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リアルチート(日本)

げんじつをとびぬけたにほん

日本において、普通じゃありえないコトを平然とやってのけてしまう、実在する(した)人物である。
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日本関連のスポーツ選手人物以外の存在に関してはそれぞれの該当項目を参照のこと。

注意

本項目には自称伝説などの事実が確認できない情報、小説などの創作に由来する情報を多く含んでいます。一部には明らかなやホラ話が混入していますので、実像を知りたいならググれ

武将

大人五人でようやく引ける「五人張りの」を常用する、古今無双の弓引き。そのあまりの暴れん坊ぶりに手を焼いた父親に勘当されるが、追放先の九州で現地の豪族や武将を配下にして大暴れする。保元の乱では九州武士28騎を率いて兄の源義朝率いる関東武士200騎と対戦。激戦の末敗れた為朝は二度と弓が引けないよう腕の腱を切られて伊豆大島に流されるが、間もなく弓が引けるまで回復し、伊豆七島を支配する豪族となる。

戦国時代の剣豪。剣の試合では1度も愛刀に傷を付けることはなかった。
他にも沢山の優秀な弟子を育てており、将軍・足利義輝(後述)をはじめ、上泉信綱諸岡一羽らの剣豪、今川氏真(後述)や山本勘助成田長泰らの戦国武将に剣術を伝授している。

石見の戦国大名で「下克上の先駆」と言われる人物。
月山富田城を鉢屋衆と旧臣100人で奪取した他、中国11カ国の大大名となり、尼子家の隆盛を築いた人物。のみならず、絵筆をとって自画像を描く、『伊勢物語』を書写する等、多くの才能を持っていた。

安芸の戦国大名。
戦術面では初陣である有田中井手の戦いではわずか800の軍勢で対する安芸武田軍3000を撃破し、吉田郡山城の戦いではわずか2400の軍勢で10倍の軍勢である尼子軍30000を撃破し、更に厳島の戦いでは4000の軍勢で大内軍25000を撃破して陶晴賢を戦死させるという戦いを見せ、戦略面では安芸国内の有力国人を傘下に取り込み、吉川家と小早川家を補佐に据える、いわゆる両川体制を取り入れた。


室町幕府の幕臣で、ミスター文武両道。
武芸に至っては主君・義輝同様に塚原卜伝から剣術を学んだ他に京都の路上で暴れていた牛を掴んで投げ飛ばしたりする、文化に至っては藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流伝承者・三条西実枝から歌の奥義「古今伝授」を受けた当時唯一の伝承者でもあった他に息子・忠興の教育に和歌を取り入れるなどの文武両道っぷりを見せている。

三英傑の1人。稲生合戦では大将同士の一騎打ちで敵大将を討ち取る。桶狭間の戦い、刀根坂の戦い、天王寺の戦い、長良川の戦いに代表される、超人的な伝説も多い。

三英傑の1人。知恵を巡らせた戦闘を得意とし、浅井長政討伐から軍功を立て続けた、戦国一の出世頭。本能寺の変後は、織田家を傘下に入れる形で日本史上極めて稀な日本統一を成し遂げている。日本史上唯一の、足軽出身の天下人としても名高い。

生涯負けなしという軍神。武田信玄と5度にわたり戦った。毘沙門天化身というリアル人外だから当然ではある。

戦国最強、天下無双と呼ばれて久しき徳川家康の忠臣。生涯参加した57の戦(いくさ)において、全て無傷で生還したという伝説は有名。

梟雄・松永久秀と鎬を削り、その後石田三成の軍師となる。
その有能ぶりはすさまじく、「治部少(=三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」という、一人の武将と城を同格に例えた詩があるほど。
関ヶ原の鬼」と評される所以となった散り際の壮絶さは今なお語り草。

Mr.徳川キラー。第一次・第二次上田合戦や大坂の陣でなどで幾度に渡り煮え湯を飲まされた、家康にとってはまさにトラウマ的存在。
ちなみに、家康側に付いた信繁の兄・信之も、内政面ではある意味チート的存在。

鬼島津の異名で知られる古参の豪将。
関ヶ原の「捨て奸戦法」はまさに伝説。
ちなみに、兄貴の義久は外交・政治方面に特化したチート。弟の歳久家久は軍事方面で高い素質を誇る。
というか、この頃の島津家は得意分野の違うチートが沢山いる

「西の立花」「剛勇鎮西一」として本多忠勝と双璧を成す勇将。立花道雪高橋紹運の薫陶を受けた。

マイナー武将だが、生涯79回の合戦を生き抜き、そのうち一番槍(最初に首を落とす武功)23回、組打ち(相手を素手で組み伏せて首を取る武功)34回と、凄まじい戦闘能力を有する。
また知将としての一面もあり、日本初の軍用犬の運用者ともいわれ、和歌に精通した文化人でもあった。ちなみに義理の孫に甲斐姫がいたり、娘の嫁ぎ先があの忍城だったりと、自分の周辺にも武辺に事欠かない人物でもある。

武田信玄に仕えた家臣。生涯70以上の合戦において、長篠の戦いで戦死するまで無傷で生還した。

常陸の国の大名。1度に7人の兵士を同時に斬りつけたことがあるほどの猛将。「鬼義重」「坂東三郎」と恐れられた。

今川義元の息子で、父が1代で築き上げた主家を滅ぼしてしまったことから「無能」「ヘタレ」というイメージが強いものの、実は蹴鞠・剣術・和歌などにおいて多才な武将。
蹴鞠に関しては父の仇敵である織田信長に披露した所、指導してほしいと頼まれたほど。
剣術に関しては上泉信綱足利義輝らを育てた塚原卜伝から指導を受け、皆伝し、後に今川流を興している。
和歌に関しては生涯に多くの和歌を残し、観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』に1658首の作品が収録された(今風に言うと「大ヒットコンピレーションアルバムにヒット曲が収録されているアーティスト」である)。
それ以外にも独自の商業政策を行ったり、甲相駿三国同盟を破棄した信玄に対する塩止めを主導したり、積極的に戦闘に参加したりと、大名としての様々な実績を残している。
徳川傘下に入ったからも幕府成立に一助し、京で培った人脈と儀礼作法を見込まれ、パイプ役と貴族式礼儀作法の指導を担当して朝廷との橋渡しに貢献した。
妻・早川殿との夫婦仲は政略結婚でありながら円満で、三国同盟崩壊後も別れることなく、妻との間に4男1女を儲けて家名存続も果たしている。
また当時として長寿と言える75歳で亡くなった。

大阪夏の陣で真田信繁に並ぶほどの活躍を見せたリアル戦国無双
信繁と共に徳川家康の陣へ突っ込んでいった他、徳川方の多くの大名級の武将を撃退し、本多忠朝小笠原秀政を討ち死にさせている。
大阪の陣以前でも実績があり、朝鮮出兵では明・朝鮮連合軍を打ち破っている。

甲斐姫の母方の祖母で戦国最強の女性。77歳にして忍城防衛に参加し、豊臣の大軍勢から忍城を守った。

徳川家康や豊臣秀吉に仕えた武将で、リアル花の慶次
参加した数々の合戦での活躍ではフィクション級であり、初陣である高天神城の戦いでは信長から感状を受け取ったと同時に永楽銭の旗印を貰うほどだったり、天正壬午の乱では少ない手勢で北条と交戦した際にそれを大混乱に陥れて撃退したり、小牧長久手の戦いでは目を怪我した状態で1番槍を挙げたりするほど。
さらに75歳の時には、高齢でありながら島原の乱に参加している。

軍人

海軍

日本海軍最強の零戦パイロット
日米パイロットの中で唯一撃墜数200機超えを記録した。

敵味方から恐れられた「菅野デストロイヤー」
超攻撃的な戦い方と、自身の乗機紫電改に描いた黄色のストライプから、敵にイエローファイターとも呼ばれていた。
よく乗機を壊すことでも有名で、自機の主翼を敵機にぶつけて撃墜させたこともある。

日中戦争から太平洋戦争終戦までの間、一度も被弾しなかった無傷のゼロファイターゴッド


リアルソロモンの悪夢こと駆逐艦夕立の艦長。
第三次ソロモン海戦において部下と共に米艦隊に単艦で突撃し、旗艦含む多数の艦をフルボッコにするという頭のおかしい戦果を叩き出した挙句、夕立が航行不能になっても即席の帆を作ってなおも戦闘続行を試みるという前代未聞の行動に出る。
後に駆逐艦大波の艦長として再び出撃した際に戦死、駆逐艦艦長としては異例の二階級特進を遂げた

陸軍

日本陸軍が生んだ作戦の神様。強烈な逸話に事欠かない人物で、人を引き付ける個性や強い正義感で熱烈な信奉者を生んだが、列挙するには多すぎるのでピクシブとアンサイクロペディアの当該記事へ。戦後は国府軍の軍事アドバイザーを経て、無所属で衆議院選挙に出馬し当選、後に参議院に移籍するが、視察の名目で東南アジアに潜入し、現職議員のまま行方不明になった。戦後も政界の裏工作に余念がなかったと言われ、CIAからも「第三次世界大戦を引き起こしかねない男」と名指しされていたとか。

不死身・鬼の分隊長。驚異的な武術の才能と短期間に何度も瀕死の傷を負っても翌日には回復するなど人外レベルの新陳代謝を併せ持ち、第二次世界大戦のパラオ=マリアナ戦役最後の戦闘『アンガウルの戦い』にて米兵を200人以上殺傷したとされる。さらに戦後は、日本をアメリカのように豊かにする一心で渋谷駅前でたった一坪から始めた『大盛堂書店』をビル一つまるまる使った『本のデパート』と呼ばれる巨大書店に成長させるなどビジネスマンとしても非常に優秀である。


自衛隊

航空自衛隊の戦闘機パイロットであり、エアショー・パフォーマーでもあった。通称「ロック岩崎」。
日本の航空自衛隊とアメリカの米空軍とで行われた模擬飛行戦の際に、当時最新鋭だったF-15戦闘機に乗っていた米空軍チームに、性能が劣るはずの二世代前の旧型であるF-104Jで挑み、機が小型であることを活かし囮作戦を駆使した戦法で、見事に撃墜している

技術者・学者

一般には発明家としてエレキテルの復元で知られる平賀源内だが、その実態はいわば和製ダ・ヴィンチ。日本初のコピーライターにして人気劇作家・流行小説家・俳諧師であり、イラストレーター(日本における油絵画家のはしり)、イベントプランナー(日本初の博覧会を開催)、鉱山開発・焼き物製造・土木事業を手がける実業家としても活躍するなど、日本史上他に例がないほど多分野で才能を発揮した万能型の天才であった。ただし科学者としての能力には恵まれなかったらしく、エレキテルに関しても「原理はよくわからなかったけど復元に成功した」らしい。

「東洋のエジソン」とも呼ばれた発明家・実業家。後の東芝の創設者。今で言う人型ロボットの走りと言えるからくり人形や、万年自鳴鐘万年時計)などを生み出した。ちなみに万年自鳴鐘は(季節によって時間の区切りが違う当時の不定時法に対応するため)自動的に文字盤の位置を変化させる特殊な装置を内蔵しており、アラーム・月齢・カレンダーなどの表示機能を備え、さらにはCVTの走りとも言える機構までも内蔵していた。一度巻けば一年動くという機械式時計としては異常な持続時間を誇っていたが、あまりにも精巧で独創的な機構のため田中の死後は修理できる人がいなくなり、何十年も壊れたまま放置されていた。そのメカニズムの秘密は1949年に国立科学博物館で修理される過程でようやく明らかになったが、現在も完璧な復元ができないほどのレベルである。

江戸時代における盲目の国学者。生まれつき体が弱く、幼少期に病で視力を完全に失いながらも、学問の道を志して江戸に上京し、苦労しながら多くの文人に師事した。目が不自由なため人に書物を読んでもらって記憶するという手法をとり、一度聞いただけで全て覚えてしまう驚異的な記憶力を身につけ、後に貴重な古書から学んだ知識が失われないようにするため、全国を回り古書を集め編集した版本『群書類従』を完成させ、盲目な人物の社会における最高位である“総検校”に選ばれた。同じく病によって視力と聴力を失ったアメリカの教育者ヘレン・ケラーは、彼を人生の目標にしていたことを自身の講演会で語っている。

  • 藤村真一
在野にありながら日本考古学旧石器時代史を二回も塗り替え、「ゴッドハンド」の異名で名高い人物。1970年代、それまで「日本には存在しない」とされていた前期旧石器時代の石器を発見。その後も行く先々で前期旧石器が出土し、その鮮やかな手並みから「神の手」と称された。毎日新聞社によるスクープを機にその名声は地に落ちたが、考古学会内からは同情する声も少なくなかったとか。

日本が誇る数学者。多変数複素関数の3つの大問題を一人で解く。どのくらい凄いかというと、欧米の数学者達が彼の名前を若い数学者集団のペンネームだと思ったほど。また、公園で急に大声で歌う、窓を向いて正座で電車に乗るなど、変人でもあった。

実業家

  • 田中稔

北海道にあった食品加工卸売会社「ミートホープ」の創業者。肉屋の丁稚から身を起こし、38歳で同社を創業。瞬く間に業界トップクラスの売り上げを誇るまでにのし上がった業界の風雲児であった。肉のことを知り尽くした「天才」「最後の職人」と称され、あらゆる手を使って食肉の価格破壊を実現したが、2007年の内部告発を機に、大胆すぎる手口の数々が露見し、全ては終わった。彼の売った製品には消毒薬や腐敗した肉などが大量に混入していたが、これに起因する食中毒事故などは発生していないことを申し添えておく。

幕末~明治期において、日本に産業と言う概念を根付かせたと言っても過言ではない実業家。
現在のみずほ銀行の源流となる日本初の銀行を立ち上げたのを始まりとして、創業・経営に関わった企業は500を上回り、その大部分は現在も日本の一流企業として名を残している
福沢諭吉に代わり新たな一万円札の顔として俄かに知名度を上げたが、彼の地元である埼玉県では渋沢翁として全国平均以上の知名度を誇る。

犯罪者

  • 高島雄平

史上稀に見る性豪。校長を自身を表す固有名詞にした男。14~70歳の12660人の女性(公称。行為時に写真撮影も行っており、こちらは14万枚以上存在)と性的関係を持ち、レジェンド、一人ODA、660人を端数にする男、中学校校長の全国平均売春数を1.2上げた男等の異名を持つ。
どんな女性が来ても拒むことはなく代金の踏み倒しもせずに抱き、上記の写真撮影も嫌がる女性には強要せず、買われた女性に彼を悪く言う者はいなかったという。

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