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ヘタリアのカナダについてはマシュー・ウィリアムズの項を参考のこと。

概要

北アメリカ大陸北部に位置し、10のと3の準州を持つ連邦国家

人口は3,700万人。
首都はオタワ。主要都市はトロントモントリオールバンクーバーカルガリーケベック・シティーなど。
イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国として立憲君主制国家でもある。
面積はロシアに次ぐ世界第2位の広さである。

政治

G7の一角であり、国際政治の大きな影響力を持つ国である。基本的に柔軟な外交手腕を持つ国だが、中華人民共和国サウジアラビアといった人権を抑制している国に対しては強硬に出ることもある。
現在は隣国アメリカ合衆国との結び付きが強く主な貿易相手であるが、歴史的には元宗主国であるイギリスとの結び付きが強い。公式でイギリス王室のイギリス国王がカナダ国王を兼ねる国家元首として扱われており、カナダ総督は名目上国王の代理という事になっている。
しかし実際上は議院内閣制を採っており、国民選挙により選出される連邦政府の首相こそが事実上の国家行政のである。

地理

東は大西洋、西は太平洋、北は北極海に面しており、北部と北西部には文字通り無数の島が広がる。
国土全体が高緯度にあり北端は北極圏に達するので、気候的には大半が亜寒帯(冷帯)と寒帯(ツンドラ気候・氷雪気候)で占められるかなり寒い国である。
人口は主に国土全体として東側のアメリカとの国境沿いに集中している。国土の割に人口数がかなり少ないので人口密度が低く、集落や都市として全く開発されていないエリアも非常に広大である。
化石燃料は種類も埋蔵量も豊富で、広大な森林や栄養豊かな冷たい海の排他的経済水域から得られる木材や魚介類にも恵まれている。

社会

公用語英語フランス語であり、街中の標識等には両方が明記されている。歴史的経緯からフランス系の多いケベック州を除けば、国全体では英語が一番日常生活で使われる。
出生率は低いが移民を受け入れて発展を遂げている。そのためリベラルで寛容な社会を築くことは、カナダが国の形を維持することに不可欠になっている。
またアメリカとは異なり、銃の所持も厳しい規制が設けられている。銃犯罪は比較的少なく、一般に治安のよい国と認識されている。一方大麻については部分的に解禁され、国内外で物議を醸した。

経済

GDPスペイン韓国と同規模。
国民1人当たりの水準は非常に高く、豊かな先進国とみなされる。
石油や鉱物資源に富み、カナダ経済を大きく支えている。広い国土ゆえに農業も盛ん。英語圏という強みを生かし、IT産業が発達している。中でもAI研究やソフトウェア開発も得意とする。
ソニーや、サイバーコネクトツーカプコンバンダイコーエーなどの日本のゲーム会社も、カナダ国内に事務所を設けたり、カナダのゲーム会社を買収して進出している。

文化

スポーツではアイスホッケー国技である。またNHLはカナダを発祥としており、野球MLBバスケットボール(ちなみに考案者はカナダ人である)のNBAのチームがカナダにも本拠地があるなど、多方面にわたってアメリカとの関わりが深い。
なおアメフトに関しては、似たような『カナディアンフットボール』という別競技が存在してこちらも盛んで、宗主国発祥のサッカーはアメリカ同様盛んでない。

歴史

ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26,500年前、南部オンタリオ州には9,500年前に人類がいたことが示されている。

ヨーロッパ人の到来は西暦1000年にバイキングがランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後1497年にイタリア人のジョヴァンニ・カボト(ジョン・カボット)がイングランドのために大西洋側を探検し1534年にはフランスのジャック・カルティエがこれに続いた。

1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポート・ロワイヤル(現ノバスコシア州アナポリス・ロイヤル)に築き、1608年にはケベック を建てた。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となった。

ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖、ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。毛皮貿易路の支配を巡ってフランスとイロコイ族の戦争が起こっている。

イングランドは1610年にニューファンドランド島に漁業基地を設け、南部(現アメリカ合衆国領)に13植民地を築いた。1689年と1763年に一連の北米植民地戦争が起こり、その結果、ユトレヒト条約(1713年)でノバスコシアが英国の支配下となり、七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)のパリ条約でカナダとヌーベルフランスの大部分がフランスからイギリスへ割譲された。

1763年宣言はケベックをヌーベルフランスから分離し、ケープ・ブレトン島をノバスコシアに加えた。これはまたフランス系カナダ人の言語と信仰の自由を制限した。1769年にセント・ジョンズ島(現在のプリンス・エドワード・アイランド州)が独立した植民地となった。ケベックでの紛争を避けるため、1774年にケベック法が制定され、ケベックの領域が五大湖からオハイオ川まで拡大され、ケベックにおいてはフランス語とカトリック信仰、フランス法が許された。

これは13植民地の多くの住民を怒らせることになり、アメリカ独立への動因となった。
1783年のパリ条約によってアメリカの独立は承認され、五大湖南部がアメリカへ割譲された。戦後におよそ5万人の王党派がアメリカからカナダへ逃れている。

一部の王党派のために沿岸諸州のニューブランズウィックがノバスコシアから分割された。ケベックの英語話者王党派のために1791年法が制定され、フランス語圏のローワー・カナダと英語圏のアッパー・カナダに分割され、各々が独自の議会を持った。

アッパーおよびローワー・カナダは米英戦争(1812年戦争)の主戦場となった。カナダ防衛は英国系北アメリカ人に一体感をもたらした。1815年より英国とアイルランドからの大規模な移民が始まっている。19世紀の初めには材木業が毛皮貿易よりも重要になった。

責任政府を求める1837年反乱が起こり、その後のダーラム報告では責任政府とフランス系カナダ人の英国文化への同化が勧告された。

1840年憲法法により、アッパーおよびローワー・カナダはカナダ連合に合併した。議会においては、フランス系および英国系カナダ人はともにフランス系カナダ人の権利の復活のために努力している。

1849年に英領北アメリカ植民地全土に責任政府が設置された。

1846年に英国と米国によるオレゴン条約が結ばれオレゴン境界紛争が終結した。これによってカナダは北緯49度線に沿って西へ境界を広げ、バンクーバー・アイランド植民地(1849年)、そして、ブリティッシュコロンビア植民地(1858年)への道が開かれた。

カナダはルパート・ランドと北極圏地域への一連の西部探検を行っている。高い出生率によってカナダの人口は急増した。一方で、英国からの移入は、米国への移出によって相殺されていた。特にフランス系カナダ人がニューイングランドへ移民している。

幾度かの憲政会議の後に、1867年7月1日、1867年憲法法が採択され、オンタリオ、ケベック、ノヴァスコシアそしてニューブランズウィックが統合され「カナダの名の下の一つの自治領」である連邦がつくられた。

カナダはルパートランドと北西地域を合わせたノースウエスト準州を統治することが前提とされている。
この地では不満を抱いたメティ(フランス系と先住民の混血)によるレッド・リヴァーの反乱が起こり、1870年7月にマニトバ州がつくられている。
ブリティッシュコロンビア植民地とバンクーバーアイランド植民地(1866年に合併)は1871年に、プリンスエドワードアイランド植民地は1873年にそれぞれ連邦に加入している。

保守党のジョン・A・マクドナルド首相 は萌芽期のカナダ産業を守るための関税政策を制定した。西部を開拓するために政府は3本の大陸横断鉄道に出資し(もっとも有名なものがカナダ太平洋鉄道である)、自治領土地法により開拓者のために大平原が解放され、そしてこの地域の治安維持のために北西騎馬警察が設立された。

1898年、ノースウェスト準州でのクロンダイク・ゴールドラッシュの後、政府はユーコン準州を設置した。自由党のウィルフリッド・ローリエ政権下ではヨーロッパ大陸からの移民が大平原に定住し、アルバータとサスカチュワンが1905年に州に昇格している。

1914年、英国の宣戦布告に伴いカナダは自動的に第一次世界大戦に参戦し、志願兵を西部戦線へ派遣した。彼らは後にカナダ軍団の一部となり、ヴィミーリッジの戦いやその他の大きな戦いで重要な役割を果たしている。

1917年には保守党のロバート・ボーデン首相がフランス語圏ケベックの住民たちの反対にもかかわらず徴兵制を導入して徴兵危機が起こっている。1919年にカナダは英国とは別個に国際連盟へ加盟した。

1931年、ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認された。

1940年にニューウエストミンスター市内を行進するブリティッシュコロンビア連隊。第二次世界大戦では110万人のカナダ人が軍務に付き、1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦では重要な役割を果たした。

1930年代の大恐慌にカナダ国民は大いに苦しめられ、このため社会主義政党の協同連邦党がアルバータとサスカチュワンで福祉制度を実施しており、これは「カナダの医療の父」として知られる1940年代から1950年代のトミー・ダグラス知事の先駆けとなるものであった。

1939年、自由党のウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング政権は英国の宣戦から7日後の9月10日に独自に対独宣戦布告をして第二次世界大戦に参戦したが、カナダ軍が英国に到達したのは同年12月のことである。カナダ軍は大西洋の戦い、ディエップの戦い、ノルマンディーの戦いで大きな役割を果たしてナチス・ドイツ打倒に貢献している。カナダ経済は戦争需要による好景気に活気づいた。

1945年の終戦後にカナダは国際連合の発足時加盟国となった。

この経済成長と自由党政権による一連の政策によって新たなカナダ人アイデンティティが創発された。
1965年に現在のカエデの葉の国旗が採用され、1969年には二カ国語公用語が実施、1971年には多文化主義が宣言されている。

国民皆保険制度、年金制度、学生ローンといった社会民主主義的諸制度も創設されたが、これらの政策については地方政府、とりわけケベックとアルバータが管轄権の侵害であると反対している。そして最終的には、一連の憲政会議を経て、1982年に英国カナダ法の改正によるカナダ憲法成立が決まり、「権利と自由憲章」がつくられカナダは完全な主権国家となった。

同じ時期にケベックではケベック革命によって重大な社会経済の変化が起こり、州におけるナショナリスト運動が生まれていた 。更に過激なケベック解放戦線によるオクトーバー・クライシスが1970年に引き起こされた。10年後の1980年に連邦からの分離に関する住民投票が行われたが拒否され1989年には憲法改正も試みられたが失敗している。

1995年に二度目の住民投票が行われたが、50.6%対49.4%の小差で拒否された。1997年に最高裁から州による一方的な連邦脱退は違憲であるとの判断が下され、交渉による連邦からの脱退を規定した法律が定められた。

カナダは1950年代から1990年代にかけて数多くの国連平和維持活動に参加しており、2001年にはNATO主導のアフガニスタン紛争にも派兵している。一方で、イラク戦争への参加は拒否した。

国内の先住民問題ではオカ、イペルウッシュ、ガスタフセン湖で土地問題を巡り様々な法廷闘争と幾度かの暴力沙汰が起き、1999年にカナダ政府はイヌイットの自治政府であるヌナブト準州をつくり、ブリティッシュコロンビア州では土地問題でニスカ族との最終合意に達している。

2008年には首相が先住民を対象とした寄宿学校問題で過去の政府の行いに対する謝罪をしている。

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カナダっこ
世界ワンピース【06:カナダ】



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