日本海軍の軍人。恐れを知らない豪胆な性格であり、「狂犬」の異名を持つ。
部下に対する思いやりで信望を集めていったという。
「春風」「弥生」「山風」「江風」「大潮」の駆逐艦長を歴任し、1942年5月に「夕立」艦長に就任。ガダルカナル島に味方陸兵の揚陸任務を遂行した後、独自の判断で本隊から離れ、単艦でルンガ泊地において高速輸送艦2隻を襲撃、撃沈する。この際、ガタルカナル島へ泳いで逃げようとする漂流兵に対し、機銃掃射で皆殺しにしようとしたという外道な証言も残る。
1942年11月12日、「夕立」は第三次ソロモン海戦において「春雨」と共に前方で哨戒を務めたが、激しいスコールのなかで米艦隊の通過を見落とし、結果として「夕立」と「春雨」は主力から取り残されてしまう。「夕立」は反転して米艦隊に単艦で突撃し、至近距離から敵軍の旗艦含む多数の艦をフルボッコにするという頭のおかしい戦果を叩き出した挙句、敵味方からの多数の命中弾を受け(夜半の乱戦だったため)、航行不能に陥ってしまう。それでも吉川艦長は寝具のハンモックで即席の帆を作り、帆船に改造して戦闘続行を試みるという前代未聞の行動に出た。(白旗と紛らわしいものを掲げて戦うのは戦時国際法違反であり、乗員退去後の夕立は激怒した重巡「ポートランド」に撃沈された)
吉川自身は「五月雨」に救助され生還する。その折に夕立艦長としての責任感から、五月雨による夕立の魚雷処分が上手くいかなかった様子に再度の魚雷処分を五月雨艦長に依頼して、敵襲を考慮する相手にやんわりと断られた。艦長としては自分の艦を敵に拿捕されては末代までの恥であろうが、救助してもらったのにその艦を危険に晒そうとしているとして五月雨乗組員の一部の不興を買ったとも言われる。後に駆逐艦「大波」の艦長として再び出撃。1943年11月のセント・ジョージ岬沖海戦において米艦隊の待ち伏せレーダー雷撃を受け、応戦をすることもできずに艦と運命をともにした。戦死した際は駆逐艦艦長としては異例の二階級特進の栄誉を受けた。