弩級戦艦とは、ド級戦艦の当て字である。
この場合のドとは、戦艦ドレッドノートのことを言う。ドレッドノートはイギリスで建造された画期的な戦艦で、戦艦の主砲は12インチ(30.5センチ)連装砲が2基のみという当時の常識を覆して、連装5基も積んだものであった。そのドレッドノートと同様12インチ主砲を多数積んだ戦艦をドレッドノートと同レベルの戦力を持った戦艦ということで、「ド級戦艦」と言う。
純粋に能力でのみ等級化されたものであり、語感のイメージに反して艦体の大きさ、すなわち全長や排水量は関係が無い。
基準は前述の通りドレッドノートの性能であるので、これを抜き出すと
・主砲12インチ連装5基10門(片舷指向可能4基8門)
・中間砲、副砲は問わない(ドレッドノートは小口径の副砲のみ)
・最大速力21ノット(もちろん外洋航走可能)
となり、これが弩級(ド級)の大まかな定義となる。意外にも装甲はド級要素には含まれておらず、後述の通り殆ど装甲の無いイギリス式の巡洋戦艦も上記の攻撃力と速力を備えていれば、ド級艦の扱いとなる。
これに対し、三笠(戦艦)のような、主砲が前後2基のみで主砲よりやや小さい中間砲(主砲と副砲の間の威力という意味)を多数備えた戦艦を、前ド級戦艦(前弩級戦艦)と言う。大抵の前ド級戦艦は最大速力14~18ノット程度であり、ド級戦艦と対峙した場合、逃げることも追うこともままならず、倍の砲門数を持つ相手に不利な戦闘を強いられることとなる。
また、ド級戦艦をもっと広い意味で捉えて、ドレッドノートの示した、同一口径の主砲を多数装備することで、性能の揃った砲をまとめて照準して公算射撃を行えるようにしたものをそう呼ぶこともある。しかし、広い意味のド級は主砲の口径で区分して、ドレッドノートの12インチより大口径の主砲を持つ場合は「超ド級戦艦」と呼ぶのが一般的である。
また、準主力艦である装甲巡洋艦にも同じ方針が適用されたが、この、言わば「ド級装甲巡洋艦」は巡洋戦艦と呼ばれるようになった。これも広い意味でド級戦艦に含む。
なお、日本の河内型戦艦は12インチ主砲を連装6基備えていたのでド級戦艦に数えられるが、その12インチ主砲の中でも砲身の長いものと短いものの2種類を混ぜて装備しており、主砲の性能を揃えると言うド級の条件を厳密には満たしていないとして、微妙な扱いを受ける時もある。(ただし砲身の長い主砲を低初速化したことで砲全体の性能を合わせているため、弩級戦艦とする見方もある。)
なお、河内型を別にすると日本で純粋なド級戦艦が造られたことはなく、英国に14インチ(35.6センチ)砲搭載の金剛型戦艦を発注し、超ド級戦艦に移行することとなった。
世界的にもこの傾向はあり、純粋なド級戦艦として造られた艦は少なく、すぐに超ド級の時代が到来した。これにより数多くの既存戦艦を一気に陳腐化させた当のドレッドノート自身もすぐに攻防走の全てで旧式、型落ちとなっており、第一次世界大戦時には既に超ド級戦艦で構成される英国主力艦隊に付いていけない性能となっていた。
前ド級戦艦時代は建造できる国家が限られていたこともあり、大艦巨砲主義というよりは、ひたすら同規模の性能の戦艦を増やしていくという傾向があったが、ド級戦艦、超ド級戦艦の登場により本格的な大艦巨砲の時代が到来、戦艦はどんどん強く、巨大になっていった。
軍縮条約の兼ね合いもあり、登場時のインパクトとは裏腹に、第一次世界大戦終了後は早々に各国のド級戦艦は姿を消している。