曖昧さ回避
ウォースパイト(イギリス海軍艦船)
HMS Warspite は英海軍の伝統ある艦名。
- ガレオン船。船名の綴りは「Warspight」。1596年進水。1635年からハルク(浮いているが航行能力がない船)となり、1649年に売却された。
- 三等戦列艦。1666年進水。1719年、「エディンバラ」に改名。1771年に解体された。
- 三等戦列艦。1758年4月8日進水。1778年からハルクとなり、1800年3月、「アランデル」に改名。1802年に解体された。
- 三等戦列艦。1807年11月16日進水。1846年に退役して訓練船となり、1876年1月3日、火災により廃棄。2月2日、売却された。
- インペリューズ級装甲巡洋艦2番艦。1884年1月29日進水。1890年よりイギリス太平洋艦隊旗艦。1893年よりコブ港(アイルランド)の警備船。1896年より再びイギリス太平洋艦隊旗艦。1902年に退役し、1904年4月4日、売却された。
- クイーン・エリザベス級戦艦の2番艦。本項で詳述。
- ヴァリアント級原子力潜水艦の2番艦。1965年9月25日進水。攻撃型原潜で、1981年よりハープーン対艦ミサイル運用能力を付与された。1987年に改修工事に入るが、原子炉に異常が見つかり1991年に退役。解体を待ち保管中。
ウォースパイト(艦船擬人化キャラクター)
全てクイーン・エリザベス級戦艦ウォースパイトの擬人化である。
- 戦艦少女のウォースパイト→厌战
- アズールレーンのウォースパイト→ウォースパイト(アズールレーン)
- 艦隊これくしょんのウォースパイト→ウォースパイト(艦隊これくしょん)
- アビス・ホライズンのウォースパイト→ウォースパイト(アビス・ホライズン)
艦名の由来
ガレオン船「Warspight」の"spight"は「怨念」「悪意を持つ」という意味で、「ウォースパイト」は「戦争を軽蔑する者」と解釈される。
1919年まで緑色のキツツキが紋章として使われ、キツツキの一種「ウッドスパイト」に掛け、敵の船に穴を開けるという意味があった。その後は中世の大砲が正式な紋章となっているが、引き続き緑色のキツツキも砲栓などにあしらわれた。
艦のモットーはラテン語で「Belli dura despicio」で「戦いでの痛手を見くびる」となり、「戦いでの負傷など何ともない」という好戦的な意味と解釈できる。
クイーン・エリザベス級戦艦「ウォースパイト」
戦いのあるところ必ずWarspiteあり、と海軍では言われている。
1944年6月7日 英タブロイド誌「デイリー・ミラー」
第一次・第二次世界大戦を戦い、世界屈指の殊勲艦と激賞される戦艦。「傷だらけの不沈艦」「オールド・レディ」の異称を持つ。
来歴
クイーン・エリザベス級戦艦の2番艦として第一次大戦中の1915年3月8日に就役、同年12月1日に姉妹艦バーラムと衝突して大破、修復後1916年のユトランド海戦ではドイツ艦の砲弾を15発喰らい大破するも生還した。
第二次大戦の開戦後、1940年にはドイツ軍のノルウェー侵攻に対抗するためノルウェー沖に展開。
4月13日、ドイツ艦隊との交戦により損傷した巡洋戦艦戦隊司令官ウィリアム・ホイットワース中将の旗艦である巡洋戦艦レナウンから旗艦を継承する。偵察に出た艦載機がUボートを撃沈し、第二次大戦最初の航空機による潜水艦撃沈となる。駆逐艦9隻を率いてフィヨルド内に突入、ドイツ駆逐艦8隻を全滅させる戦果をあげる(第二次ナルヴィク海戦)。
5月に地中海艦隊司令長官アンドリュー・ブラウン・カニンガム中将の旗艦となる。
7月9日、カラブリア沖海戦では26,000ヤード(約24キロ)でイタリア艦隊旗艦・戦艦ジュリオ・チェザーレに命中弾を与え、移動する目標への長距離射撃の記録となった。
1941年3月28日、マタパン岬沖海戦でザラ級重巡洋艦により編成されたイタリア第一戦隊を僚艦と共に夜戦で全滅させた。
1942年1月に東洋艦隊司令長官ジェームズ・フォウンズ・サマーヴィル中将の旗艦となるも、日本艦隊と交戦する機会はなく、5月に本国に帰還した。
1943年9月16日、イタリアでサレルノ上陸作戦を支援中、ドイツ軍の誘導爆弾フリッツXが2発命中して大破、イギリス本国へ回航修理となる。3番主砲塔の修理は断念。
1944年6月6日、ノルマンディ上陸作戦を支援砲撃中フリッツXの直撃をうけるも、修理を諦めた3番主砲塔だったため弾薬はなく損害軽微。しかし、帰還中左舷に触雷し大破。修復後も速力は15ノットまで低下する。
11月まで洋上からの支援砲撃を行うが1945年2月に予備役に編入。そのまま終戦を迎えた。
1947年に除籍、スクラップとして売却された。解体所に向かう途中、嵐で錨が外れて漂流し、座礁するというトラブルがあった。1950年に解体完了。
その他
第二次世界大戦当時、ウォースパイトは型落ちになっており、「沈没したってそんなに惜しくないからお前ら行って来い!!」と、修復もろくにしないまま酷使された。舵をはじめとした航行機関に原因不明の不調を抱え続け、機関部に到達するほどのダメージを負うなど不運なエピソードにも事欠かない。それを跳ね除け生き残り、戦死者も少なく抑え、世界屈指の武勲艦と評価されているのも、乗員の練度の高さあってこそであろう。