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曖昧さ回避編集


ドーセットシャー編集

イギリスの行政州「ドーセット州」の旧名。

イングランド南西部の海岸沿いに位置し、大きな町は少ない。

古代ローマ帝国の築いたダルノバリアの町(現・ドーチェスター市)がウェセックス王国時代にドーンワラカスターとなり、その住民をドーンセット(「ドーンの人たち」の意)と呼んだ事に起源を持つ。


80砲3等戦列艦「ドーセットシャー」編集

イギリス海軍の戦列艦。艦名はドーセット州の旧名「ドーセットシャー」から。

1694年12月8日、進水。

1704年8月24日、スペインのマラガ沖でフランス・スペイン連合艦隊とイングランド・オランダ連合艦隊の間で行われた、スペイン継承戦争中最大の海戦(マラガの海戦)に参加。

1749年、売却された。


70砲3等戦列艦「ドーセットシャー」編集

イギリス海軍の戦列艦。艦名はドーセット州の旧名「ドーセットシャー」から。

1757年12月13日、進水。

1758年4月29日、ビスケー湾でイギリス艦隊(戦列艦「ドーセットシャー」、「イントレピッド」、「アキレス」)がフランス海軍戦列艦「レゾナブル」を発見して海戦となり、イギリス艦隊が勝利した。

1775年、廃棄された。


重巡洋艦「ドーセットシャー」編集

イギリス海軍のノーフォーク級重巡洋艦2番艦。艦名はドーセット州の旧名「ドーセットシャー」から。

ワシントン海軍軍縮条約の制限に基づいた条約型重巡洋艦で、排水量は後に建造されたエディンバラ級軽巡洋艦と大差ない。基準排水量1万トンを堅持するため、速力と防御力を犠牲に火力と航続性能に重点を置いた設計となった。

基本設計はエメラルド級軽巡洋艦の拡大である。


艦歴

1927年9月21日起工、1929年1月29日進水、1930年9月30日就役。

1931年9月、大西洋艦隊水兵のストライキインヴァーゴードン反乱」では一時不穏な雰囲気になるも、すぐ秩序を取り戻した。

1933年、アフリカ艦隊の旗艦を務めた。

1935年9月、中国に配備。

1937年2月1日、空母ハーミーズ」、重巡洋艦「カンバーランド」と、シンガポールへの日本海軍の攻撃を想定した演習を行った。


1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発。

10月、南アメリカでの通商破壊艦捜索を命じられ、空母「イーグル」、重巡洋艦「コーンウォール」と共にセイロンを出発。

12月9日、サイモンズタウン南アフリカ)に到着。

12月13日、ドイツ海軍装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー」と交戦中のイギリス海軍G部隊応援のため、重巡洋艦「シュロップシャー」と共にポートスタンリーフォークランド諸島)へ向かう。

12月17日、「アドミラル・グラーフ・シュペー」はモンテビデオを出港し、自沈。

1940年1月、ラプラタ沖海戦で損傷を負った重巡洋艦「エクセター」をデヴォンポート(イングランド)まで護衛する。

2月11日、リオデジャネイロ沖でドイツの貨物船「ワカマ」を発見し、停止を命じたが、「ワカマ」は自沈し、「ドーセットシャー」が乗組員を救助した。


6月23日、フランス海軍戦艦リシュリュー」が停泊するダカールセネガル)に到着。

6月25日、「リシュリュー」と共にダカールからカサブランカへ向かい、空母「ハーミーズ」と合流。

6月27日、ヴィシー政府の海軍大臣フランソワ・ダルラン海軍元帥の命令で「リシュリュー」がダカールへ戻る。「ドーセットシャー」が追跡して監視。

7月3日、フランス海軍潜水艦ル・エロー」、「ル・グロリュー」に攻撃を受けるが魚雷を回避。

7月5日、「ハーミーズ」、オーストラリア海軍重巡洋艦「オーストラリア」と合流。

7月8日、ダカールのフランス艦隊がイギリス政府の最後通牒に応じなかったため、「ハーミーズ」艦載機が攻撃。

9月4日、ダーバン(南アフリカ)でオーバーホールを受ける。


11月18日、インド洋に移動し、ソマリランドのイタリア軍を艦砲射撃。

12月18日、南大西洋でドイツ海軍装甲艦「アドミラル・シェーア」の捜索に当たる。

1941年5月26日、シエラネシオへの船団を護衛中、ドイツ海軍戦艦ビスマルク」捜索を命じられ、H部隊に合流。

5月27日、大破し総員退艦の始まった「ビスマルク」に魚雷3本を命中させ、撃沈。

8月下旬、南大西洋でドイツ海軍装甲艦「アドミラル・シェーア」の捜索に当たる。

11月、南大西洋でドイツ海軍仮装巡洋艦アトランティス」の捜索に当たる。

12月7日、日本海軍の真珠湾攻撃太平洋戦争が勃発。


1942年1月、東洋艦隊に配属される。

3月8日、連合国軍のラングーンミャンマー)撤退を支援。

3月30日、"日本海軍が4月1日にセイロン島を攻撃"という暗号情報により、ジェームズ・フォウンズ・サマーヴィル中将は東洋艦隊をセイロン島から退避させる。

4月2日、東洋艦隊はアッドゥ環礁に後退。「ドーセットシャー」と重巡洋艦「コーンウォール」を燃料補給のためコロンボ(スリランカ)へ向かわせる。

4月4日、日本海軍がセイロン島に迫ってきたため、「ドーセットシャー」と「コーンウォール」はコロンボから退避。

4月5日、コロンボが空襲を受ける。「ドーセットシャー」と「コーンウォール」は日本海軍重巡洋艦「利根」の水上偵察機に発見され、空襲を受けて撃沈された。

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