蒸気タービン
じょうきたーびん
蒸気のもつエネルギーを、タービン(羽根車)と軸を介して回転運動へと変換する外燃機関。
エネルギーの変換効率が高い半面、設備が大掛かりになりがちなのが難点。回転数の制御も困難であり、船舶用の機関は減速機を搭載していた(ギアード・タービン)が、この場合低速時の効率は落ちる。自動車用ではごく一部の実験用車両を除いて蒸気タービンが使われなかったのは、負荷の変動や逆転といった動作がタービンでは難しかったためである。
着想はかなり古くからあった(古代ギリシャからとも)ものの、発電用として実用化されたのは19世紀後期になってから、船舶用機関としての普及は20世紀に入ってからである。
20世紀後期になると民間用船舶はより高効率でコンパクトなディーゼルエンジンに、軍艦(駆逐艦などの戦闘艦)は多くがガスタービン機関に取って代わられる形で姿を消していったが、発電用蒸気機関、つまり火力発電所や原子力発電所では現在でも基本的にタービン機関である。
蒸気タービン機関とガスタービン機関は名前が似ているので混同されがちだが、全くの別物である。
蒸気タービン機関はタービンにエネルギー発生源は無く、機関の駆動に必要な蒸気を得るための熱源(ボイラー、あるいは原子炉や熱交換器など)が必要である(つまり外燃機関である)一方で、ガスタービンは自ら空気を取り込んで圧縮し、圧縮した空気に燃料を吹き込んで燃焼させてその燃焼ガスの力でタービンを回して出力を得る(エネルギー発生源たる燃焼機構と出力装置が一つの装置に収まる)内燃機関である。
なお、20世紀末以降の発電設備や大型船舶ではガスタービンの排気熱で蒸気タービンを回すコンパインドサイクル(船舶版はCOGESと呼ぶ)の採用も広がっている。これはトータルの熱効率は60%程度まで上がる。
船舶用機関としての蒸気タービンは20世紀に急激に普及した。世界初の蒸気タービン船「タービニア号」が1897年6月26日、ヴィクトリア女王即位60周年記念観艦式に姿を現したのがその華々しいお披露目であった。
この日、無許可で観艦式に乱入したタービニア号は居並ぶ軍艦の誰も追いつけない快速で駆け回り、追いすがる警備艇をことごとく振り切るという、とんでもないデモンストレーションをやってのけた。要人の目の前で行われたこのデモンストレーションの効果は覿面で、1899年には初のタービン駆逐艦が英海軍に納入される。1905年、英国海軍省は以後のイギリス軍艦はことごとくタービン推進とすることを決定した。そして1906年、最初のタービン推進の戦艦である「ドレッドノート」が進水した。
ドレッドノート以降、各国の艦船の機関は一気に蒸気タービン主流に塗り替わる。それにしても各国とも伝達系で苦戦した。蒸気タービンの回転数は、スクリュープロペラの適切な回転数と比べて高すぎたのだ。
例えばタイタニック号は3軸推進だったが、左右の推進軸は三段膨張式四気筒蒸気レシプロ機関、中央軸に直結蒸気タービンという構成だった。これは左右のレシプロ機関で使った後の低圧蒸気をタービンに流して回し、減速機無しで中央のスクリューを回す(この方法だと低圧蒸気が再利用でき、タービン回転数も低くできる)という、燃費改善目的の過渡期的な構成だった。
アメリカ海軍に至っては、電気技術の先進国であったこともあって戦間期に建造した一部大型艦では、減速機の難渋を避けようと蒸気タービンで発電して駆動する「ターボ・エレクトリック」方式を用いており、レキシントン級航空母艦などは高い性能を発揮して活躍した。
鉄道車両では、大出力の機関車の需要が強かったアメリカ合衆国で蒸気タービン機関車が一応実用化された。だが馬力は出せたものの、機械式では複雑な減速機構が必要だった。また電気式ではスペースの制約から、水を使う蒸気機関と電気機器の相性が良くなかった。結局、レシプロ蒸気機関車の代替になれないうちに、電気式ディーゼル機関車などに取って代わられた。