曖昧さ回避
- イギリス海軍のコイザー級12砲ガン・ブリッグ5番艦。1797年進水。
- イギリス海軍のアーチャー級12砲ガン・ブリッグ21番艦。1804年進水。
- イギリス海軍の16砲外輪船。1850年進水。
- イギリス海軍のアロガント級防護巡洋艦2番艦。1896年12月3日進水、1898年7月1日就役。1915年「フォルテ」に改名され、チャタムの魚雷学校でハルクとして使用された。1923年、売却された。
- イギリス海軍の大型軽巡洋艦。カレイジャス級の準同型艦とされる。
「Furious」は英語で「怒り狂った」の意。
大型軽巡洋艦「フューリアス」
第一次世界大戦中、イギリスでは戦時制限により軽巡洋艦以上の艦船が建造出来なかった。
そのため第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャーは、バルト海からドイツ本国を侵略するため、吃水が浅く大口径主砲を積んだ大型軽巡洋艦を立案し、これらは艦速が速く巨大なモニター艦の体を成した。
「フューリアス」はカレイジャス級大型軽巡洋艦の主砲を45.7cm単装砲2基に替えた改良型として建造されたが、建造中にバルト海侵攻の可能性は薄れ、前部主砲塔を撤去し飛行甲板を設置した姿で完成した。
艦載機は発艦できるものの着艦は不可能な設計で、発艦後は陸の飛行場へ着陸し、港で母艦へ収容することになっていた。
しかしそれでは港の近くでしか艦載機を飛ばせないので、パイロットたちは独自に着艦訓練を開始。
その方法は、
1.正面から着艦しようとすると艦橋に衝突するため、斜め後方から失速ギリギリの低速で接近。
2.艦橋を追い越した瞬間に機体を横滑りさせ、飛行甲板へ斜めに滑り込む。
3.着艦用フックなどは無いので、甲板員が艦載機を手で押さえつけ、飛行機が甲板から滑り落ちる前に力づくで停止させる
という曲芸まがいのもので、当時の艦載機が低速・軽量な複葉機だったため一応成功したが、事故も発生して死者が出たため禁止された。
さすがに実用的ではないため再度改装され、艦の後部に着艦用の甲板が設けられた。
しかし中央には相変わらず艦橋が鎮座していたため、煙突からの排煙も合わさって気流の乱れを引き起こし、着艦実験は失敗(そもそも滑走路のど真ん中に管制塔が立っているようなもので、単純に邪魔だったというのもある)。
さらに着艦した艦載機を前方の発艦用甲板へ移すのもかなり大変だった。
そして再々度の大改装により、二段式の全通飛行甲板を持つ空母に生まれ変わった。
「フューリアス」でのこうした試行錯誤は「グローリアス」と「カレイジャス」の空母改造に生かされた。
艦歴
1915年6月8日起工、1916年8月15日進水、1917年6月26日就役。
1917年8月2日、エドウィン・ハリス・ダニングが「フューリアス」の飛行甲板への着艦に成功。しかし、8月7日の3度目の着艦に失敗して墜落し、5日後に死亡した。
10月、第1巡洋艦隊に配属され、ドイツ海軍艦艇を捜索。
11月、ドック入りし、後部主砲塔を撤去し飛行甲板を設置。
1918年3月15日、再就役しツェッペリン飛行船の基地を捜索。
7月19日、トゥナーの飛行船基地攻撃に参加。
11月11日、ドイツ軍が連合国軍と休戦協定。
1921年6月、ドック入りし、二段の飛行甲板を持つ空母に改造される。
1922年2月6日、ワシントン海軍軍縮条約が採択される。最大67,059トンの既存艦を空母に転換可能だった。
1925年9月、空母への改装が完了。下段の飛行甲板は短すぎて役に立たないのが判明。格納庫の左右を通って艦尾から排煙する煙突も艦内を灼熱地獄に変えた。
1930年9月、ドック入りし、機関のチューニングが行われる。
1939年1月、右舷の飛行甲板上に小型のアイランドを設置。
9月1日、第二次世界大戦が勃発。
10月2日、沈没した「カレイジャス」の代わりに本国艦隊に配属。
1940年4月18日、ナルヴィク沖でルフトヴァッフェのHe111爆撃機に空襲され、爆弾2発が命中。機関に深刻なダメージを受けるがノルウェーに留まる。
11月7日、エジプトやガーナ、ジブラルタルへの航空機輸送に当たる。
1941年5月18日、航空機を積んでジブラルタルに到着。
5月19日、空母アーク・ロイヤルと共に航空機を積んでマルタ島へ向かう(スプライス作戦)。以後もマルタ島基地への航空機輸送が続く。
1942年8月29日、ジブラルタルのH部隊に配属。
11月8日、連合国軍によるモロッコとアルジェリアへの上陸作戦(トーチ作戦)に参加。
1943年2月、帰国して本国艦隊に配属。
7月10日、連合国軍のシチリア島上陸(ハスキー作戦)。陽動のためノルウェー沖に出撃する。
1944年3月30日、ノルウェーに引き籠るドイツ海軍戦艦「ティルピッツ」攻撃のため、スカパ・フローから出撃(タングステン作戦)。
4月3日、艦載機の墜落事故で損傷し、修理。その後も再三「ティルピッツ」を攻撃するが戦果は挙がらなかった。
9月15日、予備役となる。
1945年4月、退役。標的として利用される。
1948年、スクラップとして売却。