現在、日本外務省の危険情報レベル4:退避勧告が出ている国です。
概略
中東、南アジアに位置する国。中央アジアに含むことも。略してアフガン。英語では"Afghanistan"。首都はカブール。
2021年9月時点では外務省による正式国名は「アフガニスタン・イスラム共和国」であるが、現政権(タリバン)は「アフガニスタン・イスラム首長国」と自称している。国のほとんどが山岳地域や砂漠などの乾燥地帯で、夏は暑いが乾燥しているため日陰では比較的過ごしやすい。冬になれば雪も降る。
パキスタン、イラン、トルクメニスタン、東トルキスタン(ウイグル)(中国領)などと接する。
古くから民族が侵入してきた「民族の交差点」といわれ、現在も多くの民族が住む。最多数派のパシュトゥーン人(アフガン人)でも40%に過ぎず、ほかにタジク人30%、ハザラ人10%などで、民族間の抗争も絶えない。
公用語もこうした民族構成を反映して、最多数派で歴史的に王族や武官を多く輩出したパシュトゥーン人の用いるパシュトー語と、人口比第2位で歴史的に官僚など文官を多く輩出したタジク人の用いるダリー語(アフガン・ペルシア語)の2つが採用されている。
歴史
「民族の交差点」とも言われる地理的位置から、アフガンは様々な民族が侵入し、大国の侵略と蹂躙を繰り返し受けてきた。古くは紀元前の四大文明のインダス文明とメソポタミア文明に挟まれ、双方の勢力地域に含まれた。
世界で初めて麦が生まれた土地といわれる。
紀元前6世紀はペルシャ帝国に編入され、紀元前4世紀にはアレキサンダー大王に征服された。
紀元後は幾度も遊牧民の勢力下となり、中華が唐代の頃は仏教が盛んで、インドへ旅した玄奘三蔵がシルクロードで栄えたバーミヤーンに立ち寄った。8世紀からイスラム化し、14世紀にモンゴル帝国の一角として支配され、その後はインドやペルシャの支配を受けイスラム化した。
18世紀に独自の王国として独立し、王朝を繰り返したが、19世紀にイギリスに侵略され保護国に。
20世紀初頭にアフガン王国として独立したが、1970年代にソ連寄りの王族ムハンマド・ダーウードがクーデターを起こし、共和国となった。
ムハンマド・ダーウードは性急な近代化を指向してイスラム教を弾圧するようになり、1978年にクーデターで共産主義国家・アフガニスタン民主共和国となった。
これに対し、イスラム義勇兵・ムジャヒディーンと政府との内戦状態になり、この期に乗じてソ連がアフガンの衛星国化を狙って軍事介入(アフガニスタン紛争)。
ソ連軍は山々を破壊し、緑豊かなアフガニスタンを更地に変えてしまった。
当然ソ連は国際的非難を浴び、アメリカやイギリス、中国等から支援を受けたイスラム教徒義勇兵(ムジャヒディーン)達の抵抗でソ連軍は撤退。だがこれでイスラム原理主義勢力が台頭し、冷戦終結後も紛争は続き、タリバンによるイスラム原理主義に基づく抑圧的政治が続いた。
21世紀、2001年の9.11のテロに関わったアルカイダとその指導者ビンラディンを匿うタリバンに対し、ジョージ・W・ブッシュ米大統領は米軍を報復のためにアフガニスタンへ派兵、短期間でタリバン政権は崩壊した。アメリカ主導の民主的な新政権が発足したが、タリバン残党によるテロや新政権内の汚職が相次ぎ、国内は混乱状態が続いた。
2021年8月、ジョー・バイデン米大統領がアフガニスタンに駐留する米軍の完全撤退を決定したことで徐々に影響力を取り戻していたタリバンがほぼ全土を手中におさめ、首都カブールも陥落。それに合わせて大統領など大半の政府関係者も国外へ脱出、タリバンの復権が確実となり、全土の掌握が宣言された。掌握後は以前のようにタリバン色の強い抑圧政治に戻っている。
関連人物
- 中村哲⋯アフガニスタンで灌漑事業をした医師。2019年現地の武装勢力の凶弾にたおれる。現地でも尊敬されており、アフガン東部のジャララバードではいたるところに「ナカムラ」の文字を見ることができる。
- アフガーニー⋯「パン・イスラム主義」を提唱。
- アフマード・シャー・マスード将軍/パンジシールの獅子
⋯抗タリバン運動指導者。9・11の2日前に暗殺されるが、息子が後を継ぐ。彼の率いた北部戦線はハザラ族に大砲や機関銃を撃ち込んだので評判が悪い。
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