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概要編集

メイちゃんを探したら、こんな島を発見!

東京23区から南に約1,000km離れた太平洋上にある島嶼群(諸島)。行政上は東京都小笠原村。小笠原群島(狭義の小笠原諸島。聟島列島父島列島母島列島からなる)、西之島火山列島硫黄島とその周辺の島々)、南鳥島沖ノ鳥島から構成される。かつては南鳥島の北で発見されたとされる中ノ鳥島も広義の小笠原諸島に含んでいたが、現在はその発見は虚報とみなして否定されている。


多数の島々から構成されるが、民間人が居住する島はほぼ父島母島に限られる。東京からの貨客船が到着する父島には小笠原村役場が設置されており、さらに船で南に2時間ほどかかるのが母島である。


亜熱帯(硫黄島や南鳥島は熱帯)に属し、特有の自然環境で知られる。また、生態系日本本土よりも、むしろオセアニアに近いとされる。


交通編集

現在のところ民間用空港がないため、一般人が到達するための交通手段は最短でも丸1日かかる。


大体3日~1週間に1往復、東京・竹芝港から父島・二見港まで「おがさわら丸」というフェリー(広義のフェリー、「カーフェリー」では無いので車は業者の運搬の場合を除いて運べない、貨客船)が運航されている。他には「共勝丸」(危険物の旅客フェリー積み込みは禁じられているために運航される)という片道40時間の貨物船(先代の「第二十八共勝丸」は旅客も乗れた)が運航されているのみである。


このフェリーと貨物船で島民用の物資もまとめて運ばれる。ちなみに、「おがさわら丸」は日本の定期旅客船で最も外洋を多く走るため、揺れが半端ない。フィンスタビライザーという横揺れ防止装置が日本の定期便用旅客船で唯一つけられているが、それでも酔い止め必須レベル


母島に至っては、東京から何等かの交通手段が出ている都市の中では「世界一到達まで時間がかかる」場所と化しており、地球の裏側のため航空機ではノンストップで行けないブラジルサンパウロより時間がかかる有り様である。なお、父島には村営の路線バスがあるが、母島には集落が一ヶ所しかないため島内の公共交通機関は存在しない。


船便は国と東京都で大型高速船への置き換えが検討されたが、燃料費がかかりすぎることから断念。その後は民間空港建設に向けた動きが始まっているが、自然破壊の懸念から用地選びに難航。1998年に父島南部の時雨山周辺に建設する案がまとまったが環境庁が難色を示し撤回。その後は秘境らしさを好んで移住してきた住民からの反対意見もあり長らく計画が具体化していなかった(確かに、交通網が発達した現代においては、この不便さはむしろ希少価値があるとも言える)。現在は父島の洲崎飛行場跡地に小規模な空港を建設する案が検討されているが、機種選定や世界遺産登録による外来種持ち込みの課題もあり実現するかは不透明である。なお、平成28年7月に「おがさわら丸」「ははじま丸」に新造船を投入し置き換えを実行、所要時間は少し短くなり、東京竹芝~父島二見間は1時間半短縮されて24時間ジャスト(定時運航の場合)となった。


小笠原群島外ではあるが、小笠原村に属する「硫黄島」「南鳥島」には空港がある。ただし、両島は一般人は立ち寄れず(硫黄島は第二次大戦期の遺骨収集ボランティアのみ立ち寄り可能である他、災害派遣による急患搬送では硫黄島で自衛隊機を乗り換える場合もある)、自衛隊の専用空港と化している。



島民生活編集

前述の通り、「外国より遠い東京都」と化しているが、行政区画が東京都であるため、テレビは関東広域圏に含まれNHK2局(東京局)+全国ネット在京民放5局が受信可能で、さらに東京都域を放送地域とするローカル局のTOKYOMXまで視聴可能である。よって深夜アニメも8割方カバー可能であったりする。ただし、2010年以降はアナログ放送停波に伴い、村民のテレビ視聴には光ファイバー提供による「小笠原村ケーブルテレビ」への加盟が必須となった。


島民は、豊かな自然に憧れ島外から移住してきた人が多いが、上記の事情から人の住める場所が限られているため家賃はけっこう高く、雑誌類もフェリーで週1で運搬するしかないため遅れがちであり物価も高い。新聞ですら1週間単位でまとめて配布されるのが普通。なお、生鮮食品、とりわけ果物は船便入港日(=入荷日)に争奪戦となる。


島民の大部分は明治以降伊豆諸島(特に八丈島)などから入植してきた者と、日本返還後に本土から移住してきた者及びその子孫であるが、島民の中には明治以前、江戸幕府が領有宣言するまでに住み着いた欧米ポリネシア出身の入植者の子孫も若干存在する。日本政府の領有後彼らは日本に帰化したが、第二次大戦後の小笠原はアメリカ統治下となり欧米系島民にのみ帰島が認められた。日本返還後の日本文化に馴染めずアメリカやオーストラリアに再移住した者も多く、現在まで残っている者は少数となっている。まだ残っている欧米系島民も内地出身の者との混血が進んでいるものの、飲み屋でクダ巻いてるいかにも日本的なオヤジの顔がどうみても西洋人、なんてことも今でもある。また、大半の欧米系島民の苗字は木村・池田・岸・南など内地の日本人と同様の苗字であるが、入植者のリーダー格であったナサニエル・セイボリー氏の子孫は苗字をもじって「瀬堀」姓としている。また下の名前は現在でも西洋系の名前である人も多い。


「おがさわら丸」の二見出航時には、島民総出でモーターボートや漁船で見送りを行う光景が風物詩となっている。なおあれをするために会社や役場がわざわざ昼休みを設けたり、もしくは抜け出すのを黙認しているとか。


自然編集

小笠原のハタタテハゼ

世界自然遺産に登録された貴重な生物層を持つ。


大陸や日本列島と一度も陸続きになったことがない海洋島であり、特有の動植物も多い。珊瑚礁のある美しい海には多くの海洋生物が生息し、ダイビングホエールウォッチングなどに訪れる観光客も多い。というか、日本ではじめてホエールウォッチングが開催された場所である。


しかし人間の飼育していたヤギなどが野生化して土着の野生動物を脅かしており、希少動物の棲息を危機に晒している。このためヤギに関しては駆除も行われている。猫に関しては当初同様に殺処分も検討されていたが、現在は23区内の獣医師達の協力により捕獲して寄生虫などを駆除し人間に慣れる様躾け直しの後、一般にペット用として譲り渡すプロジェクトが行われている。


歴史編集

第二次大戦の影響から1945年から1968年までは日本の行政権の管轄から外れており、戦前は有人島であった一部の島は現在までに殆どが無人島化している。現在の有人島は村役場のある父島と、母島のみである(1945年から1972年頃までは母島も無人島であった)。狭義の小笠原諸島に限らない小笠原村全体でも、自衛隊の基地のある硫黄島・南鳥島を含めた4島のみ人が在住する。


2011年世界遺産(自然遺産)に登録された。


由来編集

「小笠原諸島」の名はそのままずばり小笠原さんが発見したから小笠原諸島である。なので小笠原姓の人物だからといって必ずしも小笠原諸島出身というわけではない(前述の欧米系島民の中に帰化とともに小笠原姓に改姓した人はいる)。


発見したのは安土桃山時代小笠原貞頼なる人物で、信濃国守護から信濃松本藩主、後に豊前小倉藩主となった清和源氏小笠原氏(のちの小笠原伯爵家)の一族とされる。ただし別人が発見者であるという説、小笠原家の別の人物と同一人物である説、そしてそもそも本当にそんな人物がいたのかどうかという争いまで存在し、江戸時代に貞頼の子孫を称した人物が小笠原諸島探索を願い出るも怪しまれて奉行所に罪に問われる事態となった。


実際には江戸期初期頃に漂流により偶然発見されたものと考えられる。入植は遅れ、江戸時代末期(1800年代)には先に西洋人が入植したのは前述の通り。


もっとも、貞頼は現在でも小笠原発見の第一人者として父島に祀られており、小笠原諸島の名前が変えられるというような動きも無い。また、苗字繋がりでプロ野球選手の小笠原道大が観光親善大使に就任している。


尚、上記の漂流者による報告をもとに江戸幕府が調査団を派遣して以降しばらく小笠原諸島は無人島(ぶにんとう)と呼ばれており、現在でも小笠原群島を英語でBonin Islands(ボニン諸島)と呼称する事がある。


関連リンク編集


関連タグ編集

小笠原 南の島 離島 孤島

沖ノ鳥島


伊豆諸島マリアナ諸島ヤップ島:南鳥島・沖ノ鳥島を除く小笠原諸島と併せて「伊豆・小笠原・マリアナ島弧(IBM島弧)」を形成する。


ナナシマ:小笠原諸島と伊豆諸島をモデルにしている。

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