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神奈川中央交通

かながわちゅうおうこうつう

神奈川県平塚市に本社を置くバス会社
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小田急グループの一社である。東日本はおろか日本でも最大規模のバス会社で、三浦半島(京浜急行バスのテリトリー)や足柄・箱根(東海バス伊豆箱根バス箱根登山バスのテリトリー)を除く神奈川県の大部分の地域と町田市・多摩市・八王子市などの東京都南多摩地域を中心に路線バスや貸切バスの運行を行っているほか、東京駅・新宿駅からの深夜急行バスや、東京国際空港・成田国際空港への空港連絡バスを運行する。かつては近畿地方各地や盛岡駅への夜行バスの運行も行っていた。
略称神奈中

日本初の多い事業者

神奈中は事業規模が大きいため、日本初の要素が多い事業者でもある。

  • 日本初の整理券方式のワンマンバス
  • 日本初の深夜バス
  • 日本初の対距離制運賃路線でのバスカード導入
  • 日本初の環境定期券
  • 日本初のバス前面にサイクルラックを設置したサイクルラックバス
  • 日本初のノンステップ連節バス
  • 日本初のヨーロッパ基準そのままの連節バス運行

一般路線バス

神奈川県内及び東京都南多摩地域を中心に展開。将来の催しや施設が出来ることを見越し、本数や運行日が極端に少ない路線をいくつも運行している。これらは免許維持路線と呼ばれ、知る人ぞ知る物となっている。

乗降方式

整理券方式によるワンマン運転導入以降、乗降時の事故防止と運賃収受適正化の観点から、乗客の流動が極端に偏っている路線や時間帯、均一運賃の路線などを除いて乗降に前ドアしか使わない「前乗り前降り」を基本としていた。

しかしバリアフリー対応でノンステップバスワンステップバスが導入されるようになると利用者の要望などもあって中乗り前降りの採用に向けて検討を開始。2006年3月より伊勢原営業所管轄路線で実証実験を開始。特に問題がなかったので順次拡大の方策が取られ、現在はほぼ全ての路線が中乗り前降り・運賃後払いに統一されている。
しかし、横浜市内均一運賃の区間を多く持つ横浜・舞岡・中山の各営業所では前乗り中降り・運賃先払いを均一運賃ではない路線でも採用している。この関係上完全に中乗り前降りへ統一はされていない。

高速バス

かつては神奈中本体で6路線の夜行高速バスを運行していたが、採算の悪化などによって路線廃止や子会社の神奈交バスへの移管を経て、共同運行会社による単独運行や他系統への統合が行われた。路線そのものは残っていても神奈中は乗車券の予約・発券しか担当していない。
そのため現在は昼行高速バスと空港連絡バスのみの運行。

昼行バス

  • 相模大野・町田-三井アウトレットパーク木更津線

空港連絡バス

羽田空港行

  • 田村車庫・本厚木発着
  • 相模大野・町田発着
  • 戸塚・港南台発着
  • 海老名発着

成田空港行

  • 橋本・相模大野・町田発着
  • 田村車庫・本厚木発着
  • 茅ヶ崎・藤沢・戸塚発着


車輌

創業期から戦後まで

創業期の神奈中では輸入車が使われ、1940年以降は戦争の激化に伴う石油統制の強化により所有車両の7割が木炭を燃やしてガスを発生させてエンジンを動かす代用燃料化が行われ、最終的に全車両が代用燃料化された。
神奈川県清川村は良質な木炭の生産地であり、地元民から木炭を融通してやるからバスの完全運行をしてほしいという依頼もあった。ところが1945年になると神奈川県内から木炭の入手が難しくなり、やむを得ず福島県から貨物列車で木炭を運んでくる事態となった。最終的に福島産の木炭すら手に入らなくなり、ほぼ薪オンリーでの運行となった。

薪について当初は良質なよく乾いた物が入手できていたが、1944年頃からは乾燥が不十分な状態のままで入荷することになった。薪を取りにトラックや座席を撤去したバスを使って産地まで行っていたこともあるという。

燃料以外の保守用部品も不足気味であり、エンジンオイルは鉱物油・植物油・魚油を混合したものを使用し、使用済みのオイルも再生の上配給に回された。窓ガラスが割れればその部分は板で塞ぎ、雨漏りがしても満足に直せないため、雨の日には車内で乗客が傘をさすという光景が見られたとか。
50年史には戦争中空襲を避けるため、戸塚営業所所属車両には装甲車に見えるようなカムフラージュを施していたという記述がある。

戦後復興から高度経済成長

戦後、稼動車両を早期に増強しないと収入が見込めない状態に陥っていた。しかし新車を導入しようにも車体が無い有様で、部品を他の車両に譲って動けなくなった車両も存在した。
そこで秦野町にあった自動車工場を買収して自社の整備工場とし、1947年から稼働開始。1953年まで神奈中の復興に大きく貢献した。

1948年には初のディーゼルバスとしていすゞ・BX91型を5台導入。高度成長期には伸び続ける輸送需要に対応するため道路環境が悪い中長尺車を大量導入し、1963年には清川村へ乗り入れる路線のためにマイクロバスを導入した。

1980年代以降の車両動向

1980年代なかばに三菱ふそうの販売店を自社の傘下に収めると以降三菱製車両の投入が増え、2005年時点で三菱製車両が9割以上を占める。
ただエリア内にいすゞのトラック工場があり、流石にいすゞの工場へ三菱のバスで乗り入れるのは具合がわるいためかいすゞ車も導入している他、パラレル式電気ハイブリッド車の実績のある日野自動車製や尿素SCR採用によるクリーンディーゼル実用化第一号の日産ディーゼル車も導入している。

この他、「ツインライナー」と命名された連節バス(ネオプラン・セントロライナーメルセデス・ベンツシターロ)も導入されている。

狭隘路線や輸送量の少ない路線、コミュニティバス向けに小型車や中型車も導入している。

各運転士には担当車が割り当てられ、専属乗務や簡単な車両管理などを行う。運転士の手入れにより廃車寸前の車両でも美しい状態を保っている物が多いのも特徴。

神奈中古

かつての神奈中では車両の使用年限が10年未満と短く、地方事業者では質のいい中古車の供給元として人気だった。現在は使用年限の延長により中古車の放出は往年ほどではないものの、今も元神奈中の移籍車が地方事業者で多数現役である。
これら神奈中出身車には「神奈中古」という通称がある。後述する独自仕様の強さからひと目で見分けがつく事が多い。

神奈中仕様

台数が多いだけにメーカーへの特注が比較的多く聞き入れられたためか「神奈中仕様」という独自仕様が強い。

  • 運賃支払い方法表示窓
車両前面向かって右側の窓下に設置。運賃が後払いか前払いかを示すもので、エアロスターではセーフティウィンドウを潰す形で設置。ブルーリボンシティではセーフティウィンドウを潰せなかったためか、窓の内側にサボを差し込む形で対応。
  • 大型バンパー
フロントとリアの清掃時に足掛けとして使えるようバンパーの厚みを増やしていた。

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