東京都多摩地域南部の多摩丘陵と相模原台地上に位置し、島嶼部を除けば都で最南端の市である。
八王子市、多摩市、神奈川県横浜市、川崎市、相模原市、大和市と隣接。
日本で唯一、3つの政令指定都市と接している。
人口は約43万人で、都内では23区と八王子市に次いで3番目に人口が多い。
1958年に市政体制へ移行。
市域は南西側を流れる境川に沿って北西から南東に向かって細長く、主要な繁華街は南部に集中する。
また西、南、東の三方を神奈川県に囲まれた形となっている。
この地形と神奈川県の主要都市との交通アクセスの良さなどの要因から、神奈川県町田市という自虐ネタも存在する。
市内には縄文時代や奈良時代の遺跡や史跡が点在しており、鎌倉時代には現在の本町田周辺に宿場町が形成される。
天正期に町田村から原町田村が分村。のちに町田村は本町田村と改称する。
江戸時代初期には徳川家康の遺体が市内の大山街道を通る。現在の小野路・木曽に宿場町が形成。
江戸時代後半に原町田を中心とする生糸など農作物の市場町として発展。
明治に入ってからは国策での生糸貿易によってさらに活性化し、鉄道の開通もあって地域の中心地は原町田に完全移行する。
高度経済成長期以降はベッドタウンとしての大規模なニュータウン開発で市内全体での都市化が急速に進み、丘陵地にロードサイド店やショッピングモール、大型マンションなどが建ち並ぶ。
その一方で水田や果樹園・畑も各地にあり、公園や緑地として昔の里山の面影も残っている。
相模原市の八王子街道(現:国道16号)沿いは旧来の道を棄てた全く新しいルートに町が発展したのに対し、町田街道沿いは旧来の道を少しづつ拡幅しながら発展した。その名残で、かつての町田街道はかなり狭めの2車線道路に申し訳程度の歩道がついているような状態が全線にわたって続いていた。町田駅付近は1960年代にはバイパス(五間道路)が開通しており、現在は相原〜常盤の拡幅事業が行われているほか常盤〜忠生〜芹ヶ谷〜高ヶ坂〜金森〜南町田を結ぶ新町田街道の建設が進んでいる。新町田街道の一部区間は多摩モノレールが通ることを想定し、中央分離帯が広く取られている。