概要
島津家の四兄弟である島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久のことである。
義久、義弘、歳久の3人と家久は母親が違うが、兄弟仲も良かったと伝わっており、戦国時代では珍しくなかった後継者争いやお家騒動は一応起きていない。多少それっぽい事はあったが、
大きくはならなかった。
この点でも優秀であるが、それぞれが役割を被ることなく分野特化していた点が大きな特徴である。
兄弟の特徴と素質
祖父・島津忠良は四兄弟の資質をそれぞれ
長男・義久は「三州の総大将たるの材徳自ら備わり」
次男・義弘は「雄武英略を以て傑出する」
三男・歳久は「始終の利害を察するの智計並びなく」
四男・家久は「軍法戦術に妙を得たり」
と評価していた。
長男・義久は総大将たる器の大きな人物で、実戦には余り出ていなかったが、本拠地から弟たちを支え、巧みな政治手腕を発揮し、あの徳川家康との交渉を互角以上に渡り合い、終には西軍では珍しい領土安堵を許された名将。
次男・義弘は朝鮮出兵の際、並みいる猛将たちが敗戦する中、頭一つも二つも飛び出る大々殊勲の活躍をした人物。一説には20万の敵を7千で打ち破るなんて規格外過ぎることをやってのけた。
また関ヶ原の際は、世界的にも稀有な敵中突破による戦場離脱を多数の死者を出しながら、成功させた(「島津の退き口」または「捨てがまり戦法」)。
その上、家臣や家族を大切にし、主君・義久に忠誠を誓い続けた忠臣。
通称「完璧超人」またはリアルチート
三男・歳久は影の薄さや不幸な話が付きまとうが、関白・豊臣秀吉と島津家の中を保つ為、身を呈した武将。
四男・家久は軍法戦術に優れており、島津家における伝家の宝刀「釣り野伏せ」と呼ばれる伏撃戦術を得意としていた。
特に有名なものとしては龍造寺隆信との対立が深まる中、家久が統率する兵数5千~8千であったのに対して、龍造寺軍は1万8千~6万という圧倒的な兵力差であったが、「釣り野伏せ」を使用して龍造寺軍を大混乱に陥れ、総大将をはじめとする敵側の首級を多く討ち取った。
ただ、残念なことに歳久共々将来の活躍を期待されたいたが、急死してしまった。
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左:100万人の戦国無双 右:咆哮!島津十字