概要
太平洋戦争直前の1941年9月1日に新編された空母機動部隊。
編成当初の空母は翔鶴、大鷹、駆逐艦は第七駆逐隊から異動してきた朧、漣である。9月25日には、大鷹は四航戦に転出、漣は第七駆逐隊に戻り、入れ替わりで翔鶴型二番艦の瑞鶴が、就役と同時に所属し、9月27日には陽炎型駆逐艦秋雲が就役と同時に所属した。
こうして、太平洋戦争の開戦時は当時最新鋭であり、最初から正規空母として建造された翔鶴、瑞鶴と護衛の駆逐艦である朧、秋雲で構成されていた。珊瑚海海戦には、一時的に白露、時雨を含んだ第二七駆逐隊が編入されていた事もある。なお、真珠湾攻撃および珊瑚海海戦における五航戦の旗艦は、翔鶴ではなく瑞鶴であった。
艦そのものは最新鋭であった一方で、艦載機搭乗員の練度は(一航戦・二航戦と比して)低いと評される場合が多く、そのため真珠湾攻撃でも比較的難易度の低い飛行場攻撃を命じられている。一航戦のパイロット達からも「妾の子」、「若(じゃく)(※1)」、「マルチン航空兵(※2)」などと呼ばれ、侮蔑の対象とされた。これは事実であったようで、実際、五航戦には経験の浅い新規配属の搭乗員も数多くいたが、その一方で、世界的に見れば教導隊を任されてもおかしくない最高水準のレベルを持つ搭乗員や、一航戦と同期だった搭乗員も多数いた。五航戦の搭乗員達は「いつか実戦で戦果をあげてマルチンの仇名を返上し、一航戦、二航戦の連中を見返してやる」と意気込み、珊瑚海海戦では米空母レキシントンを撃沈、ヨークタウンを撃破するなど、史上初の空母同士の戦いで戦術的に大きな戦果を挙げた。
そして皮肉にも、ミッドウェー海戦で一航戦と二航戦が大打撃を受けて母艦が全滅すると、母艦を失った搭乗員達は五航戦に合流することになる。やがて機動部隊の再建にともなって五航戦は解隊され、翔鶴・瑞鶴は瑞鳳と共に、新たに編成された一航戦に所属する事になる(『五航戦』としての戦歴は、ここで幕を閉じる)。
翔鶴を旗艦とする新一航戦は、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦と転戦し、第一航空戦隊の名に恥じぬ活躍を見せる。特に、ミッドウェーで旧一航戦・旧二航戦を海の藻屑と変え、後年には戦艦比叡、武蔵を初めとする多くの日本軍艦船の撃沈にも関わることになる米海軍の鬼神・正規空母エンタープライズを、二度にわたって撃破している。
最後はマリアナ沖海戦で、当時の旗艦であった大鳳と翔鶴が潜水艦の雷撃によって撃沈。ほどなくして新一航戦も解隊され、生き残っていた瑞鶴は三航戦へと転属、最期の戦いとなるレイテ沖海戦まで転戦する事になる。
このように、旧五航戦時代から新一航戦時代を通じて機動部隊の中核として戦線を支え、米軍の機動部隊と幾度も交戦して空母を撃沈したり、部隊として行動不能になるまで追い込んだ事もあることから、翔鶴型は日本海軍の最殊勲空母の筆頭候補と評価される。
※1:若輩者、などの意味。
※2:当時の人気漫画の主人公。飛行隊でいつもヘマばかりやって部隊の笑いものになっていた。
関連タグ
[五航戦(艦隊これくしょん)]]
新一航戦 ←ミッドウェー海戦後に一航戦を継いだ際のメンバーを指すグループタグ
『艦隊これくしょん』の五航戦については五航戦(艦隊これくしょん)を参照。
アズールレーンの、五航戦については翔鶴(アズールレーン)・瑞鶴(アズールレーン)を参照。