中国三大謀将
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ちゅうごくさんだいぼうしょう
中国三大謀将とは、戦国時代の中国地方で策謀に優れた三名を指す言葉。
戦国時代において、中国地方は数多くの謀略が繰り出された地方であり、織田信長や徳川家康などの中央で行われた謀略の数以上であった。
その中でも毛利元就、宇喜多直家、尼子経久の三名は、不遇の時代を経験しながら、その策謀を用いて成り上がっていった稀代の謀略家として有名である。三人とも世代は異なり、年長の経久と年少の直家との間ではおよそ70年程度の年の差がある。ちなみに三人とも政治家としても優秀で、領民からは慕われていた点も共通している。
・尼子経久
出雲の守護代だったが、独立を志向して税の支払いを拒否したことで主家の京極氏から地位剥奪の上で追放される。しかし、謀略によって新守護代から本拠地を奪い返し、守護代に返り咲く。以後は守護から権力を奪って出雲の支配者となると、周囲と争って次々と所領を拡大。最終的に山陰山陽十一カ国に所領を広げ、「十一州の太守」、「鬼神」、「雲州の狼」等と呼ばれるようになった。家臣を演技でわざと逐電させ、埋伏の毒として敵の家に仕えさせた計略が有名。下克上の典型例であり、「謀聖」と評された。
・毛利元就
安芸の国人領主。元々小身だった上に重臣に所領を横領されて追い出されてしまう。しかし、後に帰還して家督を継ぎ、家中を統一。更に尼子経久らと争い、当時の二強だった尼子と大内を行ったり来たりしながら所領を拡大。最終的には両家を滅ぼし、中国地方ほぼ全域を手中に収めた。暗殺、合戦、策略、買収、婚姻など、勝利のためにあらゆる手段を用いたことで、「謀神」と呼ばれるようになった。
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