概要
伊豆半島の南東に位置する伊豆大島から孀婦岩までの約650kmの間にある島々。現在は東京都に属するが、1878年までは同じ旧伊豆国である伊豆半島とともに静岡県に属していた。編入した理由としては、江戸時代は幕府の直轄領でもともと江戸との関係が深かったことに加えて、伊豆諸島のインフラを支えるために財源が豊かな当時の東京府に編入したほうがいいと考えられたためである。
地理
有人島は以下の通り。
伊豆諸島は伊豆七島と呼ばれる事があるが、上の通り有人島だけでも9島(1969年以前は更に八丈小島を合わせ10島、1902年以前は鳥島を合わせ11島)あり、数が合わない。これは明治期に居住が始まった式根島や八丈島に隣接していた八丈小島を除く主な島(上記リストで島名が太字のもの)が7島だったからである……が、これも青ヶ島が勘定に入っておらず、特に青ヶ島村は『伊豆七島』の名称を用いる団体にたびたび名称変更を陳情している。
郡に所属していない町村
伊豆諸島にある町村は他の市町村や同じ東京都の多摩にある町村と異なり郡に所属していないという特徴がある(ただし中世までは伊豆国賀茂郡に属していたとされる)。伊豆諸島以外で現在郡に所属していない町村は同じ東京都の小笠原村(小笠原諸島)のみである。
なぜ東京島嶼部の町村が郡に所属していないかというと、これは明治時代に「島嶼町村制」という離島に郡(1923年まで郡は町村をまとめる地方自治体として役所や議会を有していた)を置かず都道府県直轄とする制度があったためである。
かつては他にも沖縄県全域がこの制度により「郡に所属していない町村のある地域」となっていた(※)が、沖縄県では後に郡を新設するか既存の郡に離島の町村を編入させるかして県下全町村がいずれかの郡に所属するようになり、「郡に所属していない町村」が残るのは東京島嶼部のみとなった。
その後1923年の群制廃止により郡が地方自治体としての性質を失い単なる地域区分になってからは、強いて郡を作る意義が微妙になった(その後も複数の郡にまたがる町村合併の際などに新しい郡が作られてはいるが)。そのため現在でも伊豆諸島および小笠原諸島には郡が存在しないのである。
※他にも鹿児島県の上三島・吐噶喇列島・奄美群島および長崎県対馬がこの島嶼町村制の適用対象となった他、島根県隠岐諸島も独自の制度により郡役所が置かれず県直轄となっていたが、これらの地域は元々江戸時代までの郡が地域区分として一応残存していた。
関連タグ
東海汽船:関連会社とあわせて東京島嶼部の海運を一手に担っている。
伊豆諸島開発:東海汽船のグループ企業。八丈島・青ヶ島間、父島・母島間を担当。