ドレッドノート(dreadnought)とは、「恐れ知らず」を意味する英単語。
概要
イギリス海軍では伝統ある艦名の一つ。特に「ド級戦艦」・「超弩級」と言った言葉のもととなった戦艦ドレッドノートが有名。また、イギリス初の原子力潜水艦にもこの名前が与えられている。
ドレッドノートを冠したもの
- イギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」。本項で解説。
- 『鋼鉄の咆哮』シリーズの超兵器潜水艦「ドレッドノート」。ドレッドノート(鋼鉄の咆哮)を参照。
- 『機動戦士ガンダムSEED』に登場する「ドレッドノートガンダム」。
- 『カードファイト!!ヴァンガード』の「チームドレッドノート」。
- 『マジック・ザ・ギャザリング』のクリーチャー「ファイレクシアン・ドレッドノート」
- トレーディングカードゲーム『ドレッドノート』。ドレッドノート(TCG)を参照。
- 『宇宙戦艦ヤマト』シリーズに登場する宇宙戦艦。主力戦艦(復活篇)、ドレッドノート型戦艦(YAMATO2520)、ドレッドノート級前衛航宙艦(2202)をそれぞれ参照。
- BMS楽曲。表記は英字表記の「dreadnought」。
- 2014年に命名された恐竜。ドレッドノータスを参照。
戦艦ドレッドノート
1906年竣工。
当時のイギリス第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャー提督が、軍艦設計委員会を指導して建造させた超兵器の一つ。
19世紀の大英帝国は、最強の海軍力をもって世界の海を支配していた。
しかしドイツの台頭に加え、フランスやロシアなどの強国がのし上がり、次第にその地位を危うくしていた。
そこでイギリス軍の技術の粋を尽くし、「最強の攻撃力」と「最速の機動力」を併せ持つ、いわば「ぼくのかんがえたさいきょうのせんかん」を建造することでこれら有象無象どもに圧倒的な格差を見せつけようとしたのである。
こうして完成したのがドレッドノート級戦艦である。
この艦の最大の特色は、主砲による打撃力を徹底的に強化したことにある。主砲口径こそ30.5cmとこれまでの戦艦と同じだが、従来の戦艦に搭載されていた中間砲を全廃して一躍2倍を超える連装5基10門の主砲を配置し(前級ロード・ネルソン級は2基4門)、両舷に振り向けられるよう艦の中心線へ配置する主砲塔を増やし、艦橋から統一して照準することで命中率を飛躍的に向上させた。
速力も前級のレシプロ蒸気機関による18ノットに対し、小型軽量大出力な蒸気タービン採用により21ノットと優速である。
これらにより「1隻で従来の戦艦2隻分の砲門数」と「全ての従来型戦艦に対して優位を取れる速力」を持つ事になり、従来の戦艦相手なら「常に相手の倍の攻撃力」で「攻めるも逃げるも完全にコントロール可能」な能力を持つ戦艦となった。
全ての戦艦を「ドレッドノート以前」とドレッドノート以後に分けてしまった程の画期的存在であった。
従来、斬新な新技術の導入は輸出艦で実験を行い、成功を見た後それを踏襲するのがイギリス海軍のやり方であったが、このドレッドノートに関してはドイツ海軍を突き放すため、自国艦を優先したのである。
当然だが、これほどの戦艦の建造には莫大な予算が必要であった。当時の様子をチャーチルはこう書き記している。
「海軍は【6隻】欲しいと言った。政府は【4隻】までだと言った。仕方がないので、その間をとって【8隻】建造することに決定した」
イギリス海軍の凄いところは、これをわずか1年の超特急で完成してしまったことにある。
一方イギリス海軍にとって誤算だったのは、同じことをみんな考えていたことだった。アメリカ合衆国ではサウスカロライナ級、ドイツ帝国ではナッソー級の建造がほぼ同時並行で進んでいた。
特にサウスカロライナ級は、1910年竣工とドレッドノートよりもデビューは遅れたが、口径を統一した主砲を背負い式(2つの砲塔を前後に高さを変えて配置する、いわゆる「ミシガン式配置」)で艦首と艦尾に配置するという点でドレッドノートに勝っており、以降の各国の戦艦建造ではこちらが採用された。
ドレッドノートは自ら流行を作り出したのではなく、当時既に発生していた技術的な流行がたまたま早めに反映されたに過ぎないと見るべきだろう。
その後
ドレッドノートの出現によって、これまでの戦艦はすべて過去のものとなったはいいものの、他の国もみんな同じような戦艦を一緒に作っていたため、各国で次々に同格の戦艦が就役し、ドレッドノートの優位は三日天下に終わった。
そしてこれらの弩級戦艦は、上述したように前弩級戦艦とは隔絶した能力差を有していた。弩級の登場によって前弩級戦艦は等しく二軍落ちとなり、イギリスの思惑は外れて建艦競争はスタートラインからやり直し、更に激化することになってしまう。
さらにドレッドノートを上回る巨砲を持つオライオン級が5年後に就役、建艦競争のステージが超弩級戦艦に移行した事により、全ての戦艦を過去のものにしたドレッドノートもまた過去のものとなる。大艦巨砲主義の幕開けである。
そして高性能化していく戦艦・巡洋戦艦の建造及び運用コストの増大はとどまることを知らず、各国の国家財政を圧迫する深刻な軍拡競争の発端となった。
これが後のワシントン海軍軍縮条約締結に至る原因となり、ドレッドノート自身の寿命も縮める結果となる。
建造後10年も経たない第一次世界大戦では既に旧式扱いされ、史上最大の戦艦決戦の一つであるユトランド沖海戦にも参加せず、終戦1年後の1919年に退役した。戦果はUボート1隻撃沈のみという寂しい結果に終わった。
※ちなみにこれは戦艦が潜水艦を沈没させた(というかぶつかって沈めてしまった)空前絶後の例である。
時代の波にいち早く乗った科に思われたドレッドノートは、結局あっという間に荒波に飲み込まれることになってしまった。