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ロンドン

ろんどん

欧州のグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス・英国)の首都。London。
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その他曖昧さ回避編集

London

三枝敏雄

ロンドン(アズールレーン)


Rondón


もしかして編集

ニューロンドン(New London)


ロンドンデリー(Londonderry)


概要編集

日本語での漢字表記は「倫敦」。

グレートブリテン島イングランド地域南東部の内陸部、テムズ川河畔に位置する。


シティ」と呼ばれる主に金融業が栄える中枢区域が中世以来の狭義のロンドン市域。この周辺32の特別区に王宮や首相官邸、英国議会等が設置されており、シティと特別区をあわせて広義のロンドンにあたる「グレーター・ロンドン」という大都市圏を構成する。「グレーター・ロンドン」は行政区画典礼カウンティリージョンであり、面積は約1,600平方キロで東京都より一回り小さい程度、人口は878.8万人(2016年)。


2,000年前に古代ローマ帝国がテムズ川の渡河点に築いたロンディニウム市を起源とする。その後は王国有数の商都にして王都としての歴史を刻み、17世紀ごろから一気に市域が拡大した。ロンドン塔やセントポール大聖堂など、歴史ある建造物が数多く残される。ヨーロッパ最大級の都市であり、世界的な金融・学術・芸術・観光の街。世界中から移民や学生や観光客を受け入れ、ニューヨークと並び最高峰の世界都市と評価されている。


地理編集

都心にあるシティ(正式名ではシティ・オブ・ロンドン)はローマ時代のロンディニウムを原型とし、かつての城壁に囲まれた中世都市。現代では城壁はほぼ撤去され、ごく僅かな遺構を残すのみである。シティの面積は3平方キロ弱で、人口も1万人未満であるが、昼間人口は60万人を越えるオフィス街である(2001年)。このシティにはロンドン証券取引所、イングランド銀行、ロイズ保険などが集中して大きな金融街を形成している。周辺の32の特別区はそれぞれ自治都市(borough)の資格を有し、地方自治サービスの大部分を提供する。それら特別区の中で最も重要なのは、王宮のバッキンガム宮殿や国会議事堂、首相官邸などの政治中枢が集中するウェストミンスター(現在の特別区としての正式名では周辺地区も併せてシティ・オブ・ウェストミンスター)である。シティを含め33の特別区からなるグレーター・ロンドン全体の広域行政サービスを提供するのが大ロンドン庁(Greater London Authority)。トップがロンドン市長(Mayor of London)で、管轄は交通、警察、消防、広域開発などに限られる。また25名からなるロンドン議会が市政を監察する。


この巨大都市を旅する交通手段として一番有名なのは赤い二階建てのロンドンバスであろう。だが、路線と停留所が極めて複雑に入り組んでいるので、よく注意して利用しよう。他には高い技量に定評ある黒塗りのロンドンタクシー、そして世界最古の歴史を誇るロンドン地下鉄などがある。イギリス各地や欧州へ向かう鉄道の駅はおおよそ行先別に市内各所に分散している。どの駅から出る列車に乗りたいのか、確認しておくべし。


気候は西岸海洋性気候。比較的穏やかな気候で、夏も真夏日になることは少なく、冬も氷点下になることは少ない。ロンドンというと年間を通じて雨と霧に閉ざされているような先入観を持ってしまうが、月間11~15日と確かに降水日が多い。ただし、降水量は東京などと比較してもかなり少なく、年中パラパラと小雨が降っているという方が近い。


観光編集

ビッグ・ベン編集

ビッグベン

ロンドンの象徴とされるネオゴシック形式の時計塔。正式名称はウエストミンスター宮殿と呼び、狭義のビッグベンである時計塔の下に大きな宮殿建築が広がって全体もまたビッグベンと通称する。この建物にはイギリスの国会議事堂が置かれている。ツアーにより下院、上院とも見学でき、所蔵の調度や絵画を見るだけでなく議会の歴史についても実地での解説で知ることが出来る。


バッキンガム宮殿編集

エリザベス女王

イギリス王室の宮殿であり、王室のロンドンにおける主な滞在場所である。王室美術コレクションに彩られた内部の見学は夏季のみ可能。宮殿前で1~2日ごとに行われる衛兵交替式は、英国の伝統的な流儀に触れられるアトラクションとして人気が高い。


大英博物館編集

大英博物館で漫画展開催

グレート・ラッセル・ストリートにある、世界最大、最高の所蔵品を誇ると言われる博物館。所蔵品は800万点とされ、巨大すぎてまる一日かけても見終わらない。常設展は無料で、寄付とグッズ販売だけで運営されている。


ロンドン塔編集

新 絵心教室 ロンドン塔

シティのさらに東にある重厚な城塞。王宮としても用いられたが、むしろ牢獄・処刑場として知られている。数多くの王族や著名人が幽閉もしくは処刑された歴史の目撃者である。また、国王即位に用いる王冠などの王家の宝物も所蔵し、見学できる。


タワーブリッジ編集

London

ロンドン塔の傍からテムズ川に架かっているゴシック調の壮大な橋。両岸に大きな塔を建てて歩道で繋ぐ(塔内見学込みで有料)。また地上の高さには車も通行可能な橋を架けて、大型船が通過する際には電動式エンジンで地上階の橋を持ち上げる仕組み。ただし現在は大型船の通過は少なく、幸運に恵まれないと揚がる橋は見物できない。


歴史編集

先述の通り、ロンドンの発祥はローマ時代にテムズ川河畔に建設された開拓地、ロンディニゥムとされる。ロンディニゥムはテムズ川の北岸にあって東西北は城壁で守られていた。これが後にシティ・オブ・ロンドンの原型となり、グレートブリテン島の商業中心地として繁栄した。ローマ帝国が街を放棄した後は、様々な異民族がロンディニゥムを襲った。最後にロンドンの支配者となったのはサクソン族であった。


中世に入り、ノルマンディ公ギヨーム2世はイングランドを征服するとロンドンも占領しようとする、だが、街は堅固な城壁を頼みに抵抗する。ギヨーム2世も無理な攻城戦は避け、郊外のウェストミンスターに軍営を置いた。さらにそのウェストミンスターにウエストミンスター・ホール(後のウエストミンスター宮殿)という宮殿を建てて政治の中心とし、経済の中心であるシティ・オブ・ロンドンと並立することになった。こうして成立したシティ・オブ・ロンドン自治の慣習は後世まで残り、現代に至るまで国王がシティに入場する際は、シティの長に許可を求める儀式が行われた。


近世の16世紀には、街の拡張に伴ってウェストミンスターとシティ・オブ・ロンドンの市街はつながり、一つの街並みを形成しつつさらに郊外に広がっていく。こうして実質的に誕生したロンドンの街は繁栄を極めるが、同時に欧州にも稀有な大都市としての問題に度々曝される。


1665年にはペストが流行し人口の5分の1が死亡、1666年のロンドン大火ではほとんどの家屋が焼失する。産業革命によって、ロンドンは農村から上京した人口が密集。イギリスが七つの海を制する超大国となると、ロンドンには世界の富と産物が集中、19世紀初頭~20世紀初頭まで世界金融の中心地にもなった。

民衆はパブのビールを楽しみ、学校教育を得られるようにもなった。一方で1848年、1866年と度々コレラが大流行して多くの犠牲者を出し、大気汚染の酷いロンドンは「霧の都」の別名を頂戴する。


第二次大戦後には次第に公害は改善に向かい、英国病に悩まされるロンドンは文化と観光に活路を求め、現在に至っている。


関連イラスト編集

セントポール大聖堂after the rain showerウエストミンスター修道院ロンドン

関連タグ編集

イギリス 倫敦

ビッグ・ベン バッキンガム宮殿 大英博物館 ロンドン塔 タワーブリッジ

ロンドン地下鉄 ロンドンタクシー ロンドン・ヒースロー空港

セント・パンクラス駅 パディントン アビーロード スコットランドヤード

ロンドン・アイ ロンドン橋落ちた 切り裂きジャック

ロンドンを舞台とする作品編集

シャーロック・ホームズ』シリーズ GSホームズ極楽大作戦!! 劇場版『けいおん!

黒博物館スプリンガルド 黒博物館ゴーストアンドレディ

くまのパディントン

大逆転裁判

BURNTHEWITCH

ポケモン剣盾 - 最終戦:チャンピオントーナメントの行われる街:シュートシティのモデルとなっている。


この他、イングランドを舞台とする作品のほとんどに登場する。


ロンドン級重巡洋艦1番艦「ロンドン」編集

艦名はイングランドの典礼カウンティである「ロンドン」に因む。


1926年2月23日起工、1927年9月14日進水、1929年1月31日竣工。

地中海の第1巡洋戦隊に配属され、1936年より旗艦を務める。

1936年8月22日、スペイン内戦バルセロナ市からの難民の避難を支援。

1939年3月、チャタム工廠で2年に亘る改造工事に入る。装甲の増加、艦橋の大型化などによりクラウン・コロニー級軽巡洋艦のような外観となった。

9月1日、第二次世界大戦が勃発。


1941年5月12日、駆逐艦「ブリリアント」と共にジブラルタルからマルタ島に航空機を輸送する空母フューリアス」を護衛。

5月24日、重巡洋艦「ドーセットシャー」と共にドイツ海軍戦艦ビスマルク」捜索に当たる。この時、改装した艦橋の重さのせいで上部デッキと船体に多くの亀裂が現れた。

6月5日、駆逐艦「ブリリアント」と共にドイツ海軍通商破壊部隊への補給船の捜索を行い、ドイツ海軍油槽船エッソ・ハンブルク」、「イーガーラント」を発見し自沈させる。

6月17日、フリータウンシエラレオネ)で空母「イーグル」と合流。

6月26日、ドイツ海軍封鎖突破船バビトンガ」を発見し自沈させる。

7月10日、空母「イーグル」などと共にフリータウンを拠点に南大西洋をパトロール。

9月22日、軍需大臣ビーバーブルック卿ウィリアム・マックスウェル・エイトキン・ビーバーブルック)らを乗せてアルハンゲリスクへ向かう。

10月30日、ニューカッスルの造船所で修理を受ける。


1942年4月、北極海で船団護衛やパトロールに当たる。船体下部に歪みが生じ、漏水が発生した。

12月、ニューカッスルの造船所で修理を受ける。これを機に新型のレーダーや対空兵装が搭載された。

1943年7月7日、ノルウェー沿岸の掃討作戦に参加。


1944年3月13日、東洋艦隊(司令官:ジェームズ・フォウンズ・サマーヴィル海軍大将)に配属され、トリンコマリー基地に到着。アメリカ海軍空母「サラトガ」を旗艦に第70任務部隊を編成。

4月19日、サバンの日本軍への空襲(コックピット作戦)を支援。

5月17日、スラバヤの日本軍への空襲(トランサム作戦)を支援。

10月15日、第63.2任務群に編制される。

10月17日、ニコバル諸島の日本軍を攻撃(ミレット作戦)。

1945年4月8日、戦艦「クイーン・エリザベス」等と第63任務部隊を編制。

4月11日、サバンの日本軍を攻撃(サンフィッシュ作戦)。

8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し降伏。マレーシア南部上陸作戦のため出港していたが作戦中止。

8月28日、サバンに入港。

9月、第9特別根拠地隊スマトラ島サバン)司令官広瀬末人海軍中将が「ロンドン」艦上で降伏文書に調印。


1946年1月、イギリスに帰投。

9月、予備役となる。

1947年、第5巡洋艦戦隊に編入され香港に配備。

1949年4月20日、国共内戦の最中、イギリス大使館員を避難させるため揚子江南京に向かっていたスループアメジスト」が中国人民解放軍から砲撃され、22人の死者を出して頓挫し、「アメジスト」を曳航しようとした駆逐艦「コンソート」も10人の死者を出し撃退された。

4月21日、「ロンドン」とスループ「ブラックスワン」が支援のため派遣されたが、中国人民解放軍の砲撃により損傷し撃退された。「ロンドン」は13人、「ブラックスワン」は3人の死者を出した。「アメジスト」は7月30日、夜陰に紛れて脱出に成功した。

9月8日、イギリスに帰投。退役。


1950年1月3日、スクラップとして売却された。

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