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リアルチート(日本)

げんじつをとびぬけたにほん

日本において、普通じゃありえないコトを平然とやってのけてしまう、実在する存在である。
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※記事を執筆している個人の主観により、編集合戦が過剰に繰り返されている項目である。

参考程度に目を通すことをおすすめする。

武将

大人五人でようやく引ける「五人張りの」を常用する、古今無双の弓引き。そのあまりの暴れん坊ぶりに手を焼いた父親に勘当されるが、追放先の九州で現地の豪族や武将を配下にして大暴れする。保元の乱では九州武士28騎を率いて兄の源義朝率いる関東武士200騎と対戦。激戦の末敗れた為朝は二度と弓が引けないよう腕の腱を切られて伊豆大島に流されるが、間もなく弓が引けるまで回復し、伊豆七島を支配する豪族となる。

戦国時代の剣豪。剣の試合では1度も愛刀に傷を付けることはなかった。
他にも沢山の優秀な弟子を育てており、将軍・足利義輝(後述)をはじめ、上泉信綱諸岡一羽らの剣豪、今川氏真(後述)や山本勘助成田長泰らの戦国武将に剣術を伝授している。

石見の戦国大名で「下克上の先駆」と言われる人物。
月山富田城を鉢屋衆と旧臣100人で奪取した他、中国11カ国の大大名となり、尼子家の隆盛を築いた人物。のみならず、絵筆をとって自画像を描く、『伊勢物語』を書写する等、多くの才能を持っていた。

安芸の戦国大名。
戦術面では初陣である有田中井手の戦いではわずか800の軍勢で対する安芸武田軍3000を撃破し、吉田郡山城の戦いではわずか2400の軍勢で10倍の軍勢である尼子軍30000を撃破し、更に厳島の戦いでは4000の軍勢で大内軍25000を撃破して陶晴賢を戦死させるという戦いを見せ、戦略面では安芸国内の有力国人を傘下に取り込み、吉川家と小早川家を補佐に据える、いわゆる両川体制を取り入れた。

室町幕府第13代将軍。塚原卜伝の弟子。
武術は歴代征夷大将軍一と言われている。

室町幕府の幕臣で、ミスター文武両道。
武芸に至っては主君・義輝同様に塚原卜伝から剣術を学んだ他に京都の路上で暴れていた牛を掴んで投げ飛ばしたりする、文化に至っては藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流伝承者・三条西実枝から歌の奥義「古今伝授」を受けた当時唯一の伝承者でもあった他に息子・忠興の教育に和歌を取り入れるなどの文武両道っぷりを見せている。
他にも美食・茶道・鑑定に精通していただけでなく、当時としては長寿である76歳まで生きた。

三英傑の1人。稲生合戦では大将同士の一騎打ちで敵大将を討ち取る。桶狭間の戦い、刀根坂の戦い、天王寺の戦いと、自ら軍を率い敵を殲滅することにかけて右に出る者はいなかった。長良川の戦いに代表される、超人的な逸話も多い。

三英傑の1人。知恵を巡らせた戦闘を得意とし、浅井長政討伐から軍功を立て続けた、戦国一の出世頭。本能寺の変後は、織田家を傘下に入れる形で日本史上極めて稀な日本統一を成し遂げている。日本史上唯一の、足軽出身の天下人としても名高い。

三英傑の1人。幼少期に誘拐される、今川に人質に出されるなどと、常人ならいつ死んでもおかしくない状況を何度も乗り越えてきた、不屈の天下人。江戸幕府の創始者として日本に長い太平をもたらした統治手腕は、海外でも評価が高い。

生涯負けなしという軍神。武田信玄と5度にわたり戦った。毘沙門天化身というリアル人外だから当然ではある。

戦国最強、天下無双と呼ばれて久しき徳川家康の忠臣。生涯参加した57の戦(いくさ)において、全て無傷で生還したという伝説は有名。

梟雄・松永久秀と鎬を削り、その後石田三成の軍師となる。
その有能ぶりはすさまじく、「治部少(=三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」という、一人の武将と城を同格に例えた詩があるほど。
関ヶ原の鬼」と評される所以となった散り際の壮絶さは今なお語り草。

Mr.徳川キラー。第一次・第二次上田合戦や大坂の陣でなどで幾度に渡り煮え湯を飲まされた、家康にとってはまさにトラウマ的存在。
ちなみに、家康側に付いた信繁の兄・信之も、内政面ではある意味チート的存在。

鬼島津の異名で知られる古参の豪将。
関ヶ原の「捨て奸戦法」はまさに伝説。
ちなみに、兄貴の義久は外交・政治方面に特化したチート。弟の歳久家久は軍事方面で高い素質を誇る。
というか、この頃の島津家は得意分野の違うチートが沢山いる

「西の立花」「剛勇鎮西一」として本多忠勝と双璧を成す勇将。立花道雪高橋紹運の薫陶を受けた。

マイナー武将だが、生涯79回の合戦を生き抜き、そのうち一番槍(最初に首を落とす武功)23回、組打ち(相手を素手で組み伏せて首を取る武功)34回と、凄まじい戦闘能力を有する。
また知将としての一面もあり、日本初の軍用犬の運用者ともいわれ、和歌に精通した文化人でもあった。ちなみに義理の孫に甲斐姫がいたり、娘の嫁ぎ先があの忍城だったりと、自分の周辺にも武辺に事欠かない人物でもある。

武田信玄に仕えた家臣。生涯70以上の合戦において、長篠の戦いで戦死するまで無傷で生還した。

常陸の国の大名。1度に7人の兵士を同時に斬りつけたことがあるほどの猛将。「鬼義重」「坂東三郎」と恐れられた。

今川義元の息子で、父が1代で築き上げた主家を滅ぼしてしまったことから「無能」「ヘタレ」というイメージが強いものの、実は蹴鞠・剣術・和歌などにおいて多才な武将。
蹴鞠に関しては父の仇敵である織田信長に披露した所、指導してほしいと頼まれたほど。
剣術に関しては上泉信綱足利義輝らを育てた塚原卜伝から指導を受け、皆伝し、後に今川流を興している。
和歌に関しては生涯に多くの和歌を残し、観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』に1658首の作品が収録された(今風に言うと「大ヒットコンピレーションアルバムにヒット曲が収録されているアーティスト」である)。
それ以外にも独自の商業政策を行ったり、甲相駿三国同盟を破棄した信玄に対する塩止めを主導したり、積極的に戦闘に参加したりと、大名としての様々な実績を残している。
徳川傘下に入ったからも幕府成立に一助し、京で培った人脈と儀礼作法を見込まれ、パイプ役と貴族式礼儀作法の指導を担当して朝廷との橋渡しに貢献した。
妻・早川殿との夫婦仲は政略結婚でありながら円満で、三国同盟崩壊後も別れることなく、妻との間に4男1女を儲けて家名存続も果たしている。
また当時として長寿と言える75歳で亡くなった。
子孫は高家として存続し、中興の祖として彼を尊敬していたという。

大阪夏の陣で真田信繁に並ぶほどの活躍を見せたリアル戦国無双
信繁と共に徳川家康の陣へ突っ込んでいった他、徳川方の多くの大名級の武将を撃退し、本多忠朝小笠原秀政を討ち死にさせている。
大阪の陣以前でも実績があり、朝鮮出兵では明・朝鮮連合軍を打ち破っている。

甲斐姫の母方の祖母で戦国最強の女性。77歳にして忍城防衛に参加し、豊臣の大軍勢から忍城を守った。

政治家

米沢藩主。改易(取り潰し)寸前だった米沢藩の財政を救い、天明の大飢饉においては倹約を奨励して藩内の死者を1人も出さなかった。

WW2

軍人

日本軍が誇る大空のサムライ
僚機の被撃墜記録がないエースパイロットは戦史上ハルトマンとこの人だけである。

日本海軍最強の零戦パイロット
日米パイロットの中で唯一撃墜数200機超えを記録した。

敵味方から恐れられた「菅野デストロイヤー」
超攻撃的な戦い方と、自身の乗機紫電改に描いた黄色のストライプから、敵にイエローファイターとも呼ばれていた。
よく乗機を壊すことでも有名で、自機の主翼を敵機にぶつけて撃墜させたこともある。

日中戦争から太平洋戦争終戦までの間、一度も被弾しなかった無傷のゼロファイターゴッド

……というか、上記三名が目立つ話であってこの頃の海軍航空隊はバケモノの巣窟だった
代表として、赤松貞明(75機ものP-51に単機突撃して無傷で一機落とした異能生存体)、江草繁隆(「艦爆の神様」と謳われた急降下爆撃の天才)、高橋赫一(江草繁隆と双璧を成す爆撃機エース)、広瀬正吾(超絶技巧の偵察機乗りで、撃墜されても31kmを泳いで空母に帰還した)、羽切松雄(9.5Gという超負荷を撥ね退ける鋼の心臓を持ったテスト飛行のヒゲ紳士)、藤田怡与蔵(一日で10機を撃墜し生涯飛行18,030時間で、のちに初代日本航空ジャンボジェット機機長)、西沢廣義(87~120機の撃墜スコアを持つ別名「ラバウルの魔王」)、白根斐夫(イケメン・高学歴・貴公子・人格者の完璧超人で、ミッドウェーの迎撃では米軍航空隊を壊滅させた)……等々
当時の日本海軍の訓練は常軌を逸したもので知られており、特に航空隊のそれは、地獄と言われた訓練をこなす戦艦乗員さえ同情を禁じえない有様だったとか。
ちなみにそんな訓練を陣頭指揮していたのが、あの山口多聞だったりする。

日本陸軍が生んだターミネーターの如き不死身の軍人。大抵の傷は一晩寝れば治る。たとえそれが医者に見放されるような傷だったとしても。極め付けには医師に死亡確認をされた3日後に蘇生し、後日こっそり火薬庫を爆破してみせるという離れ業(人間じゃねえ的な意味で)をやってのける。

リアルソロモンの悪夢こと駆逐艦夕立の艦長。
第三次ソロモン海戦において部下と共に米艦隊に単艦で突撃し、旗艦含む多数の艦をフルボッコにするという頭のおかしい戦果を叩き出した挙句、夕立が航行不能になっても即席の帆を作ってなおも戦闘続行を試みるという前代未聞の行動に出る。
後に駆逐艦大波の艦長として再び出撃した際に戦死、駆逐艦艦長としては異例の二階級特進を遂げた

軍艦

太平洋戦争を生き延びた駆逐艦にして異能生存艦
熾烈極まりない太平洋戦争の海戦の大半に参加し、その度に損害を受けずに帰ってきたことで知られる。
戦後は中華民国の総旗艦となる。他国基準では巡洋艦クラスの排水量とはいえ、駆逐艦が一国の総旗艦にまで出世した例は当然ない
中華民国の台湾撤退後は老朽化によるトラブルが頻発したものの、中華人民共和国との数々の海戦で活躍し最期は老朽化と台風が原因で解体され、戦闘で沈むことはなかった。

運の良さなら雪風にも負けない異能生存艦その2。
第二次世界大戦前にソ連が発注した砕氷型貨物船として生を受け、海軍の雑用運送艦→引揚船→海軍保安庁の灯台補給船→巡視船という数奇な生涯を送る。
海軍所属時は名前こそ「運送艦」だが、海域の測量という重要任務を帯びていたため、大佐もしくは中佐(巡洋艦などの艦長と同じクラスの軍人)が指揮をとった。戦後は海上保安庁の旗艦船を務め、通常の巡視船としての任務のほか、6回にわたる南極観測任務もこなした。竣工から76年を経てなお海上に船として現存している

八八艦隊計画で建造された2代目神風型駆逐艦のネームシップで、かなりの高齢艦。
…にも拘らず、太平洋戦争で激しい戦いを潜りぬけて終戦を迎えた古豪
就役早々に警備府での北方警備、ミッドウェー海戦のアリューシャン方面の攻略、北号作戦、ペナン沖海戦、そしてシンガポール沖での米潜水艦との一騎討ちと、特型以前の旧型艦とは思えないほど数々の作戦に参加し、武勲を立てた。
特に米潜水艦との戦いは、米軍側が賛辞を送るほどの戦いぶりを見せている
なお、致命的な損傷を受けることはなく、終戦時を無傷で迎えている。
最期は海防艦を救援するために出動するも、その先で座礁してやむなく放棄、解体された。

伊勢型戦艦の二番艦で、のちに一番艦・伊勢とともに航空戦艦に改装された。
火災・爆破事故を3度もやらかしていながらしれっと現役を続行(似たような事故で戦艦陸奥は沈没している)し、終戦まで残存し続けたなど、雪風とは別のベクトルで驚異の悪運持ち。しかも麾下に入った艦艇までそのご利益が及び、ほとんど損耗なしで帰還している北号作戦に抜擢されたのも、この凄まじい運が一因している。
また松田千秋少将による対空戦術マニュアルにより、エンガノ岬沖海戦伊勢とともに面舵・取舵の一辺倒(敵機が急降下爆撃の為に降下を開始した直後に舵を一気に切る)でハルゼー艦隊からの猛攻を至近弾による掠り傷で切り抜けるという神業をやってのけている。しかも実際やったのは配属間もない新米艦長
余談だが、松田少将は海軍きっての知将で、航空戦艦の生みの親の一人であり、戦後も退役後に企業を興して100の特許を取得した発明家としての一面がある。

戦艦の最終進化形態、もしくは大艦巨砲主義が生み出した最後の徒花。
世界各国が主砲の口径を16inch(=40.64cm)で留まったのを、46cm三連装という規格外な過大砲の運用を前提に建造された。ちなみに船体は全長263m・全幅38.9mもあるが、46cm砲を運用するにはこれでも小さ過ぎるぐらいらしい。その証拠に全門一斉射すると反動でこの巨体が転覆する危険があったと言われている。
頑強さでも群を抜いており、戦艦武蔵レイテ沖海戦の最中、主砲搭天蓋は1,000ポンド爆弾が直撃したが塗料が剥げただけ魚雷20~33本被雷、爆弾17~44発命中、至近弾20発以上(諸説あるが、具体的な数字は「何発、何本まで数えられた」という表記で実際は不明。これは書籍『戦艦武蔵の最後』に詳しい)を食らって9時間以上海面に残存。米軍さえも「バケモノか!?」と驚嘆させた。しかし、竣工時には既に大艦巨砲主義が時代遅れになっていたことを考えに入れても、海軍による本型の運用戦術はおよそ考えられる中で最悪であり、同型艦3隻(建造中に航空母艦に変更された信濃も含む)ともろくに活躍の場を与えないまま無為に沈めてしまっている。

自衛隊

航空自衛隊の戦闘機パイロットであり、エアショー・パフォーマーでもあった。通称「ロック岩崎」。
日本の航空自衛隊とアメリカの米空軍とで行われた模擬飛行戦の際に、当時最新鋭だったF-15戦闘機に乗っていた米空軍チームに、性能が劣るはずの二世代前の旧型であるF-104Jで挑み、機が小型であることを活かし囮作戦を駆使した戦法で、見事に撃墜している

科学者・発明家・技術者・実業家

一般には発明家としてエレキテルの復元で知られる平賀源内だが、その実態はいわば和製ダ・ヴィンチ。日本初のコピーライターにして人気劇作家・流行小説家・俳諧師であり、イラストレーター(日本における油絵画家のはしり)、イベントプランナー(日本初の博覧会を開催)、鉱山開発・焼き物製造・土木事業を手がける実業家としても活躍するなど、日本史上他に例がないほど多分野で才能を発揮した万能型の天才であった。ただし科学者としての能力には恵まれなかったらしく、エレキテルに関しても「原理はよくわからなかったけど復元に成功した」らしい。いわば江戸という時代が生み出した才能である。

「東洋のエジソン」とも呼ばれた発明家・実業家。後の東芝の創設者。今で言う人型ロボットの走りと言えるからくり人形や、万年自鳴鐘万年時計)などを生み出した。ちなみに万年自鳴鐘は(季節によって時間の区切りが違う当時の不定時法に対応するため)自動的に文字盤の位置を変化させる特殊な装置を内蔵しており、アラーム・月齢・カレンダーなどの表示機能を備え、さらにはCVTの走りとも言える機構までも内蔵していた。一度巻けば一年動くという機械式時計としては異常な持続時間を誇っていたが、あまりにも精巧で独創的な機構のため田中の死後は修理できる人がいなくなり、何十年も壊れたまま放置されていた。そのメカニズムの秘密は昭和24年(1949年)国立科学博物館で修理される過程でようやく明らかになったが、現在も完璧な復元ができないほどのレベルである。

石油販売を主とする日本の大手企業・出光興産の創業者。百田尚樹氏が手掛け大ベストセラーとなった歴史経済小説海賊とよばれた男』のモデルとなった人物。明治44年に『出光商会』を創業して石油の販売を開始し、多くの困難にぶつかりながらも事業を海外まで拡大させ、戦後の住居も食糧事情もままならない困窮した状態でも社員の首を1人も切らず、過酷な状況を何度も乗り越え再び大企業へと返り咲いた。
小説作品のネタバレになるため、出光氏や出光興産の一企業としてはあり得ないような武勇伝の数々の詳細は、ご自身でよく調べていただきたい。

民間シンクタンク・独立総合研究所の代表取締役社長であり、近畿大学経済学部国際関係論客員教授であり、A級ライセンスを持つF1ドライバー。作家でもあり、2011年に出版された『ぼくらの祖国』は、大ヒットしてロングセラーとなり、2015年には新書となって重版された。
そうした実業家・作家としての功績だけでなく、死んでいてもおかしくなかった境地から幾度となく生還し、取材が困難な地域にも臆すること無く乗り込んで行くなど数多くの伝説を持つ、おそらく日本最強の62歳。

芸術家・漫画家

江戸時代が産んだ、世界に誇る芸術家。88歳で死去するまで、『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』など今でも世界的に高く評価されている傑作を多数産み出した。春画でも活躍し、代表作「蛸と海女」は現代のエロ漫画のような筋書きで、現代の触手モノにも通じる傑作である。もし平成の世に生きていたら…。

ストーリー漫画の開祖で、言わずと知れた「漫画の神様」。
鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など数多くの名作を世に生み出し、今でこそ馴染みある設定(猫耳ボクっ娘ツンデレ等)のほとんどを一番最初に考案にした人でもある
更に藤子・F・不二雄藤子不二雄A赤塚不二夫石ノ森章太郎横山光輝松本零士久松文雄がアシスタントとして彼の漫画作りに参加している。
漫画を描くことが好き過ぎて、文字通り死ぬまで漫画を描いた。

ご存知『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者。
戦争で左腕を失うというハンデを抱えながら、93歳で亡くなる直前まで連載を持ち続けていたという、文字通り漫画界の長老
ちなみに、復員の際に乗ってきた船は駆逐艦雪風(前述)。

少女漫画界の偉大なる」と称される24年組の筆頭格。
彼女が少女漫画界およびBL界隈に及ぼした影響は計り知れない。
あらゆるジャンルを難なく描き分ける完璧超人だが、特にSF長編は鉄板の完成度を誇る。
日本SF大賞受賞歴を持つ漫画家は、萩尾と大友克洋だけである。

  • 阿久悠(作詞家・小説家・放送作家) ピンクレディー沢田研二ら1970年代アイドルを多数生みだしたやり手のプロデューサーとして名をはせているが、彼の名を最も見かけるのは作詞家としてである。
手がけた曲が悉く大ヒットを飛ばしまくった」と言う意味で「代表曲:なし」は伊達では無い。流石日本レコード大賞5回、日本レコード大賞作詞部門7回受賞者である。

スポーツ選手

サッカー

日本のプロサッカー選手。通称「キングカズ」。
50歳という年長者ながらも、Jリーグで精力的にプレイを続けており、Jリーグ連続得点記録18年という大記録を打ち立てる。また、最年長得点記録50歳14日<2017年3月現在>)の持ち主。
また、2011年の東日本大震災のチャリティーマッチでは試合前に「試合でゴールを決めてカズダンスを踊る」と宣言。結果、後半37分に宣言通り見事ゴールを決め、カズダンスを披露して観客を熱狂させるという奇跡を起こした。

日本の女子サッカー選手。
15歳で代表デビューを果たし、20年以上にわたり女子サッカーの最前線で活躍し続けた。国際Aマッチ出場数とゴール数は共に男女通じて日本人最多であり、2011年の女子ワールドカップでは得点王とMVPに輝く活躍を見せ、なでしこジャパンのワールドカップ初優勝に貢献。翌2012年には女子のバロンドールにあたるFIFA最優秀選手賞を受賞するなど女子サッカー界におけるレジェンドと呼べる存在。
2015年シーズン一杯をもって現役引退を発表。現役最後となった皇后杯決勝では今シーズン初得点がこの試合唯一のゴール(決勝点)となる、千両役者の大活躍を見せた
女子選手としてはあらゆる能力に優れたオールラウンドプレイヤーであると同時に、男気あふれたリーダーシップでチームメイトを鼓舞することから一部のファンからは尊敬をこめて「兄貴」と呼ばれている。

野球

1950年代から60年代にかけて活躍した「鉄腕」と称された伝説の名投手。
1961年にはプロ野球最多タイ記録となるシーズン42勝を記録。1957年に打ち立てたシーズン20連勝は後述の田中が更新するまで56年間破られなかった。
特に1958年の巨人との日本シリーズでは、ほぼ一人で投げぬき西鉄の優勝に貢献し、翌日の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが躍った。

日本が誇る「世界のホームラン王」。
通産本塁打868本はいまだ破られていない世界最多記録。三冠王2回、本塁打王15回など数々のタイトルを手にし、長嶋茂雄と共に巨人のV9に貢献。また、スポーツ選手としては初の国民栄誉賞の受賞者である。
…つーか、王選手を称える賞がなかったから国民栄誉賞が作られたというのが本当のところ

関西方面の諸兄には「解説がおもろいオッサン」という印象が強いが、現役時代は快足で鳴らした野球選手。
年間106盗塁、13年連続盗塁王は日本プロ野球においては今なお破られていない大記録
また、盗塁を阻止しやすくする投法「クイックモーション」は、韋駄天っぷりを遺憾なく発揮していた頃に別球団で活躍していた野村克也氏が対福本用戦術として編み出したモノ
ちなみに後述するイチローよりも先に国民栄誉賞を蹴った男。その理由については当該記事を参照されたし。

左足を大きく上げる独特の投球フォーム「マサカリ投法」から繰り出す150km超えのストレートと落差の大きなフォークボールを武器に活躍した名投手。
現役時代は奪三振に強いこだわりを持ち、当時のパ・リーグを代表するロッテのエースであった。
ここで終われば名投手ではあるがチートと呼ぶほどではない。村田の凄い所は引退後に作った数々の伝説である。プロを目指す子供達にプロの凄さを伝えるため、同年代ではとてもこなせない鉄人トレーニングを積み重ね、年齢を越えた鋼の肉体を作り上げ、50代後半で140km超えのストレートを披露し、2013年の始球式では63歳で135km(しかもストライクゾーン)を記録する超人ぶりを見せている。現役時代に顕著な活躍をした選手は数多くいれど、引退後にこれだけの伝説を多く残した選手はそうはいないだろう。

中日ドラゴンズで活躍した技巧派左腕投手。本名「山本昌広」。
生きた化石」「シーラカンス」と称され、投手の持つ「○○最年長記録」を度々更新。
現役晩年は「投げるだけで記録が成立する」という状況にすらなっており、それでいてチームの戦力として一軍で投げ続けるという離れ業をやってのけていた。
2015年にはプロ野球史上初の50歳登板を果たし、32年の現役生活に幕を下ろした。
なお、前述の田中将大は、彼がプロ入り3年目の時に生誕しており、さらにそれより若い世代の大谷翔平藤浪晋太郎濱田達郎らの台頭もあって「父と子」と言われることも多く、実際彼には娘がいるが、その娘は彼らと近い世代である。
ノーヒットノーラン最年長記録・沢村賞・名球会入りと数々の功績を持つ。
誰が言ったか、「プロ野球の歴史80年、山本昌の歴史30年」

今や誰もが知る野球界随一な安打製造機メジャー10年連続200安打単一シーズン最多262安打というアンタッチャブルレコードの持ち主。現代のサムライ
世界記録へ今なおストイックに挑戦し続け、2016年にはピート・ローズが保持するメジャー通算4256安打を日米通算ながら超え、日本人選手初メジャー通算3000安打(ついでにメジャー通算500盗塁)を達成した。
バットの根本から先端まで使ってヒットを打つバットコントロール、神速の盗塁と内野安打を生み出す脚力及び走塁技術、「エリア51」と称される広大な守備範囲高精度高速遠距離送球レーザービーム」と、走攻守全てにおいて世界最高峰な武器を持っている。器用万能の言葉が大変似合う。
27歳でメジャーデビューしてこれだけの記録を積み重ね、42歳にして3000安打目を三塁打で決める野球界の仙人
ちなみに国民栄誉賞の授与を二度にわたり辞退しているが、その理由は「まだまだ発展途上だから」というものであった。

「マー君」でお馴染み、ニューヨーク・ヤンキースの大エース(予定)。
2012年から2013年にかけて、シーズン連勝記録と通算連勝記録の二つを更新。また2013年ペナントレースは24勝0敗と無敗でフィニッシュし、勝率10割をマーク。
さらにはペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズの優勝決定戦全てにおいてクローザーとして登板。いずれも無失点で切り抜け、楽天を創立9年目で日本一に導く
…えっと、これなんてパワプロ
……のはずが、平成27年に本当に田中本人プロデュースのパワプロがスマートフォンゲームにてサービス開始となった。

みちのくダルビッシュ」とも呼ばれる、北海道日本ハムファイターズの大至宝。
高校時代から速球豪打で鳴らしていたが、(多少のトラブルがあったにせよ)日ハム入団後はソレにさらに磨きがかかった。
投手としては日本人最速の165kmを記録し、打者としても2桁ホームランを記録するなど長いプロ野球の歴史の中でも非常に珍しい二刀流選手。
特に2016年6月3日に成し遂げた、ピッチャーとして出場した試合で1番バッターとして打席に立ち、その第一打席の初球でホームランを撃ったのは圧巻。
2015年は投手三冠、2016年はシーズンMVPとプロ野球初となる投手と指名打者の2つのポジションでベストナイン受賞。さらには、あのベーブ・ルースですら1回しか達成できなかった1シーズン2桁勝利2桁本塁打を2回達成。これは当然史上初の快挙であり、1シーズン3桁打点のオマケまで付いた
その活躍っぷりからリアル茂野吾郎とネット上で騒がれた。

レスリング

2015年9月のレスリング世界選手権女子53kg級で優勝し、五輪3連覇と世界選手権13連覇の世界大会計16連覇を成し遂げた選手。
2012年には世界選手権と五輪の計13連覇でギネス世界記録に認定され、女性アスリートとしては2人目となる国民栄誉賞を受賞。さらに、霊長類最強の男と呼ばれたロシアの男子レスリング選手アレクサンドル・カレリンにちなみ霊長類最強女子という称号まで手に入れた。
2001年全日本女子選手権56kg級準決勝で山本聖子に敗れて以来、2008年W杯団体戦で敗れるまで公式戦119連勝を記録。また個人戦に限れば以降負け知らずで、上記の'15年世界選手権優勝で個人戦200連勝に到達した。
リオ五輪では4連覇を期待されたものの、決勝でヘレン・マル―リスに敗れ銀メダルとなり、連勝はストップしてしまったが、その連勝記録である206という数字は記録より記憶に残る記録だろう。

フリースタイル女子58㎏級の日本代表。
上記の吉田沙保里の陰に隠れがちだが、彼女も相当な実力者であり、アテネ北京ロンドンリオデジャネイロの4大会連続で金メダルに輝き、前人未踏の女子個人種目四連覇を成し遂げるという快挙を達成している(日本選手のみならず、全競技通じ女子では世界初の快挙。さらに、五輪四連覇は、あのカレリンですらとうとう成し遂げることができなかった大記録でもある)。この偉業で、吉田に次ぐレスリング選手2人目の国民栄誉賞受賞者となる。
また、2015年の全日本選抜選手権の58kg級では、伊調との対戦を避けるために階級変更をする選手が続出し、エントリー選手が伊調を含めて3人しかいないという異常事態となった。

柔道

柔道家。
引退から逆算して203連勝、外国人相手に生涯無敗をという大記録を打ち立てた伝説の柔道家で、国民栄誉賞を受賞した。

陸上競技

ハンマー投げの世界的選手。
実は持久力勝負以外はほぼ何でもこなせる万能選手

体操

日本が生んだ体操界の至宝。
体操の6種目全てにおいて安定した演技を見せるオールラウンダーであり、高難易度の技を連続で成功させる技術に加え、見る者を魅了する美しい芸術性を兼ね備えている。
世界選手権の個人総合では史上最多となる6連覇、オリンピックでも個人総合で2連覇を達成するなど、体操界の絶対王者として君臨する存在であり、海外からも「キング・コウヘイ」と賞賛されている。

ウィンタースポーツ

日本のスキージャンプ選手。通称「レジェンド葛西」。
40歳を超えた現在でもスキージャンプの第一線で活躍し続けており、2014年までにワールドカップで16勝冬季オリンピックにも7大会連続出場するという大記録の持ち主。長い間オリンピックでの成績には恵まれていなかったが、7大会目の出場となるソチオリンピックにて41歳8ヶ月にして遂に初の個人メダル(銀メダル)を獲得。なお、本人曰く「4年後も選手として出場したい」「“レジェンド”と呼ぶのは金メダルを取ってからにしてください」と語っており、まだまだ現役続行する気満々である。

日本のフィギュアスケート選手。
東日本大震災後に17歳で世界選手権メダリストとなり、初出場となったソチオリンピックで史上初となるショートプログラム100点超えを達成し、19歳で金メダリストに。
続く世界選手権も制覇し、史上2人目の三冠王者となった。
同年末の中国の大会では、流血事故により頭を7針縫う怪我を負いながらも、頭に包帯を巻いたまま滑りきるという少年ジャンプっぷりを見せつけた挙句、満身創痍のまま年末のGPファイナルを連覇するという主人公属性ぶりで「宇宙人か」と世界を戦かせた。2015年には史上初のフリー200点超えトータルスコア300点超えを成し遂げ、元祖宇宙人プルシェンコに「違う惑星から来た人間だからね」と仲間認定を受けた。また、2017年世界選手権ではショート、フリー、トータルあわせて11度目の世界記録更新(2017年4月現在)を達成。国際スケート連盟(ISU)の公式カウントが「Mr Record Breaker」とツイート(外部リンク)した。なお、その後も記録は更新されている。

日本のスピードスケート選手。
スピードスケート選手としてはかなり遅咲きとなる30歳近くから覚醒した選手であり、
500mで2016/17年シーズンから公式戦(W杯や世界選手権含む)負け無しと言うとてつもない記録を打ち立て続け、比較的苦手(安定して優勝出来ないと言う意味で)な1000mで世界新記録を叩き出す事までやってのけた。

相撲

第48代横綱。
優勝32回・45連勝などを記録したことから「昭和の大横綱」と称され、「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれるなど戦後の日本を象徴する存在であった。

第58代横綱。
端正な顔立ちと筋肉質な体格から「ウルフ」の愛称で呼ばれた名力士。「昭和最後の大横綱」と称され、歴代最強と評価する声も多い。

競馬

日本の元競走馬・種牡馬。無敗で三冠を勝ち取り、(ハーツクライに敗北した有馬記念や3位になったがのちに失格になった凱旋門賞を除き)ほとんど無敗。種牡馬入りしてもリーディングサイアーを2年連続獲得するという成績を持つている。

将棋

稀代の天才棋士1996年将棋界初の7タイトル(竜王名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将)を総ナメにするという前人未到のあり得ないような偉業を成し遂げ、過去10年間における延べ70人のタイトルホルダーのうち半分の35人が彼であるという、将棋界のレジェンドというかもうである。
ちなみに趣味チェスでも日本ランキング1位という鬼スペックぶり。

モータースポーツ

日本を代表する自動車チューニングの雑誌・OPTIONの創設者で、それだけでなく日本を代表する自動車イベントである東京オートサロン熱走!! Exciting Car ShowdownD1グランプリドリフトマッスルを創設した人物。
それらを創設した実績だけでなく「不死身の男」と呼ばれるほど死んでもおかしくないエピソードが多く、「300km/hでガードレールに接触した後も走行」、「300km/hで走行中ぶ鳥が正面グリルへ突き刺さってもそのまま走行」「乗っていたマシンが出火しても走行」の他、中でも2003年にストリームZシルバーステイツにて最高速チャレンジを行った際、時速344km/hでの大事故で左リアタイヤが破裂し、240km/hまで減速するものの、スピンしながら10回転も横転したにも関わらず生還したというエピソードはテレビで紹介されたほどの伝説となっている

「日本一速い男」という異名を持つレーシングドライバーであり、その異名に恥じない活躍っぷりを見せ、悪天候でライバルたちがためらう中優勝、デイトナ24時間レースでは2位を9周引き離して優勝、R32型スカイラインGT-Rのデビューイヤーである1989年度の全日本ツーリングカーレース(JTC)では全6戦中4戦でポールポジション獲得を成し遂げている。
ちなみに1987年にホンダからF1のシートを譲られたものの、それを辞退した。

「モンスター田嶋」という愛称で知られている、ダートトライアル中心に活躍するレーサー。
アジアパシフィックラリー選手権で2輪駆動部門で1996年~1999年度、2001年、2002年度でシリーズチャンピオンを獲得し、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムで2006年度から2011年度まで6年連続で優勝を獲得している。
レーサーだけでなく、「モンスター・スポーツ」の社長として実業家としても成功している。

D1ドライバー。史上最強のD1ドライバーであり、1000馬力超えのエンジンを搭載したマークIIをはじめとする重量級マシンを下手な軽量級マシンより速いコーナーの新入速度を武器としており、上位の常連である。2008年と2016年にはシリーズチャンピオンを決め、2012年には海外版D1であるフォーミュラ・ドリフトとフォーミュラ・ドリフト・アジアのシリーズチャンピオンを決め、特に2016年シーズンは開幕戦から3連勝を果たしてシーズン6戦中4戦優勝という圧倒的な成績を残して最終戦前にシリーズチャンピオンとなった。

あのドリキン・土屋圭市も憧れる日本を代表するレーサーの1人。
'72年の富士GCシリーズNo1富士300キロスピードレーススーパーツーリングレースにおいて、豪雨の中全車を周回遅れにして1位を獲得している。
レーサーとしては高齢となった後も活躍し、全日本耐久選手権においては1985年から1987年まで3連覇を果たし、1989年には49歳で4度目の制覇を遂げ、'94年のル・マン24時間レースでは55歳でクラス優勝を果たし、富士スプリントカップの「レジェンドカップ」においては70代の年齢を感じさせないドライビングを見せた日本最強の高齢者ドライバー

SASUKE

SASUKEオールスターズの一人であり、第二期SASUKEの完全制覇者。総ステージクリア数、最優秀記録、連続最優秀成績記録数、ファイナル進出数、1st最速タイム回数、最速タイム回数は最多である。1stの連続クリア数、3rdの連続クリア数、1stと2nd連続同時最速タイム回数は最多タイである。また、23回ではマシントラブルにより1stをリタイアし再チャレンジすることになったのだが、1stを余裕で突破それどころか2nd、3rdまでクリアし、ファイナルのクリア寸前まで進んでいる。

芸能

声優

変幻自在の声質と高い演技力を兼ね備え、「困った時の山ちゃん」とまで称される声優界の最終兵器。
アンパンマン』ではチーズを始めとする数多くのキャラを演じ、劇場版『ポケットモンスター』では毎年の様にゲストキャラを手がけ、リメイク版『ヤッターマン』では一人十六役という前代未聞の兼役をこなし、夢の国からはドナルドダックの公認声優として認められる実力者である。

山寺宏一と並ぶ日本を代表する声優の1人で業界の大御所。
ドラゴンボール』のの演技に関しては、兼任の場合は別撮りするのが普通だが、野沢の場合は瞬時に切り替えながら演技している。
70歳を超えた現在でも声優業界の第一線で活躍しており、「100歳位まで生きて、ギネスブックに載れたらなぁ」と答えている。

生前、収録の際にセリフを決して間違えないほどの高い演技力を持っていたとされ、呑み仲間の若本規夫から「精密機械」と評された。

アニメ『ポケットモンスター』のピカチュウをはじめとするマスコットキャラを演じることの多い声優。
ピカチュウの演技に関して全てアドリブで「ピカチュウ」「ピカ」というセリフだけで感情表現できる他、その声は世界共通で採用され、原作にも逆輸入された。
また原作者の考えを変える事が多く、『ONEPIECE』のトニートニー・チョッパーの演技に関してはマスコット嫌いだった作者・尾田栄一郎が「反則もの」と評価し、キャラを変えてマスコットと認めさせ、『名探偵コナン』の円谷光彦の演技に関しては作者の青山剛昌に「本来はもう少し嫌な性格の奴にするつもりだったけど、担当した大谷さんの声が可愛かったから変えた」とコメントされている。

タレント

御存知、地上最強の生物を目指すピン芸人
お笑い芸人であることや、その言動の奇天烈っぷりにばかり目が行きやすいが、実は大学を2校卒業する秀才でありながら、大学時代に始めた陸上の十種競技で競技歴2年半にして日本タイトルを獲得する圧倒的な身体能力も誇り、文武両道を地で行く数少ない現代人。
その圧倒的な身体能力に関しては当該記事を参照されたし。

俳優

前者は俳優で、後者は元女優のおしどり夫婦。
「好きな芸能人夫婦1位」「母が選ぶ理想の母1位」常連になるほど、現在も支持される夫婦であり、夫婦喧嘩した回数はなんと1度もしたことがないと言われているほどの夫婦円満である。


番組

日本の国民的特撮ヒーロー番組、仮面ライダーシリーズの第二弾として制作された作品で、前作を超える派手なアクションと硬派なストーリー、主人公風見志郎を演じる宮内洋の格好良さが相まって、なんと最高視聴率38%を記録した(解りやすく言うと、日本国民の約5人に2人が視ていた計算)。この記録は未だに破られていない。……つーか、破れという方が無理である
また、番組のOPを見ればわかるように、撮影に使われた火薬の量も半端ではなく、今では絶対撮影不可能な程の爆破シーンが拝める貴重な作品でもある。よく死人が出なかったもんだ。もっとも、昭和ライダーでは死人が出そうな体を張った凄まじいスタント撮影は日常茶飯事であり、おまけに爆発の規模も話が進むにつれてエスカレートし続け、劇場作品「仮面ライダーV3対デストロン怪人」における室戸岬の爆破撮影では、使った火薬の量が桁違いに多かったため凄まじい爆発となり、海岸の地形が変わってしまった程。

その他

  • 皇室(世界最長の王家)

建国以来125代2672年の歴史を持つ、まだ文字さえ無かった紀元前の時代から現在まで続いてきた稀有な王家。起源が文字の無かった時代であるため、戦後に史実的論争が起こっているが、確認されているだけでも約1400年は続いている世界史上最長の王家。皇室の歴史は、日本建国と共にあり続けてきたため、日本国の歴史そのものでもあり、ギネス世界記録にも認定されている。

18世紀において世界有数の100万人の人口を誇り、それ以降現在の東京に至るまで一貫して東洋最大の都市である。東京は1960年代以降は都市圏人口・経済規模において世界一を誇る、世界最大の都市となった。江戸時代以降幾度もの大火、直下地震(安政江戸地震など)や巨大地震(関東大震災)、さらには東京大空襲で焼け野原になるたびに、何度も復活し、そのたびに周辺を飲みこんで巨大化してきた。

400年以上焼き討ちに遭うことがなく、欧化政策も切り抜け、(姫路には大型の軍事拠点が作られたこともあり)戦時中激しい爆撃を受け姫路市街地の約70%を焼失した中で天守閣はほぼ無事で立派に聳え立ち、さらに天守閣の敷地内に焼夷弾が落ちたが奇跡的に不発弾だった。その他、幾多の地震、雨、風、台風、神戸の町並みを一瞬で焼け野原に変えた阪神淡路大震災にすら耐え、ユネスコ世界遺産に登録を果たした。

  • 忍城 上杉謙信武田信玄らの侵攻を耐え(上杉謙信の場合は城下が燃やされたが)、豊臣秀吉の小田原征伐では水攻めに耐え抜き、小田原城落城まで持ちこたえた。

日本が世界に誇る世界最速の鉄道。
それだけでなく安全神話も持ち、開業から50年以上経っても事故死者を1人も出していない

頑丈・低燃費で数々の伝説を持つ名車。累計生産台数8700万台に上る。乗り物で唯一立体商標入りを果たしている。その伝説は多すぎて書くのがめんどくさいので「カブ 伝説」でググってください。

トヨタが海外に中心に販売しているピックアップトラック
軍隊に使われるほどの耐久性が高さが特徴で、某番組の実験では、炎で燃やしても、木にぶつけても、海に流されても、さらにはビルの破壊に巻き込まれても壊れなかった

トヨタ初のスポーツカーで、生産終了から40年経過しているにも関わらず車両の現存数ほぼ100%を誇る。

日本を代表するスポーツカー。ハコスカことKPGC10型はJAFグランプリレース大会にて50連勝を記録し、BNR32型は全日本ツーリングカー選手権において29連勝を記録し、R35はニュルブルクリンク北コースのタイムアタックにおいて量産車最速記録(当時)を打ち出し、2008年度のスーパーGTのおいて全9戦中7勝を挙げて車種別勝利数最多記録を打ち出した

WRCで有名な車。WRCなどの影響で走行性能に目が行きがちだが、実はそれ以外もスゴイ。4WDの高い駆動力から来る牽引力に関しては普通乗用車でありながら大型トラックを引っ張れる力を持ち、さらに安全性に関しては2012年に起きた笹子トンネル天井板落下事故ではNHK記者を乗せたGC8型インプレッサが事故に巻き込まれたものの、ボディの安全性と車の加速力のおかげでドライバーの命を救った。

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