概要
要約すると東京都町田市の地理的関係や生活文化圏が神奈川県と密接である状況を揶揄したもの。
市内を小田急電鉄小田原線とJR横浜線が横切り、町田駅前のバスターミナルには神奈川中央交通バスがひっきりなしに発着するという環境が成因の一つと見られる。
また、地図的にも神奈川県に深く食い込んでいるような地勢であり、tvkで放送されていた『sakusaku』に於ける「みんなでうた」という市町村を歌にするコーナーでも、そのことをネタにされていた。
元は神奈川県だった
廃藩置県の際、町田の属する南多摩郡は西多摩郡・北多摩郡と共に神奈川県に属していた。それらが東京府へ編入されたのは明治26年(1893年)4月のこと。
明治政府は玉川上水を東京で一括管理したいと考えており、西多摩郡・北多摩郡の編入はそれが理由であった。
では南多摩郡は? というと、NHKの番組『ブラタモリ』に曰く、当時は自由民権運動が盛んだった頃で、それに熱心だった石阪昌孝という人物が町田に住んでいた。
石阪氏は神奈川の人々からたくさんの支持を集めており、また富国強兵のため中央集権化を進めていた神奈川県知事とは対立関係にあったのだが、神奈川県知事は面倒を嫌い、石阪氏を神奈川県から切り離すため、石阪氏の住んでいる南多摩郡を東京府へ編入させたのだという。
つまり、ただ一人の影響力ある人物のために、町田の全市民がまるごと東京に追いやられたということになる。この編入が無ければ、実際に神奈川県町田市が存在していた可能性もあったろう。今頃は相模原市と一緒の自治体になっていたかもしれない。