モデルとなった大日本帝国海軍の駆逐艦については「弥生」を参照。
図鑑データ
「初めまして、弥生、着任…。あ、気を使わないでくれていい…です。」
弥生、概要、出撃です
2014年1月末のアップデートで卯月と共に追加された睦月型駆逐艦3番艦。
性能としては他の睦月型と同様。ステータスは他の駆逐艦よりも多少落ちるが、その分低燃費であり遠征艦隊に適している。
通常海域の第2~第5海域のボスドロップにて入手可能で、資源ALL30の建造でも入手可能。
デイリー建造をALL30で済ませる人ならひょんと手に入る子かもしれない。
実装と同時に関連任務「「第三十駆逐隊(第一次)」を編成せよ!/出撃せよ!」が登場。
睦月、如月、望月と艦隊を組むこと、及びその編成でキス島沖への出撃とボス到達を要される。
ボスを倒す必要はないが、どこへ行くかは羅針盤次第なので到達自体が少々難しい任務。
遠征などでレベルを上げて近代化改修もしておこう。
艦名は旧字を使って「彌生」と表記する文献もあるが、『艦これ』では「弥生」と表記されている。
容姿、いい?
薄紫色の髪にディープグリーンの瞳。髪型はもみ上げの長いボブヘアーに皐月以降の睦月型と同じ三日月を象った髪飾りをつけている。
服装は紺色の睦月、如月と同デザインの紺のセーラー服でへそチラ(へそ出し)が眩しい。
艤装も睦月や如月と同デザインだが、こちらは卯月と一緒に単装砲が腕にマウントするタイプだったり、背負っている煙突に白梅の花が飾られていたりと微妙な違いがある。
ちなみに梅の花言葉は「高潔」「忠実」「忍耐」。白梅の花言葉はこれに「気品」がつく。
また、手にしている12cm単装砲の砲身にはボロボロの赤いリボンが結ばれているが、これは史実で如月や睦月の最期を見届けていた事から、彼女達の形見ではないかと言われている。現に公式4コマ第36話ではそれを示唆するような件もあった。
中破時は睦月や如月同様肌の露出が高いが、姉二人がブラジャーを付けているのに対し、彼女はさらしを巻いている。
バレンタインmode
「司令官、これ…あ、あげます。甘いです。お返しは、気にしなくていい…です。」
2016年2月10日、卯月共々「バレンタインmode」が実装された。
中破になると、クッキーが若干焦げてしまい、途端に不機嫌そのものの顔つきになる。
提督へのクッキーを焦がしてしまった原因となった、攻撃相手に向けた静かな怒りに見える。
「やってくれたね…怒ってなんかないよ、怒ってなんか…」
いや、怒っていらっしゃるでしょう……(汗)
春のお出かけmode
2018年4月上旬「春の【お出掛けmode】」が実装。
バラ模様のオーバースカートがついたデザインの淡いパープル系のワンピースにジャケット。
白いショルダーバッグの紐をぎゅっと握って、ちょっと緊張している面持ち。
生みの親である草田草太氏曰く「女の子っぽい感じでてれってれなイメージ」とのこと。
性格を、なめないで!
物静かで真面目で不器用。あまり感情を表に出さない性格であり、怒ってもいなくても不機嫌そうな仏頂面のためか表情からではわかってもらえず、よく勘違いされる。
それもあってかコミュニケーションが苦手な節がある。
ちなみに公式4コマでは本気で怒ると他の駆逐艦娘達が震え上がるレベルの形相らしい。
そのせいか、余計に周りから気を使われている。
同時に実装された卯月の性格がハジけているせいもあり、髪の色など含め意図して対照的にした可能性がある。制服デザインも唯一卯月とお揃い。
提督のことはかなり信頼しており、全体的に肯定的。
放置されても「焦らずゆっくりで。弥生はここにいるよ」と言うなど側にいるだけで満足なようだ。
一方でケッコンカッコカリ時の台詞や「気を使ってくれなくてもいい」と言うなど、もう少し提督とフランクな関係を築きたいと考えているようだが、持ち前の不器用さのお陰で提督本人から遠慮されているのが不満なようだ。
その一方で史実での戦歴から、戦闘においてはより真剣な面持ちとなり、夜戦では「第三十駆逐隊を、なめないで!」と力強く叫ぶ。
夜戦開始時には「自分に追撃を任せて」という旨の発言もあることから、物静かな普段とは裏腹に闘争心はなかなか強い。
うっ…うーん、弥生が史実でも活躍…えっ…と、えーっと…嬉しい…かな
クエストにもなっている第三十駆逐隊は最初にガダルカナル島砲撃を敢行した部隊であり(金剛・榛名によるヘンダーソン飛行場砲撃より前)、ソロモンの悪夢こと夕立に並ぶ武闘派と言える(もっとも、この時は一緒に睦月と望月がいたのだが……)。
睦月型では国産の艦本式オールギアードタービンが採用されたが、浦賀船渠で建造された弥生はメトロポリタン・ヴィッカース社製ラトー式タービンが搭載されていた。これは単に比較試験の為だと書かれがちだがそれだけでは誤りである。八八艦隊計画に際して駆逐艦の大量建造の為、比較試験を兼ねて浦賀船渠にはラトー式タービンの搭載が認められていた(つまり弥生以外の艦も、弥生以前の浦賀船渠建造の駆逐艦はラトー式タービンだった)のである。
実際、艦船の大量建造に当たっては、主機(エンジン)の製造・供給数の制限や、各造船所の個性(得手・不得手)、仕事の”割り振り”など様々な理由から、同型、あるいは同規模の船体に、異なる主機を搭載するケースは少なくはなく、例えば大戦中のアメリカの護衛駆逐艦や、最近ではソ連海軍のソブレメンヌイ型(蒸気タービン)とウダロイ型(ガスタービン)など、実例には事欠かない。
もしも睦月型やその準同型の建造が続いていたなら、ラトー式の駆逐艦が続いていた可能性もあっただろう。
しかし、ワシントン軍縮条約締結後、特型駆逐艦以降は巡洋艦並みの出力に拡大したことと製造数が限られたことから、浦賀船渠のラトー式タービン搭載艦は弥生が最後になった。
艦本式タービンはブラウン・カーチス製直結タービンのタービンとウェスティングハウス製変速機を組み合わせる形で開発されたもので、つまりアメリカ式に近い。それに対してイギリス式のヴィッカース製タービンを積む弥生は整備に難儀したのが容易に想像できる。弥生の気難しそうな性格はこのためか。
もっとも、それを言ってしまったら長月のツェリー式タービンなんかは原型は船舶用ですらないのだが……なお、艦自体が純イギリス製の金剛は太平洋戦争時には改装により艦本式タービンに全基交換している。
1942年9月10日、失敗に終わったラビ攻略作戦の陸戦隊撤収の為にラバウルを出港したが、9月11日にアメリカ軍のB-17・B-25部隊の空襲を受け後部を損傷、航行不能となり沈没した。以降は設計の旧い睦月型の対空能力の弱さが問題視されるようになる。
公式4コマで望月が何かと弥生の世話を焼くのは、この時の生存者を後に望月が救助している為。