概要
蒸気のもつエネルギーを、タービン(羽根車)と軸を介して回転運動へと変換する外燃機関。
エネルギーの変換効率が高い半面、外部に熱源と蒸気源を用意するため設備が大掛かりになりがちなのが難点。
回転数の制御も困難であり、船舶用の機関は減速機を搭載するギアード・タービンにするのが一般的だが、この場合は低速時の効率が落ちる。
自動車の分野では、ごく一部の実験用車両を除いて蒸気タービンは使われなかった。これは細かく速度を変える自動車には必須な負荷の変動や、バックに必要な逆転といった動作がタービンエンジンでは難しかったためである。
蒸気を吹き付ける反動で回転動力を得るという発想はかなり古くからあり、紀元1世紀の古代ギリシャで記録された「ヘロンの蒸気機関(アイオロスの球体)」が歴史的な記録上初の蒸気タービンと表現されることも多い。
しかし実用的な発電機の動力用として実用化されたのは19世紀後期になってから、船舶用機関としての普及は20世紀に入ってからである。
20世紀後期になると民間用船舶はより高効率でコンパクトなディーゼルエンジンに、速度が必要な[駆逐艦]]などの軍艦ではガスタービン機関に取って代わられる形で蒸気タービンは姿を消していったが、火力発電所や原子力発電所は、現在でも基本的に蒸気タービン発電機である。
上述したように蒸気タービンは外部から蒸気を引き込んで利用する「外燃機関」であるため、その熱源が古式ゆかしき石炭の火だろうが最新科学の核分裂や核融合による熱だろうが「お湯沸かした蒸気でタービン回す」という発電機の基本部分は(高温制御や素材技術の進歩などはあれど)変わらないのである。
蒸気タービンとガスタービン
蒸気タービン機関とガスタービン機関は、回転するタービン部分のおおざっぱな図解だけ見れば似ているし、利用分野も一部で重なるところがあるが、仕組みは全くの別物である。
蒸気タービン機関のタービン部分にエネルギー発生源は無く、機関の駆動に必要な蒸気を得るための熱源となるボイラーや原子炉や熱交換器などが必要で、「外燃機関」に分類される。極端な話をすれば、蒸気タービン自体は外部から蒸気を吹き付けないと回らない最新の技術と理論で作られた巨大な風車である。
一方でガスタービンは自ら空気を取り込んで圧縮し、圧縮した空気に燃料を吹き込んで燃焼させ、その燃焼ガスの力でタービンを回して出力を得る。エネルギー発生源たる燃焼機構と出力装置が一つの機関に収まった「内燃機関」である。
20世紀末以降の発電設備や大型船舶では、ガスタービンの排気熱でお湯(などの蒸気を作りやすい液体)を沸かして、別途設置した蒸気タービンを回すコンパインドサイクル(船舶版はCOGESと呼ぶ)の採用も広がっている。これはトータルの熱効率が60%程度まで上がり、実用的な熱機関の中ではかなり効率がいい。
船舶用機関としての利用
船舶用機関としての蒸気タービンは20世紀になって急速に普及した。
1897年6月26日、世界初の蒸気タービン船「タービニア号」が、ヴィクトリア女王即位60周年記念観艦式に姿を現したのがその華々しいお披露目であった。
この日、無許可で観艦式に乱入したタービニア号は居並ぶ軍艦のどれもが追いつけない快速で駆け回り、追いすがる警備艇をことごとく振り切るという、とんでもないデモンストレーションをやってのけた。要人の目の前で行われたデモンストレーションの効果は覿面で、1899年には初のタービン駆逐艦が英海軍に納入される。1905年、英国海軍省は以後のイギリス軍艦はことごとくタービン推進とすることを決定した。そして1906年、最初のタービン推進の戦艦である「ドレッドノート」が進水した。
ドレッドノート以降、各国の艦船用機関の主流は一気に蒸気タービンに塗り替わる。
しかし、蒸気タービンの回転数はスクリュープロペラの適切な回転数と比べて高すぎたので、各国は減速ギアを含む伝達機構の実装と整備に苦労した。
例えばタイタニック号は3軸推進だったが、左右の推進軸は三段膨張式四気筒蒸気レシプロ機関、中央軸に直結蒸気タービンという構成だった。これは左右のレシプロ機関で使った後の低圧蒸気をタービンに流して回し、減速機無しで中央のスクリューを回すもので、この方法だと低圧蒸気が再利用でき、タービン回転数も低くできた。タービンを主役にするというより、燃費改善目的の過渡期的な構成のひとつである。
電気技術の先進国であったアメリカでは、「プロペラ用減速機が問題なら直にプロペラを回さなければいい良い」とばかりに、戦間期に建造した一部のアメリカ海軍の大型艦に蒸気タービンで発電して電動機を駆動する「ターボ・エレクトリック」方式を用い、これを採用したレキシントン級航空母艦などは高い速度性能を発揮して活躍した。
鉄道車両での利用
鉄道車両の分野だと、大出力の機関車の需要が高かったアメリカ合衆国で蒸気タービン機関車が一応は実用化され。馬力は出せたものの、機械式では複雑な減速機構が必要だった。また電気式ではスペースの制約から、水を使う蒸気機関と電気機器の相性が良くなかった。結局、レシプロ蒸気機関車の代替になれないうちに、電気式ディーゼル機関車などに取って代わられた。