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第二次ソロモン海戦

だいにじそろもんかいせん

第二次ソロモン海戦とは、1942年8月24日に、ソロモン諸島の北で行われた日本軍とアメリカ軍による海戦である。
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→ 詳細はwikipedia:第二次ソロモン海戦

概要編集

1942年8月24日にソロモン諸島の北で発生した海戦。

夜戦が主だった第一次ソロモン海戦第三次ソロモン海戦とは異なり、ミッドウェー海戦以来となる大規模な日米空母機動部隊の激突となった。


参加兵力編集

日本軍

第二艦隊(司令長官近藤信竹中将)編集

本隊

第四戦隊(司令官近藤信竹中将)重巡洋艦愛宕(旗艦)、高雄、摩耶

第五戦隊(司令官高木武雄中将)重巡洋艦妙高、羽黒

水上機母艦千歳

第四水雷戦隊(司令官高間完少将)軽巡洋艦由良

 第九駆逐隊(司令佐藤康夫大佐)駆逐艦朝雲、夏雲

 第十五駆逐隊(司令佐藤寅次郎大佐)駆逐艦黒潮、親潮、早潮


日本丸護衛

駆逐艦峯雲


支隊

戦艦陸奥

第二駆逐隊(司令橘正雄大佐)駆逐艦村雨、春雨、五月雨


第三艦隊(司令長官南雲忠一中将)編集

本隊

第一航空戦隊(司令官南雲忠一中将)空母翔鶴(旗艦)、瑞鶴

第十駆逐隊(司令阿部敏雄大佐)駆逐艦秋雲、夕雲、風雲、巻雲


前衛(司令官阿部弘毅少将)

第十一戦隊(司令官阿部弘毅少将)戦艦比叡(旗艦)、霧島

第七戦隊(司令官西村祥治少将)重巡洋艦熊野、鈴谷

重巡洋艦筑摩

第十戦隊(司令官木村進少将)軽巡洋艦長良

 駆逐艦野分、舞風


支隊

第八戦隊(司令官原忠一少将)重巡洋艦利根

空母龍驤

第十六駆逐隊(司令荘司喜一郎大佐)駆逐艦時津風、天津風


補給部隊護衛

駆逐艦初風


外南洋部隊編集

第八艦隊(司令長官三川軍一中将)

本隊

重巡洋艦鳥海(旗艦)

第六戦隊(司令官五藤存知少将)重巡洋艦青葉、古鷹、衣笠


増援部隊

護衛隊

第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)軽巡洋艦神通

 第二十四駆逐隊(司令平井泰次大佐)駆逐艦海風、凉風、江風

 第三十駆逐隊(司令安武史郎大佐)駆逐艦睦月、弥生

 第1号哨戒艇、第2号哨戒艇、第34号哨戒艇、第35号哨戒艇

輸送船団 ぼすとん丸、大福丸、金竜丸

挺身隊

第四駆逐隊(司令有賀幸作大佐)駆逐艦嵐、萩風

第十七駆逐隊(司令北村昌幸大佐)駆逐艦浦風、浜風、谷風、磯風

駆逐艦陽炎


アメリカ軍

第61任務部隊(司令長官フランク・ジャック・フレッチャー中将)編集

第11任務群(司令官フランク・ジャック・フレッチャー中将)編集

空母サラトガ(旗艦)

護衛部隊(司令官カールトン・ハーバート・ライト少将)重巡洋艦:ニュー・オーリンズ、ミネアポリス

第1駆逐艦戦隊(司令サミュエル・B・ブリューワー大佐)駆逐艦フェルペス

第2駆逐隊(司令フランシス・X・マキナニー中佐)駆逐艦ファラガット、ワーデン、マクドノウ、デール


第16任務群(司令官トーマス・C・キンケイド少将)編集

空母:エンタープライズ(旗艦)

護衛部隊(司令官マーロン・ストリート・ティスデール少将)戦艦ノース・カロライナ、重巡洋艦ポートランド、軽巡洋艦アトランタ

第6駆逐艦戦隊(司令エドワード・P・ザウアー大佐)駆逐艦バルチ、マウル、エレット、ベンハム

第22駆逐隊(司令ハロルド・R・ホルコム中佐)駆逐艦グレイソン、モンセン


第18任務群(司令官リー・ノイエス少将)編集

空母:ワスプ(旗艦)

護衛部隊(司令官ノーマン・スコット少将)重巡洋艦:サンフランシスコ、ソルト・レイク・シティ、 軽巡洋艦サン・フアン

第12駆逐艦戦隊(司令ロバート・G・トービン大佐)駆逐艦ファーレンホルト、アーロンワード 、ブキャナン

第14駆逐隊(司令ウィリアム・W・ウォーリック大佐)駆逐艦ラング、スタック、ステレット

第4駆逐艦戦隊(司令コーネリアス・W・フリン大佐)駆逐艦セルフリッジ


第63任務部隊(司令官長官ジョン・S・マケイン少将)編集

ヘンダーソン基地 戦闘機18機、艦上爆撃機11機

エスピリッツサント基地 重爆撃機25機、飛行艇33機


海戦まで編集

第一次ソロモン海戦で護衛部隊が壊滅した連合軍輸送部隊は物資揚陸を途中でやめて撤退し、8月7日にガダルカナル島に上陸したアメリカ海兵隊員約11,000人には5日分の食料しか無かった。

しかし、日本軍は基地航空隊の「敵輸送船数十隻を撃沈」という過大な戦果報告を信じ、上陸できた連合軍将兵は3,000人程度と判断。一木支隊第1梯団917人を駆逐艦6隻で18日にガダルカナル島に送り込んだが、第1梯団は主力の到着を待たずに21日にアメリカ軍と交戦し、壊滅した。この報告を日本側は受けていたが、全滅とは考えず苦戦しながらも継戦していると考えており、壊滅が確認されたのは25日になっての事であった。

この間に日本軍は一木支隊第1梯団の後続として一木支隊第2梯団を載せたぼすとん丸と大福丸、横須賀第五特別陸戦隊を載せた金竜丸からなる輸送船団を編成し、第二水雷戦隊旗艦神通と哨戒艇の護衛のもと19日にトラック島を出撃していた。

一方、アメリカ海軍第61任務部隊(空母エンタープライズサラトガワスプが主力)もガダルカナル島近海に戻ってきている兆候を示しており、20日に敵機動部隊発見の報を受けた山本五十六連合艦隊司令長官はこれを艦隊決戦の好機と捉え、20日にトラックに進出中の第三艦隊(第一航空戦隊空母瑞鶴翔鶴龍驤が主力)をトラックに入港させずに南下させ、トラックの第二艦隊も出撃させた。

だが20日に発見されたのはアメリカ軍は護衛空母ロングアイランドを中心とした航空機輸送の小部隊で、ヘンダーソン飛行場に向けてF4Fワイルドキャット艦上戦闘機(以後F4F)19機、SBDドーントレス艦上爆撃機(以後SBD)12機を発艦させた後に後退していたが、日本軍は輸送船団を一旦西に後退させた。

21日以降ラバウルの第五空襲部隊は20日に発見したアメリカ空母を求めて連日出撃したが、何の成果もなかった。

また反転した輸送船団は第二・第三艦隊が支援の為に南下してきた事もあり、命令を受け24日の上陸を目指して21日に再びガダルカナルへと針路を向けていた。


23日朝にはアメリカ側はフレッチャー中将率いる第61任務部隊は前述のロングアイランドを支援する為にガダルカナル島東方約150海里にあった。

7:50分にPBYカタリナ飛行艇(以後PBY)が日本軍輸送船団を発見し、攻撃の為に機動部隊、ヘンダーソン飛行場共に攻撃隊を出撃させるも田中提督が空襲を予想して船団の針路を変え、また悪天候であった事もあり発見する事は出来ず。

フレッチャー提督は太平洋艦隊情報部から「日本艦隊はトラック島北方」という情報を受けてそれを信用しており、暫く戦闘は無いと判断して午後にワスプを中心とする第18任務群を給油のために南下させた。

日本側は第三艦隊は9時に索敵機を出して南下するも、午後になっても敵を発見する事は出来ず、逆に第二艦隊が敵哨戒機に発見されたとの報を受け、空母を中心とする第三艦隊本隊は連合艦隊司令部、第二艦隊の命令を待たずに16時25分に反転北上する慎重さを見せ、更に位置暴露を恐れて電波発信を極力減らした為に電波伝達状況が悪かった事もあり、第二艦隊と第十一戦隊を主力とする第三艦隊前衛が第三艦隊本隊に合わせて反転したのは19時15分になるなど本隊の動きに翻弄されていた。


海戦編集

24日、第三艦隊は連合艦隊司令部から敵艦隊の情報がないなら適時の兵力でヘンダーソン飛行場を攻撃せよとの命を受けた事もあり、2時に第八戦隊司令官原忠一少将の指揮のもと空母龍驤、重巡利根駆逐艦時津風天津風を分派して、陸軍支援の為にヘンダーソン飛行場攻撃に派遣した。これはアメリカ空母の艦載機をおびき出し、その間に翔鶴、瑞鶴がアメリカ空母を撃破する囮作戦とも言われる。

4時15分、第三艦隊本隊は九七式艦上攻撃機19機からなる索敵隊を出すも敵を発見できず、9時に索敵機を収容。

7時5分、アメリカ軍のPBYが「龍驤」を発見するが、フレッチャー提督は依然として日本艦隊はトラック島北方にいる考えを捨てきれず、日本艦隊を発見した附近に更なる確認の為に7時29分にエンタープライズよりSBDからなる索敵隊を発艦させ、11時5分、他の日本艦隊が存在する事も考慮して、サラトガのみにSBD30機、TBFアヴェンジャー艦上雷撃機(以後TBF)8機の攻撃隊を出撃させた。

12時頃からエンタープライズの索敵機から先の龍驤を中核とする小艦隊の他にも空母を含む艦隊の報告がなされたが通信状態が悪くエンタープライズに届かず、護衛艦を中継してその報告を知ったフレッチャーはサラトガの攻撃隊に攻撃目標の変更の無電を打つもそれは攻撃隊には達しなかった。

その偵察隊の中のSBD2機は翔鶴を攻撃するも至近弾に留まっていた。

10時48分、11時30分に龍驤を発進した零式艦上戦闘機15機、爆装の九七式艦上攻撃機6機からなる攻撃隊は12時30分頃にヘンダーソン飛行場を爆撃し、F4F15機の迎撃を受け、3機を撃墜するも、零式艦上戦闘機2機、九七式艦上攻撃機3機の損害を受けた。

9時、第三艦隊前衛より水上偵察機6機による索敵機が打ち出され、12時過ぎ、重巡「筑摩」の水上偵察機2号機がアメリカ空母を発見の報の後に撃墜され消息を絶つが、この報により第三艦隊本隊は55分に翔鶴の関衛少佐率いる零式艦上戦闘機13機、九九式艦上爆撃機27機の第一次攻撃隊を出撃させた。次に戦艦比叡の偵察機も敵部隊発見を報じ、その報告を元に攻撃隊は針路を修正した。

B-17爆撃機などの攻撃を既に受けていた原提督の支隊では、13時50分に今度は「サラトガ」の攻撃隊38機の攻撃を受け、「龍驤」は至近弾数発と魚雷一本を命中の打撃を受けて航行不能となり、これによりヘンダーソン飛行場攻撃隊にはブカ島基地に向かうよう原提督より指示がなされたが、その無線を受信出来た一部を除き、収容予定場所に戻った攻撃隊の多くは海上に不時着する事となった。18時、東進する支隊より取り残され、駆逐艦により雷撃処分される予定だった「龍驤」は浸水により沈没した。

14時、第三艦隊本隊は瑞鶴の高橋定大尉率いる零式艦上戦闘機9機、九九式艦上爆撃機27機からなる第二次攻撃隊を出撃させた。

14時28分、日本軍第一次攻撃隊は敵機動部隊を発見して攻撃を開始し、日本側より低高度だった為にF4Fの迎撃は味方対空砲火により撃墜されるものがいた程の執拗さをもっても効果的なものとならず、攻撃はエンタープライズに集中して爆弾3発を命中させて炎上させるもダメージコントロールにより一時間後には戦闘航行可能となっていた。またF4F53機の上空直衛のうち5機が失われた。これに対して日本側の損害は甚大で零式艦上戦闘機9機、九九式艦上爆撃機18機が失われていた。

15時42分、日本軍第二次攻撃隊は予定地点に達するも、進路修正の無電を受信できなかった為か敵を発見できずに空しく帰投したが、機動部隊本隊が行動予定を変更した為に見つけ出すのに苦労し、4機が機位を失い未帰還となっている。

アメリカ側では前の攻撃で果たせなかった敵部隊への攻撃を狙ってサラトガ、エンタープライズよりSBD13機、TBF12機を出撃させるも発見できたのは第二艦隊の千歳と第五戦隊だけであり、千歳に至近弾二発を与えて両舷機械室への浸水と左舷機械使用不能としたに過ぎず、第二次攻撃隊を収容したアメリカ側は燃料補給の為にかなりの損傷を負ったエンタープライズをつれて南方に退避。

日本側も第三艦隊は敵艦隊との接触機もなくなり、更に甚大な損害を航空隊が被った事から第三次攻撃隊の出撃を諦め、翔鶴艦長有馬正文大佐の進撃すべしとの意見を退け北方に退却し、第二艦隊は戦艦陸奥が重巡のスピードに付いて行けず後方に取り残されるなか、アメリカ海軍第61任務部隊を捕捉して夜戦で叩くべく南下したが、発見できずに22時に撤収した。


深夜に駆逐艦睦月弥生江風磯風陽炎はヘンダーソン飛行場に艦砲射撃を行い、その後に輸送船団に合流。

前の海戦で米空母二隻を撃破(誤報)したとの報告に船団はガダルカナルを目指すも25日午前6時、輸送船団はヘンダーソン飛行場より飛来したSBD18機の空爆を受けて軽巡神通が中破、輸送船金龍丸が撃沈され、駆逐艦睦月はアメリカ陸軍B-174機の空襲で撃沈され、船団のガダルカナル島上陸は断念された。


海戦後編集

8月31日、「サラトガ」は珊瑚海を哨戒中、日本潜水艦伊26」の雷撃で損傷し、修理に3ヶ月を要した。またこの折にフレッチャー提督が頭部に重傷を負った為に司令官を降板している。

9月15日、「ワスプ」はガダルカナル島への輸送船団の護衛中、日本潜水艦「伊19」の雷撃で大破炎上し、駆逐艦「ランズダウン」に雷撃処分された。「ワスプ」を狙って外れた魚雷が10km先を航行していた戦艦ノースカロライナ」と駆逐艦「オブライエン」に1本ずつ命中、大破させた。


結果編集

●ヘンダーソン飛行場の航空隊強化で制空権を掌握した連合軍は、ガダルカナル島へ日中に輸送船団を送り込むようになった。

その一方、日本海軍は25日の失敗から輸送船による補給を諦め、駆逐艦による「鼠輸送」により夜間に活動することになった。だが28日に第二十駆逐隊の4隻が20機の空襲により、駆逐艦1隻沈没、1隻大破、1隻中破の損害を出しての輸送失敗に、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将は制空権を握られた中での駆逐艦による輸送は成功の公算が少ないとの電文を第八艦隊司令部に打ち、更には哨戒艇による輸送も見合わせようとしたために第八艦隊司令部から「駆逐艦・哨戒艇で輸送するしか方法は無い」と発破をかけられている。


●海戦に勝利したアメリカ側ではあるが、海戦でエンタープライズが損傷、その後の日本潜水艦の攻撃でサラトガが損傷、ワスプが撃沈され、空母戦力は8月17日に真珠湾を出撃し、海戦後に到着したホーネットのみとなり苦しい戦いが続くことになる。


余談編集

●日本海軍では第三艦隊が艦隊を本隊と前衛に分け、前衛を突出させて偵察・艦隊攻撃ならび敵の攻撃を吸収させる役目を負わせた。本海戦では第三艦隊はミッドウェー海戦の轍を踏まないためのか自体の位置の秘匿に努め、電波状況も悪かった事から、勢い前衛部隊は突出して本隊の航空支援を受けられない状況となったり、知らない間に本隊が反転して取り残されるなどの目に遭い、更に前衛の各艦長は囮にされているとの認識が強く不評だったものの、アメリカ側はピケット艦に通じる発想と評価している。


●本海戦では機敏な艦爆の攻撃でまず敵艦の防御力を弱体化させ、その後に鈍重な艦攻に止めを刺させる作戦が用いられたが、第一次攻撃隊がエンタープライズを損傷させたものの、第2次攻撃隊が敵を発見できず、偵察機も敵艦隊との接触を失った事から艦攻の出番は無かった。

この戦法にはミッドウェー海戦での飛龍の小林隊の戦訓は考慮されなかったのか、艦爆の機敏さを過信気味で、場合によれば艦爆のみで攻撃させる事も考えていたようである。そして護衛機の四倍以上の53機もの敵戦闘機の迎撃を受け、第一次攻撃隊は40機中13機しか帰投しない大損害を受け、第三艦隊司令部は大きな衝撃を与えた。

もっとも司令部では損失の原因の大部分を敵艦隊の対空砲火が原因と分析しており、南雲提督は後に「敵の対空砲火には注意するように」と航空機搭乗員達に促したという。

また出番が無かった事に不満を感じていたのか翔鶴の艦上攻撃隊を指揮する村田重治少佐は、第二航空戦隊航空参謀奥宮正武少佐に南太平洋海戦の前、「第二次ソロモンではマモ(関衛少佐の事)が折角やっつけた奴を取り逃してしもうた。お偉方は手抜かりのないようにしっかり頼みまっせ」と語っていたという。

それでもこの結果を踏まえてか、次の南太平洋海戦では攻撃隊の編成は戦闘機に護衛された爆雷連合の形に戻されている。

一方、米側のフレッチャー提督は珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦と指揮下の空母を失っていた事から貴重な空母を守る事をひたすら重視してか、ミッドウェー海戦で戦闘機の護衛なしでも攻撃隊が戦果を挙げた事からか、攻撃隊を戦闘機の護衛もつけずに送り出している。


●大型空母と小型空母を組ませ、そのうち大型空母に主に爆撃機・攻撃機からなる攻撃部隊を任せ、軽空母に主に戦闘機による艦隊直衛・攻撃部隊直衛の任を任せる方式は本海戦が初めてとなる筈であったが、ヘンダーソン飛行場を叩けとの連合艦隊司令部の命に対して、あくまでも機動部隊本隊の位置を秘匿したい第三艦隊司令部により、折衷案的に航空戦力では龍驤のみがヘンダーソン飛行場攻撃の為に分派された事で機能しなかった。

結果として第三艦隊本隊から敵の目を逸らす事には成功したものの、龍驤は海戦にさして貢献する事無く失われ、攻撃部隊直衛・艦隊直衛の任を担う龍驤を外された翔鶴、瑞鶴による攻撃隊は第一次攻撃隊が爆撃機27機に対して戦闘機の護衛は13機、第二次攻撃隊に至っては爆撃機27機に対して護衛戦闘機は9機のみと明らかに護衛が不足しており、第一次攻撃隊は主に53機という護衛の四倍以上の敵戦闘機の迎撃により爆撃機の三分の二が失われる原因ともなった。



別の用法編集

艦隊これくしょん龍驤サラトガが共に描かれたイラストにタグ付けされている。

75年前――

大半は龍驤がサラトガに別の意味で“轟沈”させられてる様子だが・・・

センシティブな作品センシティブな作品


外部リンク編集

wikipedia:第二次ソロモン海戦

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太平洋戦争 第一次ソロモン海戦 第三次ソロモン海戦

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