概要
戦国時代・江戸時代初期に戦国武将で江戸幕府初代将軍の徳川家康に仕えた、重臣の武将4名を仏教の四天王に例えた総称である。
- 徳川家臣の最古参で四天王筆頭、酒井忠次。
- 天下無双と言われた無傷の猛将、本多忠勝。
- 軍略と軍団の指揮に長けた、榊原康政。
三河独立(清洲同盟)から関ヶ原の戦いまでに特に活躍した忠勝・康政・直政の3人を、徳川三傑と呼ぶ場合もある。
家康晩年、とはいっても家康は晩年が殊の外、長いので何とも言い難いモノもあるが(寧ろ晩年が本番という意見もある)、兎にも角にも関ヶ原の戦い前後から大阪の役に至るまでは戦場指揮官よりも政治ブレーンが求められた為、政治も出来た井伊直政以外の二名はやや家康から遠ざけらる傾向にあった。代わって本多正信、大久保忠隣といったメンバーが台頭するようになるが、井伊直政は子孫も政治が出来た為、井伊直孝の代に35万石まで加増される。
席次を知る上で重要となる関東移封時の拝領は以下の通り(唯、酒井忠次は家康の父である松平広忠と同世代で、関東移封時には既に隠居の身であった事から例外と考えて頂きたい)。
氏名 | 領地 | 石高 |
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酒井家次(酒井忠次の子) | 下総臼井 | 3万石 |
本多忠勝 | 上総大多喜 | 10万石 |
榊原康政 | 上野館林 | 10万石 |
井伊直政 | 上野高崎 | 12万石 |