ピクシブ百科事典

島津家

しまづけ

日本の鎌倉時代から江戸時代まで続いた、薩摩を根拠地とする大名家。特に島津四兄弟が有名。ネット等では「例の一族」と称されている。
目次[非表示]

概要

初代・島津忠久から薩摩国を中心とした南九州を領有し、江戸時代には外様大名・薩摩藩主として存続した伝統と実績の一族。
また「島津に暗君なし」と言わしめるほど、代々優秀な当主を排出してした名家。

特に島津忠良は城下町の整備と養蚕などの産業を興し仁政を敷き、島津義久を初めとする四兄弟は島津家の領地を九州ほぼ一帯を拡大するという働きをやってのげたことが評価されている。

江戸時代においてもその家格は重視され、島津宗家は外様大名として加賀藩前田家に次ぐ家格を有した(例として、将軍拝謁の席次である伺候席は徳川家親族を除き前田家に次いで二位である。また前田家は松平加賀宰相として親族に扱われたため、名目上は親族外のトップであった)。
所領石高72万石も戦国時代ほどではないにせよ天領(将軍家領)・前田家に次ぐ石高である。また琉球の実質上の支配権を有していた。

明治維新においても薩摩藩士が多く活躍し、そのおかげで厚遇された。他方、幕末の島津家の事実上の当主(先代藩主斉彬の弟で、時の藩主忠義の父)島津久光は新政府の急進的な改革には批判的な面もあった。華族は特に久光の怒りを鎮める目的がそもそもの設立の遠因とまで言われている。
島津一門は華族としては公爵家2家・伯爵家1家・男爵家11家に叙された。これは武家として徳川・松平両氏に次ぐ。
昭和天皇の后である香淳皇后の母は島津宗家の出身であり、更にその末娘で今上天皇の妹島津貴子は佐土原島津家の次男に嫁いでいる。
平成の世になってでさえ、島津興業という旧藩内の歴史遺産を所有して観光事業に営む会社を経営し、鹿児島県内においては未だ隠然たる力を有している。

詳しくは各個人の記事を参照にすれば良いが、兎に角抜きん出た活躍をする者が多く表現媒体などでは
トップクラスのステータスが設定されている事が多い。
それ故歴史ファンやネットでは、「例の一族」「チート一家」と呼称されることがある。

主な出身人物


関連タグ

戦国時代 戦国大名 九州勢
チート 待ち伏せ 火縄銃 示現流
例の一族 リアルチート(日本)

リンク

例の一族とは (レイノイチゾクとは) - ニコニコ大百科

pixivに投稿された作品 pixivで「島津家」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 18516

コメント