ドイッチュラント級装甲艦2番艦「アドミラル・シェーア」
1934年、ドイツ海軍で就役。
建造時の艦橋は姉妹艦アドミラル・グラーフ・シュペーと同様に搭状の重厚なものであったがトップヘビーで、1940年2月から9月にかけての改装で、「ドイッチュラント(リュッツォウ)」に似たマスト状のものに変更された。
艦名は、第一次世界大戦時のドイツ大洋艦隊司令長官のラインハルト・シェーア提督に由来する。
“アドミラル・シェーア”は英語読みであり、ドイツ語の発音では“アトミラール・シェーア”となる。
船舶は女性名詞で呼ばれる(例:Die Bismarck)が「アドミラル・シェーア」はなぜか男性名詞で表記される(Der Admiral Scheer)慣習があった。
スペイン内戦(1936年7月17日~1939年4月1日)で地中海に派遣された。
1937年5月、4回目のスペイン派遣では姉妹艦「ドイッチュラント」がイビサ島で空襲を受け、31名が死亡、101名が負傷した。報復として共和国派根拠地の一つであったアルメリア市を砲撃し、民間人19名を殺害、建物35戸を破壊した。
第二次世界大戦では、姉妹艦の中で最も活躍した。
1939年9月4日、ヴィルヘルムスハーフェンで空襲を受け、500ポンド爆弾3発が命中するが不発弾だった。
開戦当初はオーバーホールや司令塔の大規模な改装の為に出撃出来なかったが、1940年10月27日、艦長テオドール・クランケ海軍大佐の指揮のもとブルンスビュッテルを出撃し、1941年4月1日にキールに帰港するまでに大西洋・インド洋で通商破壊を行った。撃沈・捕獲した船舶はイギリス海軍補助巡洋艦「ジャービス・ベイ」をはじめ16隻にのぼり、仮装巡洋艦を除けば第二次世界大戦中のドイツ海軍水上艦艇においては最大の戦果である。
クランケ大佐は捕虜を丁重に扱った。
その出撃で肉・卵を大量に積んだ貨物船デュケサを捕獲し、貴重な卵を仮装巡洋艦トールや給油艦・補給艦などにも大盤振る舞いして喜ばれた。航海後半だと乗組員のなかには贅沢にも卵料理に辟易する者もいたという。
本国に帰港して整備後はバルト海艦隊に配属され、1942年2月には、ドイツ水上艦隊の大半と同じくノルウェーに進出し、7月には北極海を航行する援ソ船団であるPQ17船団攻撃のための大規模な作戦であるレッセルシュプルング作戦に参加、8月には北極海での通商破壊であるヴンダーランド作戦を行った。
1942年12月31日のバレンツ沖海戦の敗北でアドルフ・ヒトラー総統から不信感を抱かれ、解体されかけたドイツ水上艦隊は海軍総司令官カール・デーニッツ元帥の尽力で何とか存続を許されたが、その影響でシェーアは1943年には練習艦となりバルト海に派遣された。
1944年7月にはバルト海でプリンツ・オイゲン等と共に第2戦闘グループを形成し、アウグスト・ティーレ中将の指揮のもとバルト海でドイツに迫るソ連軍への艦砲射撃や、ドイツ人避難民の輸送などで以後活躍した。
難民を運び、疲弊した砲身の交換に1945年3月18日にキールに到着したシェーアは度重なる戦闘で疲弊した砲身の交換を行っていたが、4月9日の夜に300機を超えるRAFの空襲を受け造船所内で横転・沈没した。
残骸は戦後、ドックごと埋め立てられた。
艦名は西ドイツ海軍の138型教育フリゲート「シェーア」(イギリス海軍から供与された改ブラックスワン級スループ「ハート」)に引き継がれた。
戦艦少女の「アドミラル・シェーア」
ゲーム戦艦少女に「アドミラル・シェーア」の擬人化キャラ、舍尔海军上将が登場する。外部リンク
私はポケット戦艦アドミラル・シェーアです。私はもう待てません!長官、私を戦闘に投入して下さい!