魚雷艇
ぎょらいてい
英語圏では水雷艇と区別せずtorpedo boatと表記する。
20世紀初頭にイタリアとイギリスでそれぞれ開発され、第一次世界大戦ではイタリア軍のMAS魚雷艇がオーストリアの主力戦艦を撃沈している。
第二次世界大戦ではアメリカ軍・イギリス軍・ドイツ軍・イタリア軍が活用し、特にイタリア軍の各種魚雷艇は巡洋艦数隻を撃沈または行動不能にするなど大戦果を上げた。
一方で日本海軍は、元から対米戦を想定し、主戦場を日本近海及び太平洋と据えており、世界でも有数の荒波で知られる日本近海、並びに隠れるところが無い広大な太平洋では、小さな船体の魚雷艇では転覆・沈没の危険性が高く、さらに居住性の低さから任務には耐えられないと判断された。
そのため、開発の優先度低く、細々としたものであった。
1937年の日中戦争で中国海軍魚雷艇の襲撃を受けたことにより、魚雷艇への注目が強まり、開発が加速されたが、魚雷艇の心臓であるエンジンの開発が上手く行かず、航空機用の転用などを行ったが、如何せん性能が今一歩であった。
ソロモン諸島では波が低く、隠れる場所も多いため、魚雷艇が活躍しやすい沿岸部の島嶼戦となってしまい、アメリカ軍のPT魚雷艇に苦戦することになる。
この時の日本陸軍の駆逐艇の速力が37kt、米独伊の魚雷艇が40kt以上出せたのに対し、日本海軍の乙型魚雷艇の速力は30kt以下、ひどいものでは20kt以下しか出せない上、機関の製造工程が複雑かつ故障しがちであり、あまり戦果は出せなかった。
最終的に日本海軍は魚雷艇の開発を中止し代わりに特攻艇震洋の開発を進めたがこちらもほとんどが20kt以下の速力しか出せず、ろくな戦果を上げる事ができなかった
アメリカ軍のPTボート。
ソロモン諸島やフィリピンでの戦いで活躍した。
ドイツ軍のSボート。
Uボート部隊の次に戦果を上げ、特に連合国のノルマンディー上陸の際には連合国艦隊と奮戦したことが知られる。