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曖昧さ回避編集

  1. 太平洋戦争時の大日本帝国海軍空母の一隻。
  2. 上記の空母を元ネタとした、『艦隊これくしょん』に登場する艦娘の一人 →大鳳(艦隊これくしょん)
  3. 上記の空母を元ネタとした『戦艦少女』のキャラクター →大鳳(戦艦少女)
  4. 上記の空母を元ネタとした『アズールレーン』のキャラクター →大鳳(アズールレーン)
  5. 上記の空母を元ネタとした『ヴェルヴェット・コード』のキャラクター →大鳳(ヴェルヴェット・コード)

空母「大鳳」編集

大日本帝国海軍の空母の一隻。

名前の大鳳とは鳳凰の別名の一つ(この場合は「たいほう」のほかに「おおとり」とも読む)。

翔鶴型に続く、日本空母の正統な進化の最後に位置する空母である。


空母の存在価値は飛行機を発着できる飛行甲板にあるが、それまでの空母はその飛行甲板に装甲がなく爆弾一発で機能を失う状態であった。大鳳はイギリスのイラストリアス型に影響されて、日本で初めて飛行甲板(正確には飛行甲板の下)に装甲を張った装甲空母となった。一昔前はラテックス塗装が施されていたとされる飛行甲板であるが、建造当時の図面では木甲板であると明記されている他、近年になって大鳳の木甲板が映された写真が発見されたため、現在の考証では飛行甲板は木製であったと結論付けられている。

艦艇模型においても発売時期によって二説のものがそれぞれ発売されている。

余談だが、ラテックス仕様の大鳳は甲板の塗装が比較的容易であり、構造的にもハリケーンバウが単純な構造であるため、空母のプラモの中でもトップクラスの作りやすさを誇る。


飛行甲板装甲化により、その重量超過によるトップヘビーを防ぐため翔鶴型より甲板を一層減らされ、搭載機が一回り少なくなった。重量軽減のため、飛行甲板の装甲は前部エレベーターと後部エレベーターの間に限定されたが、施された装甲により500kg爆弾に耐える防御力を得た。

だが、上からの爆弾対策はとってあっても、下からの魚雷対策に関しては(翔鶴型よりも強化されていたが)当時の米軍が使用する魚雷の威力に対して完璧とは言い難かった。竣工直後ながら総旗艦の大役を務めたマリアナ沖海戦では命中した魚雷が一本であったため航行に支障はなかった。しかし、命中時の衝撃によりガソリンタンクからガソリンが漏れて(一説では当時の稚拙な溶接技術の所為とも)気化しだした。換気と修理作業も行われたが、気化したガソリンに備え防毒マスクを着用し火気に注意を払いながらの作業であった上、艦載機を甲板に上げるための前方エレベーターも同時に故障し、発着艦に支障が出ることから優先的にそちらを修理したため、なかなか捗らなかった。最終的にエレベーター口をエレベーターリフト上に機材を積み上げることで塞ぐ応急処置をしたのだが、その所為で最大の換気口を失い、気化したガソリンは密閉された格納庫内に充満。

その後、何らかの原因(発着艦時の火花が有力)で気化したガソリンに引火し大爆発を起こした。消化活動も行われたが損傷が激しすぎたため鎮火せず沈没。同時に失われた「翔鶴」とともに、「大鳳」の沈没は日本海軍の落日を示すこととなった。


特徴的な斜め上に伸びた煙突は、気流が艦載機の邪魔にならないようにしたかったものの、飛行甲板が低くなったため、日本海軍の空母の通例のように下向きに湾曲させる処理が、海面が近過ぎてとれなかったからである。これは隼鷹型で試験された。


経歴編集

1941年7月10日に神戸の川崎重工工廠で起工。1943年4月7日に進水し、1944年3月7日に竣工した。

元々は1943年秋頃に進水予定であったが、起工から半年後に太平洋戦争が起こり工期繰上げが要求され、予定より半年ほど早く進水。その後、船体は呉まで運ばれ、そこで最終艤装がほどこされて竣工となった。


1944年3月28日、兵員輸送を兼ねて秋月型駆逐艦「初月」と「若月」と共に呉を出航。4月4日に無事シンガポールセレター軍港に入港するが、入港直前に急造が祟ったのか舵取装置が故障し、さらに配電盤火災となり一時操舵不能に陥る。


修理後の4月9日にリンガ泊地に回航され、4月15日より第一機動艦隊旗艦となる。リンガ泊地では「翔鶴」、「瑞鶴」とともに着艦訓練を主に行った。


内地からの第二航空戦隊、第三航空戦隊と合流するためにタウイタウイに向かい、5月14日に到着。だが周囲に大きな陸上飛行場がなく、また米軍潜水艦が出没するために十分な訓練ができなかった。対潜作戦も行われたが、逆に駆逐艦「谷風」や「風雲」など5隻が撃沈されてしまった。


6月13日に仕方なく安全かつ訓練に向いたフィリピン中部のギマラス港に向けて出港。道中でも訓練を行ったが、そこで艦載機「天山」の着艦に失敗し飛行甲板の九九艦爆に追突し炎上。零戦2、九九艦爆2、天山1を喪失、天山1大破、九九艦爆1小破の大損害をだした。


6月14日にギマラスに入泊し補給。その翌日には「あ号作戦」によってマリアナ沖に向かった。


1944年6月18日、マリアナ沖海戦に参加。初戦かつ順調に発艦が完了したことで楽観的気運が漂っており、その隙を突いて米潜水艦「アルバコア」による雷撃を受けるが、彗星1機(搭乗員 操縦:小松幸男兵曹長、偵察:国次萬吉上飛曹)が右に旋回して海に突入し、これを自爆によって阻止した。直ちに大鳳は機関全速にて離脱を図るも、続く雷撃によって被雷。燃料タンクの損傷と艦載機用エレベーターの故障が発生するも、沈没は免れる。

以後は上記のように応急修理が行われるも、同時に僚艦「翔鶴」が撃沈されてしまったため、翔鶴の艦載機も受け入れなくてはならなくなるなど、乗員を忙殺が襲う。

あとは上記の通りに大爆発による最後であった。


もはや沈没は不可避と見て総員退艦令の後、小沢長官や古村啓蔵参謀長は艦橋が盾になったため爆風を免れた唯一のカッターに乗り、駆逐艦「若月」に移動。駆逐艦「磯風」と「初月」が乗組員の救助にあたり、最終的に「磯風」が「大鳳」艦尾に接艦して乗組員を救助している。

「大鳳」は左舷に大きく傾斜し、午後4時28分に沈没した


関連タグ編集

空母 装甲空母

大日本帝国海軍

燃料漏れ


大凤:簡体字表記

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