概説
帝国海軍内でも波乱に満ちた駆逐隊といえる戦歴を持つ。
実に12隻もの駆逐艦がこの隊に編入されており、太平洋戦争時の駆逐隊の中でも所属経験艦の数は最大数である。
睦月型駆逐艦を基幹に神風型・峯風型駆逐艦という特型以前の一等駆逐艦のみで編成され、太平洋中部、東南アジアでの作戦に従事。
1945年1月に解隊された。
遍歴
1939年睦月型の睦月・如月・弥生・卯月の四隻で発足し、開戦時の1941年12月に第六水雷戦隊麾下で「ウェーク島攻略作戦」に従事した。
この時点で卯月が望月と、第二三駆逐隊から入れ替わる形で異動している。
しかし本作戦の失敗に加え、如月が米軍航空機の機銃掃射で艦上の弾薬が誘爆し、爆沈してしまう。
この穴を埋めるべく、1942年5月に卯月が第二三駆逐隊から復帰し、第八艦隊の麾下でラバウル攻略に駆り出されることとなった。
ところが同年8月に睦月が、「第二次ソロモン海戦」でヘンダーソン飛行場を攻撃中に敵からの空襲を受けて戦没。続けざまに弥生も、9月に実行された「ラビ攻略作戦」で如月と同様に米軍機の攻撃で弾薬が引火し沈められてしまう。
以後残存した卯月と望月は輸送任務に従事することが決まり、これを受けて同年12月に第三十駆逐隊は解散してしまう。
しかし1943年3月、望月が第八艦隊から外され、三日月が第一海上護衛隊から編入されるかたちで第三十駆逐隊は復活を果たす。
ところがこの三日月も、同年7月末にコロンバンガラ沖海戦後の輸送任務で座礁し、そこを米軍機に空襲されて大破、放棄されてしまい、事実上の戦没となった。
そして最古参だった望月も、10月にニューブリテン島沖で米軍から空襲を受けて戦没。
第三十駆逐隊は卯月だけになってしまう。
同年11月末、第二海上護衛隊から睦月型の夕月が編入され、翌1944年4月に神風型から松風、同じくして峯風型から秋風が編入されることで、第三十駆逐隊はようやく四隻体制に戻る。
……が、これも長くは続かず、同年6月に松風が小笠原諸島・父島沖で米潜水艦ソードフィッシュから雷撃を受けて沈んでしまう。
この補填のために同年8月に、第二二駆逐隊から睦月型の皐月・神風型の夕凪が編入され、本隊史上最大の五隻体制となり、第三十一戦隊の麾下に加わった。
……が、今度は夕凪が編入からわずか四日で戦没。米潜水艦ピクユダからの雷撃によるもので、奇しくも姉妹艦と同じ斃れ方となってしまう。
そして皐月までもが、翌9月にマニラ湾で補給中に米軍機からの攻撃を受けて戦没した。
卯月・夕月・秋風だけとなった第三十駆逐隊だったが、今度は秋風が空母隼鷹の護衛中に米潜水艦ピンダートから雷撃を受けて沈んでしまい、またしても第三十駆逐隊は二隻だけとなってしまう。
そして12月に決行された「第九次多号作戦」にて、双方共にフィリピンのオルモック湾で戦没。卯月は12日に米魚雷艇と交戦し、夕月は13日に米軍機からの攻撃を受けて斃れた。
これは同時に、事実上の睦月型駆逐艦の全滅でもあった。
12月末、第一護衛艦隊から峯風型の汐風、横須賀警戒隊から神風型の旗風が招集され、第三十駆逐隊を継承。
しかし大きな任務に携わることはなかった。
そして翌1945年1月、戦況の悪化と艦船不足の煽りを受け、歴戦の第三十駆逐隊はここに解隊となった。
『艦隊これくしょん』における第三十駆逐隊
DMM.comのオンラインSLG『艦隊これくしょん』では、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、三日月、望月の睦月型駆逐艦七隻、および神風型駆逐艦の松風・旗風が登場している。
このうち、弥生と卯月はいわゆる「銀レア」であり、特に卯月は後半の海域のボスでしかドロップしないため、入手難易度が高い。また、松風は現状イベント海域突破報酬以外の入手手段が存在していない。
このうち、睦月・如月・弥生・望月の初期メンバーによる任務【「第三十駆逐隊(第一次)」を編成せよ!(出撃せよ!)】と、睦月・弥生・卯月・望月の第二次編成による【「第三十駆逐隊(第二次)」を編成せよ!(出撃せよ)】が登場する。
特に前者は「艦これ屈指の難関任務」として知られている。
ただでさえ“中盤の鬼門”と言われる「キス島撤退作戦(3-2)」を、低性能に設定された彼女たちでクリアしなければならない。
2015年7月17日のアップデートで旗艦は軽巡洋艦娘でもボスに到達できるようになった。
また後者も前者ほどでないしろ運ゲー要素が強く、弥生は建造で出ることがあるものの、卯月がレアドロップ限定のせいで出現せず、そもそも編成任務が達成できないことがザラだったりする。
艦娘単位としては、弥生が第三十駆逐隊に所属していたことに強い矜持を抱いている。
「第三十駆逐隊を、舐めないで!」――