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幸運艦

こううんかん

激戦に参加しながら、そのたびに無傷または小破で帰ってくる(時として中大破で戦線に復帰してもこう称される場合も)、幸運に恵まれた軍艦のこと。
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対義語不運艦


類義語幸運船(艦艇としての経歴を持たない船の場合はこちら)、異能生存艦


概要編集

艦歴において多数の幸運に恵まれた艦艇のこと。特に幾度もの激戦をくぐり抜け、常に無傷や小破で帰ってくる殊勲艦のことを指す。ただしこの記事では「武勲には恵まれなかったが長く生き残っていた」艦船も記述している。


タグとしては実在の軍艦よりもむしろ、艦船擬人化ゲームキャラクターのイラストに使われることが多いと思われる。


なお、翔鶴が不運艦と紹介されることがあるが、突出した幸運艦だった瑞鶴との対比で被害担当艦となった翔鶴が不運だと言われたのであり、実際には瑞鶴と同等の戦果を挙げている武勲艦であった。


該当する艦編集

鹵獲・接収・買収などで途中で所属を変更した艦に関しては、元商船(宗谷グラーフ・フォン・ゲッツェンなど)を除き、就役した当初に属していた組織に属するものとして区分している。

大日本帝国海軍編集

軍艦編集

瑞鶴1944

姉の翔鶴とともに日本海軍で最も活躍した艦。翔鶴と対照的に、マリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった。マリアナ沖海戦で艦載機と翔鶴を失い、レイテ沖海戦で囮艦として悲劇的な最期を迎える。

飛龍の反撃

蒼龍型航空母艦。蒼龍と共に第二航空戦隊を編成し、真珠湾攻撃、ウェーク島攻略、インド洋作戦など第一航空艦隊の中核として活躍。ミッドウェー海戦では敵機の奇襲により空母赤城加賀、蒼龍が次々と被爆炎上する中、ただ一隻無傷であり、二波にわたる攻撃で米空母ヨークタウンを撃破した。だが、再び敵機の奇襲を受け被爆炎上。乗組員を救出した後に駆逐艦巻雲により雷撃処分され、第二航空戦隊司令官山口多聞少将、艦長加来止男大佐と共に海に没した。


隼鷹

ダッチハーバー空襲、南太平洋海戦マリアナ沖海戦に参加。特に第二航空戦隊司令官角田覚治少将の旗艦として奮戦した南太平洋海戦での活躍が有名。マリアナ沖海戦では被爆して煙突を失い、潜水艦の攻撃で二度損傷した事があるもそれぞれ無事に帰還。幾度も激戦を潜り抜けた航空母艦としては帝国海軍では唯一終戦を迎える事ができた。


日向

伊勢型戦艦の二番艦。砲塔爆発事故2回、火薬庫爆発事故1回と、轟沈が危ぶまれるような事故を三度もやらかしながら現役を続行し、麾下の艦艇をほとんど損耗なしで帰還させるなど、下記の榛名などとは別のベクトルで悪運を誇った。のちに航空戦艦に改造され、その航空機運用能力が活かされる事はなかったものの、姉妹艦の伊勢とともに北号作戦の基幹に据えられ、まったく損害を受けずに完全な成功を収めた(日本海軍において成功した作戦はこれが事実上最後)。伊勢型戦艦は直進性が著しく悪いという欠陥を抱えていたが旋回性に優れ、エンガノ岬沖海戦では面舵(右旋回)一辺倒でハルゼー艦隊航空隊の爆撃を至近弾一発のみでかわし続けた。また智将・松田千秋少将をはじめ、辣腕の艦長や司令官に恵まれたこともあり、呉軍港空襲で浮き砲台として着底するまで戦い続けた。戦後、艦内に金属泥棒が侵入して二度目の着底を経験する憂き目に遭っている。


油絵 長門

開戦時は長門型戦艦として最後の連合艦隊旗艦を務め、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦を生き残るも、主力艦として温存されて活躍の場を失い、特殊警備艦として横須賀港防御の任にあたる。同様の任務に当たった他の大型艦が次々と空襲で撃沈されるなか、長門は敵機の攻撃が集中し艦首脳部が壊滅する被害を受けるも致命的な損害を免れ、帝国海軍の戦艦ではただ一隻行動可能な状態で終戦を迎えた。1946年7月1日、25日のクロスロード作戦の核実験に供され沈められる。


金剛型 戦艦榛名

金剛型戦艦。日本戦艦で最も多くの海戦を生き延びた艦。ただしそのたびに小中破しており、また戦果も姉の金剛には及ばない。最後は呉軍港空襲で大破着底した。


IJN Aoba

青葉型重巡洋艦。何度も廃艦寸前の損傷を受けたという意味では不運艦だが、そのたびに修復して戦場に舞い戻ってきたためアメリカ側からソロモンの狼と呼ばれる。最期は呉軍港空襲で防空砲台として果てる。


八雲型装甲巡洋艦。ドイツから購入し1900年に就役。以後、日露戦争から太平洋戦争までを駆け抜ける。


摩耶型砲艦。日清戦争の黄海海戦において輸送船「西京丸」を守り抜き、集中砲火を浴びるものの持ちこたえたことで「赤城の奮戦」という軍歌で唄われる。北清事変や日露戦争に参加後の1911年に川崎造船所に払い下げられクルーザー「赤城丸」として数年使われた後に尼崎汽船部に売却され貨物船として改装した。台風や機雷で二度沈むも引き揚げられ1953年まで使用。


  • 宇治(2代)/長治/南昌

橋立型砲艦。1942年揚子江部隊の旗艦。1944年に上海方面根拠隊へ移動、船団護衛に従事した。終戦時上海で残存、中華民国軍に接収され「長治」と改名。国共内戦で中共軍に捕獲され国府軍の爆撃を受け大破着底、引き上げられ「八一」のち(「南昌」)と改名し、第6艦隊旗艦となった。1979年に除籍。なお対馬丸が米潜ボーフィンに撃沈された際護衛していた艦艇の一隻がこの宇治である。


  • 安宅/安東

同型艦なしの砲艦。「勿来」として建造されるが就役前に「安宅」に改名した。戦時中は上海方面で船団護衛などに従事。戦後は中華民国に引き渡され「安東」として就役。国共内戦で1949年に中国人民解放軍海軍に投降したが中華民国空軍の爆撃により撃沈。その後引き揚げられ、1970年代まで使用されていた。


駆逐艦編集

大日本帝国陽炎型駆逐艦「雪風」

陽炎型駆逐艦。「幸運艦」の代名詞的存在。中華民国海軍に引き渡され「丹陽」になってからもその幸運艦ぶりは健在だった。


日本海軍 駆逐艦「響」1945年

特型駆逐艦キスカ島攻略・撤退作戦、マリアナ沖海戦などをはじめ、数々の作戦に参加。しかし事実上連合艦隊が壊滅した戦いであるレイテ沖海戦、自殺的特攻作戦であった坊ノ岬沖海戦には触雷のために参加できず、これが逆に幸いして戦後まで生き延び、不死鳥と呼ばれた。戦後ソ連海軍に引き渡されヴェールヌイとなる。とともに特型駆逐艦の中で戦後まで生き延びた。


駆逐艦白露型「時雨」(昭和20年)

白露型駆逐艦ベラ湾夜戦スリガオ海峡海戦(被弾するも不発)では僚艦が全滅するなか唯一生き残り、ブーゲンビル島沖海戦では唯一無傷など、「呉の雪風佐世保の時雨」として並び称される幸運艦だったが、雪風とは違い終戦までは生き残れなかった。


駆逐艦吹雪型「潮」&給油艦知床型「尻矢」(1)

特型駆逐艦全24隻中、響ともに残存していた1隻。


神風

神風型駆逐艦。長門と同期であり、太平洋戦争時には既に二線級となっていたが、ミッドウェーではアリューシャン方面、北号作戦、ペナン沖海戦、そして米潜水艦・ホークビルとの死闘など、数々の修羅場を潜り抜けながら終戦をシンガポールで無傷で迎えた歴戦の古豪。終戦時シンガポールで唯一行動可能・無傷な艦であった。


帝国海軍駆逐艦 春風

大戦中は主に船団護衛に従事し、「輸送船団の守護神」と讃えられる。上記の「神風」と並び神風型駆逐艦ではただ2隻生き残った。艦名は後に海上自衛隊の戦後初めて建造した護衛艦のネームシップとして受け継がれる。


駆逐艦初春型「初霜」(昭和20年)

初春型駆逐艦。終戦の半月前まで生き残っていた数少ない駆逐艦。1945年4月の坊ノ岬沖海戦では唯一被弾なし・戦死なし・戦傷2名という正真正銘の奇跡を成し遂げ、最終的に多くの生存者を救助して帰還した。また矢矧・浜風乗員を救助し、最終的には乗員430名を含め、総勢約740名が乗っていたという。初霜の最期は同年7月30日。停泊していた宮津港が米機動部隊による空襲を受けたときに雪風とともに陸岸で難を逃れようとしたところ触雷。初霜は戦時中に駆逐艦以上の艦艇で最後に行動不能となった。


秋月型駆逐艦 涼月

秋月型駆逐艦。3回も大破する苦難を経た艦。1944年1月米潜スタージョンの雷撃により前部と後部を失い、同年10月米潜ベスゴの雷撃により艦首を失い、坊ノ岬沖海戦でも大破しながら奇跡的に生き延びた。


峯風型駆逐艦。初の純日本式の一等駆逐艦であり、峯風型の生き残りの中で唯一特別な改修を受けないままだった(矢風は標的艦に艦種変更、澤風は対潜実験艦、汐風と波風は回天搭載艦)。太平洋戦争中は空母鳳翔の直衞を長く務めたが鳳翔が予備艦となったため空母海鷹の随伴艦となるが、海鷹が機雷に触雷し航行不能になった際は、単艦で曳航を試み無事成功させた。


潜水艦編集

伊58

巡潜乙型のうちの伊五十四型潜水艦。就役は昭和19年末と遅いが、インディアナポリスを戦争末期の劣悪な条件下で撃沈する大戦果を挙げた。同時にこれは、特攻を除いて第二次世界大戦で最後に撃沈させたアメリカ海軍水上艦艇である。


伊号19の内部断面図

画像は同じ巡潜乙型の伊号第十九潜水艦。巡潜乙型のうちの伊一五型潜水艦。主力として用いられ終戦時まで残存していた潜水艦の中では最も古い、昭和17年9月に就役。伊一五型潜水艦20隻の中で唯一太平洋戦争を生き残った。


海防艦編集

占守型海防艦(竣工時)

占守型海防艦海防艦として建造された初の艦型。占守型4隻は、北方海域での漁業保護用に建造されたが太平洋戦争勃発のため、南方海域を含めた船団護衛に従事した。大戦中は建造時に想定されていなかった海上護衛戦のワークホースとして酷使されたにもかかわらず、占守・国後・八丈の3隻が終戦まで生き抜いた。


鵜来型海防艦

鵜来型海防艦。戦後は運輸省で連絡船を、次いで気象庁で気象観測船を務めた後に、海上保安庁に移籍し巡視船こじまとなる。1965年に千葉市に売却され類を見ない「海洋公民館」となったが周囲を埋め立てられ1998年解体された。巡視船としては初の保存船であり、太平洋戦争時の海軍艦艇としては最後まで残っていた艦でもある。


  • 四阪/恵安

 日振型海防艦。戦後は中華民国海軍に移籍し恵安として国共内戦に参加した後に中共軍に投降。以後人民解放軍のもとで1987年まで練習艦として使用された。「軍艦」としては最も後まで現役だった元日本海軍艦艇。


  • 隠岐/固安

 択捉型海防艦。終戦後は中華民国海軍に移籍し固安となるが中共軍に拿捕され、人民解放軍で長白として就役。敷設艦に改造され1982年まで現役だった。


  • 第二〇五号海防艦/新安

四角い船団

 丙型海防艦。1944年12月就役。大戦後期の末期的状況の中で翌年8月の終戦まで、せりあ丸護衛をはじめ海上護衛または兵員輸送任務に休みなく従事し、一人の戦死者も出さずに生き残った。引揚船任務を経て中華民国に引き渡され「新安」という艦名を与えられ国共内戦で活躍。1954年、澎湖諸島沖で座礁事故を起こして放棄。


特務艦艇編集

日本海軍特務艦 宗谷

天領丸型砕氷船商船「地領丸」として建造されたが、砕氷や最新式の音響測深儀などの特殊機能を持っていたことが注目され、海軍が購入し改装、特務艦とした。太平洋戦争では特殊機能を活かして多岐にわたる任務に従事し、何度も窮地に追い込まれながらも奇跡的に開戦から終戦まで生き延びた。特務艦でありながら潜水艦撃退(2回)の武勲を有する珍しい艦でもある。戦後は海上保安庁に移籍して初代南極観測船北洋警備を担う巡視船などとして活躍。1978年に巡視船としての任務を後継船のそうやに引きつぎ退役するも除籍されることなく、現在も海上で航行可能な状態を保っている。第二次世界大戦を経験した日本の艦船の中で唯一現存しており、旧日本海軍および初期の海上保安庁の歴史を物語る最後の生き証人である。


 19世紀末の1897年。スウェーデンのネプチューン社の救難船ヘラクレスとして建造され、1905年に日本海軍が購入して救難船「栗橋丸」となる。横須賀港務部所属の救難船兼曳船として太平洋戦争も生き延び、第二復員省所属の特別輸送艦として復員輸送に従事後、復員庁第復員局の保管船を経て運輸省海上保安庁に曳船として移管。1949年、船齢52年の老嬢だったが巡視船として就役して主に練習艦として1954年まで使われた。


三笠の尼港事件救援失敗を受けて建造された日本初の砕氷艦。大正10年の就役以降、一貫して北洋警備に活躍し、日本海軍唯一の砕氷艦として北方全般の警備、航路啓開、漁業の保護に多大な貢献を果たした。太平洋戦争前夜、老朽化した大泊の代船として海軍に編入されたのが上記の「宗谷」であるが、緊迫した情勢の中で宗谷は南洋の測量任務などに回され、大泊は北洋警備に従事し続け、ソ連船の臨検などを行い、終戦を迎えた。


初代大和

葛城型装甲艦スループ。初代艦長は東郷平八郎中佐。日清戦争日露戦争に参戦、その後は海防艦を経て測量艦として昭和10年まで活動。「北見大和堆」「大和堆」の海中地名は本艦の名にちなむ。二代目「大和」が沈んだ戦後まで残存していた。


「一等輸送艦」

戦時中大量建造された高速輸送艦「第一号型輸送艦(一等輸送艦)」の一隻。竣工以来、幾多の作戦に従事し、駆逐艦や魚雷艇と幾度も交戦しながら生き残った。建造され生き残った一等輸送艦の中では最も古い。大戦後捕鯨船母船として大洋漁業に供与された。


幕府海軍編集

1593年に九鬼嘉隆が建造したと言われる安宅船

元の艦名は鬼宿だったが豊臣秀吉により日本丸へ改名される。

文禄の役で日本側の主力艦として活躍した他、関ヶ原の戦い九鬼嘉隆の座乗艦を務める。 関ヶ原の戦い後は『大龍丸』として幕府の持ち船となり『江戸図屏風』にも描かれる。

その後は鳥羽藩に預けられ、1856年に解体されるまで使用されたという。


2012年賀- 蟠龍艦と艦長松岡 -

元イギリス王室のヨット「エンペラー」。1858年の日英修好通商条約の際に贈呈品として江戸幕府へ贈られる。1868年に江戸城を明け渡した徳川慶喜を駿府へ送った後、榎本武揚の指揮する艦隊に合流して蝦夷地へ脱出。

1869年3月25日の宮古湾海戦には悪天候により不参加。なお新政府軍の甲鉄艦に発見され追撃を受けるが追い風により運よく逃れる。5月11日の新政府軍による函館総攻撃では蝦夷共和国唯一の実働可能な軍艦として陸上砲台や動けなくなった回天丸の支援を受けながら甲鉄艦を初めとする六隻の新政府艦隊と対戦、朝陽丸を撃沈するも弾薬が尽きたため座礁させられ放棄。その後新政府軍により放火されるもなかなか燃えない上にいきなり横転して自然鎮火する。

函館戦争終結後、新政府により引き揚げられ北海道開拓使の持ち船雷電丸、次いで日本海軍軍艦雷電として就役。1888年に民間に払い下げられ捕鯨船に、次いで商船となる。1897年に解体。他の幕府の外国製軍艦が不慣れな乗組員により事故や故障が多発し、開陽丸などは暴風雨で沈没したのに対して蟠龍丸は無事故記録を持つ。


アメリカ合衆国海軍編集

1797年進水。疑似戦争・米英戦争で活躍。アメリカ海軍艦艇の最古参として動態保存されている。


USS CV-6 Enterprise

愛称はビッグEまたはラッキーE。太平洋戦争の開戦から終戦まで生き残った3隻の航空母艦のうちの一隻。その中でも彼女はミッドウェー海戦第二次ソロモン海戦南太平洋海戦といった激戦を潜り抜け、後者の二つの海戦では損傷し、日本側からは何度も撃沈したとみなされた程であった。最多の20個の勲章を受け、米海軍史上最高の殊勲艦と言われる。


CV-3 Saratoga

愛称はシスター・サラ(妹のサラ)。太平洋戦争の開戦から終戦まで生き残った3隻の航空母艦のうちの一隻。


アメリカ海軍 航空母艦ホーネット

エセックス級の内の1隻。公式記録では、59回の空襲を受けながら爆弾・魚雷共に一度も被害にあわなかった。


ワシントン

太平洋戦争中、日本軍の攻撃で乗員を失うことが全く無かった。ただし、イギリスへ派遣された際には司令官の転落死や衝突事故を起こしている。


米西戦争に際し、サンフランシスコからマゼラン海峡を経由してキューバまで赴き、スペイン艦隊が壊滅したサンチャゴ・デ・キューバ海戦に参加した"マッキンレーのブルドッグ"と呼ばれた戦艦。この航海は称賛されて詩にもなった。1922年に除籍後、記念艦となっていたところを太平洋戦争により上位構造物を撤去したのち弾薬保管船(資料によっては宿泊船)としてグアムに運ばれる。48年台風で漂流して800キロ以上流されるも発見。56年日本の川崎で解体されて数奇な艦歴を終えた。



軽巡サンディエゴ


フレッチャー級駆逐艦

第三次ソロモン海戦で無傷であった事、その日が13日の金曜日であった事から「ラッキー13」の愛称を付けられた。


多数の戦闘に参加し、駆逐艦では一番多い17個のバトルスター章を受賞したが、乗員から戦死者・負傷者を全く出さなかった幸運から「ラッキーO」の異名を得た。


日本語での表記はラフィーとも。1945年4月15日、沖縄戦の最中、レーダーピケット任務に就いていたため日本軍機に袋だたきにされ、特攻機6機(5機との記録もあり)、爆弾4発を被弾しながらも生き残った、無類の打たれ強さを誇る。下記のインガムとともに現在も保存されている。

なお、ラフェイの名は第三次ソロモン海戦で戦没した先代(DD-459、ベンソン級)から受け継いだもの。先代は戦没後、殊勲部隊章を授与されたが、DD-724も沖縄戦後に同章を受章しており、名前のみならず、栄誉をも受け継ぐ格好となった。


アメリカ合衆国沿岸警備隊編集

1936年9月12日に就役。北大西洋にて20件以上の船団護衛に従事し、ドイツ海軍のUボート、そして敵機と戦いながら、イギリスを支える各種物資を運ぶ輸送船を守った。1944年以降は上陸作戦を支援する指揮艦として活動。戦後は通常の沿岸警備任務に戻るが、朝鮮戦争、ベトナム戦争などにも従事し、1988年に53年の任務を終えて退役した。米国史上、コンスティチューションに次いで最も長く活動したベテラン艦船であり、米国沿岸警備隊史上最多の勲章を授与された殊勲艦。


英国海軍編集

【HMS Victory】(戦列艦)[新デザイン](設定保留)

アメリカ独立戦争ナポレオン戦争で旗艦を務める。乾ドック入りしたままとはいえ、現存する最古の軍艦でもある。


レナウン画像は第二次改装前。

ノルウェーでグナイゼナウシャルンホルストと砲撃戦を交え、地中海ではジェームズ・サマービル提督率いるH部隊の旗艦として活躍。第二次世界大戦終戦時に唯一生き残った巡洋戦艦である。


【合作】英戦艦 クイーン・エリザベスHMSヴァリアント

画像は左は改装前の同じクイーン・エリザベス級戦艦のクイーン・エリザベス中は改装後のクイーン・エリザベス級戦艦のヴァリアント

第一次世界大戦と第二次世界大戦の双方に参戦。第二次世界大戦では老朽艦でありながら主なものでもナルビクで駆逐艦と共にドイツ駆逐艦隊を全滅させ、カラブリア沖海戦ではイタリア艦隊旗艦戦艦ジュリオ・チェザーレに遠距離から砲弾を命中させてイタリア艦隊を撤退させ、マタパン岬沖海戦では同僚艦と共にイタリア第一戦隊を全滅させるなど最も戦果を挙げた。また戦艦ローマを撃沈した誘導爆弾フリッツXを三回被弾しながらも沈没を免れる強運ぶりも発揮し「オールド・レディ」と呼ばれて親しまれた。


ドイツ海軍編集

帝政ドイツ大巡 S.M.S.ザイドリッツ

(ドッガー・バンク沖海戦にて五番砲塔に被弾し弾薬に引火したにもかかわらず、四番・五番砲塔が機能停止するもそれ以上の損失は免れて帰還。次に第一次世界大戦最大の海戦であるジュトランド沖海戦では21発の砲弾を被弾、1発の魚雷を被雷し、全砲塔が機能を失い、艦首は水没寸前ながらも帰還する事に成功する。)


獨逸海軍軍艦 プリンツオイゲン

戦力的に圧倒的に劣勢なドイツ艦の中で着実に活躍し、終戦まで生き残ったのちにクロスロード作戦に使用されるも沈没せず。ドイツ海軍でも指折りの武勲艦である。


シャルンホルスト

妹艦グナイゼナウとコンビを組み名実共にドイツの主力艦として活躍、「ドイツ海軍最大級の勝利」の立役者でもある武勲艦。「呪われた戦艦」としてのエピソードが有名だがこの逸話には戦後の誇張が多分に含まれており、当時は幸運な武勲艦として知られていた。


  • ゲーベン/ヤウズ・スルタン・セリム/ヤウズ(モルトケ級巡洋戦艦)

長寿戦艦 ヤウズ セリム

後のオスマン帝国海軍の巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム及びトルコ共和国海軍の巡洋戦艦ヤウズ。1950年代まで現役だった。




U-VII型潜水艦ノコギリサメ





1944年9月、陥落寸前のブレスト港からノルウェーへ脱出に成功する。


客船として1913年にドイツで建造され、タンガニーカ湖に就役。第一次世界大戦の勃発で砲艦に改造される。1916年に自沈。戦後イギリスにより引き上げられ客船「リエンバ」として就航。現在でも運航しており、現役の船舶としては世界最古級の船のひとつである。


イタリア海軍編集

戦艦ヴィットリオ・ヴェネト

56回の作戦行動に参加。マタパン岬沖海戦ではフェアリーアルバコアの雷撃で一時航行不能状態となり、英海軍の戦艦三隻に捕捉されかけるも乗組員の必死のダメージコントロールの宜しきを得て航行可能となり虎口を逃れる。イタリア降伏後は連合軍に接収される為に回航中、ドイツ空軍の誘導爆弾フリッツXの攻撃を受け、艦隊の戦艦三隻中、姉妹艦であるローマが撃沈され、イタリアリットリオを改名)が損傷する中、本艦は無傷であった。


逃げの天才。非戦闘艦でありながら二度の大逃げを果たして終戦まで生き延びた。戦後はフランス海軍に引き渡されフランシス・ガルニエとなった。


第一次・第二次世界大戦の両方を生き延びる。戦後はそれぞれイタリア海軍の旗艦を務めた。


軽巡洋艦 ルイージ・ディ・サヴォイア・デュカ・デリ・アブルッツィ

スペイン内戦や第二次世界大戦で活躍。戦後まで生き残り1970年代まで主力艦として使用された。


アルフレッド・オリアーニ級駆逐艦のネームシップであり、3隻の姉妹艦と共に第9駆逐隊を編成して開戦を迎えた。

カラブリア沖海戦、タラント空襲、マタパン岬沖海戦、第1次・第2次シルテ沖海戦、ハープーン船団・ペテスダル船団阻止などの海戦に参加。

マタパン岬沖海戦では第9駆逐隊は英地中海艦隊に夜戦で全滅させられた第1戦隊の護衛についており、その海域から脱出できたのは姉妹艦ヴィンセンツォ・ジョベルティと彼女だけであった。

英K部隊により全滅させられたデュースブルク船団の護衛についたおりには僚艦が沈没・損傷するなか海戦では無傷だった。

唯一残された姉妹艦ジョベルティは潜水艦により沈んだが、オリアーニは終戦まで生き残る事が出来た。その後は賠償艦としてフランスに渡され、1954年にスクラップとなった。


現存する数少ない第二次世界大戦中のイタリア軍艦艇。終戦直後にユーゴスラビア軍に売却され、王室ヨット、共産化後はチトー大統領専用ヨットとして運用される。ユーゴスラビア崩壊後はモンテネグロに保管されていたが現在はクロアチアに保管場所を移している。


中華民国海軍編集

寧海型軽巡洋艦。日中戦争で撃沈され、日本海軍が浮揚した後雑役船「阿多田」として兵学校練習船として再就役した。日本の敗戦後中華民国に返還され、国民政府が台湾に遷った後の中華民国海軍の大型水上戦闘艦の中で、唯一日中戦争前から生き残っていた艦船であった(他は全て日本海軍からの賠償艦か米英軍からの譲渡艦)。


清国海軍編集

1869年に清国海軍の艦艇として就役した砲艦。日清戦争により日本海軍に拿捕され警備艦(後に二等砲艦)として就役。1903年に内務省に移管され検疫船として就役。1924年に民間に払い下げ、その後1965年まで大阪において船籍が確認されている。


ロシア海軍編集

アヴローラ

日露戦争・日本海海戦でのバルチック艦隊の生き残り。第一次世界大戦中にロシア革命の発端にかかわり、第二次世界大戦・レニングラード包囲戦を経て、ロシア革命での功績を讃えられ記念艦として保存されている。現存するただ一隻の防護巡洋艦である。


ロシア海軍救助艦「コムーナ」

1913年進水(戦艦榛名と同い年)し、100年以上経った現在もなお黒海艦隊にて現役のサルベージ船。第一次世界大戦ロシア革命第二次世界大戦の二度の動乱をくぐり抜け、ロシア帝国からソビエト連邦ロシア連邦に至る激動の20世紀のロシア史を駆け抜けた。 実用配備されている艦船としては世界最古参である。


ギリシャ海軍編集

現存する唯一の装甲巡洋艦。第一次バルカン戦争から第一次世界大戦・希土戦争に第二次世界大戦までギリシャ海軍の旗艦を勤め上げた。


トルコ海軍編集

1903年に竣工。オスマン帝国海軍の巡洋艦として第一次バルカン戦争に参加。ついで第一次世界大戦に参加するも1914年にロシア海軍との戦闘で触雷し沈没、その後ロシア海軍により引き揚げられ修理・改造され『プルート』としてオスマントルコ海軍と戦うが1917年のロシア革命の後にボルシェビキ政権とウクライナ中央ラーダとの間で取り合いになった挙句進駐してきたドイツ軍に接収され1918年にオスマントルコ海軍に返却。その後成立したトルコ共和国のもとで1947年まで使用された。


1904年に竣工。伊土戦争、第一次バルカン戦争、第一次世界大戦、希土戦争をトルコ海軍のもとで戦い続ける。1945年に除籍され1964年に解体された。


スペイン海軍編集


フランス海軍編集

第一次世界大戦末期にブレスト造船所で建造。戦争の終わった1920年にルーマニアに売却されて砲艦スブロコテネント・ギクレスクに改名。

第二次世界大戦では船団護衛に従事して潜水艦2隻、魚雷艇1隻を撃沈する戦果を上げている。

1944年9月にソビエト連邦に鹵獲され、アンガラと命名され、運用されたのち1945年10月にルーマニアに返還。測量艦として2002年まで運用された。


オランダ海軍編集

ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルクは1940年のドイツ軍によるオランダ侵攻により未完成のままイギリス

へ脱出。その後大西洋で船団護衛に就く。トロンプはオランダ東洋艦隊の一員として日本軍と戦うもトロンプ以外のめぼしい艦艇は全滅。その後二隻はインド洋で合流し終戦までオランダ海上帝国の生き残りとして戦い続けた。


ポーランド海軍編集

ドイツのポーランド侵攻によりイギリスへ脱出、以後終戦までポーランド亡命政府のもとで戦う。戦後はポーランドの共産党政権の所属となり、ブリスカヴィカは記念艦として現存。



パラグアイ海軍編集

1908年から現役記録を更新している。


エストニア海軍編集

1937年に就役。1940年にエストニアがソ連に占領されると姉妹艦のカレフとともにソ連海軍に接収される。独ソ戦にも参加するが、姉妹艦のカレフを初め多くのソ連海軍所属の潜水艦は戦没した。第二次世界大戦を生き延びたレンビットは1979年に除籍後、バルト海艦隊記念博物館にて展示される。1991年にエストニアが再独立すると同国の海軍に名誉復帰した。


創作作品編集

実在する艦艇を元にしたものは上記を参照。

銀河英雄伝説編集

イゼルローン革命軍旗艦 ユリシーズ

(第8艦隊所属時、アムリッツア会戦(同盟軍の7割が失われ、艦隊も壊滅)で生き残ったが、その際の被害は軽微(下水処理システムを壊されただけ)だが深刻なもので、汚水まみれになりながら会戦を闘い生き残ったは良いが、「トイレを壊された戦艦」のありがたくもない渾名をつけられる。その後も最後まで生き残り、後半ではヤン艦隊の総旗艦ともなった。なお、同作品では他に巡航艦レダⅡ号もゲンが良いとされていたが、結果としてはヤン・ウェンリーの死場所になっており、艦も失われている。)

スタートレック編集

ヴォイジャー

(シリーズの他の作品の主役艦がメチャクチャに壊れることが多いのに対して最後まで無傷同然だった)

宇宙英雄ペリー・ローダン編集

(銀河中心部で発見された恒星転送機を通ってアンドロメダ銀河近郊に進出した太陽系帝国はそこでかつて天の川銀河からアルコン人によって絶滅されたメタン呼吸種族マークスと接触し逆に侵攻を受ける。これを撃退した太陽系帝国は第一執政ローダンの陣頭指揮のもと新型戦艦“クレストⅢ”によって直接アンドロメダ銀河中枢へ乗り込むがそこで人類そっくりの種族であるテフローダーと影でマークスやテフローダーたちを操る“島の王”と接触する。“クレストⅢ”は“島の王”が送り込む複製人間の撃退には成功するものの惑星ヴァリオの時間転送機により五万年前の地球に送り込まれてしまう。そこで“クレストⅢ”は古代レムール文明と接触するものの“島の王”の時間エージェントの陰謀によりレムール人に追われる身になってしまう。一方ローダン不在の太陽系帝国では“島の王”によって紙幣偽造による撹乱工作が始まっていた…{続きが気になる方は宇宙英雄ローダン第140巻「時の征服者」をどうぞ})

宇宙一の無責任男編集

  • 阿蘇

主人公、ジャスティ・ウエキ・タイラーが艦長として乗り込んだ最初の軍艦(その前に駆逐艦「そよかぜ」「あさなぎ」艦長だったが、どうやら惑星連合宇宙軍では大日本帝国海軍同様駆逐艦は正規の軍艦の扱いではないらしい)。阿蘇級巡洋艦の1番艦で、とにかくツイてツイてツキまくるので沈まない上に戦果もダントツ。というのはもちろん中の人効果……なのだが、彼女は生まれからしてタイラーとは直接関係のないところでの僥倖で生まれている。ただ、ツキまくったが故の寂しい最後(老朽化により戦闘行動に耐えられなくなり、二線級任務の後廃艦)というあたりは、史実艦の雪風に通じるところがあるかもしれない。

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