B-25
びーにじゅうごあるいはみっちぇる
アメリカの航空機メーカーのひとつであるノースアメリカン社によって1938年から開発が開始された。
実は開始当初、このプロジェクトはノースアメリカン社の自腹によって行われていたのだが、第二次世界大戦勃発に伴い陸軍航空隊の増強が急務となったことから、急遽陸軍によって採用された。
なにぶん急遽採用されたものだから、方向安定性が悪い、と言う重大な欠点を抱えてしまったのだが、主翼を改良することによって早い段階で解消することが出来た。
主に太平洋戦線で、B-24リベレーターやB-29スーパーフォートレスを補佐する形で活躍したが、中でも有名な(あるいは悪名高い)のは、1942年4月のドゥーリットル爆撃隊による日本空襲であろうが、本来空母に積めない大きさのはずのこの飛行機を、それこそムリクソに搭載した上、その大きさのため空母に帰還出来ないが故に、中国大陸に不時着させようとした、いわば「片道切符」的なものであった・・・・・・・・・・正直カミカゼ笑えないんでないこんな事やらかしたアメリカは!?
また、第二次世界大戦終結間際の1945年7月には、ニューヨークのエンパイアステートビルに激突してしまう事故をやらかしてしまった。
アメリカ陸軍航空隊だけでなく、イギリスやカナダやオーストラリアやソビエト連邦の各空軍、さらにはアメリカ海軍・海兵隊にも採用された。
第二次世界大戦終結後も中南米諸国などでも採用されている。
尾翼が二つあるという特徴があるが、タイプによっては、機首に75ミリ砲という大砲を積んだものもある。
名前の元ネタは、アメリカ陸軍の軍人で、航空機の重要性を説き続けたウィリアム・ランドラム・ミッチェル(1879年-1936年)という人。ちなみにこの人、あの真珠湾攻撃を予言した人でもある。