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意味編集

  1. イギリスとその植民地・海外領土などの総称。非公式の他称としてのみならず、当時のイギリス政府も公式に「British Empire」と称することがあった。
  2. 1.を設定のベースとした、『Axis powers ヘタリア』の「イギリス(アーサー・カークランド)」の派生キャラ

歴史編集

大航海時代以降、英国は世界中に植民地・領土を拡大し、ナポレオン戦争が終わった後は正真正銘世界随一の超大国となり、産業革命も相まってその繁栄は19世紀後半のヴィクトリア朝において絶頂を迎えた。この黄金期は、かのローマ帝国における「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」になぞらえ、「パクス・ブリタニカ(ブリテン=イギリスの平和)」とも呼ばれた。


その強力さは、大英帝国のみで複数の欧州列強と渡り合えるほどで、勢力均衡を保つためにはどの国とも同盟することができない状態だった。この現象は栄光ある孤立と呼ばれた。


以下は、イギリスが19世紀から20世紀にかけて支配した本国以外の地域の一覧である。


ただし、19世紀末以降の英国植民地は利益より出費のかさむ「お荷物」と言える状態となった。その中にあって、インドだけは「イギリス国王の王冠にはめ込まれた最大の宝石」と表現されるほどに重要視された。


解体への道編集

第一次世界大戦後に鮮明になった脱植民地化の流れを受け、英国は1931年に発表されたウェストミンスター憲章に基づきカナダオーストラリアなど白人主体の植民地は自治領(ドミニオン)として大幅な自治権を与える同君連合に移行した(いわゆるイギリス連邦)。一方、インドをはじめアジアやアフリカ、中東、中南米諸国など非白人諸国への植民地支配は継続することとした。


だが、第二次世界大戦で疲弊したイギリスは1947年にはついにインドの独立を認めざるを得なくなる。冷戦下で米ソが超大国として世界を二分する中、イギリスの政治力・国力は衰退の一途をたどり、大英帝国の衰退は誰の目に見ても明らかになった。


特に、スエズ危機(エジプトによるスエズ運河の国有化問題)が決定的だった。エジプトに反発したイギリスはフランスとイスラエルを誘って第二次中東戦争を起こしたものの、アメリカの介入によってスエズからの撤退を余儀なくされ、チャーチルの後継者として万全の体制を敷いていたはずのイーデン首相は辞任に追い込まれた。イーデン後任となったマクミラン首相はついに大英帝国体制に見切りをつけ、植民地の相次ぐ独立を勧めるようになり、終焉が決定的となった。


が、明確に大英帝国の終焉が宣言されたわけではないので、大英帝国の終わりの時期はインド独立、1997年の香港返還など諸説ある。そもそも、大英帝国とはあくまで比喩であり、開始の時期もハッキリせず、イギリス国王が皇帝を名乗っていたのは「インド皇帝」を戴冠していた時のみである。インド独立によりインド皇帝位は消滅し、同時にイギリス国王は「Emperor」ではなくなった。


ただし、日本では1970年代半ばまで文書でも諸外国の国王・大公を含め全て「皇帝」と扱っていたため、「イギリス皇帝」であった(これは、明治時代に帝国と王国で外交格差をつけたことを激怒されたため、格差の無いよう全ての君主国を帝国と扱った名残。現在も君主の法定推定継承者を「皇太子」と呼ぶ習慣が残る)。


Axis powers ヘタリア編集

\大英帝国様/

アーサー・カークランドを元にしたTwitterの大英帝国botから派生したタグ。

アーサー・カークランドが大英帝国の設定で描かれている。


公式ではない二次設定ヘタリア三次創作の一種。

他人の作品にこのタグを付ける場合は、作者のキャプション等で大英帝国の絵だと判断できるものに限るように注意すること。


作品は一般向けから腐向けまで、全てを含む。


一般名詞をキャラタグとして使う事は、不快に感じる人が多い為注意すること。


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