曖昧さ回避
概要
駆逐艦「弥生」
1925年7月11日進水、1926年8月28日竣工。佐世保鎮守府に所属。
当初は「第二十三号駆逐艦」という艦名であり、一等駆逐艦に類別され1928年8月1日に「弥生」と改名された。
太平洋戦争開戦時は第三十駆逐隊に所属し、睦月や望月や如月と共に第1次ウェーク島攻略作戦に参加。だが失敗し、この作戦で如月を爆撃により喪失している。なお、ウェーク島攻略は開戦時の一連の奇襲作戦において、唯一失敗した作戦でもある。
その後は第23駆逐隊から卯月を迎え、第二次ウェーク島攻略作戦に夕張麾下の攻略本隊として再度参加。今度は攻略を成功させた。
1942年8月、米軍のガダルカナル上陸に対し、8月22日夜に睦月と共にガダルカナル島を砲撃。
しかし25日に睦月が爆撃で撃沈されると、乗員を救助しラバウルへ帰還。
その後も8月28日にラビ攻略作戦に参加、部隊を上陸させるなどソロモン・ニューギニア方面で活動した。
9月10日に陽炎型12番艦「磯風」と共にラビ攻略部隊を撤収させるためラバウルを出るが、ラビの東にあるノルマンビー島の東方でB17とB25の約10機による空襲を12時ごろから受け、後部への爆弾命中により舵が故障、続いて航行不能となり16時ごろ沈没。
僚艦の磯風は空襲の回避運動のため弥生から離れてしまい乗員が救助が出来ず、弥生の生存者はカッターでノルマンビー島に上陸した。
同島では飢餓に悩まされたが、9月26日に磯風と望月によって艦長以下83名が救助された。
ちなみにその望月も、1ヵ月後に米海兵隊の爆撃を受けて沈没している。
関連タグ
人名としての弥生
実在人物
キャラクター
*登場作品名50音順に追加
*太字は3月(弥生)生まれであることが判明しているキャラクター