島津義久
しまづよしひさ
天文2年(1533年)2月9日、島津貴久の長男として生まれる。幼名は虎寿丸。仮名は又三郎。通称は三郎左衛門。初名は祖父の俗名と同じ忠良、のち足利義輝の偏諱を受け義辰さらに義久と改めた。
母親は入来院重聡の娘で、同母弟に島津義弘と島津歳久、異母弟に島津家久がいる。
規格外ともいえる程の素質を持った弟達(自身も規格外)と精強な軍団を束ねて九州を圧巻し、
九州制覇をあと一歩のところまで成し遂げた人物。
また豊臣秀吉、徳川家康と言った三英傑相手に渡り合った最高峰の政治家としてその名を
後世に残している。
幼少期は大人しい性格で、優秀な弟たちと度々比較され将来を不安視されたが、
祖父・島津日新斎をもってして「三州の総大将たるの材徳自ら備わり」と評価されていた。
武器:槍(2と4Empries) 刀剣(3と4) 声:神谷浩史(2) 山田真一(3) 金本涼輔(4)
「島津四兄弟長兄・義久。非才ながらお相手いたす!」(Empriesでの特殊台詞)
「占いにもそう出た。人はな、運命には逆らえぬのだ」(3:島津義弘の章・九州征伐より)
「わしは島津義久!名門・島津家の頭領なり!成り上がりのサルに屈することなどできぬ!」(4:天下統一の章・九州征伐より)
薩摩の戦国大名島津家の当主で島津四兄弟の長兄。『2』で秀吉の九州征伐では敵大将として出現するが、いざ戦うと弟達も加勢する。義弘と薩摩兵を率いて島津家の天下争奪戦に乗り出したり、『2Empires』で家康に“大将の鑑”と称されるなど、一般武将ながら存在感があり、野心家の義弘も義久には従順であったりするなど独特な雰囲気をかもし出している。
『3』では史実の占い好きの側面を取り入れており、豊臣軍に勝利した義弘に対して占いの結果で秀吉に降伏する事を勧めるなど一種の運命論者としての描写もなされた。
3Empriesでも当主として登場しており、あくまでも阿蘇家の義理の為に戦場で討死した相良義陽の最期を称賛した。またムービーでは四兄弟揃って猫を飼っている。
4では九州を囮に使う事で攻めてきた秀吉に対して本領安堵の策を狙う一方で秀吉の事を成り上がりのサルと呼んでいる。4Empriesでは歳久、家久同様に固有武将の1人として登場した。
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きよこには約束、大友は成長、弘久は憧憬 未来、現在、過去といった感じ。(何故遡るのだ、何故) 月飼いシリーズおしまい。 ※ブクマ、評価、本当にありがとうございます。1,692文字pixiv小説作品