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カイオ・ドゥイリオ級戦艦

かいおどぅいりおきゅうせんかん

カイオ・ドゥイリオ級戦艦はイタリアが製造所有した戦艦、なおこの名称で呼ばれる艦艇のグループは装甲艦と弩級戦艦の二種類存在する。
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この戦艦に関してはイタリア海軍が保有していた艦艇であり、19世紀に装甲艦(鉄ないし鋼の装甲を施した軍艦、特に艦種としては初期のものにつけられる)として19世紀に建造された初代、あるいは第一次世界大戦弩級戦艦として建造された二代目が存在する。

名称は、紀元前3世紀にポエニ戦争で活躍した共和制ローマの政治家・軍人、ガイウス・ドゥイリウス(Gaius Duilius)のイタリア語表記に由来する。

初代編集

 この戦艦は1873年より1882年に建造されたイタリア海軍草創期の戦艦である。

 この戦艦は当時イタリア仮想敵国としていたフランスに対抗するため製造された。

 この型に分類されるのはネームシップのカイオ・ドゥイリオ(Caio Duilio)およびエンリコ・ダンドロ(Enrico Dandolo)である。

 兵装としては45cm(20口径)前装式連装砲2基、12cm(40口径)単装砲3基、35.6cm水上魚雷発射管単装3基を搭載していた。

 この戦艦の運命はそれぞれ異なった。

 ネームシップであるカイオ・ドゥイリオは近代化改修を受けず、1909年に除籍され、弾薬等の倉庫、GM40として使用され、その後の経歴は不明である。

 エンリコ・ダンドロは近代化改装を1894から1898年の間に受け、武装の強化(25.4cm(40口径)連装砲2基、15.2cm(40口径)単装速射砲6基、12cm(40口径)単装速射砲5基および45cm水中魚雷発射管単装4基)等に交換され、伊土戦争(1911年から1912年にかけてオスマン帝国と行った戦争、この戦争の勝利の結果支配していた地域を手に入れ、その地域はリビアとなった)や第一次世界大戦でも使用されたり、その間練習艦(兵士の訓練として使われる艦艇、老朽化した軍艦が当てられることが多い)として活躍したりしたのち、1920年に除籍され、スクラップされた。

二代目編集

 この艦のグループは1912年から建造され、1915年から1916年にかけて建造された戦艦であり、カブール級の改良形式として製造された。ネームシップであるカイオ・ドゥイリオおよびアンドレア・ドリアよりなる。

 当時の設計意図は仮想敵国であったオーストリア=ハンガリー帝国の4隻の弩級戦艦

に対抗するため製造が許可されたが、第一次世界大戦の影響から二番艦の艤装が遅れ、完成が一年延長された(まだ遅れるだけだったからましだが、フランチェスコ・カラッチョロ級戦艦のように「船体だけは出来ていたが結局作れなくなりスクラップ」にならなかっただけでも)。

 完成後、始まっていた第一次世界大戦においては護衛任務などに参加したものの、特に戦績は上げられなかった。

 また、1920年代にはカブール級とともに近代改修を受けたものの、改良により不具合はそれほどなかったため、最小限にとどめられた。なおカイオ・ドゥイリオは主砲塔内での爆発事故を起こしている。

 ヨーロッパ平和が続いた1932年、二隻とも予備艦に指定され、処分を待つと思われていた。

 ところが、オーストリア=ハンガリー帝国に変わり仮想敵国となっていたフランスが、超弩級戦艦であるダンケルク級戦艦の製造を発表、計画中であったヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の完成が間に合わず、これに対応するため、カブール級の更なる近代改装を計画、それに伴いカブール級の任務を引き継ぐことと戦時の備えのため現役復帰した。

 そしてカブール級の改装が終わった後、再び予備役に戻るかと思ったがそうはいかなかった。フランスは海軍が増強されつつあるドイツ等への対抗としてさらにダンケルク級戦艦を増産、さらにリシュリュー級戦艦まで作り始めた。このためこの二隻の船も近代改修を施さざるを得なかった。

 その内容としては機関の強化、主砲の大口径化および仰角の変更(ただしそれにより口径の減少が発生、また砲数の減少)、副砲の砲塔化および近代化などが行われた。ところがこの改修は第二次世界大戦の開始(一般的にはドイツポーランドに侵攻した1939年9月)には間に合わず、1940年7月から10月となった。

 カイオ・ドゥイリオは7月15日、アンドリア・ドリアは10月26日に改装工事を終了し第5戦隊となったが、カイオ・ドゥリオは11月10日~11日のイギリス軍のタラント港の夜間空襲で魚雷一本を被雷して損傷、修理の為に復帰は1941年5月16日となった。

 1940年の終わりから1942年の夏ごろまで両艦は枢軸国の船団護衛および連合国、特にイギリスの補給路妨害に活躍したとされる。それ以降は燃料不足により停泊しての練習艦としての利用をされていたが、1943年以降イタリア本土が攻撃にさらされると移動砲台として活躍したとされる。

 イタリアの降伏後は賠償艦には指定されなかった(当初ソビエト連邦がすべての艦を賠償として取得しようとしたため、話がこじれていた、結局一部の艦を賠償として連合国に引渡し、抵抗を続けていたドイツへの対策とすることとなった)ため、双方ともイタリア海軍に復帰した。

 そしてこの戦艦戦後も使用され続け、両艦ともイタリア艦隊旗艦を務めた(一応賠償艦としてイギリスに押さえられていたヴィットリオ・ヴェネトが返還されたものの、地中海内しか航行できない艦艇であったことにより復帰できなかった)が、老朽化のため双方とも1956年に除籍、解体された。イタリア海軍最後の戦艦であった(ただしヴィットリオ・ヴェネトは1960年に解体されている)。

 この二つの艦のうちアンドレア・ドリアは国王のお召し艦となったりしたことがある。

他のクラス編集

前級:コンテ・ディ・カブール級戦艦 次級:ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦

pixivでの利用編集

 この戦艦に関してはアンドレア・ドリア戦艦少女(中国版艦これのようなもの)に登場しているため、擬人化された作品が投稿されている。

参照編集

カイオ・ドゥイリオ級戦艦(初代) - Wikipedia

カイオ・ドゥイリオ級戦艦 - Wikipedia

ほかリンク先を参照した。

関連タグ編集

戦艦 軍艦 イタリア イタリア軍

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