡巡の末に子どもたちを抱えていけるよう瀬名たちの手の縄を切ってやったり、氏真に命じられながらも最後まで数正を斬ることを躊躇ったりと、その行動からは情に厚い部分も窺える。また、駿府陥落が間近に迫った際にはただ一人氏真の元に残りつつも、かつて義元から下賜された短刀を示して自害を促すなど、武士としての潔さを重んじる側面も垣間見せている。
今川家滅亡後に武田家に降伏。長篠・設楽原の戦いで武田軍が敗北した後に徳川軍が小山城へと侵攻するも、防衛戦に勝利した。
その後要衝である高天神城を徳川軍に落とされ、降伏と共に将兵の助命を家康に願い出るが、当の家康(正確には家康に命令を下した信長)にそれを拒絶され、戦死する。
田中氏は『おんな城主直虎』で奥山朝忠(作中では六左衛門)を演じている。
- おふう、おりん(演:天翔愛、天翔天音)
千代の配下の遊び女たち。虎松とも交流があった。
演者同士は姉妹で織田信秀役の藤岡弘、の長女と次女である。
真田家
前作『鎌倉殿の13人』に登場した海野幸氏(木曾義仲の息子・志水義高の従者)の末裔。
真田丸においては、全体的に真田家は生き残るために必死に策を弄しながらも領民を思いやり、特に信繁は他の武将(石川数正など)を励ますなど、心優しい武人の一族だっただけに今作の真田家の暴力的で恐ろしい描写が鼻につく人も多いだろう。だが、今作の主人公は真田家の宿敵である徳川家康である。その点は留意されたい。
武田信玄に仕えた真田幸綱の三男。信玄の母方の一族・大井家の支族である武藤家の養子となる。長篠・設楽原の戦いで真田家当主を継いでいた長兄・信綱と次兄・昌輝が相次いで戦死したのを切っ掛けに真田家に復帰して家督を継ぐ。
第30回で名前だけ登場、天正壬午の乱の講和条件として上野を北条領とされたことで家康を恨む。
第33回で本格的に登場開始、秀吉と好を通じたことが示唆された。そして、鳥居元忠ら率いる徳川軍を上田城で迎え撃つ。初登場時は数え年39歳で家康より4歳年下だが(演者の風格もあってか)白髪白髯の老け込んだ風貌をしている。
しかし、第35回では未だに北条に沼田を明け渡しておらず、引き渡しの条件として徳川家ないしその重臣の姫君を信幸の妻とすることを提案する。
第42回では家康につくと見せて信幸を参陣させるが、一方では信繁とともに三成についており、どちらが勝利しても真田が生き残れるよう仕向けた。そして秀忠軍を翻弄し、その進軍と家康本軍への合流を妨げた。
一方で、信幸の沼田城に立ち寄った際には稲に入城を拒否され、孫の顔だけ見て退去した。
第43話では関ヶ原で石田勢が敗北したことにより紀伊国九度山への蟄居処分が下った。
その後、1611年6月4日死去。享年67(65とも)。
信繁には折に触れて「乱世を泳ぐは愉快なものよ」「いつか乱世を取り戻せ」など、彼の最期を決定づけるかのような台詞を語っている。
今作の昌幸は「真田丸」における、飄々としながらも抜けたところのある草刈正雄氏のそれとは異なり、一貫してシリアスな人物であり、謀略家としての面が強調されている。その一方で、子煩悩な様子がみられ、上述の孫との別れ際には涙ぐんでいるかのような描写がなされた。
「鎌倉殿の13人」の上総広常役だった佐藤が二年連続の大河出演。(備考も参照)
昌幸の長男で、信繁の兄。
第33回で初登場し、父と囲碁を打つ場面が挿入された。
第36回では本多忠勝の娘・稲を娶ることとなる。
第42回では昌幸・信繁と別れ、家康方に参陣する。
昌幸の次男で、信幸の弟。真田幸村の名で知られるが本作では『真田丸』同様、信繁名義で登場している。
第33回で初登場し、徳川軍が上田城内に侵入したと昌幸に報告した(史実では、その時期には真田の同盟者・上杉景勝の人質になっているが、参陣した可能性を示唆する史料も存在する)。
第42回では昌幸に従い、秀忠軍の攪乱を行っている。
第44回では、父とともに九度山に蟄居させられたが、家康への復讐心を滾らせていた。
第45回では山伏姿で京に現れ、秀頼の名声と家康への醜聞に触れる。そして、第46回では大坂城に入城し大坂城五人衆の一人に数えられる。大坂冬の陣において「真田丸」にて徳川方を迎え撃ち大損害を与え名声を上げた。
最終回では家康本陣を襲撃し後一歩まで追い詰めるも反撃に遭い戦死した。
心優しく茶目っ気のある人物だった真田丸の信繁とは対照的に、好戦的な言動が多く、『真田丸』の視聴者の中には今作の信繁を受け入れたくないという方も多いだろう。『麒麟がくる』とは大違いの陰湿な光秀や俗物な義昭に『真田丸』とは大違いの勝頼や信繁を受け入れたくない気持ちもわかるが、今作の主人公はあくまでも勝頼や信繁や昌幸の宿敵である徳川家康である。その点だけは留意されたい。
なお、日向氏の演技や発声が『真田丸』で信繁を演じた堺雅人氏のそれに似ていたと感じた視聴者も多くいたようだ。
北条家
室町幕府に仕えていた備中出身の武士北条早雲こと伊勢新九郎を祖とする関東の雄。後北条氏とも称される。
前作『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時をはじめとする北条家とはかなり遠縁(女系ではこちらとも繋がっている説もある程度)であり、関係は非常に薄い。
小田原北条家三代目当主。今川氏真に嫁いだ糸の父で、相模の獅子とも称される傑物。
徳川家康と密約を結び、武田軍に敗れて駿府を追われた氏真・糸夫妻を小田原に匿う。三増峠の戦いにて、武田軍に敗北。
氏康の嫡男で、小田原北条家四代目当主。今川氏真は義弟(妹・糸の夫)に当たる。
織田・徳川と組んで武田勝頼を滅ぼした。しかし、本能寺の変後に織田・徳川との同盟を破棄。
第30回では信長死後の旧武田領を巡り家康と争奪戦を繰り広げるが、真田家が治める上野の掌握を条件に和睦する。
第36回では家康の仲介で真田との領土問題を解決、弟の氏規を京に派遣するが、秀吉は氏政・氏直が来なかったことに立腹、小田原征伐を決定する。
第37回では秀吉の圧倒的軍事力の前に敗退、嫡男氏直は助命されるものの自身は切腹を決心する。
その際家康に「何故早く降伏しなかったのか」と尋ねられると、「夢を見たから、ですかな」と切り出し、「かつて妹夫婦を通じ瀬名が提唱した『慈愛の国』構想に賛同していた」こと、「それが失敗したことで時流の変化を感じつつも敢えて変化に抗い続けた」ことを家康に語る。
結局秀吉に屈する結果に終わったことに悔しさを感じつつも、家康に今後の所領と領民の未来を託し潔く切腹した。
因みに、氏政に纏わる逸話として「汁かけ飯で汁を二度掛けしたことで氏康に嘆かれた」というものが有名だが、今作では最初から適量の汁を準備している描写が見られた。
駿河氏は『麒麟がくる』で筒井順慶を演じている。また『平清盛』では秀吉役のムロ氏が演じた平忠度の兄である平経盛(平敦盛の父)を演じていたため小田原合戦が「兄弟対決」と言われたりした
氏政の嫡男で、小田原北条家五代目当主。母は武田信玄の長女・黄梅院。
第30回では徳川との講和の条件として、家康の娘おふうを正室として迎える。
第37回では秀吉の小田原攻めに際して家中で議論が紛糾、更に石垣山一夜城の出現で戦意を喪失したことで降伏。氏政は切腹を命じられるが氏直は助命された。
史実ではその後高野山で蟄居を命じられ、翌1591年に赦免されたがその年に死去した。
上杉家
武田信玄との死闘で知られる、越後国の戦国大名。春日山城を拠点とした。作中には登場しないが家康をはじめとした諸大名の動向に大きな影響を与えている。
上杉輝虎(厳密には1561年閏3月から12月までは政虎)を称していた第3回において、義元戦死に乗じて関東へ出兵し北条・今川勢と戦闘。その対応で氏真が三河方面に手が回らなくなり元康が織田勢に寝返らざるを得なくなる一因となる。その後1570年に出家し法名を謙信とする。
第16回で信玄と断交した家康が武田家牽制のため謙信宛ての密書を送るも、それを望月千代女に奪われたことにより徳川・上杉の同盟が信玄に露見、三方ヶ原の戦いの遠因になってしまう。
長篠の戦い後には武田と和睦したため、徳川との同盟は自然消滅した。その後信長に警戒されるが、手取川の戦いで織田軍に大勝するが1578年に病死。
作中ではその死やその後の内乱についてはナレーションでも触れられなかった。
謙信の異母姉・仙洞院の実子で、後に謙信の養子となる。
謙信の死後、御館の乱を制して上杉家を相続、その際武田勝頼と同盟を締結、その証として勝頼の異母妹(武田信玄の娘)・菊姫と結婚した。しかし勝家ら織田軍との戦闘や新発田重家の反乱などで窮地に立たされるが、信長の横死で九死に一生を得る。
その後は旧武田領を巡る争いにも参戦する一方で秀吉の傘下に入る。
豊臣政権では越後から会津に転封され、五大老の一人に任じられる。
秀吉死後、家康と協調する三成に「忠告」し、両者の対立の原因を作る。
第41回では、家康らに無断で築城や武器収集を行い、堀秀治(※)ら近隣の大名を警戒させる。また、家康の上洛要求も無視し、最終的には直江に家康への弾劾状を書かせる。そのことが、家康に会津征伐を決意させることとなる。
第43回では、戦後120万石から30万石に減封され、更に米沢に移封とされた。
史実では、その後は徳川に恭順し大坂の陣にも参陣している。そして1623年3月に69歳で死去。
(※)堀秀政の子で上杉家転封後の越後の大名。その際、上杉家に年貢を持ち去られたことで上杉との確執が生じ、更に関ヶ原の戦いでは直江の扇動により「越後遺民一揆」を引き起こされた。
上杉家の政治・外交を担う若き参謀。
第41回で初登場し、景勝の指示で(西笑の書状に返信する形で)直江状を発信する。
毛利家
前作の主要人物・大江広元の四男で『北条時宗』に登場した毛利季光)の末裔。酒井忠次(広元の五男・海藤忠成の末裔)の遠縁に当たる。
謀神・毛利元就の孫で、毛利家14代目当主。五大老の一人。
秀吉死後、景勝同様三成に「忠告」し、彼と家康の対立の要因となる。
第41回では三成と共に挙兵、後に西軍の総大将となる。
第43回では秀頼を奉じて出陣すると言いつつ、家康の調略にも応じる姿勢を見せている。そして戦後は三成に敗戦の責任を押し付け開き直っていたが、茶々に「そなたを信じたのが過ちであった」と見捨てられ、最終的には領土120万石を37万石にまで減封された。
史実ではその後家康との関係を修復し長州藩の基礎を築く。そして1625年4月72歳で死去。
吹越氏は『軍師官兵衛』で足利義昭を演じており、また『おんな城主直虎』では小野政次の父小野政直を演じている。
- 吉川広家(演:井上賢嗣)
元就の次男で毛利両川と称された吉川元春の三男。
関ヶ原の戦いでは三成側につくが、黒田長政を通じて家康に内応しており「戦の前に腹ごしらえをしている」ことを理由に兵を動かすことはしなかった。
島津家
南九州・薩摩国を本拠とする大名家。薩摩隼人と称される勇猛な将兵を有しており
北九州6カ国の雄と称された大友家を打ち破るなど、多大な戦果を後世に残している。
島津家第15代目当主・島津貴久の次男で、鬼島津とも称された島津四兄弟の次兄。慶長の役では朝鮮水軍の李舜臣を戦死させるなどの大活躍を果たす。なお、関ヶ原の戦い時点で出家し「惟新斎」と号している(作中では大垣城での軍議で剃髪した人物がいたため、その人物が義弘と考えられる)。また、当時は義弘の三男で後に琉球侵攻を行った島津忠恒(家久)が家督を継いでいる。
第43回では甥の島津豊久と共に三成側として関ヶ原の戦いに参陣。三成側の敗北が濃厚になると「島津の退き口」と称された起死回生の作戦を実行。家康の傍を素通りさせまいと追撃に出た直政の軍勢を強行突破し何とか撤退に成功するものの、豊久(及び長寿院盛淳)が義弘を庇い戦死するなど被害も大きかった。この激戦は『葵徳川三代』で描かれているが、この時の義弘役が本作の酒井忠次役の大森氏の父である麿赤児氏である。
薩摩に帰還後は、大胆にも自らと命のやり取りをした直政を通じて家康と和睦することとなる。
伊達家
東北地方・奥州に居を構える大名家。
「独眼竜」の名でも知られる奥州伊達家17代目当主。
後数年早く生まれていたなら、信長と覇を競っていたかもしれないとも言われる実力者。朝鮮出兵の参陣や家康との縁戚関係構築など幾度か言及されたが、作中には一切登場しなかった。
室町幕府
室町幕府15代将軍。彼を将軍に擁立した信長をして「将軍様の手足となって乱れた世を本来のあり姿に戻す」ことが天命だ、とまで言い切るほどの立派な人物…のはずであったが、いざ家康と対面した際には、自らのあずかり知らぬところで任官と改称を行っていた(※)ことへの当て付けとはいえ、家康のことを改姓前の松平と終始呼ばわり、更に光秀の差し金により家康が苦労して手に入れたコンフェイト(金平糖)を献上品として差し出させるなど、その応対ぶりからはおおよそ名君とは言い難い、光秀同様『麒麟がくる』とは大違いの俗物めいた面が窺える。
(※ 家康の任官と改姓は義昭が将軍になる以前に行われたもので、なおかつ義昭と折り合いの悪かった前関白・近衛前久もこの任官・改姓の動きに関わっていた、という背景があった)
第18回では信玄が三方ヶ原で家康を打ち破った事に歓喜し、信長との協力関係を破棄。
信玄の上洛を心待ちにしていたが、武田軍が甲斐に撤退した事を知って錯乱し、武田軍撤退の報を伝えた光秀を蹴り飛ばす。そして第19回では信長はおろか、かつての部下であった光秀からも見限られ、京からの退去を余儀なくされた。
前述のように、『麒麟がくる』と比べても名君とは思えない義昭に違和感(場合によっては拒否感)を覚えた視聴者も少なくなかった。しかし、信長に太刀を突き付けられ、京からの追放を宣告されても動じず信長に対峙する意地を見せるなど、良くも悪くも自信に溢れ堂々とした人物像であったことが示唆されている。
なお、史実では京からの追放後も将軍職を辞しておらず、備後の鞆を拠点に武田・上杉・毛利など諸勢力に信長への対抗を呼び掛けている。そして秀吉の九州征伐が完了した1587年10月に京に帰還、翌年将軍職を辞任したことで室町幕府は名実ともに終焉を迎えた。
劇中では第38回にて「昌山」と名を改め出家した姿で再登場。秀吉の御伽衆として所領1万石となったものの、嘗ての権威をダシにして各地の大名の屋敷に赴いては過去の話を一方的に語り接待させていることが判明した。家康のことも嘗ての態度とは打って変わって大層褒めちぎっていた。
その後、秀吉と家康の密談の最中に乱入。酒を一杯飲んだあと、秀吉に対して自身の将軍時代の経験を話し「てっぺんは独りぼっちじゃ。信用する相手を間違えんようにな。」と苦言を呈した。
この、まるで別人と言っても差し支えないレベルでの変化について視聴者は「家康に面会した時点で心身共に疲弊しており、その最中の居眠りも自律神経の乱れによる寝不足が原因であり、また家康を格下と見て侮辱したのも激務からくるストレスの面が大きいと考えられる。その後将軍職を辞任してそのストレスから解放されたことで、元の穏やかな人格に戻ったのではないか」という考察を打ち立てている。
その後、1597年8月28日に61歳で死去した。
忍び衆
近江国甲賀郡信楽庄の国人で小川城に居を構える。伊賀越え中の家康を迎え赤飯などを提供する。
家康らは彼らの歓待を怪しみ早朝に脱出したが、実際には親切心で応対したことが示唆される。
史実では、小牧・長久手の戦いでは家康に味方するもその後秀吉に仕える。しかし秀次事件に連座して所領を没収された。その後家康が光俊の子らを旗本として取り立て、多羅尾家は信楽代官領及び近江・畿内の天領代官職を代々務めることとなる。
伊賀国の土豪。天正伊賀の乱で織田信長を憎悪している。史実では家康より一回り以上年下とされているが、上記にて相当な辛酸をなめたためかかなり老け込んだ風貌をしている。
伊賀越え中の家康を捕らえ光秀に首を差し出そうとするが、本多正信の「信長の首は見つかっていない」発言や家康の「わしに明智を討たせよ、わしに恩を売れ」の説得により家康らを解放、彼らに賭けることを決めた。
その他
岡崎・大樹寺住職、頑固一徹で知られた人物。大高城から引き揚げた元康軍を匿う。
元康(家康)は寺に掛けられた軸の言葉「厭離穢土欣求浄土(汚れた世を浄土にすることを目指せ)」に感銘し、生涯を通じた旗印とする。
第11回では、家康の三河守叙任に際して大樹寺に保管されていた松平家の系図を調べ上げる手助けもしており、その際出てきた系図から世良田や得川といった源氏の血筋に連なる者である「と言ってもいいとも思わんでもない」と「お墨付き」を与えている。また叙任のために年三百貫の献金が必要であることにも触れ、これに渋い顔をしていた家康に「官位を持つ者ならば金の使い方も変わってくる」「己の損得で金を使うか民の損得に金を使うか」とも説いている。
演者の里見は、これまでにも家康の孫やその家来、さらには(伝説上の)曾孫を当たり役としてきたが、家康本人についてもNHKのドラマや舞台などで演じた経験を持つ。また、『利家とまつ』では前述の上杉景勝を演じている。
三河の一向宗徒を率いる本證寺の住職。周辺にある4つの寺も彼の支配下にある。本願寺中興の祖・蓮如の曽孫であり、当時の本願寺住職・顕如の遠縁(空誓の父・実誓と顕如の祖父・円如が再従兄弟)。
わかりやすく民を説き伏せることができる弁舌に長けた人物で、民をかえりみずに戦に明け暮れる領主を嫌い、家康の父である前当主・広忠との約束通り、軍資金となる年貢の納入を拒んでいた。
一方で、身分を隠した上で「戦をしないで済むにはどうすればいいのか」との家康からの問いに対し、家康ら統治者たちと自分たちとが「苦しみを与える側と救う側」であり「生きとる世界が違う」と突き放すような答えに終始したことは、前述した弁舌の巧みさによる民衆の熱狂ぶりに対する本能的な恐れと併せて、家康の中に燻る一向宗への不信を煽る格好となり、結果としてその家康が「不入の権」を保護にして強制的な年貢の徴収に踏み切ったことに激怒し、一揆を起こすことを決意する。
不本意な形での武力蜂起となったとは言え、その後も一揆勢の中心としてこれを主導し、未遂に終わったものの家康からも服部党に暗殺指令が下るほどであったが、一方で当事者としての責任感と、争乱の長期化によって門徒たちが命を落としていくことへの心痛との板挟みにも遭っており、「戦は阿呆の振る舞い」という自らの言に反して武力蜂起に踏み切ったことを「どえらい過ち」と悔いた末に、家康からの和睦の申し出を(恐らくは方便と承知の上で)受け容れるに至った。
史実では、1583年家康が一向宗門徒及び寺院の赦免を行い、1585年には本證寺の再建も許可された(その際、空誓は寺院再建許可証を偽造し、しかも実際に建立する事件を起こしている)。以降は徳川氏に接近し、尾張藩が立藩されてからは親吉や守綱と同じく義直を助けるよう家康に依頼されている。そして1614年、空誓は70歳で死去した。
演者の右團次は放送当時59歳だが、初登場時の空誓は数え年で19歳で、家康とはほぼ同年代でもある。このため視聴者の中には、前年の大河での類似のケースに習って「成長著しい空誓」と呼ぶ者も散見された。
また、テレビ朝日で1998年に放送された『影武者徳川家康』では、父・家康の身代わりとなった世良田二郎三郎元信と対決する残忍酷薄な徳川秀忠を演じている。
- 団子売りの老婆(演:柴田理恵)
遠江・浜松の住人で、お田鶴に団子を売っていた。お田鶴の仇敵で今川を裏切って織田に付いた家康を快く思っておらず、第15回では石が入った団子を食わせようとした(元忠により未遂に終わったが)。虎松とも顔馴染みの様子。
第19回では団子を食い逃げした家康を追いかけて銭をふんだくったと法螺を吹いていた。
第35回で家康と久しぶりに再会。家康が立派な殿様になったとは思わず、これまでの無礼を謝罪していた。この時初登場から20年近く経っているにもかかわらず未だに存命だったことに驚いた視聴者も居た様子。更には最終回にも登場し、相変わらず家康に関する法螺を吹いていたが、客が家康を悪く言うと憤慨していた。
堺の豪商にして茶人。第28回で堺を訪れた家康に茶を振る舞った。
演者の山上も堺市の出身。
直政の実母で、第32回の回想シーンに登場。
「そなたは馬鹿な悪童じゃが、顔だけは母に似て美しい」と称し、直政を徳川家に送り出した。
彼女の突然の登場は井戸の底の民(おんな城主直虎ファンの通称)を歓喜させた。なお、こちらでは「しの」の名前で登場している。なお、彼女を直虎と勘違いしていた視聴者も一部いた模様。
第35回で家康上洛の1年前に亡くなったと直政が言及した(史実でも1585年が彼女の没年である)。
演者は『真田丸』で吉野太夫を演じていた。
備考
- 本作は主演の松本潤と、前年度の『鎌倉殿の13人』で主役の北条義時を演じた小栗旬がプライベートでも交流があるからなのか、前作との関連性も複数指摘されている。以下に例を記載する。
- 『鎌倉殿』最終回「報いの時」のアバンでは、本作の家康が先行登場するという大河ドラマとしては異例の演出が盛り込まれている。その中で家康は、『鎌倉殿』にてこれまで描かれてきた物語を纏めた歴史書『吾妻鏡』を読んで承久の乱の内容に期待を弾ませていたものの、テンションが上がりすぎてお茶を零してしまい、せっかくの『吾妻鏡』を濡らしてしまうというドジな一面を見せていた。このくだりについては後に、第10回でお葉を側室に迎えた頃の出来事であることが示唆されている。
- 2022年12月31日に放送された第73回紅白歌合戦では番組企画として小栗と松本がバトンタッチをする様がオンエアされた。
- 第1回では、里帰りした家康に対し家臣の1人が「源頼朝様が天から降りられたようだ」と感動しており、これには『鎌倉殿』で大泉洋が演じた源頼朝を思い出した視聴者も多い。
- また、同話数では『鎌倉殿』の「佐々木のじいさん(佐々木秀義)」のように、歯が抜けて言葉がよく聞き取れなくなった鳥居忠吉が出てきたり、『鎌倉殿』最終回で北条朝時(義時の次男)が三浦義村を「じじい」呼ばわりしたように、元康がその忠吉に対し「じじい」呼ばわりするシーンがある。もっともその原因は、当の忠吉が「所詮三河武士は使い捨てじゃ」と義元に聞かれてはただではすまないことを大声で叫んでいたわけだが…。この発言は完全に義元の耳にも入っていたが、「余は使い捨てとは思っておらぬ」と窘められただけで特に咎めを受けた訳ではない模様。
- 第2回の予告映像では、『鎌倉殿』で山寺宏一演じる慈円が三寅(のちの九条頼経)の紹介をする際に用いた「寅の年、寅の月、寅の刻の生まれ」というフレーズを元康が自身に対し使っている(この場合は「寅の月」ではなく「寅の日」だが)。実際に同話数でも生母の於大の方から、「虎のような武将」に育つよう望まれた竹千代であるが、ラストでは「卯年」の生まれであり、於大の方が前述した望みからサバを読んでいたというオチが用意されていた。
- 『鎌倉殿』と同じく、本作でも「歩き巫女」という役柄のキャラクターが登場することが発表されている。但し演者は大竹しのぶではない。また『鎌倉殿』同様、演者と役柄でメフィラス扱いされる人物が登場している。
- 『鎌倉殿』で善意で取った行動が最悪の事態を招くという「善意で動いた最悪のピタゴラスイッチ」が起こっていたが、本作でも第5回にて巴、お田鶴による行動が関口家の死罪宣告という最悪の事態を招いてしまった。
- 第6回での川を挟んでの人質交換のくだりでは、「八重さんみたくまた流されやしないだろうか」「誰かしら上半身裸になってたりするんだろうか」「渡りきったところで後ろから鉄砲撃ちかけてこないだろうか」と、ここでも『鎌倉殿』での数々のトラウマを呼び起こされた向きも相応に確認されている。なお、後ろ二つについては大体この人のせい。
- 第7回では元康が幼い竹千代と亀姫に対して「水遊びなんか危ないぞ」と忠告しており、これには水辺での暗殺が多かった前作のオリキャラ・善児を思い出した向きも一定数いた模様。
- 第9回にて、鳥居忠吉が家康に対して「まずは殿が家臣を信じてみることにございまする。その他であれば、謀反の疑いがある者を悉く殺すことでございます」と提言した際には、「前作でそうやった結果があの『しぬどんどん』…。」といった声が視聴者から相次いだ。
- 第10回にて初登場を果たしたお葉だが、その性格と殺気溢れる目力のせいかトウを思い出した視聴者も多く、「先祖がトウの関係者?」「もうアサシンにしか見えない」といった声が相次いだ。
- 第12回では、駿河侵攻に際して今川を裏切った重臣の中に三浦(駿河三浦氏、三浦義村の庶長子の後裔であるとされる)の名が出たことで、「知ってた」「やっぱり」との反応も散見された他、懸川城での今川勢の盾を駆使した防戦ぶりに、和田合戦での北条勢のそれを想起されたとの声も観測されている。
- また同じく第12回にて、氏真が「皆わしには蹴鞠の才能しかないと言ってる」と堕ちこんでいるシーンがあったが、これには「蹴鞠で上皇と仲良くなったトキューサっていう男がいるだろう!」との声も散見された。
- 今作で真田昌幸を演じる佐藤浩市氏は上総広常を演じた前作から2年連続出演となる。広常は頼朝を「武衛」と呼んでいたが、昌幸が真田家相続前に名乗った「武藤喜兵衛」の最初と最後の字を取ると「武衛」となることから、前作との関連性を見出す視聴者もいた。
- 第35回で秀吉が家康を「武士の鑑」と称賛する場面があるが、これは前作の畠山重忠に対する評価でもある。なお、本作第35回が放送された9月17日のほぼ1年前にあたる2022年9月18日に重忠の戦死が描かれたが、果たして偶然だろうか?
- 第39回では三成が複数人による合議制での政治を提案した際に『鎌倉殿』での十三人の合議制を思い出し、不可能と断ずる視聴者が続出した。また前述の通り『鎌倉殿』最終回で家康は『吾妻鏡』を読んでいたため、家康も内心無理だと判断していたのでは?と見る視聴者もいる。
- 第40回では案の定合議制は三成の失脚で崩壊する。この回では、利家が病床で家康の活躍を壇ノ浦の戦いや承久の乱にたとえていた。また、家康は「修羅の道をゆくことになろうぞ」と前作第44話で義時が時房に語ったのとほぼ同じセリフを口にした。
- そして、最終回ではついに小栗が南光坊天海役で出演することとなった。その際天海は「かの源頼朝公にしたって実のところはどんなやつか分かりゃしねえ」というセリフと共に『吾妻鏡』と『源氏物語』を手に取り、前作及び次作との橋渡しを演出している。
- 舞台とする時代こそ大きく離れているものの、一部のキャスト・スタッフが本作とも共通する『平清盛』の面影を、本作に対して見る視聴者も存在する。一例として、初回から度々使用されているBGMに、『清盛』にて多用されていた「タルカス」との近似性を指摘する向きや、第8回にて松山ケンイチ演じる本多正信が家康を狙撃する様に、『清盛』にて叡山の神輿を射た清盛を想起させられたといった声などが挙げられる。
- 最終回では、正信が「とうとう終わるんですな、長い長い乱世が…」と、清盛の時代から俯瞰するかのような台詞を語っている。また、後半での演出は『清盛』での最終回を彷彿とさせるものとなっている。
- また、本作と同様に古沢が脚本を手掛け、織田信長が主役として登場する映画『THE_LEGEND&BUTTERFLY』が、本作の放送開始時期と同じ1月に公開予定であり、本作で鳥居元忠を演じている音尾琢真も同作に秀吉役として出演している。
- 放送開始前、大久保忠世役の小手伸也が自身のTwitterにて、宣伝のついでに「古沢脚本だからって、 #いたのか忠世 とか #いたのか大久保 とか無しでお願い致します。」と、以前出演していた『コンフィデンスマンJP』で使用されていた「#いたのか五十嵐」風にしないでくれと呼びかけていたが、それがどう見ても明らかなフリにしか見えなかったため、ファンの間で「#いたのか大久保」「#いたのか忠世」のハッシュタグが拡散する事態となった。
- 徳川家康の生涯は過去の大河ドラマでも断片的に描かれており、視聴者の間では『真田丸』『おんな城主直虎』『麒麟がくる』といった過去の戦国大河と時系列を照らし合わせる楽しみ方が流行っている。そのせいで過去作のタイトルまでもがトレンド入りすることもしばしば。
- 番組後の歴史紀行「どうする家康ツアーズ」では上記のように石川数正役の松重豊がナレーションを担当。映像では回によって家康役の松本潤や、他の出演者(第10回の松嶋菜々子など)が実際に家康ゆかりの地を訪問することもある。
- 第1回の同コーナーでは久能山東照宮が紹介されているが、その中で同社に展示されていたガンプラや、それに関連して静岡市がプラモデルの街であることも取り上げられ、視聴者を驚かせた。この展示の中にあった「武者ガンダムMk-II 徳川家康Ver.」は、本作の放送に合わせて予約制での再版も告知されている。
- 本作の時代考証は小和田哲男、平山優、柴裕之の3名による複数人体制となっており、三河における元康の処遇などを始めとして、前年の『鎌倉殿の13人』と同様に最新の研究結果も作中描写の端々に反映されている。また、担当者のうち小和田はYouTubeにチャンネルを、平山はTwitterにアカウントを持っており、各回の放送終了後にはそれぞれその回にまつわる解説を、それらのチャンネルやアカウントで行うこともある。この他、第6回の放送終了後にはこれとは別に番組公式サイトにおいても、平山による解説コラムが掲載されている。
- 本作が放送される丁度1年前、2022年1月クールにテレビ朝日系列で放送されていた松本主演のドラマ『となりのチカラ』では、第2話の番宣CMに「どうするチカラ!?」と本作を連想させるテロップが使われていた(本作の制作発表はそれより1年前の2021年1月)。また、同作では本作のメインキャストである松嶋菜々子氏とゲストである長尾謙杜氏、前作『鎌倉殿』のメインキャストで伊東祐親役の浅野和之氏、上総広常役の佐藤浩市氏が出演していた。
- 1月29日放送分(第4回)よりお市の方が登場しているが、お市を演じる北川景子と本多忠勝役の山田裕貴は本作の放送日の翌日に放送されている月9ドラマ『女神の教室』でも共演しており、期せずして2日連続で両者の出演作が連続する形となっている。
- 1時間後の月10ドラマ『罠の戦争』には榊原康政役の杉野遥亮と松平広忠役の飯田基祐が出演。大河ドラマではよくあることだが、上記の二人以外にもキャストの大半が同時期に放送中である民放ドラマのレギュラーを掛け持ちしている。
- 第7回にて、織田信長が家康の領内に潜む反逆者をネズミに例え「ネズミは殺せ」と圧をかけたが、演者の岡田がひらかたパークのキャンペーンキャラを務めていることもあってか、千葉にあるネズミの国へ宣戦布告するネタ画像として取り上げられた。
- ひらかたパークでは、ひらパー兄さんに扮する岡田の出演作にちなんだコラボビジュアルやCMを、これまで多数発表していることでも知られているが、本作においても「ひらパー兄さん就任10年記念」として「どうする園長」をテーマに掲げ、「どうする許諾」のキャッチコピーを用いたポスターや、信長ならぬ「岡田園長(そのなが)」が登場するCMが、本作の放送期間中の3月に発表されている。
- 第12回にて、徳川方の兵士役で名スーツアクターの一人である岡元次郎が出演。氏真役の溝端も実写版『破裏拳ポリマー』で鎧武士/ポリマー役を演じ、スーツアクターとしてアクションも行っていたため、「ポリマーvsBlackという夢のスーツアクター対決」とネタにされた。
- 第21回にて、瀬名と千代が対峙することになるのだが、演者の有村氏と古川氏はドラマ『コントが始まる』にて姉妹役で共演経験があるため、第20回での「私を覚えておいでですか?」「当然です。」のやり取りが「(中の人繋がりで)そりゃそうだろうな。」とネタにされた。
- 第26回にて井伊万千代(直政)が華奢だが力のある自身を源義経に例え、女中にモテている場面があるが、これは『おんな城主直虎』で同じ井伊直政を演じた菅田将暉が前作『鎌倉殿の13人』で源義経を演じていたという作品をまたいだ外の人繋がりが元ネタと思われ、歴戦の大河クラスタは強く反応した。
- 第27回にて、信長の回想で父・信秀が当時12歳の信長に「誰よりも強く、賢くなれ!」と檄を飛ばしていたが、信秀を演じた藤岡弘、氏がかつて演じた本郷猛は誰よりも強く(=仮面ライダー1号)、誰よりも賢い(=IQ600)人物だったため、「説得力がありすぎる」とネット上で話題となった。
- 公式Twitterにおける第29回予告では、「99.9%脱出不可能」と松本氏出演のドラマを思わせる一文が登場した。因みに、同作には今作出演の野間口徹氏(鵜殿長照役)、飯田基祐氏(松平広忠役)、嶋田久作氏(百地丹波役)、津田寛治氏(上杉景勝役)がゲスト出演している。
- 榊原康政役の杉野氏は同年7月から放送されている「ばらかもん」で主演を務めているが、第32回では「字が上手い」と言われるシーンがある。
- その際康政により悪口をばらまかれた秀吉は「人の悪口書いて面白がる奴は己の品性が下劣と白状しとるようなもの」と現代でも通じるような正論を言っている。
- 第43回にて、偶然にも秀秋の頭と背景の陣幕に刻まれた鎌の家紋がいい塩梅に重なっていたため、視聴者から「小早川ツインテール秀秋」とネタにされる羽目になった。
- 同時期に放送されていた連続テレビ小説『らんまん』は本作の撮影が行われていたスタジオの隣のスタジオで撮影されていたとのことで、双方のキャストが顔を合わせることもあったという。なお、本作に出演した山田裕貴と、『らんまん』に出演した神木隆之介と浜辺美波は、奇しくも同年に公開された映画『ゴジラ-1.0』で共演している(撮影は映画の方が先だったようだ)。
評判
初回放送後には多くの様々な感想が飛び交ったが、全体的には賛否両論といった感がある。以下に主な論点を挙げる。
- ①演者の演技について
まず、演者の演技や人物造形がこれまでの作品とは大きく異なることへの批判が挙げられる。特に、主演の松本氏の演技に対しては、本作の元康のキャラクター像がこれまで松本氏が数多く演じてきた「自意識過剰な俺様キャラ」や「万能かつ冷静なキャラ」といった役柄とはまるで異なる「泣き虫でヘタレ」なキャラクター像だったため、違和感を感じて拒否反応を示す視聴者もいた。(とはいえ、このような役を全く演じてこなかった訳ではない)更には、松本氏の所属事務所における不祥事が事務所の存続を揺るがす事態に発展したことも相俟って、一部週刊誌にて彼のパワハラ疑惑が持ち上がるというあらぬ事態も発生した。
その他、明智光秀・足利義昭・武田勝頼・真田昌幸・同信繁、また彼らほどではないが井伊直政・上杉景勝・毛利輝元・豊臣秀頼などこれまでの作品での好意的な解釈とは大幅に異なる人物造形に対しても批判の声は大きい。
- ②作中での演出(CG・地形等)について
また、元康達が丸根砦を突破する際や信長が大高城に向かう際の騎乗シーンではCGが使われており、「本物の馬くらい使えなかったのか」「どこかリアリティに欠けている」といった否定的な声も上がっていた。
これ以外にも演出全般については本作の評価を大きく二分する特に大きな要素となっている。中でも織田や武田といった家康の周辺を取り巻く諸勢力の描写については、本作のテーマの一つである「家康からはこう見えていたのではないか」という部分を突き詰めたがゆえなのか、それらの個性を強調…というより誇張するあまり、あたかも紫禁城か何かとしか見えないような清洲城のように、ややもすると日本離れしたり時代背景に即しているのか怪しい描写も散見される、と主張する者もいる。
また、演出を優先させたいがため地形や地勢を疎かにしている(ように見受けられる)ことも少なくなく、それに関する地元民からの指摘も見受けられる。まず清州城を山から見下ろす場面があったが、あの辺りは平地が広がっており見下ろせるような高地は存在しないという指摘や、瀬名が佐鳴湖で処刑される際に家康が船で現れて同一方向に帰る場面には、湖の面した方向は浜松城とは逆方向にあるとする指摘がなされている。
- ③作中での演出(展開・時代考証等)について
作中でのストーリー展開でも「なぜ同性愛者の描写があるのか」「阿月の描写が冗長過ぎないか」「瀬名がなぜ反戦主義者として描かれるのか」「北条氏との折衝や小田原攻めが削られている」などの批判が挙げられる。特に、瀬名が「慈愛の国」なる構想を掲げ、家康や信康・五徳及び忠勝ら家臣団、更には於大・氏真や千代・梅雪・氏政なども同調したことに関しては、本作を「スイーツ大河」として槍玉に挙げる際の絶好の要素とされてしまっている。
等の点が本作に対する主な批判点で「どうする家康反省会」タグ誕生のきっかけになった。
その他にも、
- ④描写の省略について
北条氏との折衝や小田原攻めなど、描写が削られている部分も見受けられる。また、丹羽長秀や伊奈忠次・黒田長政といった登場人物が深掘りされなかったことや千利休・伊達政宗・松平忠吉などに至っては登場すらしていない(政宗などは作中で言及されたが)。猪熊事件や岡本大八事件・大久保長安事件など幕府黎明期の重要事件なども割愛されている。
また、キリスト教の棄教を拒否した家臣原胤信への苛烈な酷刑や同じく棄教及び側室への抜擢に難色を示した朝鮮人捕虜のキリスタン侍女ジュリアンおたあの島流し、論争に敗れた法華宗の僧日経への酷刑や豊臣秀頼の庶長子の国松や大坂方浪人の妻子の処刑等家康の人生の晩年における冷酷な仕打や暗部に触れていない。
等あるが、それに対する反論も多く挙げられる。
- ①への反論
松本氏の演技は青年期から老年期までを演じる上で計算されたものだという指摘が存在する。また、目や表情の演技を評価する声も多く見られる。そして物語前半の山場である瀬名および嫡男信康の死後から本能寺の変にかけて主人公家康のキャラクター像やドラマそのものの雰囲気もガラッと変わったため、大河ファンからは前作で頼朝死後の主人公義時の変貌と重なるという意見も出てきている。更に松本氏は老年期の家康も見事に演じており彼の演技に対する評価は当然ながら、その役作りに対する熱意にも高い賛辞が送られている。その結果、悪意ある記事に対してもSNSを中心に強い批判が巻き起こるようになっている。
また、これまでの作品と描かれ方が大幅に異なる人物についても、あくまで家康視点を基本におくと「まだ地方の田舎大名だった家康には都の上流階級がこのように見えても仕方なかったのではないか」「家康にとって強敵だった人物が恐ろしく描かれるのは当然では」という擁護意見も出ている。また、彼らの多くは作中で異なる一面を見せるなどのフォローがなされている(光秀だけは最後まで悪役だったが)。加えて、氏真・義昭・信雄など、政治の表舞台から去った人物についてもその後の描写がしばしば挿入されている。
また、穴山梅雪や小早川秀秋・石川数正のように本作で評価を急上昇させた人物もいる。
因みに、岡田演じる信長が放った「俺の白兎」なるパワーワードによって「乙女ゲー大河」(※1)という新たなるジャンルを開拓している面もある。
- ②への反論
馬のCGについては新しい技術(※2)導入の試みとしてそれなりに理解を示す声もない訳ではなく、また戦場に使えるなようなロケ現場が少なくなっている為や、馬が怪我などしないようにの配慮面もある。もちろん、アクションシーン以外ではちゃんと本物の馬も使用しており、松本氏を含めた役者陣も乗りこなせる。
そして清洲城などの建造物についても、「当時の清洲城は天守閣がない」といった部分は反映しているため、誇張が強いもののフィクションと考証を掛け合わせているのも確かである(この点は公式ガイドラインなどにて詳しく書かれている)。なお、関連番組におけるCG製作担当スタッフ曰く「尾張は元康にとってのアウェー感を出すためにドラマ風に少し誇張して描きました」とのことである(※3)。地形なども当時と現代では大きく変動している可能性が高いため、単純に疎かにしているとは判断できない。
なお、後半では現実的なセットが中心となっており、「家康が政治の中枢に立ったことを表現しているのでは」と考察する声もある。
- ③への反論
そもそも、本作をスイーツ大河とする指摘にも疑問を抱かざるを得ない。
時代考証については前述した小和田や平山の解説から、(前述の通り多分に誇張が過ぎるきらいはあるものの)荒唐無稽と思われる演出や展開の多くも実際には裏付けとなる説が存在したり、脚色であっても周辺の状況から蓋然性が決して低いものではないことなどが示されている。また、落ち武者狩りや正室である瀬名が側室選びに参加する場面、及び信長が保守的な人物として描かれているなど、時代背景や最新の研究に基づいた描写も多く見られる。加えて、阿月などの描写については、家康と義元の対話でも示唆された「市井の人々こそが天下の主」という観点から、当時の人々が何を思っていたのかを少しでも掘り下げる意図があると考えられる。
物語の展開でいえば、元康が今川から織田への寝返りという苦渋の決断を強いられる展開(※4)と、それに伴う駿府の人質達の悲惨な顛末が描かれた第3回「三河平定戦」を皮切りに、それまでのライト寄りであった空気がにわかに一変。この最序盤からのハードな展開への思わぬ急加速ぶりには、本作が大河ドラマ初視聴のファンのみならず、前年の凄惨そのものな展開を経験したファンの中からも「地獄を見せつけられた」との声が上がる結果となった。『鎌倉殿』でさえ、同じ第3回の時点では(後々のハードな展開を予見させつつも)まだコメディ成分が多めであったことを思えばなおさらの話である。
以降の回でも、前述した善意からの行動の連鎖が却って事態を悪化させてしまうような展開や、服部党の存在を通して今川に搾取される側という立場が示されてきた三河勢もまた、同様に下位の存在を蔑む面も浮き彫りにされるなど、作品の根底に横たわるシビアな部分も折に触れて強調されている。加えて、姉川の戦いでは酒井忠次が「義など屁理屈に過ぎない」と言い切っており、また築山事件に関しても前段階で勝頼が彼女の思想を「おなごのままごと」と切って捨てており、「古沢氏が本作への批判を逆手にとっているのでは?」とさえ考えることができる内容である。そして家康が瀬名の思想を受け継ぎ、太平の世を実現させようとしている点では、築山事件における描写は必須なものだったということができる。
また、お市役の北川景子が一度物語から退場した後に、その娘の茶々(淀殿)役としてサプライズ出演した(後に中村勘九郎氏も茶屋四朗次郎清延から清忠を引き続き演じている)。史実の関係で途中退場者がどうしても増えがちな家康の物語だが、お市と茶々の親子に同じ演者を起用することで、全編通して家康と織田一族との因縁が物語の軸となる構図になっている。
- ④への反論
本作での尺配分で描写が削られたり、一部の登場人物が深掘りされなかったりすることを残念がる意見も多いが、そもそも家康の生涯が70年以上に及ぶことを考慮すると、作品における重要な部分の取捨選択は仕方のないことでもある。
また、家康と比べて信長や秀吉が(無論前述の強敵としての描写というのは踏まえた上で)辛辣に描かれがちだとする指摘もあるが、信長は比叡山焼き討ち及び伊勢長島の一向一揆殲滅や杉谷善住坊の処刑、秀吉は三木の干殺しや鳥取の飢え殺しといった過酷な兵糧攻め、聚楽第事件等両人の苛烈な仕打ちについても省略されており、家康びいきだと一概に言えないと言う指摘もある(そもそも特に前半期の描写からして家康を美化しているとも言い難いが…)。(※5)
家康の苛烈な仕置(特にキリシタンへの弾圧)の省略は、本作では豊臣との最終決戦を中心に描く都合上本筋と関係のない部分であり、豊臣方への厳刑も第46回での大坂城への砲撃がこれを兼ねているとも考えられる。そもそも主人公の暗部に触れないのは他の多くの作品で同様であり(『真田丸』や『麒麟がくる』など評価の高い作品でさえも例外ではない)、たいした問題ではないと言える。(※6)
(※1 他方でこれについては、『おんな城主直虎』を「乙女ゲー大河」のジャンルに分類する視聴者も存在する)
(※2 補足しておくと、これは「既にCGが映し出されたLEDウォールというスクリーンの前で撮影する」という、ハリウッドでも使用されている撮影技術であり、カメラに合わせて自動的に背景も変わる、演じる俳優の遠くを見る演技がリアルになるといった利点がある。この技術の導入自体は前年から試みられていたもので、本作ではそれをより推し進めた格好となる)
(※3 但し、柴裕之氏は清洲城に関して文字と映像にズレが生じたことに対して反省点を述べており、スタッフの間で必ずしも意見の一致が見られたわけではないことには留意されたい)
(※4 ちなみにこの第3回のラスト、元康が織田方に転じて吉良義昭を攻めるシーンが、本作における松本のクランクインであったようである)
(※5 信長や秀吉の残虐行為については、家康と大きく関わらないものも多いため、省略されるのは無理からぬことである。そもそも、特に信長の寺院攻撃や秀吉の兵糧攻めについては、当時の状況からしてこれを行うべき事情があったことには留意されたい)
(※6 ただし直近の2作『青天を衝け』『鎌倉殿の13人』など例外はある。前者は主人公が社会的な活躍の影で家族関係で大きな失敗をしてしまった側面が描かれており、後者はそもそも全体的に人間の闇を描くような作風である)
最後に
何かと批判の多かった今作。視聴者の歴史観や作品への嗜好が異なることの裏返しとも言えよう。
しかし、今作の主人公は徳川家康であり、主演が松本潤氏であること、そして脚本が古沢良太氏であることは変わることはなく、これらに対する好意的な評価も多く見られる。そして小和田哲男氏・平山優氏・柴裕之氏といった時代考証担当者の努力によって本作が成立しているのである。
無論、気に入らない部分を挙げて批判することも作品の楽しみ方の一つである。しかし、これは大河ドラマに限らずどの作品にも言えることだが、(無論完成度や整合性などは考慮されるべきだが)脚本家や演出家といった作品作りに携わる人々がどのような意図で描いているのか、それに対して演者がどのような努力を重ねているのかについて考慮することは忘れてはならないことである。そしてその努力の結晶である作品を楽しんでいる人々を揶揄することは誰にも許されない(逆に、作風が合わずに批判する人たちを見下すような発言をすることも許されることではないだろう)。作品を楽しむ際には、他人への敬意を忘れることなく自分なりの楽しみ方を追求したいものである。
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