山本五十六
やまもといそろく
1884年(明治17年)4月4日、新潟県古志郡長岡本町玉蔵院町(現在の長岡市坂之上町3丁目)に高野貞吉の六男として生まれる。1901年(明治34年)、叔父の野村貞海軍少将の影響で、海軍兵学校に入校。
1904年(明治37年)11月卒業、翌年1月に少尉候補生のまま装甲巡洋艦「日進」配属となり、5月27日の日露戦争における日本海海戦に参加する。この時、敵の砲弾を受け左手の人差指と中指を欠損。後の彼の人生に大きな影響を与えた。
1915年(大正4年)に山本家を相続し、山本と名乗ることになる。
山本家は旧長岡藩主牧野家が藩主となる前からの主従関係にあり、戊辰戦争時に牧野家が新政府軍に恭順する際に追及された戦争責任を、筆頭家老の河井継之助と上席家老であった山本家当主の山本義路を首謀者として報告したため、両名の死罪が決まり、義路には女児しかいなかったことから、後継者を残さず断絶した。
そのため、長年の主君であった牧野家は山本家の再興に責任を持って当たり、山本家と縁がある長岡藩士高野家の出身である五十六が海軍大学を修了し、将来有望であることから、山本家の相続者として選ばれた。
1919年(大正8年)4月5日にアメリカに駐在し、ハーバード大学に留学。この時の飛行機産業への強烈な印象が、彼の航空機に着目するきっかけとなった。
1921年(大正10年)7月19日に帰国後、軽巡洋艦「北上」副長、続いて海軍大学校教官(軍政学担当)に転じる。1年後、海軍大学校教頭に山本英輔(後、初代航空本部長)が着任、山本五十六の航空機観に影響を与えた。
1936年(昭和11年)2月の二・二六事件では、反乱に賛同する海軍青年士官を一喝して追い返し、重傷を負った鈴木貫太郎侍従長のために医者を手配している。
1939年(昭和14年)8月30日、大日本帝国海軍27代連合艦隊司令長官(第一艦隊司令長官兼任)に就任。日独伊の枢軸同盟には反対であったが、調印がされてしまう。
日米交渉が困難になり開戦の危機が迫る中、近衛文麿首相から開戦の展望について意見を求められ、山本は半年や1年の間は暴れて見せるが2年3年となれば全く確信は持てぬ、と述べ日米衝突回避の努力を求められたが、近衛にこの意は伝わらず近衛は総辞職した。
太平洋戦争(大東亜戦争)において真珠湾攻撃を発案し、航空戦力の威力を発揮し作戦を成功させた。続くミッドウェー海戦でも総指揮にあたったが、この海戦で展開された日米機動艦隊同士の決戦は無残な敗北に終わり、以降の日本海軍は惨敗続きとなり、泥沼化した負け戦へと突き進んでいく。
1943年(昭和18年)4月18日、前線視察に向かう折に暗号解読で彼の行動を知った米側が送り込んだP-38戦闘機の待ち伏せを受け、ブーゲンビル島上空で乗機が撃墜され戦死(海軍甲事件)。享年62歳。
人物・評価
情に厚い人で、非常に部下想いだった。「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」という山本の言葉は、部下の掌握術として今でもしばしば引用される。
甘党で下戸だが、逆立ちなどの宴会芸が得意でよく披露していた。
女性にもモテ、芸者の鶴島正子、新橋芸者の河合千代子との愛人関係は有名である。
博打好きでもあり強かったと言われる(実際の作戦でも手堅い正攻法よりも一か八かの奇策を好む傾向が目立っており、真珠湾攻撃発案も彼の博打好きの性格に起因するといわれる)。モナコの国営カジノに出入り禁止を食らった史上2番目の日本人である。
多くの部下から慕われていたことと、米内光政、井上成美らとともに日独伊三国同盟締結・対米開戦に真っ向から反対したこと、航空優先論者で大戦初期の日本軍の快進撃を実現させたことから戦後の評価が高かった。
一方で、上司部下の関係に以心伝心を求めることが多く、このためそりの合わない南雲忠一らとはスムースな意思伝達に欠いていた節がある。これは現在、ミッドウェー海戦の敗北の一因であったともされている。非合理な精神論に陥りやすい傾向にあり、悪名高い零式艦上戦闘機の20mm機銃の弾道挺進性の悪さも彼に遠因があったりする。
また山本の意志の強さを表す逸話として「ハワイ奇襲作戦実現のために自分の職を賭して軍令部に直談判した」とよく語られるが、そもそも聨合艦隊の役割とは軍令部が立てた作戦を実行することであり、山本聨合艦隊司令長官の行った真珠湾攻撃作戦の立案は軍令部の権限を侵すものである。さらに軍令部との談判の際に「提案が受容れられなければ辞職する」と脅迫した点からも、山本は海軍の指揮系統の秩序を乱したと言える(組織の秩序を乱すことが如何に恐ろしいかは辻政信などの例からもよく分かる)。軍令部と聨合艦隊の思惑の相違による影響はミッドウェー海戦時の現場の混乱という形で顕著に現れている。
ほかにも、それだけの反対を押し切っての断行にも拘らず機動部隊の人事面は特にに変更していない(司令長官が水雷畑出身で派閥の面でも折り合いの悪い南雲であったにもかかわらず)事や、そもそも日米開戦に反対の立場でありながらどうして開戦前に同じことを言って上層部に詰め寄らなかったのかと言う点でも批判を受けている。
特に開戦前、時の首相近衛文麿に語った「半年、一年は存分に暴れてみせます。しかし二年、三年となると確信がありません」と言う言葉は山本が日米の戦力差をはっきり認識していた名文句として使われることも多いが、同志だった井上成美からは「なぜはっきり『勝てません』と言わなかったのか」と非難されている。
この為に、望んでいなかった連合艦隊司令長官職に就任して、その職務の一環として対米戦を想定しての対策を練るうえで、自身が以前より対米戦においては緒戦で敵主力を撃滅せねば勝てないとの思想を持っていた事から真珠湾攻撃を検討するうちに、次第に彼自身がその軍事史上前代未聞ともいうべきこの作戦に魅了され熱中し始め、軍令部に己の職を辞す事を仄めかしながらも強引に進めた事は、対米戦に反対しながらも職を辞そうとしなかった態度と相まって、対米戦を始める事に陰で加担したという意見もある。
また、いち早く航空戦力の有用性に着目した点が評価される一方、再建すべき時にも空母・基地航空隊双方を酷使して散々に使いつぶした上、曲がりなりにも強力な兵力である大和以下戦艦部隊を完全に遊兵化させてしまった点が批判されており、真珠湾攻撃時の総隊長だった淵田美津雄(※)からも「その航空重視はいいとして新時代の戦艦の運用法で見るべきものなし」とまで言われている。
因みに技術革新や科学技術に対しては案外保守的で無知な面が目立ち、上記の零戦の20㎜機銃の問題をはじめ横須賀海軍航空隊研究会では技術開発に関する提案に対して精神論で返したり、「水から石油が採れる」と言った明らかな詐欺に引っかかった挙句、それを咎めた周りに「君達のように浅薄な科学知識ではわからない」とたしなめ実験させている。
山本は公私の場を選ばず人の好き嫌いが激しかった。有名な例では聨合艦隊司令部内で参謀の黒島亀人を寵愛し彼の案を積極的に取り入れる一方、ナンバー2である参謀長の宇垣纏を無視し彼の頭越しに他の幕僚に直接命令するなどしていた。この結果、司令部において参謀長が孤立するという異常事態が発生した。
実際宇垣は、大和艦長として司令部に挨拶に来た松田千秋に対し、「俺はここでは何もすることがない、戦は山本さんと黒島でやっている」とわびしげに語ったという。
こういうわけで、人によって「名将」と「愚将」の評価がスッパリと分かれる人物である。
なおこれは戦前・戦後を問わずあった評価で、おおざっぱなところを纏めると「人間的には立派で軍政家としては最高だが、作戦家・指揮官としては最低」と言ったところ。
連合艦隊司令長官に就任したのも、自身は海軍大臣となる同期の吉田善吾中将補佐の為に海軍次官を希望していたが、三国同盟に反対する彼が暗殺される事を危惧した米内光政が中央より遠ざける為に行った人事であり、「司令長官よりも海軍大臣になりたい」と漏らしていたようである。
※航空主兵論・戦艦不要論を唱えた源田実の同期で親友。彼自身大和型戦艦の建造には反対の立場で反対運動を起こしかけたこともある。因みに淵田はこれ以外にも自叙伝で山本を散々に酷評している。
1.アリスソフトのゲーム「鬼畜王ランス」「戦国ランス」の登場キャラクター。
詳しくは山本五十六(ランス)参照。
史実通りブーゲンビル島上空で戦死した後、前世(昭和)とは微妙に異なる後世(照和)世界に記憶を継承し、高野五十六のまま転生。自分と同じ転生者を集めた【紺碧会】を結成し、日本を「より良き負け」に導く戦いに臨んでいく。
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赤城條約或第二次世界大戰和平協定是同盟國於軸心國的官方正式的和平協議。 全名是《結束美利堅合眾國和日本帝國、大德意志國之間的戰爭狀態的正式和平協議》 赤城協議的簽署正式宣佈第二次世界大戰結束,象徵著同盟國的徹底失敗及軸心國的徹底勝利。 也為德義日分裂埋下了伏筆,冷戰的開始。 歐洲大陸上 從波羅的海邊的斯德丁到亞得里亞海邊的的里雅斯特,一幅橫貫歐洲大陸的鐵幕已經拉下。這張鐵幕後面坐落著所有歐洲古老國家的首都──華沙、柏林、布拉格、維也納、布達佩斯、貝爾格勒、布加勒斯特和索菲亞、巴黎、雅典、布魯塞爾、鹿特丹、倫敦最後到A-A線以西再到阿爾卑斯山及庇里牛斯山脈和烏拉爾山脈及酷寒籠罩的西伯利亞及寒冷的高加索再到二分為二的蒙古草原、東南亞及一分為二的印度,一場從橫跨大西洋及太平洋倒不如說是全球參與的冷戰已然開始。 義大利、德國、日本各自望相彼此舊軸心國間隙變成了分裂,象徵著三國軸心的時代的徹底走向了盡頭。 這是名冷戰的新時代中沒有一個人能從新興美、日、德、義的大博弈中置身事外所有人都在賭桌上決定自己的選擇語籌碼。 美國也在二戰結束後的傷痛的復甦,要讓全世界都知道美國這頭巨人者在復甦。 美國領導自由國家組織(OFN),其主要目的是促進全球的民主和西方影響力、確保澳洲和美洲的安全和主權。 美國與德國與其領導的團結協定的關係緊張,自由國家組織經常支援團結協定內部的抵抗運動,試圖削弱德國的全球力量投射。 二戰中賭桌上跌落谷底美國與昔日戰友在與重返賭桌,美國與他的盟友再次擲出命運的骰子。 在來自東西兩洋生存威脅的包圍下,美利堅合眾國劃出絕不允許敵人越過的界線,並儘可能地尋求盟友。 這個超級大國發誓,無論代價和事態如何,她的領導人和軍隊將忠實地守護它在理智和瘋狂之間的薄薄邊界。 認可這一點的政府和被壓迫人民都向華盛頓尋求指導、庇護和物質支持。 然而,美國的光榮伴隨著一個不成文的要求:美國必須繼續秉持其自我標榜的高道德標準,以免自由世界大家庭突然發現自己所追求擁護的烏托邦居然根本不存在 大東亞共榮圈,簡稱共榮圈,是一個囊括了東亞和東南亞大部分地區的陣營。 由大日本帝國領導,由法律上獨立的國家組成。陣營內的所有國家都為日本提供軍事通行權,並且在某種程度上聽命於日本政府,或多或少依賴日本人,在與德國決裂之後,日本是個在東亞不可忽視是武士。 大東亞共榮圈,俗稱"共榮圈",是一個由亞洲國家組成的聯盟,為反對西方殖民主義,帝國主義和解放亞洲而戰,至少日本人是這麼說的。 實際上,除了為數不多自願加入共榮圈的成員之外,陣營大多數國家都是日本的傀儡政府,旨在為日本主子服務。 共榮圈成員國在經濟、政治、軍事和一體化專案等各個方面合作。 然而,最重要的是,它是日本控制其他國家的工具。 團結協定是一個軍事和經濟聯盟,由大日耳曼帝國及其傀儡、客戶和盟友組成。 團結協定的主要目標是維護德國的勢力範圍,同時防止敵對派別擴張。 團結協定成員國與其他成員國和中立國進行貿易,然而德國巨人卡看似強大然而這份強大的來源是來自對於其他民族的壓迫,遠在A-A以東的的蘇聯殘餘西俄羅斯革命陣線已然摩拳擦掌準備撼動德國的巨人。 團結協定是納粹秩序下的泛歐聯盟。頹廢國家和腐敗墮落的舊秩序已經不復存在,取而代之的是由德國霸權主義主導的歐洲團結。 團結協定由許多憲章組成,詳細描述了許多成員國的經濟、軍事和政治關係,每個憲章最終都是為了德國的利益而設計的。 憑藉其對歐洲事務的無與倫比的控制權,團結協定的存亡關係到歐洲的命運,德國已然成為了"歐羅巴之主"。 義大利王國在與德國、日本分別後,義大利和土耳其害怕德國在地中海、高加索和黑海的擴張,於是組成同盟。1957年伊比利亞聯盟也加入義大利和土耳其的同盟,從而形成了三頭同盟。 人們認為,三十世紀裡義大利最偉大的一次征服,無非就是建立三頭同盟。 這個聯盟是帝國外交上最值得驕傲與稱道的成就。 顧名思義,三頭同盟就是地中海周邊三個地區強國建立的共同防禦條約,目的是對抗北方的大日耳曼國。但實際上,它是義大利一個巧妙的外交政策。 義大利佔據著地中海的中心位置,帝國的海外殖民地源源不斷地向本土輸送著各神利益,使它位居三頭同盟的領導地位。 聯盟自建立以來,就一直在走下坡路。 義大利是三頭同認的主要受益者,她也最希望維護聯盟的完整,願意為之奮鬥。不過,她的盟友伊比利亞和土耳其似乎並沒有從這種夥伴關係中拿到多少外交上的好處。如果不採取一些激進的行動,這個政治集團可能真的會論為僅僅是義大利和她的傀儡。 遠在A-A以東成功站穩腳跟的蘇聯殘餘部隊在伏羅希洛夫的領導下,忠誠的蘇聯將軍們成立了西俄羅斯革命陣線成功整頓軍隊,伏羅希洛夫看向西邊握緊拳頭說到 「偉大的衛國戰爭沒有有結束吧!。 蘇維埃必將捲土重來。 蘇維埃人民終將獲得自由。 偉大的祖國母親可不願意臣服在國家社會主義的腳下。」 「全世界無產者,聯合起來!」 時間來到了20世紀60年代,世界現在處於美日德三國冷戰的狀態下。復仇主義在美國愈演愈烈。美國人民要求日本滾出洛杉磯和舊金山的港口,並要求日本連帶夏威夷和阿留申群島這些在二戰中被奪去的領土一同歸還。雖然美國人團結在光復的夢想之中,但共和民主黨一直在小心翼翼的下著他們與德日的西洋棋。 他們希望透過施加對中立國家的影響來緩慢逼迫日本和德國走下世界舞台。 美國與加拿大,澳大利亞,紐西蘭和冰島組建了自由國家組織並領導這個組織在這個灰暗的世界裡生存下去。美國已經開始慢慢的重返世界舞台,並在海外尋找新的盟友以對抗德國。更重要的是,對抗正在緩慢重新擴軍的日本。 然而國家進步黨要求採取更為激進的行動,並宣稱如果他們贏得了大選,他們將會把軍事擴張和奪回美國合法的領土作為首要目標。與此同時,民權運動已經日益擴大化;很多人寄希望於此,讓它透過某種方式,又或者是另一種形式,來終結現狀。 就日本而言,他們已經看到了美國重返世界舞台,並看到了德國衰弱的跡象,他們開始嘗試擴大自己的影響力。由於美國、德國和日本都擁有了自己的核武庫,日本已經讓海軍將核子飛彈架設到了夏威夷的幾個發射架上了。美國海軍已經開始動員起來應對夏威夷的飛彈危機。 在德國,雖然經濟一直在增長,但國家卻越來越退步了。軍隊由於國防軍和黨衛軍的鬥爭陷入了混亂。奴隸們開始變得不安和躁動。新一代德國人完全依靠著種姓—奴隸制度帶來的優越條件,他們從未工作或在軍隊中服役過。新一代的年輕人被黑市走私來的美國音樂和義大利電影所影響。由於國家禁止大量輸入外國文獻,他們走上街頭髮泄對政權的不滿和自己的挫敗感。到了1962年,這個國家已經遭受了接近6個月的抗議和騷亂。 到了1962年,德國終於宣布了這個國家十幾年來的第一個好消息。根據德國當局的說法,他們與日本和美國的太空競賽已經結束。德國的太空領域號火箭已經登陸了月球。然而美日都宣稱太空競賽還遠遠沒有結束,這只是進入了一個新的階段。他們聲稱自己將實現在火星建立第一個空間站,殖民月球或發射環繞火星的衛星等等。 然而,當慶祝登陸月球的慶典開始的時候,德國還面臨了一場小小的困境。一名刺客襲擊了希特勒。 儘管元首在刺殺倖存了下來,但德國似乎還面臨著更為巨大的挑戰… 歐洲能否倖免於難?921文字pixiv小説作品恩を仇で返された先生は軍人になり死んでいく2
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第八巻 第二章 二・二六事件から真珠湾攻撃まで
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ファーストコンタクト
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